9・18満州事変90周年

共有(シェア)Share on Facebook
Facebook
Tweet about this on Twitter
Twitter
Share on LinkedIn
Linkedin

友好・交流を下地に「日中不再戦」

広範な国民連合代表世話人 原田 章弘

 日米共同宣言で菅は「反中国」「台湾」の踏み絵を踏んだ。前安倍政権はQuad(クアッド)で「中国封じ込め」を提起し、以降も、米同盟国が香港、台湾を巡って東アジアの対立を煽っている。横須賀を母港とする米第七艦隊が台湾海峡の警戒航行を繰り返す。日本は米の対中戦争を許すべきでないし、協力もすべきでない。

 柳条湖事件90周年の今年、中国を「敵視」する行動でなく、「歴史を鑑に」「日中不再戦」を旨とし「信頼関係を築く」ことを中心に行動すべきだ。
 私は、中国・瀋陽との相互往来交流10年以上。同じく哈爾浜の「侵華日軍第七三一部隊罪證陳列館」との交流も10年以上。朝鮮訪問も1991年以来14回。ほぼ同時期の日本と東アジアの交流だが、そうした交流を経験してきたことで、現在の新たな活動を展開してきている。この経験をもとに、私の日中友好を語ってみたい。

初の訪中、神奈川県教組訪中団

 初訪中は1975年。私は教組執行委員。当時はまだ中国航空路線未就航。県教組が各地区2名の枠で訪中団を結成し、特別便を仕立てた。全部で16人ほどの参加だった。
 帰国後には市内中学校連合生徒会で、「『旧満州国』を訪ねて」との演題で講演を依頼されるような「訪中」自体が珍しい時期だった。初訪中が、好印象だったこともあり、また、戦争中、中国民衆には大変な犠牲を強いたことが、私の活動の原点となった。

七三一部隊罪證陳列館訪問・金成民氏との交流

 87年、神奈川人権センター主催の「七三一部隊スタディーツアー」。この時、

「侵華日軍第七三一部隊罪證陳列館」の金成民副館長と3人の証言者に会った。金さんはラジオ講座で日本語を学び、元隊員の証言収集をしていた。96年、私は、県内の仲間と「歴史の真実を明らかにする」と、「かながわ歴史教育を考える市民の会」を結成し、事務局長を担った。大きな事業だったが、「20世紀最後の証言集会」をしようと、金成民氏、ペスト菌被害者遺族・靖福和氏の2名を招いての県内5カ所の集会を企画した。それにしても、瀋陽の日本領事館で「受け入れ団体」はどこか、「招致の責任は」など書類の記載は大変だったことを思い出す。
 その後、金さんから連絡で「陳列館の掲幕儀式に参加して日本代表として挨拶を」と依頼された。大任だったが、当日は省関係者、軍人、学生など約1000人を前に挨拶。挨拶後はCCTVはじめ、地方局のインタビューに追われた。今、金成民氏は館長として、世界遺産登録を目指し、忙しく活動している。県内有志の方々の東北旅行を企画し、お連れした時にも、必ず訪問しお会いする。私たちの父祖が犯してきた罪は、ずっと私たちが引き受けなければならないと考えている。

児童の相互往来・交流(日中交流)

 さて、児童交流だが、95年、議員になってから遼寧中医学院で鍼灸を学んだ方に、遼寧省中日友好協会や、省外事弁公室などに「教育交流したい」との意向を示し、引き合わせをお願いした。そして、どこでも私の歴史認識を語り、安心感や信頼感を持っていただいた。撫順の平頂山殉難者遺骨館を訪問し、幸存者莫徳勝さんの証言を聞き、撫順、瀋陽、本溪の学校訪問をさせていただいた。その中で、寧山路小学を訪問した時に校長が「横須賀には、米国の海軍基地があるのですよね」と言われたのには、「地方都市の小学校の校長が、そんなことを知っているの」と驚いた。
 省対外連絡協会からその寧山路小学を紹介されて、三浦半島と相互に隔年訪問。教組出身なので、教文研主催の日中交流事業とした。翌96年から児童8人、引率教師4人との確認で、表敬訪問から始まり、学校ごとに行事をした。児童は3日間のホームステイ期間で、話せずともとても仲良しになり、手をつないで走り回るような姿も、また、最終日には涙を流して手を取り合う様子も見られ、「あの子たちの暮らす中国とは戦争をしてほしくない」と私に感想を述べてくれた子どもも。
 瀋陽市内の柳条湖に、事件の残骸が残っている。そこに「9・18記念館」が立ち、戦争博物館のように被害展示がある。毎回の訪問・交流では児童を記念館に引率し、「加害の実相」を学習する。施校長からは、「平和使者」という大書をいただいた。
 その交流も10年間で、休止することになった。道筋をつくった私は、残念でならない。

中村進一(三重県議会議員)

近隣4ヶ国児童絵画交換展実施

 「いかにしたら、費用もかけずに交流が続けられるだろうか」と日夜、考慮を重ねた。その結果、「児童絵画を交換展示しよう」と思い立ち、施さんと曽さんに要請した。お二人とも、「何でも協力する」と言ってくれた。そして瀋陽市中日友好協会も、「9月3日からやろう」と。
 そして、同様に被害を与えた朝鮮半島の皆さんにも「友好協力に」「平和に」と訴え、「近隣4ヶ国児童絵画交換展」を始めることにした。私の訪朝は14回になる。対外関係部署の日本局長に相談・依頼したところ、「既に同様な絵画交流を『南北コリアと日本の子どもたち』と行っている。学校の数もそれほどに多くはないので、理解してほしい」とのことだった。朝鮮の絵画は、「南北コリア……」から借用することとして、県内の朝鮮初級学校にも協力願った。韓国については経過があるが、現在、恒常的に進めるため教組に連絡を取っているところだ。
 展示会場は市民ギャラリー。2018年には450点を集約・展示した。展示後は中国・瀋陽に送る。郵送費用だけでも5万円くらいかかる。実行委員と当日のボランティアの協力体制も整っている。寄付金募集が毎年の課題だ。市民団体、平和運動団体に寄付を要請しご協力いただいて、今年11月には第7回を実施する。朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会の京都大会で冊子報告し、参加者に評価された。

むすびに

 ASEAN外相会議地域フォーラムも終わったが、一連の外相会談で南シナ海を巡って米中が主張をぶつけ合っている。対中圧力を強める米国と、中国は「一部の域外国が下心を持って、他の域外国を南シナ海に誘い込んで力を誇示し、公然と地域諸国の切り離しを図っている」と非難している。
 今、日本は米に与して対立を煽るのでなく、90有余年前を思い出し、「戦争は絶対に許さず」「日中不再戦」を確認しなければならない。私は、中国、朝鮮半島の地を訪問・交流し、信頼関係をつくり、つながる人を見いだし、その後も交流を重ねる。ツアーも良いが、必ず人との交流をつくる。これこそ、「私の友好・交流」。
 米中、日中関係が緊張している今、私は彼の地の人々を想う。

共有(シェア)Share on Facebook
Facebook
Tweet about this on Twitter
Twitter
Share on LinkedIn
Linkedin