高市自民維新連立政権

その〝弱さ〟においてこの政権を捉えるべき

ジャーナリスト 高野 孟

 高市早苗首相の誕生で、「いよいよ日本的ファシズム政権の襲来だ」と身構える人が少なくない。確かにこの政権のプロモーターというよりも陰のオーナーは、安倍晋三元首相の盟友であった麻生太郎元首相であり、その振り付けで安倍路線の全面復活をめざして踊るのが高市であるというこの政権の配置は軽視すべきではないが、何も慌てる必要はなく、彼女が「何を言っているか」ではなく「何ができるのか」をよくよく見極めて対処すべきだと思う。

断末魔の自民党

 なにしろ、自民党はいよいよ断末魔の状態にある。言うまでもなく自民党は、1993年の宮沢喜一政権の崩壊、細川護熙首班の反自民・改革派連合政権の誕生によって「55年体制の終焉」を宣告された過去の存在で、それ以後にわれわれが見ているのはそのゾンビに過ぎない。ゾンビは足腰の衰えが甚だしく、必ず誰かに取り憑いて、その生き血を吸いながら生きながらえようとしてきた。
 その最初は、94年6月、細川後継の羽田孜政権の行き詰まりに際して、自民党が社会党の村山富市委員長を首相に担いで政権に復帰するという《自社さ連立》のアクロバット的な奇策だった。私は自社さ政権の発足前から、時の政局の戦略的中心課題は「自民党を3年かできれば5年、野党として塩漬けにしておくことにあるのであり、そこを外して自民党が政権に復帰することに手を貸せば、次には必ず自社さの枠組みの上に自民党の首相を担ぐ形になり、その次には文字通りの自民党単独政権が復活する」と予測した。
 その通り、96年には村山が辞め橋本龍太郎政権となり、その両脇を支えた【社会党】と【さきがけ】は、血を吸い尽くされて絶滅。98年発足の第1次小渕恵三内閣は、自民党単独政権だった。

ゾンビに
生き血を抜かれた政党

 が、やはり長く立っているのは難しく、わずか半年後には小沢一郎の自由党を呼び込んで《自自連立》、その10カ月後には公明党を呼び込んで《自自公》、その6カ月後の2000年4月には自由党が分裂して小沢らは去り、残った二階俊博らが保守党を作って《自保公》、やがて保守党が自民に吸収されて03年11月の第2次小泉内閣から《自公》という形に落ち着いて(09年9月~12年12月の民主党政権時代を除いて)25年10月まで続いた。
 ここまで、ゾンビと連立を組んで与党の旨みに与ろうとした全ての政党は跡形もなく消滅した。
 唯一の例外が【公明党】だったが、それもついに離脱した。我慢して我慢して連立を続けたが、吸い尽くされて殺される前に逃げ出したということだろう。
 公明党側には、池田大作名誉会長が23年に亡くなったので、「政教分離」違反を理由とした池田国会喚問、さらにその先の宗教法人非課税の再検討議論というカードを恐れる必要がなくなったという事情も働いたに違いない。

公明党離脱で致命的打撃

 しかし、こうなって大慌てするのは自民党で、なぜなら《自公》連立には他にはない特殊な構造があり、それは周知のように、ほぼ全選挙区にわたる選挙協力――しかも公明が候補者を立てている選挙区では創価学会員は「小選挙区は公明、比例は自民へ」と運動するが、自民党支持者がわざわざ「比例は公明へ」と言い添えるかどうかは全く怪しいという、公明から見て半ば片務的な関係――で成り立っている。結果的に、創価学会は真面目に自民党の票集めをし、1選挙区あたりかつての最盛期は2~3万票、今でも最大2万、普通で1万と言われるだけのものを積み上げていると言われるが、公明がそれに相応するメリットを受け取っているかどうかは誠に疑わしく、むしろそれが組織力の衰弱の一因となっているとさえ指摘されている。
 公明の選挙協力がなくなるとどうなるか。前回衆院選で公明の推薦を受けて選挙区で当選している自民党候補者のうち、次点との間の票差が1万票未満の「公明との選挙協力がなければほぼ落選確実」なのは25人、2万票未満の「落選の危険がある」のが19人、さらに念のため3万票未満の「落選するかもしれない」が19人で、合わせて63人。その当選者に肉薄している次点者は立民が46、国民が9、維新が6で、単純計算では各野党はそれだけ議席増が見込める。自民は現状196―63=133に対し立民は現状148+46=194、維新は34+6=41、国民は27+9=36となり、立民と国民を足しただけで238で過半数を超える。これはあくまで機械的な単純計算である。しかし、高市がすでにどれほどの潜在的ダメージを自民党に与えているのかを推量することはできる数字ではある。

立ち行くはずない自維連立

 このダメージは他で補うことはできないが、それでもどこか連立相手を見つけないと政権が立ち行かない。そこで国民民主は取り逃がしたが維新に取り憑くことに成功し、首班指名の目処は立ったけれども、その維新は最初から腰が引け、「閣外協力」に止めていつでも逃げられるように用心しながら船に乗ろうとしている。
 この結末は大体見えていて、政策面で何を合意しようと自民党は老獪で、それを実現しようとすると立法技術上でいかに難しい問題が横たわっているかを官僚の専門家を連れてきて説明させて煙に巻いて先延ばしするとか、手練手管に長けているので、維新が「騙された」と気づくのがいつ頃になるかだが、私は今年末と見ている。
 もひとつは、そこには目を瞑っておかないと協議に入れない難問があって、それは選挙区での候補者の競合問題である。10月18日付「朝日新聞」電子版によると、前回衆院選の全国289の小選挙区のほぼ半分(54%)にあたる155の選挙区で自維の候補者が競合していた。そのうち、①維新が議席を得たのは19選挙区であるのに対し、②自民党は69選挙区で勝っている。③比例復活に伴い現職が競合している選挙区は12。④残り67議席は立民、国民など他党に奪われた。この①~④の4次元連立方程式にはたぶん解はなく、調整は「難航する」というレベルではなく「行き詰まる」に決まっている。
 ①のうち大阪については、維新は全19選挙区で勝利していて、そのどこかで維新の現職を取り下げて自民に譲るということにはならないだろう。そうすると自民党大阪府連は近い将来にわたって衆議院議員を持つことができず、地方議員は離散、組織として壊滅に追い込まれるに違いない。④の自維競合で他党に奪われた67議席については、候補者を一本化すれば獲れる可能性が出てくるのは確かだが、そのほとんどの場合、自民候補者が票数で維新候補者を上回っているだろうから、自民が譲って維新に一本化することにはならない。
 圧倒的な票差がある自民候補に一本化して維新候補は撤退するということになった場合、その候補は維新を離党して無所属か何かで挑戦を続けるということになるだろう。そういうケースがあちこちで出てくると、維新の地方組織は溶解し、ますます全国政党化するのが難しく、大阪ローカル政党に立て籠もらざるを得ない。このような現実は、すでに自維の地方の現場に突きつけられており、これをいつまでも棚上げにしておくことはできない。私の予想では、これも年内にはっきりさせないと自維双方の地方組織がもたない。
 このように、自維連立は自公連立とは違って、選挙協力によるプラス効果が全く見込めないどころか、競合候補の調整ができるかどうかというマイナスからの出発となり、うまくいけば候補者の一本化に成功するというのが精いっぱい。その場合に降りた方の候補を比例代表に回すとか、比例復活に期待するとか、比例枠を活用して調整するのが常套手段だが、維新は他方で比例代表の定数を50人程度削減することを打ち出していて、それが余計に調整を困難にする。
 こうして、高市が今の段階で勇ましいことを言っているのは「現象論」の領域であり、両党関係が本当に成り立っていくのかを選挙協力をはじめ「実体論」の領域に踏み込んで検討すると、「こんなものが立ちゆくはずがないじゃないか」とまでは言わないが、先行きは相当危ないと判断することができるのではないか。

冷戦時代と変わらぬ
対中国敵対姿勢

 外交面で特に懸念されるのは中国との関係である。中国はすでに実質GDPでは米国を上回り、まもなく名目値でも世界最大の経済超大国となる。半面、日本はかつての第2位からズルズルと後退し、IMFの最新の予想では26年にインドにも抜かれて第5位まで落ちる。
 高市が「日本成長戦略会議」を立ち上げて「強い経済」への再起をめざすという時に、中国とのダイナミックな関係の構築が欠かせないどころか、それを中心に据えた戦略設計をしなければならないはずだが、彼女は台湾支持派の「日華議員懇談会」の中心活動家で、今年4月には台湾の頼清徳総統と会談するなどしていて、今回も同総裁から高市に「台湾にとって揺るぎない友人」と呼んで首相就任を祝う言葉が届いている。その際、頼は「台湾と日本は価値観を共有する緊密なパートナーであり、インド太平洋地域の安全・安定・繁栄を守り、両国民の福祉増進のために努力していけるよう期待します」と述べている。
 この「インド太平洋」、正式に言うと「自由で開かれたインド太平洋」が安倍から引き継がれた高市の「外交の柱」だが、この「自由で開かれた」という一見平べったい表現は、例えば南シナ海を想定するとわかりやすいが、「中国によって支配されたり他国の航行が妨害されたりすることのない」という意味であり、また「中国が一帯一路構想で太平洋諸国を債務奴隷にするようなことを防ぐ」という意味でもある。
 次の「インド太平洋」というのは、表面的には「インド洋から太平洋まで」という地理的表現に過ぎないが、前半の暗喩と抱き合わせると、「その中国排除・包囲網にインドを引き込むことが大事」という戦略判断が塗り込められているのである。このため中国は今なお高市の首相就任について祝意を表明していない。
 それも当然で、日本が中国はじめ北朝鮮やロシアを含む現および旧共産国を「共産圏」と一括りにして敵と定め、その進出に対して米国を先頭に「自由」の旗を押し立てて「インド太平洋」を一つの面として対抗していこうというのでは、まるっきり冷戦時代と変わらぬ敵対姿勢であり、これでは中国はじめアジア近隣とまともな対話をすることはできない。トランプ米大統領には精いっぱい媚を売って「日米関係の黄金時代」を喧伝するのはそれでいいとして、翻って日本の本来の居場所であるアジアに親しい友を作れないのでは、この国は21世紀を生きていくことができない。その意味で、高市が外交・安保分野でこれから具体的にどんな行動に出るのかを見極めていく必要がある。
  *  *  *
 高市丸は船出の時から半ば難破船で、自民党が55年体制の終了後をゾンビとして生き延びるためにあれこれと偽装を凝らしてきたけれども、これが最後の姿かもしれないというその〝弱さ〟においてこの政権を捉えるべきで、彼女の言葉の強がりに惑わされるべきではない。
(タイトルを含め見出しはすべて編集部)

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