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インタビュー ■ 歴史的転換期の進路を考える

サステナブルでインディペンデントな日本へ

現代に生きる石橋湛山の思想とその行動

衆議院議員(元自民党幹事長)石破 茂氏は語る

今、日本は1年に50万人ずつ人口が減っている。私の地元の鳥取県が人口55万人ですから、毎年鳥取県が一つ消えてなくなる勢いで減っています。私より10年ほど年上の「団塊の世代」の方々も不老不死ではないので、お亡くなりになってくる時になると、1年に100万人減る時代が来る。そして、この勢いでいけば2100年に日本の人口は5200万人になる計算です。

 21世紀は、世界の人口が倍になる一方、日本の人口が半分になるという恐ろしい時代でもあります。このまま後200年たつと日本の人口は1391万人という話です。これで日本は国家として持続可能なんですか、ということだと思います。

 話は非常に簡単です。結婚する人が減り、第一子出産年齢もどんどん高くなってきました。出生率ベスト10の都道府県のうち、9県は山陰、九州・沖縄。出生率がいちばん低いのはもちろん東京。そして、地方から東京にどんどん人が集まるということになれば、人口は減るに決まっているわけですよね。

 平均初婚年齢が高くなり、婚姻率もどんどん減っているわけですけど、必ずしも結婚したいという人が減ったわけではない。やっぱり、みんな結婚もしたいし、「子ども2人欲しいね」っていう人は8割くらいいるわけです。それが主に経済的な理由で実現できない状況になっていることが大きいのです。

 金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏な人はどんどん貧乏になるという状況がさらに加速しつつあります。「格差」という言葉をあまり多用するのは好きではありませんが、大企業やお金持ちと、中小零細企業や所得の低い人との格差がどんどん開いていて、これを是正しないとなかなか結婚する人は増えない。

 地方から東京にどんどん人が集まる大きな原因は、地方に雇用と所得がないということだと思います。

 私は昭和32年生まれですが、昭和40~50年代にかけて、鳥取でも「本当に地方の時代が来たね」と思ったときがありました。駅前はすごく立派になり、駅も高架駅になり、立派なデパート、ホテルが建った。私はそのころは小学生~中学生でしたが、「地方の時代が来たんだ」とうれしかったことをよく覚えています。親はそのころ県知事をしていました。

 こうした、地方が元気だった時代は間違いなくあったと思いますが、その「正体」は何であったかというと、公共事業と誘致企業によって、雇用と所得が生み出されていたということです。道路はよくなり、ダムはでき、農村基盤は整備され、空港もできました。そして同じものを安く、大量に作る、たくさんの人を雇用する産業も当時はありました。私の選挙区でいえば、鳥取三洋電機は下請けも入れれば、4千人くらい雇用していました。

 昭和30年代は白黒テレビと電気洗濯機と電気冷蔵庫、昭和40年代に入るとそれがカラーテレビとクーラー、自動車に変わるんですが、みんなが同じものを欲しいと思った。それに合わせて、同じものを安く、大量に、大勢の人で作るという産業が隆盛となった。しかし、こうしたモデルはもう今の日本に向かなくなりました。公共事業は昨今の財政事情もあって、防災工事や老朽化した公共施設の補修が優先され、かつてみたいなわけにはなりません。

 「首都一極集中」という国は世界中どこにあるのかと見たときに、先進国ではおそらく、日本と韓国くらいのものです。「パリ一極集中」「ロンドン一極集中」というのは聞いたこともないわけです。「首都一極集中」というのは、いわば日本特有の現象として起こっているのだと思っています。

■「天下泰平」の江戸時代から「殖産興業」「富国強兵」へ

 江戸時代265年間、全国にはこれまた同じ数字ですが、265の藩があって、それぞれ独自の教育があり、独自の経済があり、独自の文化があった。徳川幕府はいかに江戸に人を集中させすぎないかということを考え、「地方分権」と「中央集権」とを見事にバランスさせていました。その統治のキーワードは「天下泰平」で、「世の中は平和なのがいちばん良いのだ」ということでした。そのためには江戸に人を過度に集中させてはいけないということ、そして、地方の各藩はそれぞれ独自の経済、文化があってしかるべきだということ。逆に地方があまり強くなりすぎないように、「参勤交代」というシステムも導入しました。

 「江戸一極集中」を防止するために、「大井川に橋を架けない」とか、当時の「和船」について「帆柱は1本しか立ててはイカン」とかいう決まりを設けた。これで、船の大型化や高速化を妨げ、物流に一定の制限をかけたのです。そうやって人とモノの流れを制限することによって、265年間の「天下泰平」の世を実現しました。

 ところが、西欧列強の植民地化の波がすぐそこまで来た、ということで、明治維新を迎え、統治の方針をひっくり返しました。「天下泰平」から、「殖産興業」「富国強兵」ということになるわけです。

 これは国の価値観を180度転換させるに等しいものでした。とにかく「西欧列強の植民地にはならない」、そのためには急速に近代化し、国力を付けなくてはならない、それですべてのモノや人、情報を東京に集中させる政策に切り替えたわけです。人為的に。ですから、明治の終わりくらいまで日本でいちばん人口が多かったのは新潟県だったのですが、明治の終わりに東京が抜くわけです。で、国家としてテーマソングまで作った。「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」という「故郷」という文部省唱歌です。この歌のポイントは歌詞の「志をはたして いつの日にか 帰らん」という点でしょう。「志を果たす」場所は東京なのですね。「偉い軍人さんになる」「偉いお役人さんになる」「偉い学者になる」等々で、そこに「偉い政治家」が入ったかどうかは知らないが、それがサクセス・ストーリーであり、人材も、モノも、すべて東京が集めるという政策をとったわけです。

 そのおかげで、維新が成ってまだ30年もたっていないなかで日清戦争に勝ち、日露戦争ではロシアに負けないですんだ。「奇跡」のようなことが起こったわけです。もちろん日本人が努力をしたこともあるが、「東京一極集中」という最も効率的なモデルを実現した、ということが大きな要因だと思います。

■サステナブルでない「一極集中」

 このモデルは、太平洋戦争の敗戦で、いったん停止します。さて戦後にどのような日本をつくるか、というのは連合軍が考えることになったわけですが、「日本を貧しいままで置いておくと、ソ連や中国の共産主義の餌食になるぞ」ということで、「東京一極集中」をさらに加速させることになるわけです。

 産業も「東京一極集中」、新興メディアであるテレビも、新聞社や出版社も含めて全部東京と、さらに加速させたのが占領政策でした。そして、官僚機構の中央集権もあいまって、「東京一極集中」がさらに加速しました。

 結果として、これもまた成功しました。

 忘れもしない昭和43年、敗戦後23年、私は小学校6年生でした。日本の経済、当時はGNP(国民総生産)と言っていましたが、「経済力は世界第2位」というところまで成長したのです。これまた「奇跡」のようなことが起こったということでしょう。

 そして、その限界が来たのがどうも平成という時代なのですね。

 だから、一極集中というのは、短期的には効果を発現するけれど、決してサステナブル(持続可能)なものではない、ということだと思います。

 ふと気がつくと、財政状況は相当に悪化し、「東京一極集中」がさらに加速し、それが首都直下型地震のリスクに直面している。コロナ感染者や重症者、死亡者もやはり東京が抜きんでて多くなる。今回感染症のリスクというのも表面化しました。そして、グローバル経済のなか、製造業の地方工場が外国に出てしまい、高度経済成長期型の地方産業がなくなっていったわけですね。

■100年前を振り返って――このままではもたない

 では、どうするか? この流れを逆手に取る必要があります。

 最近、100年に一度、とよく言われますが、100年前の時代というのは何があったかというと、1914年から18年までが第一次世界大戦、18年から20年までがスペイン風邪の大流行、29年に世界大恐慌があって、39年から第二次世界大戦が始まるわけです。

 19世紀の終わりに電話が発明され、蒸気船からエンジン船に変わって海上の大量交通手段が発達し、第一次大戦前の世界も大変なグローバル経済でした。当時、「ロンドンの資産家は電話一本で世界の富を支配した」と言われたそうです。それが第一次大戦、スペイン風邪から第二次大戦を経て、世界経済がグローバル経済の元の水準に戻るのは1970年代のことでした。このグローバル経済の流れも、そろそろ終わる時代になるんだろうなと思っております。

 ですから内需主導の地域分散型の経済に移行しなければ、この国はもたないと思っております。人為的につくった首都一極集中の日本国だったのですから、これを人為的に変えていかなければならんということだと思っております。

 私はGDP(国内総生産)がすべてだとは思っていないのですが、やはり維持しなければいけない。その理由は、GDPを維持しないと社会保障が維持できないからです。少子高齢化がこれだけ進むなかにあって、年金をキチンとお支払いし、国民皆保険に代表される医療体制を維持するためには、やはりそれなりのGDPの規模が必要です。日本のコロナ禍が他の国々と比較してこの水準で済んでいるのはやっぱり、保険証一枚で、誰でも医療にアクセスできるということも大きいのだろうと思っています。

 GDPの本質は付加価値の総和です。「このカネ出してでも、この商品が欲しい」「このカネ出してでも、このサービスを受けたい」というのが付加価値だと思っています。「生産性を上げる」というのもそういうことなのであって、勤勉に働くということとあまり関係はありません。

■ポテンシャル富む地方の農林水産業

 そう考えると、地方にはそういうポテンシャルが実はいっぱいあるんじゃないのということです。今や3Dプリンターで工業製品は世界中どこでも作れるようになるでしょう。

 しかし、農林水産業の生産物は、外国では代替ができないものだと思うし、食料の輸入にリスクがあることは今回のコロナ禍でも明らかになりました。人口減少局面とはいうものの1億もの国民がいるわけで、そこでいかに内需を喚起していくかということを考えたときに、農業、漁業、林業は非常に大事です。

 農業というのは土と光と水と温度の産業です。日本の土や水、光、そして気温というのは、日本にしかないものです。日本の土は肥沃で、春夏秋冬、満遍なく雨か雪が降り、国土に傾斜があって水が流れるから、いろいろなものが洗い流されて、稲の連作も可能です。そして、適度に温かくて、日の光が降り注ぐ。この農業に必要な土、水、光、温度の4条件を具備しているのが日本であります。

 ところが膨大な農地が耕作放棄地となって、空いている。ですから、この農業のポテンシャルを最大限に生かすということは絶対に可能なはずだと思っています。

 また、日本人が食べる魚などを取ることのできる海、排他的経済水域の面積は世界第6位。日本の周りの海は深いので、日本が利用できる海水の体積は世界第4位です。日本は水産業という意味でも大変なポテンシャルを持っています。

 そして、日本の国土に占める森林面積の割合はフィンランドに次いで世界第2位の森林大国であります。しかも、この30年間で林野面積は変わらずとも、森林蓄積量、すなわち木の体積の総和は3倍になっています。1年に成長する木の量だけで日本の木材の需要はすべてまかなえる国なのです。

 このように、農業、漁業、林業については世界でも有数なポテンシャルを持っているわけです。

 ところが、今までの日本は農業や漁業、林業について「そんなにがんばらなくてもいい」ということでした。たしかに農林水産業でも機械化が進み、労働時間が短縮されました。ところが短縮した時間については「誘致企業や公共事業で働いてね」ということで、農林水産業全体の生産性を上げないままにきたわけです。逆にそこにものすごいポテンシャルが残されているということだと思います。

■持てるポテンシャルを生かさない日本

 日本の食料自給率は37%ですが、こんな低い国は先進国では日本だけです。

 本当に日本は食料自給ができない国なのか、そんなことはあるまいということです。私は今から25年くらい前、森内閣の時に農林水産総括政務次官を務めていて、「自給率が低い国同士、連帯しようということで、世界中を回ってこい」と言われて、アフリカのセネガルという国に出張しました。そしてセネガルの農業大臣に「食料自給率が低い同士、連帯しよう」って言ったら、「何でおまえの国と連帯しなくてはいかんのだ」と言われました。その大臣いわく、「セネガルはカネがない。カネがないから基盤整備もできないし、ダムもできないし、品種改良もできない。だから、泣く泣く外国から食料を買わざるを得ず、自給率が低い。日本はそうじゃないだろう。カネがあるから、自分のところで作らずに世界中から食料を買ってきているだけだろう」ということで、えらく叱られて、私、すごく反省をしたわけです。

 日本は農林水産業の潜在力を生かしきることをせず、外国から食料を買っている。しかし、先ほど申し上げたように、21世紀に世界の人口は倍になるわけで、食料が今のように安定的に買える状況がいつまでも続くとは思えません。

 麻生内閣で農林水産大臣を務めていたとき、スイスの農業大臣と話をする機会がありました。その大臣いわく「わがスイスはどんなに安かろうが、品質が良かろうが、外国から食料は買わない」というわけです。「フランスの卵は確かに安い。だが、スイス人は絶対にフランスの卵など買わない」と。なぜかといえば、「スイスの養鶏農家は、農村を守り、国境や地域を守っている。その卵を買うことで、このような養鶏農家を維持するのはスイス国民皆の務めだ」と言っていました。本当に素晴らしいですね。

 よく、スイスのパンはまずいと言われますが、その理由はその年に採れた小麦ではパンを焼かないからだそうです。その年に採れた小麦はみんな備蓄に回して、前年の小麦でパンを焼くのだと。周りが山々に囲まれ、いろんな条件に恵まれていないスイスという国が独立を保つためには、食料自給を確保するのは当たり前のことだ、ということでしょう。

 日本が持っている潜在的な可能性は、いわゆるバイオマス発電などのエネルギーもそうです。日本の資源を生かしてエネルギーの自給率を上げていく。今の日本のエネルギー自給率は、太平洋戦争に入る前より低いのです。太平洋戦争に突入した理由の一つは「エネルギー資源がないから」ということでしたが、それより低いわけです。

 石油資源が主流であった時代はもう過去になりました。環境の持続性とどのように両立できるか、という観点でさまざまな技術が開発されるなかにあって、急峻な国土、豊富な水力、豊かな木材はエネルギーに変えられます。また日本は世界有数の火山国として、地熱発電にも大きな可能性を持っています。風力だって有力なエネルギーです。

■「自ら考え、自ら行う地方創生」再び

 食料やエネルギーの自給率を国内でいかにして上げていくか。

 日本全国47都道府県、1718市町村ありますが、例えば島根県の益田市では自分のまちの経済を分析した結果、食料とエネルギーのかなりの部分を他府県に依存しているということが分かりました。どんなに益田市民が稼いでも、食料やエネルギーを外に依存していたら、益田市民は豊かになるわけがない、ということで地域経済の循環と地産地消に非常に力を入れるようになりました。岡山県の真庭市なんかもそうですね。

 漠然とした「論」だけを唱えても仕方がなくて、日本全国1718市町村、全部状況が違うわけです。そこで1718市町村それぞれが「自分のまちの経済や産業はどうなっているんだろう」「どうやって、自分のまちで稼いだものが外に出て行かないようにすればいいんだろう」と考える必要があると思いますね。竹下登先生が昔おっしゃっていた、「自ら考え、自ら行うふるさと創生」というのはそこに本質があると思っているんです。

 今はコロナ禍でいわゆるインバウンドが止まっていますが、日本人も外国に行かなくなったので、その日本人が外国で使うはずだったお金を日本国内で回すことができれば、インバウンドが止まっても観光収入のかなりの部分が補えるはずです。

 全国でいちばん人口が少ない鳥取県でも、3700平方キロメートルもあり、鳥取市を中心とする県東部と、米子市を中心とする県西部があります。私は小学校5年生の社会科見学まで、米子市に行ったことがありませんでした。そして、生まれて初めて米子市に行って、「おお、鳥取県にもこんなところがあるんだ」と思いました。方言は違うし、住んでいた鳥取市にない航空自衛隊も陸上自衛隊もある。国鉄の工場はあるし、王子製紙もある、ということで新たな発見があったことをよく覚えています。東京の人だって、「実はスカイツリーや東京タワーにのぼったことがない」とか、「浅草の仲見世や葛飾柴又に行ったことがない」っていう人は山ほどいるはずです。コロナ禍で外国から人が来ないし、下手に移動するとコロナが広がるというのであれば、狭い地域のなかでいろんな発見をするような「マイクロ・ツーリズム」という考え方はとてもいいと思います。

 「いつでも、どこでも、誰にでも」みたいなサービスには、誰もカネを出そうとは思いません。でも、「今だけ、ここだけ、あなただけ」というサービスは歓迎されるし、それを提供するのはそれぞれの地域でできることだと思っています。

 「日本はもうダメだよ」みたいな話ではなくて、今まで生かしていなかったものを最大限生かすことによって、サステナブルな国になることは可能なのだと思っております。

■「アメリカだけに頼る安保政策」は続かぬ

 先ほどの話もそうですけど、スイスはインディペンデント、独立ということにものすごく敏感な国ですね。長く国際連合にも入らなかった国でもあります。国民皆兵で、食料も、エネルギーも、軍事も含めて国の独立を守っていくのだという意識が非常に強い。そして、それらをいかにサステナブルなものにしていくかということで努力しています。

 日本にとって、安全保障の面でもこれと同様の考え方が必要だと思っています。もちろん、日本一国だけで今の中国に対抗できるだけの軍事力なんて持てるはずもありません。しかし、われわれは「自分の国は自分たちで守る」という当たり前の原則をともすれば軽視してきたのではないかと思います。そして、「アメリカだけが唯一の同盟国」という安全保障の体制も、いつまでも続けられるものではないだろうと思います。

 私は、アジアの国々、あるいは、オーストラリア、ニュージーランドなどの太平洋諸国ともに、「集団安全保障」という国連憲章で確認している理念である地域システムをこのアジアにおいて構築することがこれからは必要ではないかと思っています。いざというときに助け合える国を増やした方が、「アメリカだけが唯一の同盟国」と言っているよりも、日本の安全保障体制をより安定的なものにしていくことになるのではないでしょうか。

 防衛のあり方も、今までのような「アメリカだけに頼る」形から変えていくことが必要です。そのためにも、「自衛隊は軍だか、軍じゃないのかよく分からない」という状態を続けることは国家の方向性を誤ることになりかねないと思います。「自衛隊は軍であり、国家最強の実力組織である」と明確に位置づけた上で、司法・立法・行政によるキチンとした統制を組み込むことによって、国民が軍事組織というものを理解し、それが戦争を起こさない体制づくりにつながる、そう思います。

■石橋湛山の思想を今の時代に生かす

 かつて石橋湛山という人が「小日本主義」というものを唱えました。戦前、中国や朝鮮や台湾などを植民地化するのだ、そのためには軍事力を強めなくてはならない、よって軍事費を増やすべきだ、こういった論調が主流となりつつあり、これを批判したものです。そうではない、日本で産業を興し、日本で富を蓄積し、それを外国に投資する形で外国にも利益を与えることによって、日本が安定的に生きていくということは可能なはずだ、というのが石橋湛山が言った「小日本主義」の私の理解です。

 石橋湛山政権というのは、昭和31年12月からわずか65日間でした。東久邇宮内閣(54日)、羽田内閣(64日)に次いで短い政権ですが、後の時代に残したもの、今の時代に問いかけるものは、もしかするといちばん多いかもしれないと思います。しかし、今、私ども自民党のなかで石橋湛山を語る者はほとんどおりません。

 ありがたいことに、膨大な著作が残されています。今、改めて石橋湛山の思想というものをわれわれは問い直していかねばならないし、それを今の時代に生かしていくことが必要じゃないかと思っています。

 今の日本は、「自主」でもないし、「平和」も怪しくなっている。「民主」も本当に壊れつつある。それが原因なのか結果なのかは分かりませんが、勇ましい論だけがどんどん独り歩きして、中国や朝鮮半島をあしざまに言うことで「自分は愛国者だ」みたいに勘違いしている人も増えてしまいました。投票率がどんどん下がっていますが、もし国民が政治に対する諦めをもってしまえば、民主主義は崩壊してしまいます。

■持続可能な独立国・日本をこれからも訴えていく

 地方の発展を中心としながら、東京の負荷を減らしていく、そして、国全体でバランスを取り、サステナビリティを確保するということと、インディペンデントな日本をつくっていくということを、この5年くらい唱えています。まだ多くの人の理解を得るまでには至っておらず、不徳の致すところだとも思っています。最近はコロナ禍で地方でお話しする機会が減っていましたが、徐々に講演の依頼も戻りつつあります。

 持続可能な独立国・日本を、これからも全国で訴えていきたいと思います。

(文責、見出しとも編集部)