コロナ感染症の課題 ■ 日本の問題点をあぶり出した

国民の命を守る医療政策に抜本的転換を

元日本医師会会長 原中 勝征

 今ようやく、日本でも新型コロナウイルス感染症対策のワクチン接種が始まります。しかし、外国製です。私はこれはおかしいと思う。日本の科学は高度で、その技術製品を外国にどんどん輸出している国なのに、しかも製薬会社もいくつもありワクチンを作る会社もいくつもあるのに、なぜコロナのワクチンを作らなかったのか。
 最初からアメリカのファイザーと英アストラゼネカから輸入するという動きだった。
 ウイルスから本当に国民を守るためには、効果のある薬を探すか、ワクチンを作るかです。国民もそれの一日も早い実現を望んでいた。しかし、何の説明もない。
 一方で、菅首相は経済回復のためと、「Go To トラベル」に何兆円も財政を使うことを自慢げに発表した。しかし、こうした中で多くの国民の命が奪われた。
 ワクチンを外国から買うにしても、先進国でも途上国でもワクチン接種が始まって世界で1億人を超している。日本ではようやく接種が始まった。2カ月も遅い。
 政府に本当に国民を守ろうという気があったのだろうか疑問を持たざるを得ない。返す返すも不思議です。

感染症対策のイロハができない日本

 しかも、日本のコロナ対策では、検査の数が圧倒的に少ない。途上国と比べても10分の1ですよ。検査なくして感染者の発見は不可能です。感染防止のイロハのことができなかった。

 日本での大きなコロナ感染の最初はクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号だった。乗客を降ろす時、無症状でも感染している可能性があるわけだから、下船の時に全員を対象に検査すべきだった。何日間か症状のなかった人たちを検査もせず降ろしてしまった。その結果、感染が広がったと思います。誰が許可したんですかね。少なくとも医師ならそんなことはしないと思う。
 後になって海外から日本に入ってくる人は2週間ホテルにということになった。が、最初の段階できちんと対応していればどれだけ抑えられたか。政治家があまりにも無知すぎる。科学に対して謙虚でない。政治家や官僚の立場を超え、専門家の意見をきちんと広く聞いて、スペイン風邪やアジア風邪などの過去の経験にも科学的に謙虚に学び、政治に生かすべきであった。

経済最優先、選挙優先の政治では無理

 やはり、政治家の頭の中は選挙と経済が常にくっついていて、医学的なこと、科学的なことを勉強していないし、尊重しないですね。
 菅総理が、「Go To トラベル」は俺のアイデアだと威張っていた。これがいい例です。あれが感染拡大第3波の原因になった。菅総理は2月に、少し感染が減ったら、「Go To トラベル」を再開しようと言う。専門家の人たちは当然反対しました。もし再開したら、また感染数がぐーんと増えるのは確実です。人の接触拡大が感染を広げるのですから。経済第一、選挙第一の政治家では感染症には対処できない。
 感染はどこが最も多かったのかを検証し、「夜の飲食店」「カラオケ店」だと言うだけでなく、今後のこともあり科学的調査の結果を知らせるべきです。後になればなるほど、「家庭内感染」「施設内感染」「職場内感染」が多くなるとともに特定が難しくなります。感染が広がらないうちに徹底的補償と閉鎖で感染源を封じ込めるべきでした。
 問題は法律ではなく、完全に補償することです。そして感染の広がりを止めることです。
 コロナが突きつけたのは、国民の命と健康を守るのは政府(政治)の責任だということです。

国民の命を守る感染症対策を

 今からでも日本としてきちんとしたコロナ対策を打ち出してほしい。
 予防から、検査体制、医療体制の強化など、そして感染者の療養体制、とくに症状のある人、とりわけ重症者対策はキチンとすべきです。今回のコロナの場合、とくに重症の場合は高度の人工呼吸器などが必要ですから、国立の医療機関などを中心に人工呼吸器の導入も含めて手立てすべきです。重症患者さんは人工呼吸器やスタッフのそろっている病院に送る。人工呼吸器が必要ない中等症患者さんはそういう病院に。
 昔は結核や赤痢などの感染症の隔離病棟を各地につくりました。その隔離病棟に入りきれなくなると、学校の体育館などを借りて治療した。そうやって乗り越えてきた。
 政治は、どうやって国民の命を守るのか、もう一度考え直すべきだと思います。

経済効率一辺倒はだめだ

 今、医療崩壊は起きています。しかも一方で政府は、公立・公的病院の統廃合を推進し、病院名まで発表した(2019年9月)。東京都をはじめ、公立・公的病院の統廃合が現実に進められている。
 確かに公立病院は高度な医療機関が多いですから、財政もかかった。大学病院もそうだった。ところが国の財政が苦しくなった。そこで本来公でやらなければならないところまで独立法人化を進め縮小してしまった。大学病院は自分で稼げ、病院を建てるときのお金は自分で探せといった調子です。国が出すお金が少なくて済むと簡単に思った。国鉄の民営化も郵政民営化もみんな同じです。
 だけど結果はどうですか。例えば、大学病院もそれまで病床600くらいでやっていたのを1000床に増やした。利益を上げるためです。しかし、そのために医師が大量に必要になった。
 本来、医科大学の使命は、国民の医療のために医師を教育し供給すること、そして医学の発展に即し、高度な知識を持った医師を世に出すことだ。一方、病院は、高度の専門家を擁する病院、急性期の患者を診る病院等に区分し、診療所の医師は身近な患者を診て、必要な時は最も適当と思われる病院に紹介する役目を担うべきだと思います。
 しかも、「専門医」制度です。これをやるかどうかの時、私は日本医師会の会長だったが、これができたら医療崩壊が起こると私は反対しました。専門医は確かに絶対に必要です。例えば心臓の難しい治療をできる専門医、医療機械も必要だ。そういう医療機関なら専門医は必要だが、診療所に専門医は必要なのか。

 過疎地や離島で暮らす国民はどうなるのか。それから保健所の問題です。どうしてこれほど保健所を減らしてきたのか。しかも、その保健所に医療機関の監査まで全部やらせている。コロナで仕事があまりにも過重、保健所の皆さんは本当に気の毒だと思う。保健所は予防機関としてもっと大切にしなければなりません。
 このたびの新型コロナ感染を糧にして、過疎地域の医療の在り方や医科大学、大学病院、公私立病院の機能と責務、診療所の在り方や保健所の大切さを再確認する機会になれば良いと思います。
 国民の命を守る食糧生産の農業も崩壊した。この問題はまた話したい。こうした日本を抜本的に見直さないといけないですね。

 (本稿は、インタビューをもとに編集部がまとめたもの。文責、見出しとも編集部)

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