2021 新年のご挨拶 金城 徹 さん

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復帰50年を前にした沖縄・保守の立場から訴える

「従米」脱却の日本へ新たなスタートの年に

「新しい風・にぬふぁぶし」共同代表 金城 徹

 旧年は新型コロナウイルスに翻弄された一年で、明けた年もまた、それが降りかかってくると思います。われわれはこれまでの価値観で御しきれない問題を突きつけられているわけです。政治も行政も、特に沖縄では経済も含めてです。新しい年は皆で知恵を絞って、乗り切っていく年にしたいと思います。コロナを制して、政治、行政、何よりも経済を立て直し、人びとの暮らしを立て直す一年になるのではないか、しなくてはならないと決意しています。

「復帰」50年 期待と現実

 私個人の話で恐縮ですが、私はちょうど本土復帰の年は高校在学中でした。その時には復帰に大きな期待をしていました。というのも、それまで沖縄では、アメリカ支配の下で、米軍優先の施政権下のなかで、県民の人権が抑圧されて、理不尽なことがまかり通っていました。子どもであった私にもそれが重く感じられるような状況でした。
 そうした状況でしたので、私たち県民は、復帰が実現すれば日本国憲法の下で人権が守られ、自由な発想などが実現できると期待しました。県民は、保守も革新もなく、皆がそうした状況が実現できると大きく期待しました。また、復帰前の非常に貧しい経済状況、人びとの暮らしも良くなるという漠然とした期待も持っていました。
 実際に復帰が実現し、その期待がしばらく続きました。が、米軍基地の縮小も進まず、経済状況の改善も見通せず、そんな期待と不安が入り混じるような状況について、当時高校生だった私も感じていました。
 実際に復帰して良かった面もありました。当時、沖縄は水不足で悩まされていました。それが、インフラ整備が進み、水道の事情がよくなり、道路網が整備され県内各地への移動がスムーズにできるようになりました。体育館やプールが一部の小学校にしかありませんでしたが、本土並みに着々と整備をされ、教育環境がみるみる改善しました。また、医療・保健関係なども国内の統一基準に沿う形で整備が進みました。目に見える形で復帰のプラスの面、その果実を受け取ることができました。
 その一方で、米軍基地から派生する事件や事故というのが減少せず、それどころか相変わらず頻繁に続きました。米軍による事件・事故に対して、沖縄の警察が捜査もできません。
 それはなぜなのか。これは復帰前から当たり前のことだと大人の人たちは言っていました。しかし、日本の一部になったにもかかわらず、なぜ植民地のような状態が沖縄では続いていくのか最初は分かりませんでした。それが、後に日米地位協定というのが大きなカベになっていることだと知ることになりました。しかし、これは沖縄だけの特別の事情と思っていました。
 その後、沖縄は特にひどい状況ですが、地位協定の問題は全国同じだということが分かってきました。私たちは、「オール沖縄」の運動に関わっていくなかで、保守である私たちにもその状況、問題点がハッキリと分かるようになりました。

「従米」の国の姿でよいのか

 日米安保条約のなかの日米地位協定は、日本と米国の協定なのだが、日本国は政府、米国は政府ではなく在日米軍との協定であり、これに日本は完全に縛られている。その運用について、国会さえも関与できないことが分かりました。
 こんな状況がこの50年間続いてきました。来年の復帰50年は、日本全国に、沖縄に突きつけられている差別の構造をしっかりと伝え、「これは沖縄だけの問題ではない」「日本全体に突きつけられている問題だ」ということをハッキリと示して、リスタートしなければなりません。
 私はもともと保守の立場であり、その立場に変わりはありません。その立場から、多くの国民の皆さんに「『親米』はいいが、『従米』でいいんですか」と問いたいと思っています。しっかりと伝えていきたい。私たちは日本人の一員だと思っていますが、日本の国としての姿がこれでよいのですかと、日本全体に問いたいと思います。
 例えば、フィリピンではアメリカとの条約を変えて、アメリカ軍を撤退させました。ところが日本では、それができない。こうした問いは、沖縄からでないと有効な発信にならないと思います。
 次の50年にさしかかる今、こうしたことをイデオロギーの問題ではなく、「日本人としてどうなんですか」ということを訴えたい。およそ独立国にふさわしくない状況を変えていく、日本の再スタートの出発点に復帰50年の年をできればと思っています。

「リベラルな保守」の旗を全国に

 全国で「野党共闘」に向けた動きがあって、次の衆院解散・総選挙ではそれが大きな形になってあらわれてくると思っています。
 しかし私は沖縄にいて、「野党共闘」に対して、やや奇異な印象を持っています。「野党共闘」それ自体を否定しているわけではありません。「野党共闘」に保守の旗、保守の政党が見当たらないのです。
 日本全国に、「草の根の保守」という立場の人たちが多くいます。「保守イコール自民党」ではないと思います。私たちももともと自民党員でしたが、もう自民党員ではないけども保守の立場にいる人たちが沖縄にも多くいます。全国においても、保守であっても、「絶対に自民党だ」という人ばかりではないと思います。ですから、保守であっても、自民党を選択するのではなくて、別の「リベラルな保守」というものがあってもいいと私は思っています。
 「自民党でなければ、あなた方は革新か」「共産党を支持するのか」とかレッテルを貼るような状況もあります。
 だから、「野党共闘」からスタートするにしても、リベラルな保守の立場からの声を発することが必要です。保守であっても、民主主義の根幹である人権などを守るというのは当たり前です。「森友・加計」事件や「桜を見る会」などを巡って、政府が公文書を偽造したり、隠したり平気でやっています。こんなことは、民主主義に照らして異常だということは、「革新」を名乗る人たちだけの主張ではないはずです。
 保守であっても、「ダメなものはダメだ」と言えるような、声を上げるような世の中にしなくては真の意味で日本が国際社会でリーダーと呼ばれることはありません。日本は経済的には大国になりましたが、それに付随して国際社会でのリーダーシップを発揮するような立場に立てていないのは、こういうことに起因するのではないかと思っています。
 真の独立国になる、民主主義の根幹である人権が守られる、そんな日本にしようではありませんか。

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