「日本の未来は守れるか」 鈴木宣弘東大教授の問題提起
――命・環境・地域・国土を守る食と農林漁業の明るい未来を築くには?
広範な国民連合は3月28日、鈴木宣弘東大教授を講師に「農林漁業を核にした地域循環経済の形成へ」講演と討論の会をオンラインで開催した。以下は、鈴木教授の講演の結論部分の要約と各地からの報告要旨である。 文責、見出しとも編集部
「飢餓の危機は日本人には関係ない」は誤っている。2035年時点で、日本は飢餓に直面する薄氷の上にいる(詳細は本誌4月号、鈴木論文)。世界も同様である。
「Go To トラベル」事業の議論の根本的誤りは、経済社会の構造そのものをどう転換するか、という視点が欠如していることである。都市人口集中という3密構造そのものを改め、地域を豊かにし、農林漁業を核に地域経済の循環構造を確立する必要がある(詳細は本誌2月号、鈴木論文)。
国民の命を守り、国土を守るには、どんなときにも安全・安心な食料を安定的に国民に供給できること、それを支える自国の農林水産業が持続できることが不可欠である。まさに、「農は国の本なり」、国家安全保障の要である。そのために、国民全体で農林水産業を支え、食料自給率を高く維持するのは、世界の常識である。食料自給は独立国家の最低条件である。
例えば、米国では、食料は「武器」と認識されている。米国は多い年には穀物3品目だけで1兆円に及ぶ実質的輸出補助金を使って輸出振興しているが、食料自給率100%は当たり前。いかにそれ以上に増産して、日本人を筆頭に世界の人々の「胃袋をつかんで」牛耳るか、そのための戦略的「支援」にお金をふんだんにかけても、軍事的武器より安上がりだ、まさに「食料を握ることが日本を支配する安上がりな手段」だという認識である。
ただでさえ、米国やオセアニアのような新大陸とわが国の間には、土地などの資源賦存条件の圧倒的な格差がある。だから、土地利用型の基礎食料生産のコストに、努力では埋められない格差をもたらしている。ところが米国は、輸出補助金ゼロの日本に対して、穀物3品目だけで1兆円規模の輸出補助金を使って攻めてくるのである。
故宇沢弘文教授(1928年~2014年、56年から68年に米国で研究活動。その後東大教授。『社会的共通資本』の概念を確立した)は、友人から聞いた話として、米国の日本占領政策の2本柱は、①米国車を買わせる、②日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる、ことだったと述懐している。占領政策は今も同じように続いているのである。
日本の農政は世界に逆行していないか
ところが日本の農業は世界で最も過保護であると、日本国民は長らく刷り込まれてしまっている。実態はまったく逆である。世界で最もセーフティーネットが欠如しているのが日本といっても過言ではない。
欧州の主要国では農業所得の90~100%が政府からの補助金で、米国では農業生産額に占める農業予算の割合が75%を超える。日本は両指標とも30%台で、先進国で最低水準にある。しかも、欧米諸国は所得の岩盤政策を強化しているのに、わが国はそれをいっそう手薄にしようとしている。
少なくとも、①(農業)収入保険の基準収入を固定する、②戸別所得補償制度の復活、③家族労働費を含む生産費をカバーできる米価水準と市場価格との全額を補塡するような米国型の不足払いの仕組み(石破茂元農水大臣が提案していた)を導入し、農家が安心して見通しをもって経営計画が立てられるようにすることが不可欠になっている。
欧米では、命と環境と地域と国境を守る産業を国民全体で支えるのが当たり前なのである。農業政策は農家保護政策ではない。国民の安全保障政策なのだという認識を今こそ確立し、「戸別所得補償」型の政策を、例えば「食料安保確立助成」のように、国民にわかりやすい名称で再構築すべきではないだろうか。
真に強い農業とは—ホンモノを提供する生産者とそれを支える消費者との絆
真に強い農業とは何か。規模拡大してコストダウンすれば強い農業になるだろうか。規模拡大を図り、コストダウンに努めることは重要だが、それだけでは、日本の土地条件の制約の下では、オーストラリアや米国に一ひねりで負けてしまう。同じ土俵では勝負にならない。「少々高いけれども、徹底的にモノが違うからあなたの農産物しか食べたくない」と言う人がいてくれることが重要だ。
そういうホンモノを提供する生産者とそれを理解する消費者との絆、ネットワークこそが強い農業ではないか。安さを求めて、国内農家の時給が1000円に満たないような「しわ寄せ」を続け、海外から安いものが入ればいいという方向では、国内生産が縮小するばかりだ。それでごく一部の企業が儲かる農業を実現したとしても、国民全体の命や健康、そして環境のリスクは増大してしまう。自分の生活を守るためには、国家安全保障も含めた多面的機能の価値も付加した価格が正当な価格であると消費者が考えるかどうかである。
国の政策を改善する努力は不可欠だが、それ以上に重要なことは、自分たちの力で自分たちの命と暮らしを守る強固なネットワークをつくることである。
農家は、協同組合や共助組織に結集し、市民運動と連携し、自分たちこそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持つべきだ。そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、安くても不安な食料の侵入を排除し、「3だけ主義」の地域への侵入を食い止め、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者は、それに応えてほしい。それこそが強い農林水産業への道である。
世界で最も有機農業が盛んなオーストリアのPenker教授の「生産者と消費者はCSA(産消提携)では同じ意思決定主体ゆえ、分けて考える必要はない」という言葉には重みがある。農協と生協の協業化や合併も選択肢になり得る。究極的にはJAが正・准組合員の区別を超えて、実態的に、地域を支える人々全体の協同組合に近づいていくことが一つの方向性として考えられる。
生産から消費までの相互認証による地域循環経済が命を守る道
農業生産は種から始まる
国民の命を犠牲にしても、内外の特定企業の儲けを増やすために有利なように制度撤廃・変更を行うのが「規制改革」や「自由貿易」の本質だ。「今だけ、金だけ、自分だけ」の企業が政治・行政、メディア、研究者を取り込んで、地域で安全・安心な食を提供している人たちを排除し、国民の命を守るべき食料・農業を儲けの道具にする「必然的メカニズム」が暴走する。
こうしたなかでグローバル種子企業へ日本国民の命を差し出す便宜供与は進み、日本国民がゲノム編集食品の実験台にされている。種を握られたら、そしてコロナ禍で経験したように世界的に輸出規制や物流停止が簡単に発生したら、NHKスペシャルの示した2050年どころか、日本は2035年には飢餓に直面する。
種を守ることが命を守ることになる。
種苗法改定による農家の自家増殖制限とコメ検査の緩和が相まって、企業が主導して、種の供給からコメ販売までの生産・流通過程をコントロールしやすい環境を提供する。種を握った種子・農薬企業が種と農薬をセットで買わせ、できた生産物も全量買い取り、販売ルートは確保するという形で、農家を囲い込んでいくことが懸念される。
この「囲い込み」にのみ込まれてしまうことは、地域の食料生産・流通・消費が企業の「支配下」に置かれることを意味する。農家は買いたたかれ、消費者は高く買わされ、地域の伝統的な種が衰退し、種の多様性も伝統的食文化も壊され、災害にも弱くなる。わが国では表示もなしで野放しにされたゲノム編集も進行する可能性が高く、食の安全もさらに脅かされる。
巨大な力に種を握られ、命を握らせてはいけない。種から循環する安全な食の相互認証ネットワークが命を守る道である。食料は命の源であり、その源は種である。われわれは、地域で長い歴史で育んできた大事な種を守り、改良し、育て、その産物を活用し、地域の安全・安心な食と食文化を守るために結束する時である。地域の多様な種を守り、活用し、循環させ、食文化の維持と食料の安全保障につなげる必要がある。そのために、シードバンク、参加型認証システム、有機給食などの種の保存・利用活動を支え、育種家・種採り農家・栽培農家・消費者が共に繁栄できる地域の構成員の連帯と公共的支援の枠組みの具体化が急がれる。
種から始まる生産から消費までのトレーサビリティーを市民参加の相互認証で確立すれば、表示義務がなくともゲノム編集食品などの不安な食品を地域社会から排除できる。このための体制として、各地にローカルフード条例に基づくローカルフード委員会を組織してはどうか。その活動を財政支援する国レベルのローカルフード法も呼びかけよう。
人、生き物、環境に優しい農業は長期的・社会的・総合的に経営効率が最も高い
農家は、自分たちこそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者は、それに応えてほしい。外部依存でなく地域循環でないと持続できぬ。それこそが強い農林水産業である。
本当に「安い」のは、身近で地域の暮らしを支える多様な経営が供給してくれる安全安心な食材だ。国産=安全ではない。本当に持続できるのは、人にも牛(豚、鶏)にも環境にも種にも優しい、無理をしない農業だ。自然の摂理に最大限に従う農業だ。経営効率が低いかのように言われるのは間違いだ。最大の能力は酷使でなく優しさが引き出す。人、生き物、環境に優しい農業は長期的・社会的・総合的に経営効率が最も高い。環境への貢献は社会全体の利益だ。
世界的に農薬や添加物の使用・残留規制が強化されているのに日本だけが緩められ、危険な輸入食品の標的にされている。
EUなどは独自の予防原則を採る。消費者・国民が黙っていないからだ。消費者が拒否すれば、企業をバックに政治的に操られた「安全」は否定され、危険なものは排除できる。EUでは、免疫力強化の視点からも、有機農業などがいっそう注目されている。欧州委員会は、2020年5月に2030年までの10年間に「農薬の50%削減」、「化学肥料の20%削減」と「有機栽培面積の25%への拡大」などを明記した。有機農業は世界の潮流になりつつある。
わが国も、2050年と、目標年次はEUの30年より大幅にずらしたが、目標数値はEUとほぼ同じ、有機栽培面積を25%(100万ha)に拡大、化学農薬5割減、化学肥料3割減を打ち出した。農水省、農薬企業、JAが長期的な方向性について世界潮流への対応(代替農薬、代替肥料へのシフト)の必要性の認識を共有し、大きな目標に向けて取り組むことに合意できた意義は大きい。日本の消費者・市民運動の成果ともいえよう。しかし、代替農薬などが新たな遺伝子操作の拡大につながらないように注視しなくてはならない。そのことも含め、消費者の意識改革がさらに加速しなければ、この目標は到底達成できない。
世界の潮流から消費者も学び、政府に何を働きかけ、生産者とどう連携して支え合うか、「みどりの食料システム戦略」にしっかりインプットして、アジアモンスーン地域としての農業グリーン(環境負荷軽減)化を具体化しよう。
協同組合、市民運動、政治・行政が核となって地域循環型経済をめざす
地域の種からの循環による共生のシステムを日本とアジア、世界が一緒につくっていくために、各人がもう一歩を踏み出す時である。米国との関係を対等に近づけつつ、アジアとの共生を図る方向は、米国からのつぶしの圧力が強く、容易ではない。だが、これを進めなければ日本の未来は暗い。わが身とオトモダチの利益を守るために国民を犠牲にするリーダーではなく、わが身を犠牲にしてでも家族と国民を守るリーダーが必要である。迫りくる日本人の飢餓を食い止めないといけない。
協同組合、共助組織、市民運動組織と自治体の政治・行政などが核となって、各地の生産者、労働者、医療関係者、教育関係者、関連産業、消費者などを一体的に結集して、地域を食い物にしようとする人たちは排除し、安全・安心な食と暮らしを守る、種から消費までの地域住民ネットワークを強化し、地域循環型経済を確立するために、今こそ、それぞれの立場から行動を起こそう。
政府支援で農業を発展させ、国民と世界市民に食料を届け、命を守る日本に
発想の転換が必要だ。コメは余っているのでなく、実は足りていない側面がある。コロナ禍でコメ需要が年間22万トンも減って、コメ余りがひどいから、コメを大幅に減産しなくてはいけないというのは間違いである。コメは余っているのではなく、コロナ禍による収入減で、「1日1食」に切り詰めるような、コメや食料を食べたくても十分に食べられない人たちが増えているということだ。そもそも、日本には、年間所得127万円未満の世帯の割合、相対的貧困率が15・4%で、米国に次いで先進国最悪水準である。
潜在需要はあるのに、顕在化できない。そして、コメ在庫が膨れ上がり、生産者米価の下落が加速し、60㎏当たり1万円を下回りかねない低米価が目前に見えてきている。どんなに頑張ってもコメの生産コストは1万円以上かかる。このままでは、中小の家族経営どころか、専業的な大規模稲作経営もつぶれかねない。
消費者を助ければ、生産者も助けられる。それこそが政府の役割である。米国などでは政府が農産物を買い入れて、コロナ禍で生活が苦しくなった人々や子供たちに配給するといった人道支援をしている。そもそも米国ではなぜ、消費者の食料購入支援の政策が農業政策の中に分類され、しかも64%も占める位置づけになっているのか。つまり、これは、米国における最大の農業支援政策でもあるのだ。なぜ日本政府は、フードバンクや子ども食堂などを通じた人道支援のための政府買い入れさえしないのか。
さらに、海外ではコメや食料を十分に食べられない人たちが10億人近くもいて、さらに増えている。
つまり、日本がコメを減産している場合ではない。しっかり生産できるように政府が支援し、日本国民と世界市民に日本のコメや食料を届け、人々の命を守るのが日本と世界の安全保障に貢献する道であろう。某国から言いなりに何兆円もの武器を買い増しするだけが安全保障ではない。食料がなくてオスプレイをかじることはできない。農は国の本なり。食料こそが命を守る、真の安全保障の要である。
消費者を守れば生産者が守られる。生産者を守れば消費者が守られる。世界を守れば日本が守られる。