沖縄の提起をしっかりと受け止めなくてはならない
編集長 山本 正治
5月15日、沖縄の「日本復帰」50年の日を迎える。本号は、この日を迎えるにあたっての問題提起を沖縄の各方面の方々に伺った。
石川元平さんは、「この国の不幸は、不都合な過去に目を閉ざして、戦後総括をしてこなかったことだと思っている。したがって、沖縄復帰50年を機に、改めてこの国の戦後史を検証してほしいと切望する」と結んだ。
そもそも、「復帰」と言うが、「本土」復帰なのか、「日本」復帰なのか。「復帰」なのか、「施政権返還」か。どう表現するか迷った。表記は、それぞれの筆者のままにした。
復帰50年に際してまず考えるべきは、何故に、50年前に「日本復帰」となったかである。すなわち、それ以前に「日本でない」状況があったわけで、それはいかにして発生したのか。「復帰」で事態は変わったのか。
70年前の1952年4月28日、沖縄が日本から分断され米軍事支配下に置かれたサンフランシスコ講和条約。それとセットで日本の国家主権制限・米軍特権を受け入れた日米安保条約・日米地位協定が発効した。沖縄は正しく今も、この日を「屈辱の日」とする。
そもそもこの国は「施政権」を完全に持っていたのか、今も持っているのか、問い返さなくてはならない。
沖縄は近現代日本の矛盾の集中点であり、それは今も変わらない。戦争の危険も含む米中対立激化の中で、米日両国による南西諸島軍事基地化が急である。沖縄県民には、太平洋戦争で本土防衛の「捨て石」とされ、県民の4人に一人が犠牲となった悪夢がよみがえっている。
沖縄には、覆い隠された日本の現実の、真の姿が浮き彫りにされている。「沖縄問題」は、沖縄の問題ではなく、「日本問題」である。
沖縄の皆さんの問題提起を真摯に受け止め、心して闘いたい。