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[パンデミックと経済危機] マスク不配布問題と日本人社会に潜む差別

心の深くに沈殿するヘドロ

広範な国民連合代表世話人 西澤 清

 新型コロナ感染症の流行は、現在はヨーロッパを中心に猛威を振るっている。広範な国民連合は20年2月8日の全国世話人会で、「世界・日本中に起こりつつある『民族差別』を警戒し、差別を排除する運動に取り組む」と確認した。案の定、欧米からは、アジア人に対する差別が多くなり暴力行為も起こっており、アメリカでは銃砲店に身の危険を感じた購入者が殺到していると報じられた。
 差別には多くの側面が想定されるが、日本で顕著なのは朝鮮人に対する差別である。典型的なものは「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の動きだ。この団体は、在日朝鮮人に焦点を当てた「ヘイトスピーチ」「いやがらせ」「学校への攻撃」などを展開している。また、通学途中の車内でチマチョゴリを切るなど朝鮮高校生に対する直接的な右翼の暴力もある。これらの動きは安倍政権の緊張を拡大する姿勢に大きな影響を受け、国交のない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の大使館的役割を果たしている在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)中央本部に対し発砲事件(18年2月23日)すら起こしている。
 これらの一連の事件は、朝鮮民族への差別事件として大きく括られるが、切れ目なく続く事件に対して日本人社会の反応は鈍い。
 「差別は犯罪である」ことは、ヨーロッパで今や当たり前のことだが、日本では19年12月、川崎市で「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」が成立したことが歴史上初めてである。これまでも大阪市をはじめ香川県観音寺市、世田谷区、東京都、国立市、神戸市、大阪府、川崎市にヘイト対策を講じた条例などの例はあった。だが、川崎市のように「刑事告発→起訴→裁判→有罪。最高50万円の罰金を科す」という刑事事件として扱うものではない(観音寺市は公園内のヘイトには5万円以下の過料があるが刑事罰ではない)。
 なぜ、今まで、川崎市のように罰則を含めた法律・条例が作られなかったのだろうか。今年の初め麻生財務相が「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありません」と発言して物議をかもした。もちろん歴史的、法的にもまったくの誤りであるが、同時に、この言葉はナチスが1934年のニュルンベルク党大会で掲げた有名な標語「一つの民族、一人の総統、一つの帝国!」であることに思いが至らないとすれば、多文化共生国家を支える政治家として麻生は失格である。また、SNSでは、麻生発言を支持する発言も多く、麻生自身も「誤解されたなら撤回する」というありきたりの言葉で、この問題をスルーしてしまった。日本人の多くも問題にしていない。
 アイヌ民族は日本の先住民族であるが、これすらも法律で確定したのは2019年4月成立のアイヌ民族支援法で初めてである。しかも、これまでさまざまな差別を受けてきたアイヌ民族だが、法は成立したものの「原状復帰」は含まれず、遺骨奉還をはじめ生活・文化などの差別は今でも続いている。

さいたま市 マスク不配布事件

 こうした状況である日本で、コロナ感染症対策を契機にして差別が表面に出てきた事件がある。
 さいたま市は3月9日から、①児童クラブ、②認可保育所、③認定保育園、④私立保育園、⑤小規模保育事業所、⑥事業所内保育事業所、⑦認可外保育施設、⑧障害児通所支援所の職員用に、市が保管していたマスク約9万3千枚の配布を開始した。
 ところが大宮にある埼玉朝鮮幼初中級学校には、通園バスの運転手を含めて、職員7人がいるが配布されなかった。しかも、このことは学校へは通知されず幼稚部の園長の朴洋子さんが、翌10日に新聞等の報道で知り市に問い合わせをして判明した。市は「各種学校(含朝鮮学校)が市の管轄ではないため、配布したマスクがどう使われるかを監査できない」から配布をしないと釈明した。しかし、A新聞の取材に対しては、「備蓄しているマスクに限りがあるので、市が監査できる所管施設を対象にした」という話だという。また、「転売の恐れがある」と市職員が言ったという報道あった。明らかな差別事件である。当然のことながら、直ちに学校、保護者、市民団体などが抗議した。
 抗議を受けて、さいたま市は13日に、対象外だった市内の国立幼稚園や小学校、医療機関などを加えてマスクを配ると明らかにした。
 しかし、謝罪はなく問題の本質はあいまいにされ、市長は記者会見で、「マスクの枚数が限られる中で一定の線引きが必要だった」とした上で「朝鮮学校だから外したのではない」と釈明した。また、「抗議があったから対応したのではない。市の所管施設だけが対象という発想では感染を防げないという考えに立ち、対象を広げた」と述べているだけである。

差別を容認する日本人の意識

 朝鮮人をターゲットにした行政の差別問題は、朝鮮学校に通う高校生に対する高校授業料無償化適用除外問題で顕著である。
 民主党政権下の10年4月、「高校無償化」(財源は4000億円)は制度化された。しかし、朝鮮学校高校生は除外された。これを民族差別ととらえて運動が起こり、高校生が提訴したが、昨年最高裁で敗訴した。この間、政権は自民党・安倍に代わり授業料無償化制度は廃止、朝鮮学校通学高校生への無償化の根拠となる規則は消された。日本の学校制度改革の大問題である「高校義務化」が絡む問題なのに、教員組合、教育関係者など日本全体の問題とはならなかったのである。ここに日本人の意識の深層に潜む差別が見える。
 高校義務化とは、義務教育を高校までとするものである。しかし、反対する者が多く日教組の方針も「高校準義務化」であった。準義務化とは、「希望者全入」のことである。義務化反対の理由が、中学校側は「高校入試がないと生徒に示しがつかない」といい、高校側は「定員内であっても学力が低い者は不合格」とする実態がある。日本憲法第26条2の義務教育は無償であり、行政・保護者に子どもの通学条件確保などの義務を負わせている。義務教育とすることは平等な教育を実現するためには重要な柱である。
 教育の機会を奪うことは最大の差別行為である。「国際人権規約」が、高等学校と大学の学費無償化を求めているゆえんである。しかし97%以上の高校進学率がある日本なのに「15の春を泣かせる」差別が容認されている。「マスクと高校義務化」は太い一本の糸でつながっているのである。
 差別は、「他の者を自分より劣っている立場に置き、自分の自信の糧とする品性下劣な営み」である。新コロナ感染症という命に関わる怪物が「平等に」襲ってきた今だから、人間の本性が垣間見えた。心の中の差別に気づき克服することが大切である。