見つめた「加害」と「平和」の現在地
若者訪中団員 伊礼 悠花
神奈川での報告会開催
10月5日、かながわ労働プラザにて「戦後80年 アジアの平和と未来をひらく若者訪中団神奈川報告会」が開かれた。会場には日中関係に関心のある神奈川県民をはじめ、日中友好協会の会員や、上海大学の教員、横浜に住む中国人留学生など、約40人の参加者が集った。ここでは5人の若者訪中団員が登壇し、それぞれの視点で現地での体験を語った。戦後80年を迎える今、東アジアの平和と相互理解の重要性を共有する場となった。
歴史展示の「伝え方」に
違いを見た学生
明治大学で中国の政治経済を学ぶ団員は、訪中で最も印象に残った場所として北京大学紅楼と中国人民抗日戦争紀念館を挙げた。中国の歴史展示について「国が紀念館を運営し、ストーリーに基づいて感情に訴えてくる展示が多い。日本との伝え方の違いを痛感した」と述べ、歴史認識の隔たりの根底には表現方法の違いもあると指摘した。抗日戦争紀念館では「暗い展示のあとに『日中友好ゾーン』があり、未来志向の展示になっていた」と話し、戦争の悲劇から和解と未来志向へ導く展示は、中国が記憶を平和の教育に変える努力を続けていることを象徴していたと語る。
帰国後には「戦後、日本は特需景気で豊かになったが、中国の人々は何十年も戦争の爪痕を引きずっていた」と気づき、嫌中感情が世論で叫ばれるなか、日中平和友好条約の意義をもう一度考え直す必要があると強調した。最後に「政治で解決できないなら民間交流を」と述べ、若者として平和構築に関わる決意を語った。
「日本人」として第七三一部隊を前にした葛藤
東洋大学を今年卒業した団員は、中国訪問を通じ侵華第七三一部隊罪証陳列館での衝撃を語った。「訪中前に読んだ第七三一部隊の研究本に書かれていた通りの実験記録を見て、現実として受け止めきれなかった」と振り返る。展示の生々しさに圧倒され「〝日本人〟という属性を強制的に引き受けなければならないような感覚に陥り、中国メディアからフラッシュを焚かれた際には、まるで裁判所の証言台に立たされているようだった」と吐露した。
同時に、歴史修正主義者の心理学的リアリティーを紐解くヒントを得たとも語る。尊厳も遺品も奪われ、「マルタ」と呼ばれて人間性を剝ぎ取られた人々の名が刻まれた空間に足を踏み入れた瞬間、それまでどこかで史実から目をそらしたいと思っていた自分の内側が、少しずつほどけていったと明かす。数字や資料を積み上げるだけでは届かないところを、それぞれの人生の物語として思い描くこと。その想起こそが、事実と異なる「別の真実」を信じ込んでしまう歴史修正主義への働きかけになり得るのではないか、と結んだ。
科学と戦争の危うい接点
清華大学で修士号を取得し、東京工業大学博士課程を経て研究職を務める団員は、訪中を通じ「学問の両義性」を痛感したと語った。侵華第七三一部隊罪証陳列館では「医学と軍事が緊密に結びついた時の恐ろしさを認識した」と述べ、凍傷実験の模型を見て「実際に冬のハルビンの寒さを知るだけに胸が痛んだ」と振り返る。
一方、北京で視察した自動運転やロボット企業では、技術の平和利用と軍事転用の危うさを対比し、「ロボットは情を持たない分、人間より恐ろしい兵士になり得る」と警鐘を鳴らした。自身の専門であるオペレーションズ・リサーチ(OR)も「軍事作戦の最適化から発展した学問」であることを踏まえ、「研究が軍事に応用される可能性を自覚し、緊張関係を意識して研究すべきだ」と強調した。今後は「科学技術交流の深化を通じ、民間の立場から日中友好に貢献したい」と語った。
「国家」と「人民」を
分けて考えるという視点
2015年の安保法制反対運動から社会運動に関わり、早稲田大学に在籍する団員は、訪中を通して「国家と人民を切り離して平和を考える必要性」を強く感じたと語った。清華大学の教授より、抗日戦争の勝利は中国と日本人民の勝利であり、平和を愛する人民の勝利であるという講義を聞いたとき、「侵略者の子孫として向かう中で申し訳なさがあったが、国家と人民を分けて迎えてくれた寛大さに感銘を受けた」と述懐する。
侵華第七三一部隊罪証陳列館では、館長の「恨みを引き延ばすのではなく、真実に直面し平和を守るためだ」という言葉が胸に残ったという。抗日戦争紀念館では「歴史を学ぶのは友好を進め、平和を銘記するため」との言葉に触れ、「過去の記憶は報復でなく和解のためにある」と語った。帰国後、「歴史否定やデマが出たら食い止めること、そして文化交流を通じて平和を築くことが若者の責務だ」と強調した。
親として見た戦争の構造
上海在住で1歳の子どもを連れて訪中団に参加した団員は、「子どもを連れて行ったことで、日本の加害の歴史をより自分ごととして捉えることができた」と語る。中国人民抗日戦争紀念館で民間人、特に子どもへの加害史料に接し、未来に同じ被害を出さない決意が深まったという。
また、戦争の原因を資本主義というシステムにあると捉える。「常に拡大を求める資本主義が戦争を生み出す。だからこそ『誰が、何のために戦争を起こすのか』を問い続けなければならない」と述べた。清華大学や第七三一部隊陳列館では、加害の構造と個人の関与を直視し、普通の労働者の仕事が植民地支配に加担していたと痛感したと言う。清華大学では、図書館がかつて日本軍に接収され、花岡事件の強制連行とも結びついていた。さらに、第七三一部隊の研究資料に、真面目さの中にある冷酷さを感じ、人を非人間化する構造の恐ろしさを知ったと語った。
最後に、「戦争の根源は資本主義にある。帝国主義の拡張を止めなければ息子が再び戦争に駆り出される」と訴え、現在は中国の大学で語学を磨き、日中友好と反戦運動に生かす決意を語った。
平和への往復書簡の
ような対話
質疑応答では、参加者それぞれが中国訪問を通じて得た学びと問題意識を率直に語り合った。中国大使館での応対や現地の展示から「反日を煽る意図ではなく、歴史を踏まえて未来志向の関係を築こうとする姿勢」を感じたとの声が相次ぎ、質問者からも技術交流や若者の対話の必要性が強調された。
報告者たちは、中国に興味を持った理由として語学、国際政治への関心、身近な友人の経験など多様な背景を示しつつ、「自分の目で見て判断することの大切さ」を共有した。また、帰国後は身の回りの人々に誤解や固定観念をほぐす働きかけを続けたいとの決意が語られた。世代や立場を超えた温かな往復の言葉が、静かな希望を場に残した。
