「高市発言」後の中国 上海・南京を歩く
上海交通大学副研究員 石田 隆至
昨年の11月後半から、日本にいる知人から幾つか問い合わせが入るようになった。「いま中国に出かけて大丈夫だろうか」と。初めて訪中する人たちではない。何度も中国を訪れ、中国語が少し話せるような人までいた。もちろん、高市首相による「存立危機事態」発言が引き起こした日中間の関係悪化を念頭に置いている。
ホロコーストで何人もの親族を失ったダニーさん
念願の南京大虐殺記念館へ
やるせない思いで過ごしていた12月半ば、上海の空港でダニー・ネフセタイさんとお連れ合いのかほるさんを出迎えた。
イスラエル出身のダニーさんは、いま日本の市民運動の間で引っ張りだこの平和活動家。
空軍兵士を退役した後、日本で暮らして40年以上がたつ。イスラエルによるガザ虐殺の問題性を語るだけでなく、そこに日本による中国敵視を重ね合わせて訴えている。
上海に降り立ったダニーさんたちは、「念願がかなった」と満面の笑顔だった。周囲からは「大丈夫か」「気を付けて」「ご無事で」と〝心配〟する声が少なくなかったという。SNSには、訪中するというだけで罵倒するコメントまで付いたと笑い飛ばす。
5日間の短い上海・南京滞在で、メインは南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)の参観だった。ダニーさんは何人もの親族をユダヤ人ホロコーストで失っており、南京大虐殺は人ごとではない。参観した16日は、南京大虐殺の国家公祭が行われた12月13日の直後である。早朝から市民が列をつくって入館を待っているのは、南京の被害者を悼み、歴史を忘れないでいようとする姿勢の表れだろう。
ダニーさん夫妻は記念館に入る前に、敷地内にある一つ一つの彫刻に見入っていた。いや、魅入られていた様子だった。被害者の彫像を通じて、あの日の南京の激情が私たちの中に差し迫ってくる。館内は広く、底抜けの蛮行が次々と突き付けられる。実際にあの場にいればと考えると圧倒される。ダニーさんは、展示のなかに「悪魔 Devil」という表現が使われていると私たちに告げた。あの場にいた人々の絶望や恐怖を感じ取っていたのかもしれない。
私や同行の中国人研究者は、ところどころで補足的な説明を伝えた。もちろん日本語でである。周囲にいた参観者のなかには、私たちが日本語を話していることに気付いている人もいた。それでも、咎めだてるような人は誰一人いなかった。むしろ、日本語を話す人々が訪れていることを意外に感じているような表情だった。
ある展示の前でダニーさんは独り言のように語った。日本軍の攻撃によって焼け野原にされた都市の写真は、「今のガザと同じだ」と。そして、「こういう虐殺記念館がガザに建つのはいつだろうか」と低い声で発した。建てなければという決意だったのかもしれない。
パレスチナ人を人間だと
見ていなかった自分を語る
南京と上海の大学では、ダニーさんによる平和講演も実施した。日本での講演内容と基本的に変わらず、中国の学生や教員が熱心に耳を傾けた。空軍兵士だった経験から始まるダニーさんの講演は、平和が大事だと「説教」するものではない。退役後も数十年にわたって、「イスラエル軍が悪いことをするはずがない」と信じこんでいたと率直に語る。いくらパレスチナを侵略し、植民地化を続けても、母国イスラエルに「正義」を見いだしていた。そう思えたのは、パレスチナ人を人間だと見ていなかったからだった。妻との対話の果てに〝脱洗脳〟できたのは2008年ごろで、30年近くかかった。
だからこそ、今の日本で中国や朝鮮民主主義人民共和国に対する「悪魔視」が拡がることに危険を見いだす。「悪」なら攻撃してもやむを得ないと「平和国家」日本で軍拡が進む。イスラエルの状況といかに似通っているか、聴衆に「気付き」を促すことで平和につなげようとしている。
中国はかつて甚大な戦争被害を受けながら、戦後は日本との平和や友好を何よりも大事にしてきた。世代交代が進んでむしろ親近感を抱く人も多い。逆に、日本では戦後も中国蔑視や封じ込めが続き、強まる一方である。
こうした圧倒的にアンバランスな状況がなぜ生じているのかは、心ある中国の人々にとって切実な問いである。ある中国人教員が「これほど分かりやすい講演は初めて聴いた」と感激して発言したのも頷ける。「戦争の研究だけでなく、平和を生み出すための研究もしないといけないと気付かされた」と興奮して語っていた。
上海での講演会には、日本在住のイスラエル人が何を語るのか興味を持ったという日本語専攻の女子学生もいた。パレスチナ/イスラエルに関する話以上に、日本が経済停滞や少子化といった課題を脇に置き、軍備増強に力を入れているという話に聴き入っていた。物理専攻の新入生は、歴史修正主義者が作った教科書で学ぶ生徒はどれくらいの割合なのか、その影響はどうかと質問した。イメージではなく日本社会の実情を理解しようとする彼女の聡明さに、ダニーさんたちは目を見張った。必修科目でもない日本語の授業に自発的に参加している工学系男子学生は、見るからに楽しそうに質問していた。ダニーさんが、日本では右翼ではない普通の市民も中国が「脅威」だと感じていると伝えると、学生たちは呆れて笑っていた。
「敵」はいなかった
南京ではアメリカン・スタイルの大型スーパーで買い物をした。スーパーを出ると、年配の女性が声を掛けてきた。「ここで買い物をしたのね。このヨーグルトは日本製でおいしいわよ」と気さくに声を掛けてきた。しばらく笑顔で会話が続いた。
多様な路面店が並ぶ通りも散策した。ウイグル系の店主が民族料理の自家製ナンを販売するお店もある。中央アジアを感じさせる風貌の女性が買いに来ていた。聞けば、カザフスタンからの留学生だという。ウイグルと食文化が近く、常連客のようだ。私たちが日本から来たと分かると、日本旅行を計画していると嬉しそうに語った。日本の人々の知る「中国」では、ウイグル族はジェノサイドの対象になっているらしい。しかし、現実の〈中国〉には、こうしたウイグル族が経営する店が各地にある。主な客層は漢民族だが、少数民族にも人気だ。
5日間の訪問の最後に、ダニーさんはこう語った。「今回、50~60人の中国の人々に出会って交流したが、〝敵〟は一人もいなかった。日本に戻ったら、『中国は〝敵〟ではない』をテーマに報告会をします!」
実際に訪中報告会の様子も知らせてくれた。参加者から「大丈夫だったか」「無事で何より」と声を掛けられたという。そんな〝心配〟も、現地の写真を投影し、発展する街並みやフレンドリーな人々の様子を見てもらうと、少しは薄れたという。
ただ、〝ウイグルやチベットの「人権問題」はどうなんだ〟、それに触れない報告では〝ダニーさんの人権感覚に問題がある〟との指摘さえ受けた。実際に中国を訪れたダニーさんたちが感じた「〝敵〟はいなかった」という感覚との落差はあまりに大きい。
ダニーさんたちが感じ取った通り、日本を嫌ったり、敵視したりするような人々は中国にはまずいない。侵略戦争で長く苦しめられた歴史があるため平和を強く望んでおり、特に日本との友好を重視している。実際に〈中国〉に来て人々と交流すれば。
かつての日本は、国内でしか通用しない主張や理念で侵略を強行し、正当化していた。現在の対中姿勢がそれと似ているのは単なる偶然なのだろうか。
