時代の転換点における日本の安全保障戦略

抑止一辺倒を越えて

元内閣官房副長官補 柳澤 協二

 NPO法人「新外交イニシアティブ」は、3月、「抑止一辺倒を越えて」と題する安全保障に関する提言を発表した。同提言は、北朝鮮、ロシア、韓国、インド太平洋、中東など、広範な外交課題についても触れているが、ここでは、米中対立のなかにおける日本の対応に関する部分を中心に紹介する。
 執筆者の一人である私の問題意識の根底にあるのは、米中対立というこれまでになかった世界の構造変化のなかで、その最前線に位置する日本が、従来の日米同盟に依存した発想のままでやっていけるのか、という疑問である。一方、日米両国政府とその安全保障政策に携わる人々、さらに、両国の安全保障の専門家といわれる人々の間には、「われわれと異なる価値観を持って、われわれが馴染んできた国際ルールを作り替えようとする中国を封じ込めるため、米国の軍事的優位を支えなければならない」という認識が共有されている。

 しかし、中国の台頭は止まらない。軍事的優位の追求だけに目標を絞るなら、果てしのない軍拡競争になることが目に見えている。それは、日本の国力に見合う目標といえるのだろうか。また、仮に米中が「熱い戦争」に至れば、最前線の軍事拠点である日本は、確実にミサイルが飛び交う戦場となる。それに日本国民は耐えられるのだろうか。
 戦略とは、願望を目標とするのではなく、国力の限界のなかで追求できる目標を設定し、こちらの行動に対する相手の行動を予測して結末を考えたうえでこちらの行動を考えるというプロセスである。日米「主流」の安全保障関係者の発想は、「こちらが強ければ相手が引っ込む」という勝手な思い込みに終始しているように思えてならないのだ。
 皆が同じ発想でいる時だからこそ違う発想を唱えなければならない。そうでなければ日本は、かつての対米・対中戦争のような無謀な戦争に、意図せずに突き進む結果となりかねない。
 国会とメディアの論壇においても、同じ発想が反映されている。違う発想を言い続けることが選挙に有利かどうか、視聴率を上げるかどうかは、わからない。だが、それを言い続ける政党とメディアの存在が、国民が国の進路を考え、「しかたがない」という「あきらめ」を超えた民主主義の活性化につながり、ひいては、日本の安全保障政策をより柔軟で強靭なものに鍛え上げることになると確信している。
 以下は、今回の提言を、私の責任で抜粋・紹介するものである。
 提言は、序論、本文、政策提言の3部立てとなっている。このうち、〈序論〉では、安全保障の概念と、今日の安全保障論議に対するわれわれの基本的な懸念を述べている。

〈序論〉

 安全保障とは、食料や資源・エネルギーなど、国民生活に不可欠な物資の安定的確保や、自然災害への対応・復旧、新型コロナウイルスなど感染症への対応など広範囲にわたり、国家存立の在り方にかかわる問題を含んでいる。軍事は重要な位置を占めているが、軍事がすべてではない。しかしながら日本では、軍事のみに偏り、軍事バランス論や対抗戦術ばかりが安全保障論として議論されてはいないだろうか。
 本来、戦術論レベルの議論に先んじて必要なのは、日本の現在の状況を客観的に評価・分析しながら、国際情勢の動向を見据えたうえで国家のありようについて考えた、広い視点に基づく戦略論的議論である。しかし、現在、その議論が不在であることを、私たちは強く懸念している。
 現在は、20世紀の世界恐慌(1929年)から世界大戦に至った1930年代に匹敵する、時代の転換期に立っている。30年代は、恐慌への対応として各国が自国本位の政策を展開し、ナショナリズムの高揚と社会不安の増大のなかでファシズム・軍国主義などの権威主義体制が成立して戦争へと突き進んだ。現在は、冷戦終了後、グローバリゼーションが進展するなかで各国間および各国内での格差が拡大し、それに宗教対立・民族対立などが複雑に関係して国際的な不安定性が高まっている。
 巨大な経済力・軍事力を背景として既成の国際秩序を自らに都合がよいように変更しようとしている中国の存在感は増大する一方であり、世界は権威主義体制と自由・民主主義体制の二つに分裂していくおそれもある。さらには、自由主義、民主主義を普遍的価値として重視してきた米国やヨーロッパ諸国においても、これまでの政治体制に強い不満を持つ人々が増え、自由主義や民主主義が危機に瀕しているといわれる。
 こうした状況のなか、日本が進むべき道は、自由主義や民主主義を維持し、発展させていくための国際社会の原動力の一つとなることであろう。戦前の日本は、軍事に偏った権威主義体制の下で戦争に突き進み、他の国々に災禍を広げ、敗戦に至った。戦後の日本はその反省に立ち、国際的な協調体制・自由主義体制を享受することで成長・発展した。自由で民主主義的な体制の維持・発展こそ、多くの日本国民の共通目標である。時代の変革期にあたって、日本が進むべき方向性を見据え、そのための政策を考えていくこと、それこそが、今、求められる安全保障戦略の議論である。

〈本文〉

 〈本文〉では、日本の現状〈われわれはどこにいるのか〉、世界の趨勢〈われわれを取り巻く世界はどうなっているか〉、そして、日本が考えるべき安全保障の思考基盤〈何を考え、何をすべきか〉について述べている。

1.安倍・菅政権が壊したもの 〈われわれは、どこにいるか〉

(1)安倍政権下、日米の軍事的一体化が進んだ

 安保法制による集団的自衛権の容認と平時からの自衛隊による米艦防護など、米軍を守るための一体化から、さらに進んで敵基地攻撃能力の保有が展望され、長射程ミサイルの取得・開発が行われている。
 米国に基地を提供する一方で、戦争に巻き込まれないよう、専守防衛に徹し、自衛隊の役割を防御に限定してきた制約を越え、米国とともに攻勢をとることが可能になっている。
 仮に米中が戦えば、地理的に最前線に位置することになる日本への影響は計り知れない。米中が互いに対立姿勢を先鋭化するなか、「米中戦争に巻き込まれる」という同盟のジレンマが現実化する危険が増大している。

(2)「説明しない政治」によって国民の政治への信頼が低下している

 政治の基本は、国民の信頼である。安倍政権による「説明しない政治」が国民の政治への信頼を失わせ、説明責任や情報公開という民主主義の基盤が揺らいでいる。
 現代は、気候変動による大規模災害の多発や未知の感染症の蔓延、あるいは大国間の偶発的な衝突というリスクに満ちた不安定な時代である。科学的知見に基づく論理的考察によって国民がリスクを認識し、政府が対応策を打ち出すことによって初めて国民は不安から解放される。「説明しない政治」は、全国民的な危機対応を困難にする。
 私たちは、パンデミックの対応においても強権的に国民を隔離・統制することで危機を克服する全体主義を決して望まない。リスクと不安の時代にあって、民主主義の活力を回復させるための「政治のあり方」が問われている。日本が直面するリスクを正しく認識し、不安の裏返しとしての軍事力に過度に依存することなく、穏当で説明可能な、わが国に相応しい目標設定が求められている。

2. 日本のおかれた安全保障環境 〈世界はどうなっているか〉

(1)米中対立と安全保障ジレンマの時代

 トランプ政権の後半、米中の対立関係はいっそう先鋭化し、特に台湾をめぐって軍事的緊張が激化した。米国は、伝統的な対中関与政策を否定し、中国封じ込めのための同盟国・友好国による新たな連携を模索している。
 米中両大国は、軍事のみならず、政治・経済面をも含めた全面的な競争・対立関係に至った。その背景には、米中の相互不信という構造的要因がある。すなわち、米国には、「米国中心の国際秩序を中国が変えようとしている」との懸念があり、他方、中国には、西側列強によって形成された秩序への不信と自らの力への過信、さらには、米国による干渉が国内の安定を脅かすことへの恐怖がある。米国は、バイデン政権に代わったが、対中国政策については強硬な姿勢に変化はなく、人権面でより厳しい対応をすることも予想される。
 競争・対立という米中関係の構造に大きな変化はない。かかる対立と相互不信のもとでは、いずれの側の行動も相手の対抗行動を誘発する。経済的には制裁の応酬、政治的には非難の応酬があり、軍事的には一方の防御的行動が一方を挑発して対抗的な行動を生み、緊張を高める「安全保障のジレンマ」の顕在化が懸念される。大国間の競争・対立の構図は、周辺国のみならず、世界を不安定化させる重要な要因である。
 バイデン政権下の米国は、トランプ政権時代に傷ついた同盟関係の修復を急いでいる。一方、相互に大量の核兵器を有している米中両国にとって、最終的に核を使用する段階まで軍事対立をエスカレートさせることは非現実的であり、双方とも求めていない。また同盟国は、米国の戦争に「巻き込まれる」ことを恐れているが、米国も同盟国が中国との対立をエスカレートさせ、同盟国の軍事的対立に「巻き込まれる」ことを望んでいない。
 米中が牽制を強めるなかにおいて、日本が軍事的技術論のみに傾斜してよいはずはなく、国益のための長期的視点に立った議論が行われねばならない。その上で、米中の軍事衝突を避けるために日本にどのような貢献ができるか冷静に検討し、米中の理解を得て、両国の「架け橋」とならなければならない。

(2)米中軍事バランスと前線化する日本列島

 中国は、台湾や南シナ海をめぐる武力紛争に備えて、米国の介入を阻止するための接近阻止・領域拒否(A2/AD)の能力を向上させ、中距離・短距離ミサイルや潜水艦の能力強化に重点を置いた軍拡を進めてきた。今日、米軍にとって、西太平洋・東アジアで中国のミサイルから安全な地域は減り、行動の自由が失われている。
 米国は、インド太平洋軍の態勢を変換しつつある。すなわち、大規模な地上基地や空母などの大型艦艇が中国のミサイル攻撃に対して脆弱であることから、兵力を小型化・分散化して、精密打撃ミサイルのプラット・ホームを増やし、ミサイルの撃ち合いに勝利する態勢を構築すること、同時に、西太平洋における米軍のハブであるグアム島の防衛のための地域統合ミサイル防衛網を、同盟国と共同して構築しようとしている。
 そこでは、南西諸島を含む日本列島が前線拠点として重視される。同時に、自衛隊のミサイル防衛や長射程化したミサイル能力が米軍の統合作戦の一部に組み込まれ、米中の戦争となった場合には、沖縄や日本本土の基地が攻撃されるリスクが高まる。
 米軍において、抑止力とは、戦争に勝つことができる能力を意味している。一方、日本国内では、「抑止力があれば戦争にならない」との認識がある。米国の新たな軍事戦略の意図が「抑止力強化」であっても、前線に位置する日本としては、「抑止が破たんした場合に戦場になる」という覚悟を国民に求めなければ、リアリティのある政策とは言えない。

(3)沖縄米軍基地をめぐる状況変化

 米中対立の激化と米国の新たな対中軍事戦略は、前線拠点となる沖縄の基地のあり方に大きな変化をもたらす可能性がある。
 第一に、米海兵隊の主要な役割は、離島に分散して、一時的なミサイル発射施設や航空基地を構築することに変化する。この構想の下で、実戦部隊9000人の国外への移転という2012年日米合意がどうなるのか、明らかではない。
 第二に、普天間基地に所在する第31海兵遠征部隊(31MEU)について、その役割や、引き続き沖縄に駐留しなければならないことについての説明がない。辺野古新基地は、この31MEUのヘリ部隊を収容する施設として計画されているが、同部隊の運用によっては、新基地の必要性はもとより、同部隊が沖縄に常駐する必要性すらなくなる可能性もある。
 第三に、辺野古新基地予定地に軟弱地盤が存在することが明らかとなり、工期と工事費が大幅に増大することが明らかとなった。そこに、ユーザーである海兵隊の態勢変換という事情が加わることで、1兆円前後の莫大な費用をかけ、完成時には海兵隊のニーズに合わない壮大な無駄に終わるおそれが出てきた。
 「普天間の危険性除去と抑止力の両立」のために「辺野古が唯一の選択肢」としてきた政府の論理は破たんしている。

(4)南シナ海・尖閣における中国の現状変更の試み

 中国は、力による現状変更の試みを続けている。わが国固有の領土である尖閣についても、多数の公船を接続水域に配備するとともに、長時間にわたって領海に侵入する事案も多発し、日本の安全保障上の大きな不安要素となっている。
 中国は、海軍ではなく海警局や漁船団を使用し、「サラミ・スライス」といわれる漸進的な方法で既成事実をつくってきた。これは、武力行使に至らない「グレーゾーン」事態であり、米国は、有効な阻止行動をとれてこなかった。米海軍による南シナ海における「航行の自由作戦」が常態化しているが、中国による南シナ海支配の動きは止まっていない。2020年末、米大統領選挙後の菅首相との電話会談で、バイデン氏は、尖閣諸島に日米安保条約第5条が適用されることを明言したが、こうした政治的宣言が尖閣周辺における中国海警の動きに影響を与えることはなかった。
 中国は、米国との戦争を望んでいないが、一方の米国も、どこまでが許容限度かという「レッドライン」を示せていない。中国による現状変更に対する米国の軍事的介入の意志は、曖昧である。
 中国海警の強化と船舶の大型化が進み、東シナ海・南シナ海のいずれにおいても、実効支配を主張する他国の法執行機関や軍隊の艦船を量的・質的に凌駕している。中国公船による尖閣領海への侵入も、近年大幅に増加した。
 海保の対応能力は、ほぼ限界に達しているといわれているが、自衛隊が海上警備行動で出動したとしても、外国公船に対する強制措置をとることはできないだけでなく、相手もこれに対抗して軍隊を出すことが予想され、かえって事態を拡大するおそれがある。また、仮に島を占拠された場合に自衛隊が奪回したとしても、第2波・第3波の占拠にどこまで対応できるのかという問題もある。大国に対して、力で対抗するのは限界がある。米軍の参戦を求めれば、戦域は尖閣に止まらず、沖縄や九州を巻き込んだ本格的な戦争に発展する可能性も否定できない。
 中国は、その能力に任せて、今後も尖閣周辺での行動を継続・拡大することが予想される。日本は、その圧力に耐え、抵抗の姿勢を維持しつつ、政治的解決の道筋を息長く模索する以外にない。海上保安庁の能力の拡充が急務である。警察力である海保が前面に出ている間は、軍事衝突は避けられる。
(以下、略)

3.抑止政策の限界と安全保障の新たなマインドセット 〈われわれは何を考え、何をなすべきか〉

 ここでは、日本の政策論議に対する問題提起を行う。まず、今日の大きな時代の変化のなかで、いわば思考停止状態にあった抑止力を中心とする政策のマインドセットについて、さらに、その具体的な適用としての防衛政策論議の課題について述べる。
 抑止とは、攻撃に対して反撃する意志と能力を示すことによって、相手に攻撃を思いとどまらせる作用である。それは、反撃する(言い換えれば「こちらも戦争を厭わない」という)意志と能力を相手が正しく認識し、その結果、こちらが期待する通りに攻撃を思いとどまる(我慢する)という、論理である。
 抑止とは、相手に一定の行動を我慢させることであるから、「相手が何をすれば許されないのか」の共通認識があり、かつそれが、相手の我慢可能な範囲であることが、安定した抑止関係を構成するために必要となる。裏を返せば、その範囲であれば、戦争に訴えずに我慢でき、「戦争しない方が自分の利益になる」という認識を相手に与える「安心供与」が、安定した抑止関係の前提である。現在の米中関係には、それが欠落している。そのため、米中間で「安全保障のジレンマ」が生まれ、日米同盟に依存して防衛力強化を図る日本に、「巻き込まれ」という「同盟のジレンマ」を突き付けている。
 米中関係が安定するためには、相互に我慢可能な限度を共有することが前提であり、それによって共通のルールを持つことが必要だが、それには、10年単位の時間を要すると思われる。その間、日本にとって最大のリスクは、米中の対立が管理不能な状態となって戦争に至ることである。米中戦争の回避をわが国の安全保障の最大の目標と位置づけるべきである。日米同盟の抑止力強化が図られているが、安全保障ジレンマの時代にあって、そのことがかえって戦争の誘因となりかねない危険を認識しなければならない。
 抑止だけで安全保障政策は完結しない。抑止を補完し、機能させ、破たんさせないための対話の努力を安全保障政策の「車の両輪」と位置づけることが不可欠である。日本にできることは限られるかもしれない。しかし、米中戦争の戦場となる国として、他の東アジア諸国と共同して、対話を求める努力を始めなければならない。
 これは、米国の抑止力が地域の安定化要因として正しく機能することを求め、また、中国への過度な強制・挑発となってかえって戦争の危機を高めることがないようにするものである。そのためには、具体的な自衛隊の運用の限度、米軍の配置やわが国を拠点とする作戦行動のあり方を議論しなければならない。
 日本は、ミドルパワーとしての力を生かし、他の東アジア諸国と連携しながら地域の平和構築の水先案内人として地域の安全保障に貢献するべきである。
 唯一の戦争被爆国であるという事実は、世界政治のなかで、日本に特殊な立場を与えてきた。また、憲法第9条を持つ国、悲惨な戦争を経験した国、東アジアとの連携のなかで経済発展を遂げた国として発信するメッセージは、今なお世界にとって意味あるものとなる。「法の支配・自由・人権・民主主義」という価値観に止まらず、「非戦・非核」という価値観を発信する国であり続けることが日本の国際貢献となろう。

〈提言〉

■世界は、構造変化の時代にあり、相互不信が「安全保障のジレンマ」を顕在化するリスクを高めている。民族・人種・宗教・社会的階層の分断が進み、国内的・国際的不安定化と対立を助長する一方、自然災害・感染症の蔓延のなかで、人々の不安が拡大している。
■変化と不安の時代にあって、国民が安心して生活できる国と社会のあり方を守ることが本来の安全保障である。それは、軍事のみで成り立つものではなく、また、科学に基づく国民への説明が強く求められている。安全保障に必要なものは、広角的視野と説明責任である。
■戦後日本は、「東西冷戦下における安定的抑止」と「多国間協力による連携」という国家像のもとで発展した。いま再び日本が、世界の架け橋として、対立から協調に導く役割を果たす必要がある。
■軍事面では、米中対立が戦争に至らないようにすることが喫緊の課題である。抑止力を高める一方で、抑止を安定化させるための「安心供与」と、信頼醸成・多国間協力を通じた対立の管理を「車の両輪」として機能させなければならない。
■米中対立における前線国としての課題
 米中対立のなかで、防衛努力は重要であるが、戦争となった場合の日本の被害が甚大となることへの思慮も不可欠である。米国の戦略に協力する場合には、「戦争に巻き込まれない」心構えが必要である。米中の架け橋として、また、地域の架け橋としての役割を追求すべきである。
 この観点から、
 ● 米軍の中距離ミサイルの配備など、日本をミサイル軍拡の場とする政策に反対すべきである。
 ● 自衛隊ミサイルの長射程化や艦艇のプレゼンスなどがかえって地域の緊張を招くことがないように配慮すべきであり、「敵基地攻撃の禁止」など自衛隊の運用に関する新たな「歯止め」を設けるべきである。
 ● 沖縄への過重な基地負担は、日米同盟の最大の不安要素である。膨大な経費を必要とする辺野古新基地の建設は、取りやめるべきである。また、米軍基地の県外への分散を進めるとともに、日米地位協定の改定を目指すべきである。
 ● 日中の紛争要因である尖閣については、力だけで守り切ることが困難なことを踏まえ、海上保安庁の態勢を強化し、加えて、日中間の政治的危機管理体制を構築すべきである。
 ● 在日米軍駐留経費負担については、コロナ禍で財政がひっ迫するなか、合理的根拠に基づかない安易な増額をすべきではない。
 ● 「インド太平洋」諸国との連携を進めるべきである。その際、対中封じ込めと軍事協力一辺倒ではなく、地域の協調関係を推進するためのアジェンダの包括性と当事者の多様性を追求すべきである。
■その他の外交課題
 (中略)
 ● 日本の発信力の源泉としての「唯一の戦争被爆国」であること、憲法第9条を持つ「非戦の国」であることを活かし、多国間枠組みの創設とその活性化を目指すべきである。また、核兵器禁止条約締約国会議に積極的に参加し、地域の信頼関係を醸成すべく核廃絶に向けた主導的役割を担うべきである。

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