「国民の誓い」として沖縄を平和と交流の島に
ニュー・パブリック・ワークス代表理事 上妻 毅
78年目の慰霊の日を迎える沖縄では「沖縄を再び戦場にするな」との声が高まっている。こうしたなかで、玉城デニー知事は地域外交室を設置し、訪米に続いて韓国訪問、さらに7月には中国訪問も予定するなど自治体外交を積極化させている。県議会も市民運動も、平和実現の自治体外交・地域外交を求めて積極的に動き始めている。1996年に大田県政下で、「21世紀・沖縄のグランドデザイン」、沖縄県「国際都市形成構想」、2005年には国境離島の新しい将来像を提起した与那国町「自立へのビジョン」の策定に、当時の吉元政矩副知事と連携し深く関わった上妻毅氏に、いま沖縄がめざすべき方向について話を聞いた。(見出しとも文責編集部)
閣議決定された「国際都市沖縄」の形成
1992年に初めて県庁の仕事に関わってから30年がたちました。92~98年は沖縄県「国際都市形成構想」の業務に携わりました。雑感ですが、仕事を通じて沖縄に育てていただいた、そんな気持ちがあります。沖縄を通して、通り一遍の認識ではない自分なりの目が開かれたと思っています。とりわけ、戦後日本のありよう、例えば「平和国家」なるもの、安全保障、戦後復興と高度経済成長は、すべて沖縄の犠牲と負担を抜きにはあり得なかった。沖縄の仕事をしていなければ見えないままだったと思います。
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96年にまとめた「21世紀・沖縄のグランドデザイン」では、4つの政策理念の一つとして「脱・軍事都市/平和外交都市沖縄の構築」を打ち出しました。また、沖縄を結び目に、日本、東南アジア、中国、アメリカなどのアジア太平洋諸国・地域が交流し、多元的な地域間協力を進めていくことを方針としました。
これを受け、当時の橋本総理は96年9月10日、「『21世紀・沖縄のグランドデザイン』は、沖縄県がその願いを込めた構想であると承知いたしております」と明記した「沖縄問題についての内閣総理大臣談話」を閣議決定しました。この閣議決定の方針はまだ死んではいないはずですが、完全に止まっており、忘れ去られた感じすらします。国と県による「沖縄政策協議会」という画期的な政策決定の仕組みも設けられましたが、これも長らく開店休業状態です。
国境地域の疲弊を招いた国の無策と与那国町の奮闘
「与那国・自立へのビジョン」の策定は2005年でした。当時、平成の大合併とか、小泉改革の一環の三位一体改革とか、かなり荒っぽい政策の中で離島町村は極めて厳しい状況に直面しました。与那国町の場合、最終的には住民投票になるんですが、石垣市と合併するのかしないのかという選択にも迫られました。このときに与那国出身の吉元政矩さん(元沖縄県副知事、当時は広範な国民連合代表世話人)が「合併する・しないにかかわらず島の将来ビジョンと戦略を構築しよう」ということで、僕も手伝うことになりました。
島の新しい将来像は「日本最西端の海洋交流拠点」。台湾、中国の沿岸地域などとの交流を担う新しい地域間交流のフロンティアになるということでした。併せて、自立戦略として「国境型自由貿易」を打ち出しました。国内で見れば与那国は日本のいちばん端ですが、台湾側と結べば、かつての相互往来や交流も可能です。端的には、国境の島が生きるための生活圏の拡大です。
また、「与那国町・花蓮市災害等相互支援協定」という文書も日中両文で作りました。台湾の花蓮市とは1982年以来の姉妹都市ですが、大規模災害が発生した際には国境を越える相互支援、例えば支援物資を送る、避難民を受け入れるなど、必要な活動を実施するという内容でした。
94年にはスマトラ島沖大津波がありましたし、台湾も過去には大地震が発生しています。災害発生時に国外の自治体との間で国境を越える相互支援ができるのか、当時「小泉特区」などと言われていた構造改革特区の事務局に投げかけました。細かい話は省きますが、申請した「国境交流特区」は認められなかったものの、「災害時の相互支援は現行の法制度でもできる」ことを複数の省庁の回答で確認しました。法務省に至っては、「非常時に派遣される医師等を事前に登録しておけば入国審査を円滑・迅速にできる」といった助言もくれました。
花蓮市との交流を前提に与那国町が求めたことは明快で、平常時は観光・経済を中心に交流と相互往来を促進する、非常時には国境を越える支援を人道的な見地から実施する、その上で特区を申請した意図は「国境の壁に風穴を開ける」ということでした。
与那国の仕事を振り返って思うのは、「本来、国境地域というのは栄える場所ではないのか」ということです。日本には地続きの国境線はありませんが、海を越えて望まぬモノやヒトが入ってくることもある。交流とセキュリティーを両立させた上、国境地域が立地特性を発揮できる活性化を図るべきだと思います。
他方、国境の島に人が住んでいるから領海も排他的経済水域も守られていることも否定できない。国境離島住民を対象に、国益の観点も含めて定住支援策を講じるのは政府が担うべき仕事でしょう。それが不十分なので当時の与那国町長は自衛隊誘致に舵を切った、という側面もあります。島の振興を自衛隊の誘致に求めるしかなかったとすれば、その現実こそ問題です。その後、「有人国境離島法」などができたのは承知していますが、与那国島に限らず、日本の国境地域は国の無策の中で疲弊した。与那国は国境地域政策の欠落を照射したと思います。
「中国の脅威ありき」「日米同盟強化ありき」「台湾有事ありき」への懸念
国際情勢ですが、米・中の国力が拮抗しつつある中、これまでとは違う変動期に入っていると思います。コロナの影響もありましたが、サプライチェーンの見直し、経済安全保障、新しい多国間協力の枠組み、同盟関係強化、さらに、NATOの事務所を東京につくるとか、いずれもこの変動期の中で起きていることです。また、自由・民主主義・人権・法の支配・市場経済に基づく「価値観外交」が打ち出されている背景にも同じ状況がある。その中で模索されている国際秩序のファクターとして、G7も、グローバルサウスもあるわけです。
変動期の中で改めて日本の現状を考えると、「中国の脅威ありき」、「日米同盟強化ありき」、「台湾有事ありき」。ありき、ありきで思考停止になっていないかという懸念を感じます。メディアの安直なアジェンダ設定もどうかと思います。例えば「台湾有事」一点にフォーカスして危機感を煽るような報道も多い。果たして実態はどうなのか? まず、「台湾有事」の当事者は台湾であり、中国であり、次にアメリカでしょう。信頼する外交官は、「台・中・米の三者が同時に現状打破に動かない限り、現状維持の枠組みに変化はない」、そうならない限り「台湾有事」はないと言っています。また、「『台湾有事』を大声で唱えるのはアジアでは日本が最後かもしれない」と言う専門家の指摘もあります。一方、「価値観外交」の意義は理解しますが、「民主主義対権威主義」という構図を単純化すると、「善対悪」といった短絡的な話にもなってくる。
ただ、われわれが思うより日本外交がとり得る選択肢は狭く、限定的なのかな、とも思います。残念ですが戦後77年を経た日本の現実かもしれません。そうであっても、日米同盟一辺倒を超えて、主体性も独創性も併せ持つ外交戦略を模索し、研磨すべきと考えます。特に今後は、米中両国の狭間で、堅実に、しなやかに生きていかなければいけない。日米同盟を堅持する一方で、変えようのない中国との隣国・隣人の関係もあります。世界第2位の経済大国の時代があったにせよ、大国幻想は捨てて、より賢く、したたかな外交を目指すべきではないでしょうか。その意味でも、「沖縄」は日本外交の主体性が問われる試金石だと思います。
むしろ増大している「県民1人当たりの国防関係施設面積」
昨今、「厳しさを増しているわが国の安全保障環境」というフレーズを耳にしない日は少ないと感じます。異存はないですが、ニュースの中で枕言葉のように使われ、誰も口を挟む余地のない決まり文句のように使われている現状にはいささか虚しさも覚えます。ともあれ、日米同盟が必要な現実、同盟が重視され、広く支持されている状況は理解しています。しかし、重荷を背負わされ、割を食うのは、いつも沖縄ではないでしょうか。不公正な負担、リスク分担は変わらぬまま、住民1人当たりの基地負担はむしろ増大している。十数年前に整理した数値ですが、在日米軍と自衛隊を合わせた国防関係施設面積は、住民1人当たり沖縄県は175・9㎡、本土は9・2㎡、ほぼ20倍の差でした。与那国、宮古、石垣といった島々にも新しい自衛隊基地が増設された現在、この差はさらに拡大しているでしょう。
ところで、コロナ禍のさなか、オミクロン株が米軍由来で急拡大した際、「米軍基地から拡大したことで米軍が悪者という見方をするべきではない」と発言した参院議員がいました。国を挙げての水際対策などお構いなく米兵が街なかを闊歩しても、使用も製造も禁止された化学物質で地下水と国土が汚されても、「米軍の果たす役割は大きい」、「悪者という見方をすべきでない」。忍従も致し方ないということでしょうか。「同盟バカ」にも程があるとあきれました。また、沖縄への圧倒的な基地依存が続く日本の安全保障の実態を知ってか知らずか、臆面もなく「沖縄を甘やかすべきではない」などの自説を唱える議員もいます。不見識を通り越した無知、かつ無恥とみなすべきです。
沖縄復帰にあたっての「国民の誓い」は守られているか?
沖縄の復帰を直前に、日本政府は1972年5月12日に政府声明を発表しました。「沖縄を平和の島とし、我が国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、われわれ国民の誓いでなければならない」。この誓いはどれだけ守られ、実現されたでしょうか。復帰から半世紀を経て沖縄はどこに行き着いたのか、冷徹に評価すべきだと思います。
現状はどうでしょう。まず申し上げたいのは、南西諸島の軍事拠点化。「離島防衛」がいつの間にか変質している。当初は、尖閣諸島も引き合いに「守るべき領土としての離島」が強調されていました。それがいつの間にか「前線基地としての離島群」に、端的には「対中防波堤」のような位置づけになり、さらに「有事ありきの要塞+攻撃拠点化」が進められ、目下のミサイル配備に至っている。
日米の共同軍事体制もどんどん拡充しています。例えば、陸自の水陸機動団と在日米軍海兵隊の共同訓練も行われています。作戦を共有するなかで指揮系統はどうなっているのか。同盟強化の行き着く先には「指揮権」の問題も生じると思います。在韓米軍と韓国軍による連合軍の実態も含め、共同軍事体制の意味合いを深く考える必要があると思います。
沖縄を戦場にしない一方策観光を組み入れた安全保障
沖縄を再び戦場にしないためにも、まず「台湾有事」なる想定に振り回されないことが大事だと思います。一方、国境地域間の交流を通じて「戦争ができない環境づくり」を促進することが重要です。与那国から考えると、与那国島を台湾と中国の双方から訪問可能な相互乗り入れの地とする、八重山を新しい交流ゾーンとして国境を越える往来を促進する、こういった取り組みが必要です。
コロナ収束後はクルーズ船もどんどん入ってきます。結果的に、台湾、中国を含む国内外の観光客が常に行き交うような日常をつくることが第一でしょう。ただ、与那国のような小さい島は、外国人観光客を受け入れる施設もソフトも十分ではない。日本最西端の観光交流拠点とするため、例えば台湾や中国の旅行代理店とも協業できる旅行業者を育成するなど、県庁もしっかり応援して取り組んでいくべきと思います。
沖縄全体では、観光を組み入れた独自の安全保障政策の構築が重要だと思います。台湾・中国双方の観光客の往来が常時活発なら、自国民保護の観点から攻撃には踏み切れない。絶対とは言いませんが、ファクターとして考えるべきだと思います。
それから世界遺産。文化遺産は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」、自然遺産は「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」。奄美にもつながるゾーンですが、そこを攻撃できるのか?ということです。米軍がいっぱいいるのでそれどころではない事態も考えられなくはないですが、「世界遺産登録地域を本当に攻撃できるのか」。この点を含め、沖縄県が意図的に、戦略的に、世界に向けた情報発信を重ねてほしいです。
「地域外交」の重要課題
沖縄県による「地域外交」に関してですが、第一に「台湾―沖縄―福建」の持続可能な平和と発展という大きな課題があると思います。近隣地域間の国際的な連携・連帯です。
地域格差も抱える台湾ですが、花蓮県を含む東海岸地域にとって、沖縄は海を挟んで隣接する地域です。玄関口となり得る与那国が花蓮側の熱心な働きかけや期待に応えきれていない実情もあるんですが、ともあれ、花蓮市と与那国町、宜蘭県の蘇澳鎮と石垣市は姉妹都市です。点と点を結び、さまざまな条件を整え、台湾と八重山が一つの交流ゾーンとなることが期待されます。
それから福建省と沖縄県。「沖縄・福建友好会館」という拠点もありますし、2016年には「経済交流促進に係る覚書」も締結している。それだけでなく、人的なコネクションもあると思うんです。知事も視野に入れていると思いますが。
話が飛びますが、24年の1月に台湾総統選があります。台湾では「台湾有事など誰も望んでいない」という実情があります。国民党が勝つかどうかはわかりませんが、期待を込めて言えば、「台湾有事を望まない台湾」、「台湾有事を望まない沖縄」、「台湾有事を望まない福建」、この三者共通の利益を追求していくことが重要で、多元的な交流のニーズもあると思います。
第二の課題は、東アジア地域の共生と永続的平和の構築。ASEANと周辺諸国が一貫している姿勢は「米中対決、米中戦争には巻き込まれたくない」。沖縄はこれに呼応すべきだと思います。また、人間の安全保障やSDGsの推進を目的に、沖縄への新しい国際機関の設置を提起している方々もいます。沖縄県地域外交室のフィジビリティスタディのテーマでしょう。
第三に「国際公共財」としての沖縄。海洋、環境など新しい視点からのアプローチです。例えば「東アジア海域環境管理パートナーシップ」というアジア11カ国、地方政府、研究機関などが参加している機関もあります。持続可能な海洋資源や環境保全の取り組みに沖縄県も積極的に参画する。また、太平洋やカリブ海などの島国を念頭に、沖縄が持続可能な島嶼地域のための国際協力拠点になる。JICA沖縄センターもありますし、今日までのさまざまな経験も生かせる。沖縄ならではの地域外交の課題だと思います。
最後は、改めて「ポスト香港」。中国にのみ込まれた香港は今後、一地方都市になっていく。これまで香港が担ってきた役割の中で失われていく国際都市の機能は何か、沖縄が担える役割はあるか、あるとすれば何をどうするか。国内外の情勢を見据えて検討を進めるべきではないでしょうか。