満蒙開拓平和記念館(長野県)を訪ねて
「共に未来をつくる」日中関係へ
金澤 伶・東京大学
川野優真・早稲田大学
吉田武人・早稲田大学
西島光洋・東京工業大学卒
紀 雅琦・東京大学(中国人留学生)

記念館スタッフとの懇談会
満蒙開拓平和記念館(長野県下伊那郡阿智村、寺沢秀文館長)は、旧満州(中国東北部)に入植した満蒙開拓団の歴史を伝え、平和の尊さを語り継ぐために、「飯田日中友好協会」を中心に2013年にオープンした施設である。このたび、8月に予定される「アジアの平和と未来をひらく若者訪中団」への参加を予定している学生たちが事前学習の一環で同館を見学し、開拓団員・植松辰重さんご遺族の証言にも触れた。学生たちに感想などを語ってもらった。(文責・編集部)
――満蒙開拓平和記念館を訪問して、どのように感じましたか。
西島光洋(以下、西島) 満蒙開拓団には、被害と加害の両面があるということです。まだその全てを理解できたわけではないけれども、一端を知ることができました。
ご遺族の証言によれば、開拓団員の植松さんは、自分たちの土地や家が中国人から奪ったものであることを自覚していました。
高校で使われている「歴史総合」教科書を読んでいるのですけれども、満蒙開拓についての記述はわずか数行です。例えば、山川出版社の教科書には「農村の人口過剰が問題とされ、その解決のために満州への農業移民が奨励されるようになった」としか書かれていません。「満州国」がつくられる過程、そして開拓団自身が中国人に対して何を行ったのか、逆に、日本人がどのような被害を受け、戦後も苦労したということが、現在の教科書からは見えてきません。その問題を深く勉強しようと思ったら、大学で専門の勉強をする以外にない。
なので、今回の記念館訪問はすごく意義があったと思います。
また、開拓農民が加害者にさせられただけでなく、帰国後も国内の別の場所、極端な例ではブラジルにまで再入植せざるを得なかった実態があることは初めて知りました。
被害者でもあるが加害者の側である
吉田武人(以下、吉田) 娘さんが証言していましたが、父の植松さんは入職の「推進役」にさせられました。自治体・集落ごとに割り当てられたノルマを達成するためで、実質上は強制でした。
8月9日のソ連軍侵攻と逃避行、シベリア抑留などの苦難によって、「満州」に渡った6人きょうだいの半数が亡くなった。生き残った弟さんにも一生「兄貴にだまされた」と言われ続け、親戚との関係も壊れた。戦争が家族や親戚、地域の付き合いという私的なところにまで踏み込み、それを破壊したわけです。全ての国民が加害者にさせられていくのが、戦争そして国家の最大の暴力性だと思いました。
政府・軍は「国策」として国民を「満州」に送り込んだのに、最後は、大本営も関東軍も住民を置き去りにした。沖縄に行ったときに何度も感じたことですが、「軍隊は住民を守らない」ということを改めて感じました。
また、弱い立場の住民を見捨てる棄民政策は、現在の福島第一原子力発電所事故や能登半島地震の被災者への政府のひどい対応と共通しているとも思います。
紀雅琦(以下、紀) このような素晴らしい博物館があり、証言などのイベントが行われているのは重要だと思います。新しい視点を得ることができました。
ただ中国人の立場からすると、語られている「反省」の中身については気になるところもあります。自分たちの苦しみの経験から戦争に反対するのは大切ですが、加害者の立場・視点に立った反省はもっと重要だと思います。
数年前、「僕のヒーローアカデミア」という日本の人気漫画で、「丸太」という名前のキャラクターが登場して問題になりました。「丸太」とは、旧日本陸軍731部隊が人体実験の対象にした中国人への呼称です。しかもこのキャラクターは、「悪の組織の医師」という設定でした。中国人が731部隊を想起して反発したのは当然です。
出版社は「過去の歴史と重ね合わせる意図はない」と「お詫び」しました。ですが、作者や出版社は中国人がなぜ怒っているのか、たぶん理解できていないと思います。
このような問題が繰り返し起きることは残念で、中国人の感情を逆なでするだけでなく、両国関係にもマイナスです。
現在に通底する問題を見る
金澤伶(以下、金澤) 開拓団の資料を見て、いくつか現在にまで通底する問題を感じました。
特に、貧しい農民が開拓団に参加せざるを得ないように追い込んだ国策、棄民政策ですね。「経済的徴兵制」という言葉がありますが、進学・資格取得などの支援を利用して、貧困層の若者を軍隊に入隊させていく。日本の自衛隊でも聞く話ですが、それと同じです。
もう一つは家父長制の側面です。植松さんは例外ですが、農家の長男が「跡取り」ということで日本国内に残る一方、次男・三男や女性が優先的に送られた。最近、「伝統的な家族観」を強調する動きもありますが、その危険性が浮き彫りになっていると思いました。
歴史修正主義の価値観に基づいて教科書をつくる動き、あるいは日本による加害の側面に触れない政党もあります。「経済的徴兵制」や家父長制の遺産、過ちを繰り返す可能性が強まっていることに危機感を覚えています。
川野優真(以下川野) 「満州」から引き揚げてきた人には、会ったことがあります。ですが、具体的にどういうことがあったのかという話を聞いたのは初めての経験です。
開拓団に勧誘する立場だったことで加害者になってしまった植松さんは、その責任と罪悪感を一生背負い続けないといけなかった。このような人が、おそらく何万人もいたのだろうと思います。普通に、ただ熱心に仕事をする過程で、知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれていくのが、危険で恐ろしいことだと思いました。
歴史教育の問題では、実際、自分も今まで知る機会がありませんでした。こういう機会は、義務教育の間であるべきだと思いました。
歴史をきちんと学ぶ大事さ
――中国の中学校では、アヘン戦争以降の歴史学習に半年を費やすと聞いたことがあります。歴史教育については、日中間で大きなギャップがあります。中国敵視の「台湾有事」が喧伝される中で、歴史教育の問題についてどう感じますか。
吉田 多くの人が高校までの授業で学んでいないだけに、その是正はもちろんですが、大学での授業やこのような民間資料館の取り組みがきわめて重要になっていると思います。
西島 逆に言うと、私のような理系出身者は、大学で勉強しなかったら一生勉強しないということですよね。実際、私の知識は中学校レベルで止まっていました。高校でも世界史・日本史はちょっと勉強しましたが、理系志望者にとってはぶっちゃけ「内職の時間」でしたから。ですから、大人になっても学べる、戦争で何があったのかを知ることは、文系・理系を問わず重要だと思います。
吉田 中国の南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館)や韓国の強制動員歴史館(日帝強制動員歴史館)を訪ねたことがありますが、大学生・高校生といった若い人たちの来館が多かったイメージがあります。それに対して、日本の同種のところで若い人の姿を見ることは少ないですね。
ここにはどういう違いがあるのだろうかと思います。かれらの休日の行動の選択肢に入るのは、なぜなんでしょうか。
紀 中国では、そのような施設への訪問が学校のカリキュラムに組み込まれていたり、共産党の指導の下で所属団体として訪ねたりすることが多いですね。南京大虐殺記念館は、南京への観光客はほぼ行っているという印象があります。
排外主義の広がりの中で
金澤 日本では確かに、そういった施設訪問は「娯楽」にはなってない。また、自分たちの加害の歴史を直視することは、ある人にとってはすごく痛みを感じるかもしれないです。でも一方で、そういう歴史を知らないまま差別・排外主義を膨らませている実際があります。
最近でも、文科省が「次世代研究者挑戦的研究プログラム」(SPRING)の生活費支援を日本人学生に限定し、永住資格保有外国人さえも排除する方針を出しました。なぜこのような状況が続いているのか。
「カジュアルに」というのは少し変ですが、もっと日常生活の中で、歴史の事実に触れる機会があるといいなとは思いました。
――もう少し、フリートーク的に感じたことを出し合いましょうか。
吉田 満蒙開拓平和記念館のボランティア・スタッフによる会報「山河」を読みました。スタッフが京都の「ウトロ平和祈念館」(注)を訪れた報告会を開いたり、沖縄の中学生を受け入れて交流したりするなどの活動を行っていることを知りました。
月並みな言い方かもしれませんが、マジョリティーからの暴力を受け、苦しめられている人びとが連帯することの重要性を再認識しました。
金澤 SPRING問題について補足させてください。今回、報道では「中国人留学生」が名指しされていました。しかし、制度を利用している博士課程後期の大学院生は、日本人も留学生も正当に申請書を提出して審査を受け、支援を受けているわけです。それを「日本人以外は除外」というのは明らかにイチャモンです。
今の排外主義的な世相、さらには「日本人ファースト」を競う参議院選挙の様相に見られるような風潮と共通しています
私たちは近年の学費値上げ問題を危惧して学生たちの窮状にも声を上げてきましたが、与党や「日本人ファースト」を掲げている方々は、これまで見向きもしませんでした。外国人を追い出したいために、「日本人学生の窮状」を利用して外国人に対するデマや憎悪の増幅を行っているように思います。政策論議の基礎には、歴史についてどう考えるかという点が欠かせないと思いますが、国会議員や候補者が排外主義を煽ったり、行政がこうした動きに忖度するのは問題だと思います。
侵略の歴史を中国がどう受け止めているかを知ること
――皆さんは、8月の訪中で731部隊罪証陳列館(侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館)を訪問する予定です。今回、満蒙開拓平和記念館を訪れたことで、中国訪問への思いをお聞かせください。
西島 この満蒙開拓平和記念館は、日本人の視点から展示されています。開拓団が中国側からどのように語られているか知って、理解を深めたいです。
吉田 ハルビンの731部隊罪証陳列館への訪問に期待しています。僕たちが知らない「歴史の語られ方」がありそうで、すごく気になります。
例えば、南京大虐殺記念館を訪ねた際、友人が「日本による犯罪を激しく批判しているかと思ったが、静かに強く語る展示が、自分のそれまでの偏見を含む認識を崩してくれた」と述べていました。
自分はもちろんですが、共に訪中する仲間たちの心がどのように動かされるか、議論して、共有できたらと思います。
金澤 自分もきちんとした歴史教育を受けてきたという自覚はないので、それをどう見つめ直していくか。自分たちの意識がどう変わるかは、もちろん重要だと思います。そのうえで、現地の歴史の語り方を知り、中国の人と話し合ってみたいです。
訪問をきっかけに、東アジアの一員としてどうやって未来を一緒につくっていくのかという議論ができればベストだと思います。少なくとも、それを続けていくきっかけにはしたいですね。
川野 日本では、戦争の歴史を「過去の思い出話」として聞くことはあっても、それを将来にどう生かすのかという視点から考える機会が少ないと思います。戦争の歴史における被害と加害をどのように捉えているのか、また歴史を踏まえてどのような未来をつくっていこうとしているのかという点について、中国側の見方・捉え方を見てみたいです。それを知ることで、日本と中国の未来の平和につながっていくと思います。
紀 実は、私はハルビンにも行ったことがありません。731部隊陳列館から帰った後に、どのような考えや視点が生まれるか、皆さんの報告を楽しみにしています。
民をもって官を促す
――「東アジアの未来を共につくる」という金澤さんの発言がありましたが、これは訪中団の名前にもなっています。この点に関してはどうでしょう。
吉田 今、アメリカが異常な行動を取る世界になっている一方、中国は国際交流を進め外国に対して比較的前向きな態度を取っています。首脳外交も活発ですよね。
中国には「以民促官」(民をもって官を促す)という言葉があります。政府間に困難があっても、民間の交流を盛んにして状況を変えてゆくという考え方です。これは1972年の国交正常化前から続いてきた、貴重な経験だと思います。
日中関係においては、まずは民、国民一人ひとりが互いを知ろうとする気持ちを持つことが大切なのではないでしょうか。
また、石破首相は、謝罪と反省に基づく「戦後80年談話」は出さないようですが、それに引っ張られないようにしたい。
民間の力で、排外主義が強まるこの時代を耐えていったら、より良い未来が開けていくのではないでしょうか。今回の訪中団も、それに向けたものにしていければよいと思いますね。
金澤 もう少し言うと、政府は「戦後80年談話」を出すことで、歴史問題が再燃して選挙に影響することを避けたかったんだと思います。「わざわざ歴史を振り返るな」みたいな風潮も、確かにありますしね。
だから「市民が考える戦後80年」みたいなものをつくれたらいいのではないかと思います。そのようなことを目指す動きもあります。
「戦後」とは言いますが、米軍基地負担を押し付けられている沖縄の人たちからすると、戦争は今も続いています。「戦闘機や戦車を見るたびに戦争を思い出す」と言う人もいます。
差別され続けている在日韓国・朝鮮人の人びとも同様だと思います。自分たちが今、どういう歴史の中にいるのか、考えないといけないですね。
西島 「共に未来をつくる」というのは、その通りだと思います。隣国との平和的な関係がないと、日本も私たちも生きてはいけないと思いますので。
これまで私は主に日中間の文化交流に携わってきました。ですが、中国との平和友好関係を築くためには、中国に対する加害の歴史についてわれわれ日本人が正確に認識する必要があると感じました。また、現代における排外主義の問題についても、過去の歴史とセットにして考えを深めていく必要があるなと、皆さんの話を聞いていて思いました。
紀 私は訪中団メンバーではありませんが、戦前の日米関係史を研究する立場として、「共に未来をつくる」という立場には賛成です。いっしょに頑張っていきたいです。
――ありがとうございました。アジアの平和、日中不再戦・両国の友好と発展を目指して頑張っていきましょう。
(注)ウトロ平和祈念館 ウトロは京都府宇治市にある1940年に飛行場建設を理由に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡に形成された集落。祈念館は、放火などのヘイトクライムを乗り越えて2022年に開館した。