平和構築へ各国地方政府と市民社会とで共同する

沖縄県による「地域外交」の意義と可能性

成蹊大学アジア太平洋研究センター主任研究員 小松 寛

国際政治の変動と台湾有事

 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は東アジア地域の安全保障への危惧、とりわけ中国による台湾侵攻の懸念を惹起させることとなった。22年5月、日米首脳会談でジョー・バイデン大統領は中国が台湾へ侵攻した場合に軍事的に関与する意思があることを明言した。これに対し岸田文雄首相は防衛費の相当な増額を表明し、「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有にも言及した(朝日新聞22年5月24日)。ここからは中国の「覇権主義」を日米同盟の強化による抑止力で封じようとする意図が見て取れる。この背景には、21世紀初頭から継続してきた「対テロ戦争」の泥沼化などに伴う世界における米国のプレゼンスの相対的な低下があり、他方で経済力と軍事力で世界第2位となった中国の台頭という、国際構造の変化がある。


 また、従来米国は中国による台湾への武力行使についてその対応を明言しない「曖昧戦略」を採ってきた。しかしその転換に至った要因としては、台湾側の不安を軽減させる必要があったと考えられる。「台湾民意基金」が22年3月に実施した世論調査によれば、米軍の参戦を信じると答えた割合は35・5%となり、前年10月の65・0%と比較して大きく減少した。「自衛隊が参戦する」と回答した人は43・1%であり、これも昨年10月の58・0%から下落している(朝日新聞22年3月23日)。さらに4月には米上院軍事委員会公聴会にてマーク・ミリー統合参謀本部長はロシア・ウクライナ戦争の教訓として「台湾防衛は台湾自身が行うことが最善。われわれは台湾を援助することができる」と発言していた。
 米国にとって、同盟国からの信頼低下は最も憂慮すべき事態のひとつである。米国と台湾(中華民国)は1954年に米華相互防衛条約を結んだが、79年の米中国交正常化によって破棄された。そこで米国は台湾関係法を制定し、台湾の将来を非平和的手段によって決定しようとする試みは米国の重大関心事と位置付け、国内法ではあるが台湾への影響力の維持を図った。しかし、ウクライナ侵攻に対しては武器供与のみで派兵に至らなかったことは、台湾側にとって米国はいざというときには助けに来ないのではないかという不安をかき立てることになった。
 同盟関係は必ずしも当事国へ安心をもたらすとは限らない。国際政治学では「同盟のジレンマ」という概念がある。一方では同盟国の戦争に巻き込まれるのではないかという「巻き込まれの不安」があり、他方では自国が侵略を受けても同盟国が助けに来ないのではないかという「見捨てられの不安」がある。
 この同盟のジレンマが台湾、米国そして日本の間に発生しているといえよう。台湾と日本は直接的な同盟関係にはないが、米国という軍事同盟のハブ(中心)を介して、台湾―米国―日本という事実上の同盟関係にある。「台湾有事は日本有事」を言われるゆえんである。台湾側としては見捨てられの不安を解消すべく、米国からのコミットを得られるように働きかける。日本政府としては台湾有事に巻き込まれないために中国を抑止する必要がある、という名目で軍事費の増大が実施されている。

沖縄の「地域外交」の理念

 この台湾有事の危険性に際して、巻き込まれの不安を最も切実に抱いている地域の一つが沖縄であろう。米軍基地が集中し、自衛隊の配備が進んでいる沖縄は、台湾有事の際には攻撃目標となる可能性が否定できない。この状況に際して、玉城デニー沖縄県知事は、日本政府の方針とは異なり、軍事力強化による「抑止力」の拡大ではなく平和外交による有事の回避を訴えている。
 2022年3月の県議会で玉城知事はウクライナ侵攻や台湾有事に際して「沖縄が有事の的になるのは絶対に認められない」とし、「政府の努力で日米安保を確保しつつ、日本の立ち位置として、韓国、中国、東アジアの国々とどのような外交努力をしていくかが肝要だ」と述べた(沖縄タイムス22年3月2日)。
 さらに沖縄県は、自ら地域交流の実践者となるべく、23年度より体制を整えた。「地域外交室」の設置である。玉城知事は今年2月の所信表明演説にて、「アジア・太平洋地域における、関係国等による平和的な外交・対話による緊張緩和と信頼醸成、そしてそれを支える県民・国民の理解と行動が、これまで以上に必要」「沖縄県が有するソフトパワーを生かし、(中略)多分野にわたる国際交流を通じて築いてきたネットワークを最大限に活用し、同地域における平和構築に貢献する独自の地域外交を展開するため」と地域外交室を設置する理由を説明した(沖縄タイムス23年2月15日)。ここには軍事力の増強が「抑止力」とはならず、むしろ中国を刺激し、東アジアにおける軍拡競争に拍車をかけてしまうという認識があり、その代替案として平和的経済的交流の重要性が強調されている。
 このような沖縄県の地域外交の構想は唐突に立てられたわけではない。12年策定の「沖縄21世紀ビジョン基本計画」ではすでに「沖縄のソフトパワーを発揮した地域外交を展開することにより、(中略)アジア・太平洋地域の持続的安定に貢献」することが謳われている(なお、沖縄県は「地域外交」と称しているが、日本の国際関係論では地方自治体による国境を越えた活動を「自治体外交」と呼んでいる)。
 沖縄の地域外交への期待については、専門家の間でも評価は分かれる。豊下楢彦(元関西学院大)は「政府が沖縄県民の生命と安全を保障できないのであれば、沖縄県が『台湾有事』狂想曲を乗り越え、戦争回避を求める東アジアの国々や自治体、市民との連携を深めるために独自の自治体外交を展開することは、全くもって県の『専管事項』である」と、沖縄の自治体外交を好意的に評する(琉球新報23年3月12日)。他方で松田康博(東京大)は「効果には懐疑的だ。沖縄県の見識が不足していると中国側に利用されて、抑止力構築の足を引っ張る可能性がある。これは中国が一番やってほしいことで、県は注意をしてほしい」と警鐘を鳴らしている(琉球新報23年3月27日)。

沖縄の自治体外交の変遷

 今日の沖縄県の自治体外交の意義を確認し、その将来を展望するためには、過去の実績の検証が必須作業となる。これまで沖縄県は中国および台湾と具体的にどのような自治体外交を展開してきたのであろうか。以下、1970年代から90年代にかけての中台問題をめぐる沖縄の自治体外交を概観してみよう(詳しくは小松寛「沖縄県による自治体外交と中台問題」(『戦後沖縄の政治と社会』吉田書店2022年を参照)。
 沖縄は太平洋戦争後、米軍統治下に置かれたため、社会主義陣営の中華人民共和国との関係は途絶えていた。それとは対照的に自由主義陣営の一角であった中華民国(台湾)との交流は活発であった。しかし、1972年の沖縄返還によって米軍統治から解放された結果、沖縄は県として中国との交流関係を持つことが可能になった。そして同年になされた日中国交正常化に伴う中華民国との国交断絶は、沖縄県と台湾との公的関係の弱体化を意味していた。
 このような国際環境の下、沖縄返還直前の72年1月、革新系団体からなる沖縄の中国訪問団は、周恩来首相と会談を持つ。周恩来は沖縄返還を日米両政府による「ペテン」とした。しかし、沖縄返還闘争自体は評価し、中国人民と沖縄人民の関係を兄弟に喩え、沖縄人民は英雄だと讃えた。その沖縄闘争の敵は米国帝国主義のみならず、日本軍国主義でもあるとし、それらを中国との共通の敵と措定した。74年、屋良朝苗県知事は鄧小平副総理と面会する。そこで鄧は台湾について、沖縄返還が実現したように日本側も台湾の中国の帰属に賛同すべきと語った。

1974年、中国の鄧小平副総理(中央)と会談する屋良朝苗沖縄県知事(左から2番目)と平良良松那覇市長(左端)*沖縄県公文書館所蔵

 これに対し78年に発足した保守の西銘順治県政は希薄化した台湾との関係修復に乗り出した。87年、那覇商工会議所と県工業連合会は台湾との経済交流を活性化させるため、県物産展示場となる「琉球館」を設置した。そして90年、西銘知事はこの琉球館に県職員を派遣し沖縄県の海外事務所とする構想を発表した。これに対し日本の外務省は国交のない台湾への事務所設置に難色を示した。そこで県は設置主体をあくまで民間とし、そこへ県職員を休職の上出向させるという形式で台湾事務所の設置を実現させるに至った。
 90年の終わり、大田昌秀(革新)が県知事となる。大田は沖縄に自由貿易特区を設置し、アジア諸国との経済関係を強化することで沖縄の経済的自立を実現させ、基地依存経済からの脱却を目指した。その一環として中国福建省との友好県省協定を締結する。しかし中国側がその条件として提示したのが、沖縄県知事・副知事の台湾への公式訪問の禁止であった。これは72年の日中国交正常化に伴う日華断交の相似形と言える。
 一方、台湾の国民党側はこの時期に1000億円の沖縄投資構想を示した。しかしこの構想は日本政府が沖縄の自由貿易特区を認めなかったために頓挫した。大田の後に県知事となった保守派の稲嶺恵一は、非公式ながら台湾訪問を継続し、台湾との関係継続を図っていた。
 このように沖縄県は沖縄返還、日中国交正常化、冷戦終結など国際政治の変動とその影響に合わせながら、自治体外交を行ってきた。そして革新の屋良県政および大田県政は中国との関係強化を、保守の西銘県政と稲嶺県政は台湾との関係強化を重視した。
 中国側にとって一義的に重要であったのは台湾の帰属問題であった。70年代の訪中団との会談および90年代の台湾との断交要請などからは、地方政府間の交流であっても「台湾は中国の一部」という原則を貫徹するものであった。
 台湾側においては、米軍占領期から続く非公式ながらも実態の伴う沖縄との関係を継続することが肝要であった。民間団体による台湾事務所の設置や県知事の私的訪問など、中国との関係から公的にはなりえない場合においても、実質的な関係の継続が図られた。
 沖縄県のアジアにおける自治体外交は、国家の論理の制約を受けながらも、この両者間の整合を図りながら展開されてきたとまとめられる。

目指すべき沖縄の「地域外交」とは

 それでは、今後の沖縄県の地域外交で目指すべきはどのような方針であろうか。その際に重要となるのは、東アジアの平和と安定を維持するため軍事的な緊張を緩和させ、軍拡競争ではなく軍備管理・軍縮こそが重要だとする国際規範の形成である。
 そもそも自治体外交は安全保障を対象とすることができるのか。一般に安全保障は国家の専管事項とされているが、安全保障研究ではそれが問い直されている。これまでの安全保障は他国の軍事的脅威から自国の安全を軍事力によって守るものとされてきた。しかし、1990年代以降、守るべき対象を国家ではなく人間とする「人間の安全保障」や、他国の安全も守るべきとする「共通の安全保障」という概念が登場した。
 また、脅威が感染症や気候変動など多様化し、それに従い安全保障の手段も非軍事的な分野へ広がっていく。さらに、その主体も国家のみならず企業や市民社会などを考慮しなくては、現実社会を適切に捉えることはできない。そしてこの多様な安全保障は、常に国家安全保障に再回収されかねないという緊張関係にある(遠藤誠治編『国家安全保障の脱構築』)。ここから自治体外交も安全保障の多様化の一環であり、国家との緊張関係にあると位置づけられる。
 翁長雄志・玉城デニー県政の支持母体である「オール沖縄」は、普天間基地移設に伴う辺野古新基地建設の阻止を掲げることで大半の沖縄県民の支持を得てきた。そしてこの民意を背景に、日米両政府へ辺野古新基地の建設を断念するように対峙してきた。
 しかし、東アジアで展開する自治体外交においては、当然ながら相手国は新基地建設の当事者ではないため、辺野古への新基地建設反対の要請はさほど意味をなさないであろう。それよりも、軍拡競争を回避し、軍事的緊張の緩和が東アジアにおける安定と平和をもたらすという認識を共有することに重点を置くべきと思われる。
 その際に参考になるのが、核兵器の廃絶を目的に広島市と長崎市によって国際的に組織、展開された「平和首長会議」である。1982年に第2回国連軍縮特別総会において荒木武広島市長が提唱したことを発端に、現在では166カ国8247都市が加盟している(2023年4月1日現在)。平和首長会議は2003年、核廃絶を20年までに目指す「2020ビジョン」を発表し、核兵器禁止条約の実現を訴えていた。07年、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が発足した際に平和首長会議はオリジナルメンバーとして参加した。平和首長会議に参加している世界各地の都市は被爆者の証言会に携わり、原爆被害の実態を知らしめることに貢献した。そして17年、核兵器禁止条約は国連加盟国の6割以上から賛同を得て採択され、同年にICANはノーベル平和賞を受賞した。ターゲットとされた20年には批准国が50を超え、21年に条約発効へと至っている。
 ICANによる核兵器禁止条約が成立した要因の一つには、広島・長崎の被爆者による証言がある。国際会議などで証言会が開催されることで、国際的には十分に認知されていなかった核兵器の非人道性が広く知られるようになった。条約前文に「ヒバクシャ」の文言が入ったのはその証左である。核兵器禁止条約の成立に唯一の戦争被爆国である日本の関与は必要不可欠であり、その一端を担ったのが「平和首長会議」であった。
 このように「平和首長会議」は各国自治体および国際NGOとの連携によって、核兵器の禁止という国際的な規範形成に貢献した。それは日本の歴史ある反核運動を国際的現代的な潮流に接合したということでもある。この文脈において、被爆都市である広島市・長崎市のリーダーシップが何者にも代え難いことは言うまでもない。核兵器による人類初の犠牲となりながら、その荒廃から復興を遂げた両都市による運動だからこそ、核兵器廃絶の訴えは説得力を持つ。地方(ローカル)の戦争経験を原点とし、戦後の日本(ナショナル)が培ってきた平和主義を構成し、世界(グローバル)における平和の実現へとつながっている。核保有国ロシアによるウクライナ侵攻という事態を迎えてしまった今日こそ、核兵器の使用は許されないという国際的な規範の重要性が際立つ。
 平和首長会議の成果は沖縄県にとっても、参考にすべき点は多い。沖縄戦という歴史的経験と現在の基地問題を背景に、「沖縄21世紀ビジョン」にて「アジア・太平洋『平和協力外交地域』の形成」を目指すことを沖縄県はすでに表明している。東アジアの軍事的緊張を緩和させ、各国が軍拡競争に陥らず、軍備管理そして軍縮へ向けた国際規範の形成を各国の地方政府と市民社会と共同で目指すこと、そのイニシアチブを取ることが沖縄県の地域外交には求められているのではないだろうか。