令和の百姓一揆 6

「令和の百姓一揆」連帯スタンディング・熊本

農家を応援する熊本の会 渡邉 浩

 東京でのトラクターデモのことを知って、知り合いに伝えると、「すごいことが始まるなあ」、「でも東京までは行けんなあ」とか「熊本でも何かやれんだろうか」という声をいくつも聞きました。そこで「農家を応援する熊本の会」というのを有志で立ち上げ、スタンディングの用意をして、できる限りの農家、消費者に呼びかけました。
 わずか3週間の準備期間でしたが、30日が近づくにつれ、「私も参加します」、「何か持ってくるものはないですか」、「知人から聞きました」、「Xを見て知りました」という問い合わせや電話が次々にかかってきました。
 関心の高さに喜びながらも、果たしてどれくらい集まるだろうかと不安も持って当日を迎えました。熊本市の下通アーケードのスタンディング会場には、14時の開始時刻前から主催者だけでなく、多くの参加者が集まり準備を始めました。
 通路には大きな横断幕が三つ掲げられました。「農家よコメ作るな!わが身削っても残るは借金と神経痛!所得補償が最低条件!」という農家の悲痛な怒りの声。「最初に飢えるのは消費者」という自覚を促すスローガン。それに、コメ袋を横につないで作った横断幕には「令和の百姓一揆、日本の農、食、いのちを守ろう」と大書されています。天気は良かったのですが、折からの寒波で強い風で、横断幕を押さえておくのも大変な状況でした。
 また、コメ袋でできた胴体に「農家を守れ」、「食は命」と大きく書かれ、怒った顔のカカシも2体、立てられました。
 参加者は、「農家は疲労、もう限界」、「耕作放棄地、地域崩壊の危機」、「農業に夢を、若者が農業を継ぐ社会に」などのプラカードを思い思いに持って、道行く人に訴えました。
 リレートークでは、農家からは「今は、農家を守る最後のチャンス、最低限の補償が必要」と訴えられ、消費者からは「食料は国民の問題、農家と手をつないでいこう」との声が上げられました。参加した地方議員からも「農業が崩れれば地域は維持できない」と運動を広げる必要が訴えられました。
 参加者は、ときおり「農業を守ろう!農家に補償を!子どもの未来に!国産残そう!食料守ろう!命を守ろう!」というコールの合唱を交えて、通行人に呼びかけました。
 中央の実行委員会から送られてきたのぼりとうちわも人目をひき、用意したチラシはあっという間に配り終えました。「頑張ってください」と声をかけてくれる人も多く、カカシにつけられた袋にカンパも寄せられました。
 スタンディングが始まった時には、数十人でしたが、通りかかった人も立ち止まったりして、終わりころには80人ほどに膨れ上がりました。そして、その顔ぶれは、老若男女、さまざまな人が集まったなあという感じを受けました。
 最後に、「今日の令和の百姓一揆の行動を出発点にして、県内各地の農村から、町から、農業と食料、国民の命を守る大きな運動を繰り広げていこう」というアピールを読んで、終会となりました。
 熊本での「百姓一揆」は、大きな反響を呼びました。農家からは、「このままではやっていけない」という切実な声がいくつも寄せられ、消費者の間にも「日本の農業を守ろう」、「農家を守ろう」という機運が高まっていると感じさせるものでした。
 東京での大成功の一報も聞き、熊本でも貢献できてよかったと思い、さらに県内の隅々から、幅の広い運動を巻き起こしていきたいものです。

熊本県南の人吉、山江村でトラクター行進

山江村から人吉市へトラクター2台で

 山江村の松本佳久さん(山江村城内老人会長、74歳)と、人吉市の荒毛正浩さん(JA球磨理事、熊本県有機農業研究会理事長、64歳)は、30日、全国の行動に合わせて、トラクター行進をしました。
 松本さんは、山江村で特別栽培米を生産、息子さんと農事組合法人「万江の里」を設立して農業を営んでいます。「百姓一揆」を知って、「東京までは行けんので、一人でもやろうと思った」と計画すると、アイガモ農家の荒毛さんが一緒にやろうとのぼりを書いて持ってきたそうです。
 当日は、山江村から人吉市街地を2時間かけて回ると、思いがけなく、手を振ったり、写真を撮ったり、「頑張ってください」と声をかけられ、青井神社では、参拝していた人から、「やっぱり食料は大事ですね」と言われたそうです。感想を聞くと、「とにかく、やってよかった」と答えてくれました。

 (広範な国民連合・熊本事務局渡邉)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする