河野洋平先生を追悼する
アジアサイエンスパーク協名誉会長(神奈川県元副知事) 久保 孝雄

神奈川が生んだ大型政治家、日本政治の良心、自民党ハト派の重鎮だった河野洋平先生が亡くなられた。日中関係の打開、改善を願うものにとって大きな痛手だ。高市発言以来日中関係が断絶し、厚い壁ができてしまっている今、この壁に風穴を開けられるのは河野先生しかいないとみんなが考えていた時だけに残念でならない。
私は生前神奈川県長洲知事の使いで先生を訪ねたことがあるが、長洲知事に敬意を表し、使いの私にも丁重な応対をして戴いた。その時の優しい眼差し、温かい笑顔、握手の際の手のぬくもりが忘れられない。
特に記憶に残るのは1993年8月宮澤内閣の官房長官だった河野さんが発表した「河野談話」だ。今の自民党では到底考えられないほど率直に慰安婦問題に旧日本軍が直接関与し、強制的に集められた彼女たち(その多くは日本の植民地だった朝鮮半島から官憲の力で狩り集められた)の生活が悲惨だったことを認め「心からの謝罪と反省」を表明したことだ。
村山元総理から直接聞いた話だが、自らの退陣にあたり、内閣で副総理兼外相だった河野さんに後継総理を託そうと諮ったところ、河野さんが一瞬躊躇された時、すかさず橋本龍太郎さんが「私にやらせてくだい」と手を挙げたので虚をつかれた形で橋本さんに決まってしまったのだそうだ。
河野さんの信条は反戦平和、護憲、核軍縮、そして中国を中心とするアジア重視の外交だった。もしあの時村山さんの意を受け河野内閣が誕生していたら、日本政治の流れは大きく変わっていたかもしれない。一瞬の躊躇が結果を大きく変えてしまうという教訓かもしれない。
河野さんは長洲知事が民際外交の第一号として中国遼寧省との友好提携を結んだことを喜び、協定の中に「不戦の誓い」が入っていることを高く評価してくれた。
また長洲知事が中国との交流にあたって「2000年来の中国文明の恩恵に対する尊敬と感謝」、にもかかわらず数十年にわたる「侵略戦争で多大の惨禍を与えたことへの謝罪と反省」、さらに「日中友好無くしてアジアと世界の平和と繁栄は無い」との希望と確信、という三つの気持ちが大切だとの長洲知事の考えに共鳴し賛成して戴いたことも記しておきたい。
今、米国が中国は潰せないと観念して和解し、世界の主要国首脳が相次いで中国を訪問するなど中国の存在感が高まっている時、冷戦思想にしがみつき、中国包囲に躍起の高市政治では日本は孤立のドツボにハマる。今こそ河野精神を生かし、反戦平和、護憲、核軍縮、日中友好を目指し、先生の霊に報いようではないか。
