能登半島地震と原発

今回の地震は最後の警告と
国も電力会社も真剣に受け止めるべき

志賀町議会議員 堂下 健一

 厳冬期からせみ時雨へ。梅雨明けに地震関係での避難指示解除を検討したという当初の目標通りに解除がなされる予定です。
 7カ月暮らした施設は福島第一原発事故後に全国の原発立地自治体で整備された原発防災施設です。一人3㎡で70人収容が基準で、そこには簡易ベッドや防災毛布、長期保存のきく水や食料品が備蓄されており、要支援者の方が原発事故からの被害を最小限に抑えるために、しばらく避難できる施設として整備されています。
 自家発電や空調も万全で、他の避難所のように、広く寒い体育館にストーブがまばらに置かれている床に布団を敷いて休んでいる光景はありません。地震被害でこの場所に避難するとは私も予想外でした。

国・県の地震対策・対応は適切だったのか

 新聞も被災半年ともなるとこれまで以上にまとまった記事や特集が組まれるので、被災の全体状況や復旧作業等の進行状況がよくわかります。他自治体での復旧状況が見えてくるので、わが町は他の自治体と比較して遅れている、あるいは進んでいるなということが町民の中でも話題となり、遅れている点については議会あるいは町長は何をしているのだという批判の声にもなります。
 2月の県議会では、知事が東京の自宅で正月を過ごしていたことで、県民と同じその恐ろしい揺れを体験していないことが、同じ自民党議員からやり玉に挙げられていました。さらに情報をキャッチして初動態勢をしっかりとしてくれれば皆さん安心できたのではとも追及されています。
 また、県の元防災危機管理アドバイザーも、被害の全体像を捉える想像力に欠けていたことが初動の遅れとなり、結果として救助や物資救援が後手に回ったと見ています。「M7・6は起きた瞬間に2万棟が全半壊していると、部下から数字が上がってこなくてもイメージする。それが危機管理だ」と地元紙は報道しています。
 DMAT(ディーマット、災害派遣医療チーム)には石川県から派遣要請があり、第1陣が奥能登の病院に到着したのが3日で、もう少し早く被災地に入るべきではなかったか、助かる命がもっとあったかもしれないと、対応の遅さを悔やむ医師の談話が掲載されています。
 首相の対応についての全般的な評価では、初期対応が遅く被災への感度が鈍かったことも指摘されています。当然、被災地への災害対応の取り組みも遅くなり、熊本地震での政府の対応と比較してその差は歴然としています。
 また、石川県も2012年、今回の震源地の能登半島北方沖でM8・1の地震が生じ得ると想定していたにもかかわらず家屋倒壊などの被害想定をせず、地震対策の議論を先送りしてきたと指摘されています。県の地域防災計画・地震災害対策編では被害想定が小さ過ぎることが今回の地震での救援にも大きな遅れを来したとの指摘も出ています。

人口減少・過疎地での
被災と復旧

 私の住む地区は南北に長く、入り口にあたる地区ではいまだに倒壊したままの民家が道路沿いにその状況をさらしています。それは能登半島地震被災地全体の象徴かなと見ています。
 なりわい事業の復旧、福祉・病院・学校関係の普及と整備、あるいは農林水産業、もちろん商店街に至る全てですが、復旧への足取りが遅々としていることは否定できません。被災者の新しい生活基盤の整備は、果たしていつになるのかと思わずにはいられません。
 私の町も8月中には希望する全ての人に仮設住宅への入居という計画で整備中です。また、仮設商店の建設も同時に計画されています。
 次は仮設入居期間が過ぎた後の住まいの確保が入居者にとって大きな問題となります。高齢者が多い能登半島ですから、終の棲み家になる人が多くなるでしょうから、その場所や整備する住宅の戸数、病院や福祉施設なども含め総合的に考慮することが求められてこようと思います。7割近い人が元の場所に住みたいという希望を出しています。その意向になるべく沿ってあげるべきだと思います。
 今回の地震被害で過疎化に拍車が掛かっていることは否定できません。さらに医療・福祉従事者も被災し、スタッフの退職も相次ぎました。能登半島の各公立病院も病院機能の回復が徐々に進みつつありますが、地震前のようにはいかないともいわれています。
 さらに復興計画策定にあたっては予測されたとはいえ、やはり出てきました。人口減少の過疎地に莫大な予算を費やす必要はないといった意見が経産省からありました。県知事は復興に水を差すものだと即不快感を表明したことは当然です。経産省から出向中の副知事もさすがに反論せざるを得ませんでした。

最後の警鐘か能登半島地震

 今回の地震ほど、原発との複合災害での原発避難の課題を改めて全国民に突き付けことはなかったしょう。
 全国の原発は交通の不便な箇所に建設されています。特に地震との複合災害となると、今回の能登半島地震被害のように逃げ場も退避場所もなくなることが実証されました。さらに放射線量を測るモニタリングポストの欠測も出ています。
 岸田政権は立ち止まって考えるのかと思いきや、能登半島地震視察後に何事もなかったかのように原発の再稼働路線は維持しますと表明しています。規制委員会に至っては、自然災害への対応は「議論の対象外」と逃げる始末です。本格的な議論をしたら日本では原発再稼働は不可能という結論しかあり得ないことは明白であることを知っているからでしょう。

志賀町長は再稼働
容認から慎重へ

 今回の地震で自ら被災した就任9日目の新町長は、地震と原発事故との複合災害に対する対応を問われました。そして現在の避難計画では住民の生命と財産を守ることは不可能と直感したようです。贈収賄事件で前町長逮捕を受けての年末の選挙時は、「原発再稼働容認」でしたが、今回の地震被害に直面する中で再稼働に「慎重姿勢」を表明しました。
 町民も、3・11直後よりも多くの方がマスコミで原発や北陸電力に対する不安、また避難計画が絵に描いた餅であることを訴えています。若い人の間にも何とかして再稼働を止めたいと新たな動きをつくろうとする動きも見られます。
 今後は電力会社や国・県などにより強烈な巻き返し策動がなされることでしょう。
 しかし今回の地震被害で多くの方が、自然災害と原発事故が同時に起こる「複合災害」では、避難ができず被ばくを強いられ、なす術もないことを実感させられました。今回の地震は最後の警告と国も電力会社も真剣に受け止めるべきです。

対話でこれからの
地域づくりを進める

 今回の能登半島地震は実にさまざまな課題を突き付けてきました。過疎地域における医療・福祉・教育の課題、なりわいの継続と維持の課題、原発再稼働問題と地震被害からの復旧・復興問題等々、同時に取り組むことが求められています。私の住む地区でも先日、私たちの地区を今後このような地域として再生を図りたいという要望を他地区に先駆けて町に出しています。今後このような幾多の要望が各地区からも出されることになるでしょう。
 そこでの対話がこれからのまちづくりに大きな力になることは自明です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする