「命どぅ宝」戦後100年を見たい
沖縄から日本、世界への想い
三線奏者 桑江 優稀乃
ハイタイ。グスーヨー チューウガナビラ。ワンネー桑江優稀乃ヤイビーン。ユタサルグトゥウニゲーサビラ。皆さんこんにちは。沖縄出身の桑江優稀乃です。私は医学部を卒業した後に、沖縄の伝統楽器三線を持って、米軍基地や、軍拡の進む石垣・宮古・与那国、軍隊のないコスタリカなどを訪れ平和について歌っています。
戦後80年の今年、私は「あぁ、戦後100年、200年が見たい」そう強く感じました。
私は沖縄で生まれ育ち、私の祖父母は沖縄戦体験者です。私の曽祖父は1944年の十・十空襲(沖縄戦最初の米軍による無差別爆撃)で亡くなり、曽祖父の弟は対馬丸で亡くなりました。そして私の祖父母含め、戦争体験者がまだ生きている時代に、私たち日本はまた戦争の危機を作り出そうとしています。
5月に「台湾有事」の名の下に、離島12万人の避難計画が政府から出されました。そのニュースは世界にも広く届き、インドネシアの友人からも「沖縄大丈夫?」と言われ、「大丈夫」と言いたくてもなかなか言えませんでした。
まず生きる大前提の日々の「安心、安全」が、政治によって脅かされていることを強く感じています。ロシア・ウクライナの戦争、イスラエルのガザへの虐殺、ミャンマーの軍事政権、そして沖縄や日本各地で進む軍事拡大。「命どぅ宝(命こそ宝)」混沌とした世の中ですが、だからこそ、先人の残したこの言葉を自分自身、そして皆さんと共に確かめ合いたいです。
沖縄の歴史ある平和運動と新しい流れ
私は今年の5・15平和行進には三線を弾きながら全国や海外から集まった2千人近くの方々と歩きました。妨害しようとする右翼の街宣車の音も不思議と三線のBGMとなり、金網の先の10代であろう米兵の子たちも手を振ってくれました。真の復帰を目指すこと、まず自身が平和であることを強く意図しながら歩きました。
6・23には、『沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い』と、第42回国際反戦沖縄集会で歌わせていただきました。
その『沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い』について詳しく紹介します。「平和の礎」には、沖縄戦などで亡くなった24万人余の方のお名前が出身地ごとに国籍や、軍人、民間人の区別なく刻まれています。
そのお名前おひとりおひとりを、県内・全国・世界の方々で読み上げるという、ものすごい取り組みです。
読み上げられた戦死者数24万
2567人
読み上げ参加者5810人
読み上げ人数5505人
学校59校(県内52校、県外7校)
自治体12、地域25(県内各地、他、長野、北海道等)、企業14(酒造組合8社、琉球新報、JICA等)
海外参加者(アメリカ、ブラジル、オーストラリア、韓国他)、沖縄在住研修生の地域・国(台湾、ハワイ、リベリア、南スーダン他)
今年で4年目となるこの取り組みに私は初めて参加しました。「呉屋良真くん13歳…」というふうに読んでいきます。同じ名字の名前が続くと、きっと家族で亡くなられたんだな、そして0歳の子どもたちの名を読み上げると、幼い命が戦争で無残に失われたことに、その数の多さに、胸が詰まりました。
私は参加したことで、私の親族だけでなく、その亡くなった方々と、共にある、いのちがつながっている、なんともいえない感覚を覚えました。ぜひ皆さんも来年以降参加してほしいです。
ずっと続く平和運動から、新たな取り組みまで。ここで改めて運営の皆さまの、多大なるご尽力に、そして沖縄各地だけでなく、全国、世界から参加してくださった皆さまへ感謝の意を表します。
意見の違いを乗り越える対話の大切さ
私は基地反対です。いのちを殺す、その拠点となり、自然破壊や、地域への事件事故も絶えない、根源であるからです。そして軍人も、貧困から入隊すると聞き、この世界の構造の仕組みに悲しみとその連鎖を終わらせたいと強く思いました。
しかし最近周りの若者からも「基地のことがあまりわからない」「反対賛成どちらでもない」という声を聞きます。より話してゆくと「辺野古にNOと言ってもなにも変わらないから共生が必要なのでは」「米軍は事件事故も多いけど、優しい人もいる」などです。これを聞いた時に、軍人をも敵より人として見る温かさと、一方、植民地構造や恐ろしさが慣らされて見えにくくなっていることを感じました。このように、沖縄にいると、日米の二重植民地構造、資本主義、日本の、世界の歪みが、醜さが、痛いほど見えます。
沖縄の平和への道
私は沖縄が真の自治を取り戻す、たくさんの道やパワーがあると思います。
まず「琉球・沖縄が先住民であること」です。国連は沖縄の人々を先住民と位置付けているにもかかわらず日本政府は認めていません。「先住民族の権利に関する国際連合宣言」では、第3条の自己決定権や、第30条に軍事活動の禁止があります。これを見ると琉球・沖縄がどれほどの権利を侵害されているか、そしてそれを摑む道筋が見えます。たくさんの琉球・沖縄の人々も国連に行き、訴えています。
また世界各地に広がる世界のウチナーンチュ(沖縄県系人)のつながりの強さも驚きです。世界のウチナーンチュは約42万人いて、私も彼らに刺激された一人です。
彼らは琉球・沖縄の歴史を、植民地構造を、言語を、ただ沖縄に生まれ育った私たちより深く知っていて、学び、発信してくれている仲間も多いです。
また、沖縄の平和への魂は、若者の音楽からも見られます。特に、ヒップホップが熱いです。
GACHIMAFは琉球諸語をラップにのせて先住民族であるウチナーンチュの視点から、日米二重植民地、激動の沖縄を歌っています。また「OKIDOKI」の歌詞には「力合わせて守らないと助け合わなきゃ奪われちゃうよ」とあります。楽しいだけでなく沖縄の痛みがリアルが、そしてそれを超えてつながる大切さを教えてくれているように感じます。音楽は言葉を超えて、人と人をつなげる力があります。私も三線によって導かれた出会いや、歌にのせるからこそ、意見の違いも、そして国や宗教をも超えて深くつながり、響き合うことを深く実感しています。
私たち市民の結束の力
今、私が筆を持っているのは参院選の選挙真っ最中。憲法改定や、核武装派、ヘイトスピーチがあふれるなか、私たち一人一人の確固たる投票が大切です。もちろん選挙は私たち市民の意思表示の場です。しかし、たとえ選挙がどういう結果だとしても、私はただ、私たちの愛する島が、平和で豊かであることを望み、いかなる戦争も、戦争への加担も望みません。
もちろん選挙にも想いを託しますが、私たちは戦争しないことを、世の煽りに翻弄されないことを、市民が結束すれば選ぶことができます。戦争は政治家が先導しても市民がNOと動かなければ行われません。そのために、意見の違いも乗り越えて、敵ではなく、命どぅ宝で、世界中の人と信頼関係を築いてゆくことだと信じています。
どうか手を取り合いましょう。私は、沖縄から、日本から、戦車も、基地もない、いのちが安心して生きられる世界を皆さんと創ってゆきたいです。ジュゴンのいる世界に誇る美しい辺野古の海で泳ぎたい、昔基地だったんだよと、返還された芝生の上で未来の子供たちと寝そべりたい、そして戦後100年、200年を安心して見届け、世界中の人と共に、笑顔あふれる美しい地球で生きたいです。ミルクユガフ。