中国は日本の敵ではない
アジアサイエンスパーク協会名誉会長(元神奈川県副知事) 久保 孝雄
7月7日は盧溝橋事件の日。84年前の深夜、北京郊外の盧溝橋で起きた発砲事件を機に両軍が交戦、8年に及ぶ日中全面戦争に発展した。3500万の死傷者、5600億ドルの被害(中国側発表)を受けた中国は、「9・18」(満州事変。1931年関東軍の謀略事件、満州国建国へ)とともにこの日を絶対忘れない。
しかし日本のマスコミはほぼスルー。日中関係が険しい今こそ事件を検証し、関係改善に資すべきだが、中国敵視のマスコミにそんな良識はない。中国共産党100周年も同じ。「習近平の野望」と皮肉る論調が多かった。いずれもバイデン戦略に呼応する対応だ。
バイデン戦略の背景
バイデンに代わって半年たつ。内政面では脱トランプを進める一方、外交面ではトランプ以上の対中強硬策をとっている。最近のG7やNATO会議でも中国叩きを主導し、中国包囲網結成に奔走した。習近平を「専制主義者」と断じ、民主主義対専制主義と言って体制問題や価値観にまで対立を拡大、「西側同盟で対決し、勝利する」と宣言した。
それほどバイデンの危機感は強い。それには三つの要因がある。
一つは中国の台頭で百年続いた米国の一極支配が崩れ、多くの分野で世界No.1の地位を失いかけていることだ。為替レートGDPでも2028年に中国が世界一になると予測されている。
科学技術やハイテク分野、さらにアジア、アフリカ、中南米などへの影響力、東アジアの軍事力でも中国に後れをとり始めた。これまで米国の世界No.1を脅かす国はなかったので、米国の衝撃は大きい。
第2は、米国だけでは中国に対抗できず、西側同盟で対抗するしかなくなっていることだ。「米中対立に比べれば、冷戦時代の米ソ対立など子供の遊びのようだ」(ビル・パウエル、Newsweek 5.18)。このため日米豪印(QUAD)、ASEANやEUも巻き込んで中国包囲網を築こうとしているが、インドもASEANも中国包囲に反対、豪も経済は中国依存、EUにも足並みの乱れがある。
6月のG7首脳会議でも気候変動、コロナ対策以外の主要議題は中露対抗で足並みをそろえることだった。バイデン主導で「一帯一路」への対抗策など中国叩きが前面に出たが、マクロン仏大統領の「G7は反中クラブではない」発言に見られるように米英と独仏には温度差があり、結束は限定的だ。「G7は時代遅れだ」(トランプ)との批判は当然だ。
第3は、20年に及ぶ「テロとの戦争」で疲弊し、トランプが加速した格差、差別による米国社会の荒廃と分断への不満を外に向けることだ。
対中包囲網の中核にされる日本―台湾問題に関与すべきでない
トランプに比べ同盟重視、「国際協調」に復帰したようだが、全て中国包囲のためで、世界が期待した国際協調への復帰ではない。中露を除外した国際協調はない。
この中国包囲網の中核に擬せられているのが日本だ。中国の隣国で、経済大国、多数の米軍基地があり、米国に従順、国民の反中意識も高い日本が最適だとみられている。国務、国防長官の初外遊が日本との2+2(外務・防衛閣僚会合)、バイデン初の対面首脳会談が菅首相となど、異例の日本重視が演じられた。全て日本を反中最前線に立たせたい米国の周到な計画だ。
この日本重視に応え外務・防衛当局は「ルビコン川を渡った」(日経新聞4月10日)。共同声明で初めて中国を名指しで非難、台湾問題への関与を明記した。中国は激しく反発、日中共同声明に反する背信行為だと批判した。
台湾明記で合意したのは日本外交の大失態だ。
台湾は、日清戦争(1894年)の結果、2億テール(当時の国家予算の2年分)の賠償金、遼東半島(のち「三国干渉」により返還)、澎湖諸島とともに清国から分捕ったもので、中国にとっては屈辱の島だ。日本は絶対関与すべきでない。
台湾は輸出の4割が中国で、100万人の関係者が大陸に定住し、中台経済はすでに一体化している。世論も独立より中国との共存を望む声が大勢だ。最近はコロナの再拡大や米国産豚肉輸入をめぐる米国寄り姿勢などで蔡総統の支持率も急低下(日経新聞5月20日)。
そもそも台湾有事は誇張され過ぎだ。カート・キャンベル(NSCインド太平洋調整官)が言うように、米国は台湾カードをフルに使うが「台湾独立は支持しない」(7月6日)が本音だ。台湾危機を煽る今年の『防衛白書』は時代錯誤だ。
安保と経済を両立させることは可能
バイデンは経済面でデカップリング(米中分離)を進めたいようだが、不可能だ。
世界経済発展への中国の寄与率は3割を超えている。在中国の米企業の米商工会(上海)の調査では8割の企業が中国市場を離れないと回答、貿易戦争のさなかでも中国の対米輸出は伸びている。在中国EU企業も60%が事業拡大を計画している(CRI 6.9)。
3万3千社の在中国日本企業も、日本政府誘導で中国を離れたのは87社、99%は中国を離れない。日本の輸出の23%が中国で、日本経済の命綱だ。
米国は、安全保障は米国、経済は中国という二股をやめさせようとするが、経済の命綱は手放せない。日本経済は中国なしには成り立たなくなっている。基本は対米自立、自主外交だが、現状でも日中経済関係を強く主張し両立を目指すべきだ。経済の絆は政治の絆より強い。
中国の孔駐日大使も言う。「日本は対中関係と対米関係をバランスよく両立させ、中国との共存をめざすべきだ。日本は米国への戦略的従属を脱却し、中国との関係強化をはかるべきだ(要旨)」(神奈川新聞5月18日)。
菅政権が中国敵視を進めるほど、政治と経済の乖離、民間の政府離反が進む。民衆の声や民間企業の意向を無視する政治が長く続くはずはない。今こそ民の力を発揮すべき時だ。日本はマスコミの扇動で8割の国民が反中意識をもっているが、それでも半数の国民が「日中関係は重要だ」と考えている(「言論NPO」調査)。
中国は「威圧的」「攻撃的」「力ずく」か
西側が、中国批判の常套句にしているのが、「威圧的」「攻撃的」で「力による現状変更」や「海洋進出」を「強行している」などだが、この批判は妥当だろうか。戦後75年、威圧的、攻撃的行動で、力による現状変更をほしいままにしてきたのは米国ではないのか。
世界の軍事費の40%を占め、世界中に600以上の軍事基地を展開し、巨大な攻撃力を持つ空母打撃群を11も保有する世界無比の軍事大国米国は、中国よりはるかに威圧的、攻撃的存在だ。
盾突く者は潰されてきた。ソ連も冷戦のアリ地獄で自壊した。米国は圧倒的な軍事力で何をしても、誰からも咎められない「例外主義の国」(プーチン)だったのだ。
戦後、米国が起こした戦争や反米政権潰しは数知れない。今世紀でもアフガン、イラク、リビア、シリアなどで戦火を起こし、無辜の民を含む200万人以上の死者、数千万の難民を生んできた。中露抑制のため周辺で次々にカラー革命を起こし、今なおウクライナ、香港、台湾、ウイグルなどで問題を燻らせているのも米国ではないのか。ウイグルの人権抑圧を非難するが、イスラエルのパレスチナ人への人権蹂躙、殺戮を容認してきたのも米国だ。
中国の「海洋進出」が問題にされるが、世界中の海でわが物顔に振る舞っているのも米国ではないのか。中国の南シナ海での行動や沖縄・宮古間の公海から太平洋に出る訓練航海が「海洋進出」だと言うが、最近は何千キロも離れた英、仏、独が南シナ海近辺に軍艦を派遣し、日米豪印と合同演習して中国を牽制している。どちらが威圧的・攻撃的か。
「力による現状変更」も米国によるものが数えきれない。これに対し中国の威力行使は中国への制裁や挑発への「報復」、攻撃に対する「反撃」であり、相手に先んじて威力を行使することはほとんどない。そもそもアジアでは(世界でも)有史以来中国が唯一の超大国で、歴代王朝が朝貢体制などで支配的地位を占めてきたが、これを力によって変更したのが英国など西洋列強や日本であり、とりわけ戦後は日本を従属国化した米国が勢力を拡大してきた。改革・開放以来の中国が国力の発展とともにアジアや世界で自己主張を強めているのは、あえて言えば「原状回復」の動きにすぎない。
戦前に酷似するマスコミの反中キャンペーン
バイデン主導の反中キャンペーンが世界中で高まっているが、日米同盟最優先の日本のマスコミの同調ぶりが際立つ。政府の尖閣キャンペーンもあり、勢いを増すばかりだ。
米国ピュー・リサーチの調査(西側14カ国)によれば、反中意識がトップだったのは86%を占めた日本だ(豪州81%、英国74%、米国73%、独71%、仏70%、伊62%など)。今なお情報・メディア、思想、価値観、文化における覇権を握る米国の強い影響下にある日本は、反中キャンペーンが最も浸透している国だ。西側ではいまだに「米国の正義」が「世界の正義」であり、日本では「米国=善、中国=悪」が罷り通っている。台湾関与を明記した日米首脳会談についても「評価する」が50%、台湾関与に「賛成する」が74%の多数を占めた(日経新聞4月26日)。野党も全て日米首脳会談を評価し、「台湾明記は一歩前進」としている(立憲民主党)。国会ではまさに「反中翼賛体制」ができている。
有識者の役割も大きい。マスコミに登場する学者・文化人は、大多数が中国叩きに同調している。右派知識人だけでなくリベラルや左派の学者・文化人でも激しい反中論を展開する人が増えた。「米中対決では米国側につくのが当然」「中国の大国主義を許すな」「台湾有事には米軍に加担せよ」などと説く学者も出てきた。マスコミを覆うこうした論調が世論に影響を与え、一つの「空気」をつくっている。
米国の独立系ニュースサイトが政府の反中キャンペーンの噓や捏造を果敢に批判しているのと対照的だ(国際問題で世界に通用する専門家が日本にはごく少数しかおらず、彼らの大半はマスコミには出られない)。「反中」論の横行は国内矛盾への不満の矛先を外に転ずる伝統的世論操作に加え、政治を覆う反知性主義の所産でもある。
この状況は戦前のラジオ・新聞が「暴支膺懲」一色の報道で国民の対中国敵愾心を煽り、侵略を正当化、鼓吹したのを彷彿させる。日米の国力が1対10で敗戦必至と知りながら、「鬼畜米英」を煽って太平洋戦争を正当化したのも同じだ。かつて軍国主義の先導役を演じ、戦犯的な役割を果たしたマスコミが、今また反中キャンペーンの先頭に立っているのは、極めて危険だ。
米国の一極支配が崩れ、中国の台頭が続くなど、構造転換を遂げる現代世界を冷静、客観的に見つめれば、日米同盟一辺倒に固執し、中国に敵対することがいかに日本の国益に反し、日本の存亡にさえ関わることは明らかだ。日本とアジアの平和と安定のためには、永遠の隣国であり一衣帯水の中国とは、敵視せず、対抗せず、平和共存を目指すしか選択肢はない。これが日中戦争の教訓であり、平和憲法の指し示す道でもある。