グローバル化の影、地方・農村に光を当てる政治を

衆議院議員 玉城 雄一郎 さん

「グローバル対ローカル」示した米大統領選

 今回の結果についてはさまざまな識者がさまざまなことを言っていますが、私の解釈は明確です。これは、アメリカにおける「田舎の反乱」です。とくに中西部を中心とした地域の反乱じゃないかということです。
 グローバル化で確かに得をする人もいるし、金融資本主義的なところですごくもうかる人がいるのは確かです。
 ただここ10年くらい、その裏側で放っておかれる人の数は急増しました。そうした人びとの生活が非常に悪化していました。「そうじゃない」という声が出たのが、「トランプ現象」の本質的な側面の一つだと思います。
 世界でもこうした流れは2016年に入って顕著になりました。まずは、イギリスのEU(欧州連合)離脱です。これも多くの人が「まさか離脱はないだろう」と言っていましたが、イギリス国民は離脱を選択しました。これもアメリカ大統領選と同様に、地方では「離脱した方がいい」という人びとが多数でした。
 こうしたことを見てみると、「グローバル対ローカル」という新しい対立軸、争点が出てきていると強く感じます。これまでの「右対左」ではなく、「内対外」という対立構造です。これは「21世紀型の新しい争点」と言えます。
 そして肝心なのは、この構図を政治がどううまくハンドリングしていくのかだと思います。私たち議員もそうですが、市民も行動に移して、政治的な大きな流れをどうつくっていくのかが問われていく時代に入っているのではないでしょうか。

日本再生に必要な「真の保守」

 いつの間にかわが国における「保守」とは、「親米」とイコールになってしまいました。「保守」政権と言われる安倍政権の下で、その傾向が強まっていることは皮肉であり嘆かわしいことです。自民党でも、中国や韓国に対して勇ましいことを言う政治家は多くても、米国に対してモノ言う政治家がほとんどいません。
 本来の「保守」とは、明治以前も含む日本の長い伝統や文化を大切にする一方で、自分さえ良ければいいという考えとは対極にある「利他」の精神に立脚し、弱きものへの温かいまなざしである「惻隠(そくいん)の情」や、すべてを独り占めしない「共生の理念」を尊重してきました。強い者がより強くなり、多くの弱者が見捨てられていく「新自由主義的」な考えは、本来の保守の理念からは出てこないはずです。
 しかし、この20年間、日本はアメリカのまねをするとともに、そのアメリカにつき従い、さらに、新自由主義の考えに基づく「改革」を進めることが「保守」であると信じ込まされてきました。小泉純一郎政権の郵政選挙を典型に、マスコミも「改革」を煽りました。しかし、その「改革」によって私たち日本人は、平和で豊かな社会や生活を手にすることができたでしょうか。答えは「否」でしょう。
 環太平洋経済連携協定(TPP)の問題にしてもそうです。日本の主要紙はそろってTPPを礼賛していました。中身について批判的な検証を加えたメディアは少なかったわけです。確かに、20世紀には、関税を撤廃して貿易の自由度を上げると、それに比例して輸出入量が増え、世界経済へもプラスの影響を与えていました。しかし、21世紀に入っていわゆるスロー・トレードという現象が生じており、自由度を上げても、それに比例して輸出入量が増えるという現象が観測されなくなってきました。
 むしろ今、世界の最大の問題であるテロの背景には格差と貧困があり、行き過ぎた貿易の自由化こそが、こうした格差や貧困の拡大を助長しているという指摘が的を射ています。だからこそ、トランプ大統領が誕生したのでしょう。
 21世紀において日本がやらなければならないことは、TPPでも、アメリカ基準の貿易のルールを唯々諾々と受け入れることではなく、まさに世界で問題になっている格差や貧困にも配慮した、「公平性」や「公正性」に配慮した新しい貿易のルールをつくることです。20世紀型の貿易ルールを拡大しても、投資家対国家の紛争解決条項(ISDS)のように、巨大な多国籍企業を利することはあっても、各国における普通の国民・市民を豊かにすることはできないわけです。本当の「世界益」を考慮した通商ルールづくりに、日本こそが主導権を握るべきでしょう。

民進党は選挙公約に「地位協定の抜本改正」掲げよ

 北朝鮮や拡大する中国の軍事力に対抗するためには日米同盟も重要です。しかし一方で、独立国の中に他国の軍隊が居続けることの「違和感」を私たちは忘れてはならないと思います。
 沖縄の人に多大な負担を押し付けたままで平気でいられるのは本来の保守の心持ちではないはずです。沖縄については、民進党内に「沖縄委員会」があるのですが、なかなか正面から基地問題の議論をしてきませんでした。
 辺野古新基地建設問題では、民主党政権時の岡田外務大臣(当時)のときに、いろいろ問題があって、党内議論は止まってしまいました。しかし、それではよくない。難しい問題で、簡単にはいきませんが。
 それでも、自分の国内に他国の軍隊がいて平気であるとの考え方はおかしいと思います。特に自民党の議員の先生方にも申し上げていますが、「保守」を名乗るのなら、他国の軍隊が自国にいるのに、それに異議を唱える人を弾圧しておいて、どっちが「保守」なのか、と思います。こうした点についても、われわれもしっかりと議論をして、その受け皿を党内につくっていきたいと考えています。
 それから、「憲法9条を変える」と言う前に、まず、地位協定を変えろということを強調したいです。安倍政権は日米地位協定も見直さないで、「運用の改善」と言うだけです。この問題は民進党の代表選でテーマになりました。民進党でちゃんと議論をする場をもって、正面から議論をしたいと思います。そして、次の総選挙での民進党の選挙公約に「地位協定の抜本改正」を書かせたいと思っています。

「改革」乗り越える政治の哲学を

 私は当選以来、ずっと農政をやってきました。私は今日お集まりの皆さんのなかで、最も田舎に住んでいると思います。家の裏山から体重100キロのイノシシが出てきます。田畑を荒らすので、この前オリを仕掛けたら、イノシシが捕れました。息子が「お父さんどうしよう」とメールしてきました。
 ウチの田んぼではイノシシが出るようになって、耕作を継続することさえ困難になっています。20万円かけて柵をつくってなんとか収穫を迎えたのですが、差し引きにすると2万円ぐらいの収入しかありません。
 安倍首相は「棚田を守る」とか「息をむような美しい棚田」と言いますが、本当にいいかげんにしてほしい。棚田を見て、きれいだとか言っているのは観光客の目線です。棚田を見て、「草刈りが大変だ」「どこから水を引くのかな」と思うのが農家の視点ですよ。
 「グローバル対ローカル」の大きな対立が出てきているのですから、民進党は中途半端な「都会の政党」をやめて、地方、とくにグローバル化の影の部分にあたる農村などに光を当てる政党に生まれ変わらなければいけません。そうでなければ、存在意義はないと思います。
 今は、地方の声に耳を傾けるチャンスです。そのことを民進党はやるべきで、中途半端のカッコつきの「改革」を唱えても人の暮らしはよくなりません。このことは小泉政権以来のいわゆる新自由主義的な改革路線が十分に私たちに教えてくれたんです。そこを乗り越える政治の哲学と枠組みをどうつくっていくか、われわれは問われているのです。 

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