日本の「原子力平和利用」の内実と現状

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<シリーズ・日本の進路を考える>
世界の政治も経済も危機は深まり、わが国を亡国に導く対米従属の安倍政権による軍事大国化の道に代わる、危機打開の進路が切実に求められている。
本誌では、各方面の識者の方々に「日本の進路」について語ってもらい、随時掲載する。(編集部)

小出裕章(元京都大学原子炉実験所)

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騙され続けた国民

 日本で「原子力」といえば、多くの人は「原子力発電」を頭に描く。原子力発電は「平和利用」と言われ、人類の未来のエネルギー源を担うと言われた。それが実現できれば、電気の値段がつけられなくなるほど安く発電できるとも言われたし、厳重に安全審査をするので、大きな事故など決して起こらないと言われた。

 しかし、原子力発電の燃料であるウランの地殻埋蔵量は極端に少なく、それが発生できるエネルギーに換算して、石油の数分の1しかないし、石炭に比べれば数十分の1しかない。もちろん、未来のエネルギー源にならない。安いと言われた発電単価も、電力会社の実際の経営データである有価証券報告書に基づけば、水力発電よりも火力発電よりも高いことがすでに分かっている(大島堅一、「原発のコスト――エネルギー転換への視点」(岩波書店、2011年)。絶対に安全だと言われた原子力発電所が実は超危険なものであることは、福島第1原子力発電所事故で事実として立証された。

 日本では国が原子力をやると決め、原子力損害賠償法、電気事業法など、資本主義を標榜する国ではほとんどありえない法的優遇措置をたくさんつくった上で、電力会社を原子力発電に引き込んだ。その周りには巨大原子力産業、中小零細企業、労働組合、学界、マスコミ、司法などすべてが集まって巨大な利権集団を作り、「原子力の平和利用」を推し進めてきた。先の戦争の時がそうであったように、国民は皆、彼らの宣伝を信じてきた。

原爆製造の中心3技術

 原子力とはウランの核分裂反応が発生するエネルギーを利用する技術である。第2次世界戦争が勃発する直前、1938年末にドイツの化学者オットー・ハーンと、物理学者リーゼ・マイトナーがウランの核分裂反応を発見した。その反応は従来の化学反応とは桁違いに巨大なエネルギーを発生することがすぐに認識されたし、その反応を使っての爆弾、つまり原爆を作ることが追求された。米国は、ナチス・ドイツより先に原爆を作ろうと「マンハッタン計画」と呼ばれる原爆製造研究を立ち上げた。
 原爆には2種類ある。1つは天然に存在するウランを原料にして作る原爆、そしてもう1つは天然には存在しないプルトニウムを作り出して、それで作る原爆である。前者が広島原爆、後者が長崎原爆となった。ウランは天然に存在するが、その99・3%は核分裂する能力を持たないウラン(ウラン238)であり、核分裂する能力を持っているウラン(ウラン235)はわずか0・7%しか存在しない。そのため、ウランを原料にして原爆を作る場合には、ウラン235だけを集める必要があり、それを「ウラン濃縮」と呼ぶ。
 一方、プルトニウムは「原子炉」を動かすことによって初めて人工的に作られる。そして、そのプルトニウムを単体で分離する技術が「再処理」と呼ばれる技術である(図1)。つまり、ウラン原爆を作るためには「ウラン濃縮」、プルトニウム原爆を作るには「原子炉」と「再処理」の技術を持たねばならない。
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 豊富な資源に恵まれ、第2次世界戦争の主戦場にならなかった米国だけが、その作業を成し遂げ、原爆を作りあげた。一時期、その技術は米国が独占していたが、49年には早くもソ連が原爆に成功し、以降、米ソの核軍拡競争に突入した。米国は厖大な原爆製造施設を作ってしまい、それが重荷になった。そこで53年になって、当時のアイゼンハワー大統領が国連で「Atoms for Peace(平和のための原子力)」演説を行い、原爆製造技術を原子力発電に転用する方針を打ち出した。そうすることで、負担の軽減を図るとともに、「原子炉」や燃料となるウランを世界各国に売りつけることで金儲けをする道を選んだ。

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「原子力の平和利用」を標榜して進められた核開発

 しかし、技術に「軍事」用も「平和」用もない。「平和」利用を標榜して進める技術も、必要であればいつでも「軍事」に使える。ウランの核分裂反応を利用する技術を世界に広めてしまえば、原爆を作る力も広めてしまうことになる。そのため、米国は国際原子力機関(IAEA)と核不拡散条約(NPT)を作って、他国への核兵器の拡散を防ごうとした。
 一方、日本では、「核」と「原子力」という言葉が意図的に使い分けられた。「核」といえば軍事利用、「原子力」といえば平和利用で、両者は違うものであるかのように宣伝が為され、多くの国民がそれを信じ込まされた。ただし、知らなかったのは国民だけで、原子力平和利用などという言葉を作った人たちは、もともと核と原子力は同じものであることを知っていた。東海村に設置された日本原子力研究所を、58年に訪問した岸信介総理大臣(当時)は以下のように述べた。

 原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての利用もともに可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意思の問題である。日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器を持たないが、(核兵器保有の)潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を高めることができる。(岸信介、「岸信介回顧録」、廣済堂出版、83年) 

 また、ある外務省幹部は新聞の取材に対して以下のように語った。

 個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが、当面、政策として持たない、という形でいく。そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない。(「朝日新聞」、92年11月29日)

 かつて日本には、科学技術庁という役所があった。科学技術庁は56年につくられたが、そこが司(つかさど)るのは原子力開発と宇宙開発であった。まさに、日本が核武装する能力を持つためにこそ作られた役所だった。こうして、日本は「原子力の平和利用」を標榜しながら着々と核兵器製造能力を保持する道を進んできた。原発を動かせば炉心にプルトニウムが生み出される。日本は、原発の使用済み燃料を英国とフランスの再処理工場に送り、プルトニウムを取り出してもらってきた。その総量はすでに48トンになった。そのプルトニウムで長崎型の原爆を作れば、4000発もできてしまう。
 そして、一方では着々とロケット開発も進め、H2ロケット、イプシロンなどが成功する度に、日本中が浮かれあがる。
 一方で、朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星のためのロケットを打ち上げると国際機関に対して通告し、通告通りに打ち上げた。日本では、そのロケットについて、「実質的なミサイル」を打ち上げた、けしからんので撃ち落とすと大々的に宣伝される。
 2011年3月11日には、ついに福島第1原子力発電所事故が起きた。原発が持つ大きな危険に、ようやくにして多くの国民が気付き、1度止まった原発の再稼働には、過半数の人が反対している。

 しかし、自民党は決して原発を諦めない。その理由を、11年10月に、石破茂自民党政調会長(当時)が以下のように説明している。

 原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば、一定期間のうちに作ることができるという「核の潜在的抑止力」になっていると思っています。逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる、という点を問いたい。(中略)核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数カ月から1年といった比較的短期間で核を持ちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この2つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる。(「SAPIO」2011年10月5日号)

 戦争はある日突然始まるのではない。着々とそこへのレールが敷かれていき、誰もそれに抵抗できなくなった時に始まる。日本では、「原子力の平和利用」を保証するためとして原子力基本法が制定されていた。その第2条には「基本方針」として以下のように書かれていた。

第2条 原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

 ところが、福島第1原発事故のどさくさに紛れ、12年6月20日に、原子力基本法の改定が行われ、第2条第2項に以下の文言が付け加えられた。

2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

 原子力は「我が国の安全保障に資することを目的として」行うことにされた。

米国の属国としての日本

 日本は71年前まで悲惨な戦争をしていた。そして、1945年8月ポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した。そして、日本は米国によって占領され、主権を失った。その主権が回復されたのは、52年にサンフランシスコ講和条約が発効してからであるが、その講和条約が「片面講和」と呼ばれるように、連合国として日本と戦ったソ連をはじめとする東側諸国、中国、インド、インドネシアなどは、この条約に参加していない。当時、連合国内の西側陣営にとっては共産主義による脅威がいちばんの重要問題となっていた。米国は日本を共産主義に対する防波堤にしようとした。日本も、米国に従うことで共産主義化を防ぎ、国体を護持しようとした。
 この条約が署名されたのは51年9月8日だが、同時に日米安全保障条約も一体のものとして署名されている。翌年には日米行政協定が調印され、それは60年の安保条約改定に合わせて、日米地位協定となった。その歴史で一貫しているのは、日本が米国の属国となって米国による支配を受け続けるということであった。
 原子力に関する日米間の協定は55年に日米原子力研究協定が締結され、58年には日米動力協定、68年には旧日米原子力協定が結ばれた。現行の日米原子力協定は88年に締結されたが、それらの協定の内容は、米国が供給する核燃料や原子力資機材に対して、米国が規制をかけるためのものであり、日本はその米国の意図のもとに動かざるを得ない。
 米国でも一時期、原子力発電に夢をかけた時期はあった。図2に示すように、60年代から70年代初めにかけて、運転中の原発はどんどん増えていったし、建設中、計画中の原発もうなぎ上りで増えていった。しかし、運転中、建設中、計画中の合計の基数が一番多かったのは74年で、それ以降、計画は次々とキャンセルされ、9割を超えて建設が進捗していた原発までがキャンセルされていった。79年にはスリーマイル島(TMI)原発で大きな事故が起こり、それ以降、米国では新たな発注は途絶えた。そのため、米国内の原子力産業は崩壊し、生産ラインも失った。それでも、日本を含め遅れて原子力に取り掛かった国々での原発建設は続いており、米国は日米原子力協定の下で、日本を手足に使うことによって原子力の世界での金儲けを続けようとした。
 一方、日本は何としても原爆製造能力を保有したかった。米国は世界各国に原発とその燃料となる濃縮ウランを売りつけながら、原爆製造技術である「ウラン濃縮」「再処理」を他国に許すことは決してしなかった。しかし、米国は日米原子力協定の下、属国としての日本には「ウラン濃縮」を許したし、紆余曲折があったが、「再処理」を行うことにも同意を与えた。そのため、日本は非核保有国では唯一「ウラン濃縮」「原子炉」「再処理」の原爆製造3技術を保有できる国となったのである。

自立した国になるために

 日米原子力協定は「サイクル協定」とも呼ばれてきたように、核燃料サイクルの中核である再処理とそれによって取り出されるプルトニウムについても規制が及んでいる。日本は、プルトニウムを高速増殖炉の燃料として使うと言ってきたのだが、日本の高速増殖炉計画は、原型炉でしかない「もんじゅ」すら動いておらず、完全に破たんしている。プルトニウムは原爆材料であり、日本は「使い道のないプルトニウムは持たない」と国際公約させられた。もちろん米国すら日本が大量のプルトニウムを保持することは望んでいない。そのため日本は、「プルトニウム」を「熱中性子炉(サーマル・リアクター)」と呼ばれる既存の原発で燃やさざるをえなくなり、それが「プル・サーマル」と呼ばれている計画である。つまり、日本の原子力は米国の規制の下、使い道のないプルトニウムを既存の原発を動かして燃やすしかない状態に追い込まれているのである。
 88年に締結された日米原子力協定は、その第16条に「いずれの一方の当事国政府も、6箇月前に他方の当事国政府に対して文書による通告を与えることにより、最初の30年の期間の終わりに又はその後いつでもこの協定を終了させることができる」と記されており、2018年に、破棄、改訂あるいは自動延長の期限が来る。
 ところが、この原子力協定には不思議な条文が滑り込まされている。その条文には「いかなる理由によるこの協定又はその下での協力の停止又は終了の後においても、第1条、第2条4、第3条から第9条まで、第11条、第12条及び第14条の規定は、適用可能な限り引き続き効力を有する」とあり、協定を破棄したとしても、ほとんどの条文は効力を有し続けるというのである。つまり日本は、原子力に関する限り、ずっと米国の支配下にあることになってしまう。
 日本は、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した。そのポツダム宣言は、戦争終結直前の45年7月17日から8月2日までドイツ・ベルリン郊外のポツダムに、米英ソ3国の首脳が集まって協議されたものであるが、終始一貫して米国が主導し、宣言が発表された時にはソ連すら排除されていた。つまり、日本は連合国に無条件降伏したのではなく米国に無条件降伏したのである。
 そして、サンフランシスコ講和条約が発効して形式上は独立を取り戻したが、それ以降も一貫して米国の属国であった。米国は日米安全保障条約の下、日本に軍隊を駐留させ、地位協定で日本を植民地並みの地位に落としたまま、日本国内で自由に基地を使用し続けてきた。日米原子力協定も、米国が日本を属国として縛り付けておくための協定であり、日本が米国の思惑の下にいるかぎり、一定の自由を与えてやろうというものでしかない。
 日本国憲法前文には、日本は自らの安全を守るために武力に頼るのではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。そして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と続いている。
 決して同盟国だけが大切なのではないし、米国の属国として海外に派兵するなど全く論外である。 すでに戦後71年となった。いい加減に米国の属国から自立し、独立国としての尊厳を取り戻すべきだと私は思う。

こいで ひろあき さん
 1949年生まれ。45年以上にわたり原発の危険性を訴え続けてきた信念の科学者。74年、東北大学大学院工学研究科修士課程修了(原子核工学)後、京都大学原子炉実験所に入所。15年3月、同所を退職。「原発と戦争を推し進める愚かな国、日本」(朝日新聞出版)など著書多数。

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