資料――マスコミでは伝わらないアフガンの人々の実情

 故・中村哲さんと、元駐アフガニスタン大使が語るタリバン

【編集部】アフガニスタンの首都カブールが8月15日陥落し、米軍は命からがら撤退した。20年にわたるアメリカを中心とする〝民主主義国〟によるアフガニスタン侵略戦争は人民の歴史的勝利に終わった。1975年4月、ベトナム戦争での米軍敗退、サイゴン陥落で米軍の世界支配の終わりは始まったといわれる。それから46年、カブール陥落は〝アメリカの時代〟の終わりを世界中に劇的に知らせた。アフガン人民はついに外国侵略者を追い出し、完全な独立を達成した。前途に困難も予想されるが、アフガン人民の前進を確信できる。
 「タリバン」についてマスコミにあまり出ない実情を紹介する。一つは、2019年に亡くなった中村哲医師へのインタビュー記事の一部。もう一つは、やはり中村哲さんとも懇意だった元駐アフガニスタン大使・髙橋博史さんの報告の一部。
なお、インターネットで提供されている「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」でも、中村哲さんの目を通したリアルな現状を知ることができる。

 故・中村哲医師が語ったアフガン 「恐怖政治は虚、真の支援を」から

 筆者は、治部れんげさん。1974年生まれ。ジャーナリスト、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。『日経ビジネス』(2001年10月22日号)に載ったインタビュー記事を、筆者が中村哲さんに弔意を表し、2019年12月4日に再び掲載した。

 日本の報道で一番伝わってこないのが、アフガンの人々の実情です。北部同盟の動きばかりが報道されて、西側が嫌うタリバン政権下の市民の状況が正確に伝わらない。日本メディアは欧米メディアに頼りすぎているのではないか。
 北部同盟はカブールでタリバン以前に乱暴狼藉を働いたのに、今は正式の政権のように扱われている。彼らが自由や民主主義と言うのは、普通のアフガン市民から見るとちゃんちゃらおかしい。カブールの市民は今、米軍の空爆で20人、30人が死んでも驚きません。以前、北部同盟が居座っている間に、内ゲバで市民が1万5000人も死にましたから。
 今もてはやされている北部同盟の故マスード将軍はハザラという一民族の居住区に、大砲や機関銃を雨あられと撃ち込んで犠牲者を出した。カブールの住民の多くは旱魃で農村から逃げてきた難民。22年の内戦で疲れ切っていて、「もう争いごとは嫌だ」と思っている。
 逆に言うと、厭戦気分が今のタリバン支配の根っ子にあると思います。各地域の長老会が話し合ったうえでタリバンを受け入れた。人々を力で抑えられるほどタリバンは強くありません。旧ソ連が10万人も投入して支配できなかった地域です。一方で市民は北部同盟は受け入れないでしょう。市民は武器輸送などでタリバンに協力しています。北部同盟に対しては、昔の悪い印象が非常に強いですから。
 タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。
 例えば、女性が学校に行けないという点。女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前までそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。カブールにいる我々の47人のスタッフのうち女性は12~13人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています。
 我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。
 米国の食料投下は全く役立っていない。今行われていることを総じて言うと、イスラム社会の都合や考えを無視して、西欧社会の都合が優先されている。ものすごい運賃をかけて物を送ったり、自衛隊を出すかどうかで大騒ぎして、結局役に立っていない。
 あちらの慣習法で大切なのが、客人歓待。ビンラディンもいったん客人と認めたからには、米国だろうと敵に客人を渡すのは恥、と考えるんです。
 こんなふうに死にかけた小さな国を相手に、世界中の強国がよってたかって何を守ろうとしているのでしょうか。テロ対策という議論は、一見、説得力を持ちます。でも我々が守ろうとしているのは本当は何なのか。生命だけなら、仲良くしていれば守れます。

アフガニスタンにおける大いなる実験

元駐アフガニスタン特命全権大使 髙橋 博史
(『ARDEC』March 2021)から

乾いた大地と農民

 アフガニスタンは遊牧民と農民が暮らす農業国である。しかし、広大な乾いた大地の大半は草木も生えない荒れ果てた土地である。アフガニスタンはこの荒れた大地に草を求めてヒツジを追う遊牧の民と、わずかな雨水を頼りに細々と耕作に従事する定着民が生活する世界である。そのような厳しい自然環境のなかで生活する人々にとって、毎年の雨水の量は、その年のコムギの生産量を決め、生きることを可能にする、いわば生殺与奪の権を握る重要なものである。こうした厳しい自然環境からか、この地に生活する人々は他人の干渉を極度に嫌悪し、警戒する、非常に保守的な人々でもある。
 私は退官後、FAOアフガニスタン事務所に顧問として勤務することとなった。農業開発である。
 ある日、ヘラート市郊外でハウス栽培が行われていることを聞いた私たちは、農業省ヘラート県事務所職員の案内で、アフガン人の同僚と共に視察に出かけた。外からはまったく窺い知ることのできない、高い土塀に囲まれた大きな家に着いた。小さな木の扉を叩くと、使用人と思しき若者が出て来た。農業省職員が見学に来た旨伝え、案内されて母屋の裏側に行くと、そこにはキュウリを栽培する大きなビニール・ハウスが設置されていた。整然と植えられたキュウリの苗、きれいに整えられたビニール・ハウス。すでにキュウリもなっていた。このハウスは誰が世話をしているのかと尋ねた(現地での友人の)ドクター・ナジィーブに、その若者は僕です、と答えた。
 そうしているうちに、体格のいい、太鼓腹の出た、このハウスのオーナーが現れた。作付面積、収穫高、マーケットへの卸価格といった質問に、彼は積極的に答えてくれた。その様子を写真に撮ろうとした私に、彼は突然、「写真を撮るんじゃない」と怒鳴った。驚いた私は、即座にカメラをしまい込んで謝った。
 あとでドクター・ナジィーブが、あのオーナーはタリバーンだよと、教えてくれた。ドクター・ナジィーブは欧米では反政府勢力をタリバーンと呼んでいるが、実は アフガニスタンの普通の農民や遊牧民自体がタリバーンと同じ考え方をしており、タリバーンと何ら変わらないと語った。そして、彼らの超保守的な考え方を理解して対処すれば、何の問題も起きないと付け加えた。

安全確保とプロジェクトの実施

 私たちはプロジェクトを開始するにあたって、地域の部族長たちに集まってもらった。部族長たちは異口同音に、40年以上の長い紛争のために、農業インフラは壊滅状態にあり、生活ができない。政府は何もしてくれないと訴えた。
 日本をはじめとした国際社会による援助について尋ねても、誰も裨益した農民はいないと答え、利益を得たのは元反政府勢力のムジャーヒディーン野戦指揮官や政府の腐敗した役人たちであると非難した。さらに、部族長たちは40年以上放置されている農業インフラを整備するだけで、我々の生活は良くなる。それ以上のことは望まない。是非、支援して欲しいと訴えた。
 すぐにでも現地を視察して欲しいと私たちを説得する部族長たちに、視察の際の安全確保はどうするのかと質問した。それまでほとんど黙って聞いていた1人の部族長が、問題ないと答えた。どうして問題ないのだと聞くと、みんなが笑いながら、彼がいっているから大丈夫だと返事をした。不思議に思って、なぜだと聞くとさらに笑いが盛りあがった。隣に座っていた1人の部族長が、声をひそめながら、私に、あの部族長はタリバーンのメンバーなので、彼が大丈夫といえば、安全ですよといったので、その時、初めてタリバーンのメンバーが会議に参加していたことを知ったのである。