アクション沖縄・ジェンダー平等を立ち上げる
共同代表 神谷 めぐみ
2024年7月25日、女性権利デーに合わせてOP-CEDAWアクション沖縄―Achieve Gender Equality―のキックオフイベントを開催しました。
OP-CEDAWは、女性差別撤廃条約の選択議定書(Optional Protocol to the Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination against Women)の略で、日本では多くの女性団体等が批准を求める共同運動を展開しています。アクション東京など、全国各地にある連帯運動の一つとして沖縄でも活動しようと団体名をアクション沖縄とし、他にも積極的に取り組みたい活動もあるため、―Achieve Gender Equality―ジェンダー平等を名称に加えました。
女性差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女性に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念として挙げています。条約では、女性に対する差別を定義したうえで、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。同条約は1979年の第34回国連総会において採択され、81年に発効しました。日本は80年に署名をしましたが、批准したのは85年の通常国会でのことでした。
ジェンダー・ギャップ日本は146カ国中118位
毎年、世界経済フォーラム(WEF)が発表しているジェンダー・ギャップ指数(各国の男女格差を「政治」「経済」「教育」「健康」の4分野で評価)では2024年度、日本は146カ国中118位、前年の125位から少しは前進したものの依然として男女格差が顕著だといえます。ちなみにG7では100位外はおらず、断トツの最下位です。特に政治分野の113位と経済分野の120位が、教育72位、健康58位に比べ、総合順位を押し下げているのがわかります。
女性差別撤廃条約をより効果的に生かすためには、日本政府および国会が選択議定書の批准に向けてしっかりと進めることが求められます。
批准すると制度として有効になるものとして、まず、個人通報制度が挙げられます。国内での救済措置では不十分な場合に、個人や集団が女性の権利侵害を国連の女性差別撤廃委員会(以下、委員会)に直接訴え、審議を求めることが可能となる仕組みです。日本政府は最高裁判所の審理との関係を理由に批准を渋っているようです。しかし、日本の人権後進国ぶりからすれば、救済措置が不十分なことを補う必要性の方が高いと思います。
二つ目は、現地報告も含めた委員会による独自の調査制度です。締約国による重大または組織的な権利侵害について信頼できる情報を受理した場合、委員会は調査を実施したり、その国の同意を得て訪問したりすることができるようになります。委員会の調査結果や勧告は、締約国に送付され、6カ月以内に「見解」を委員会に提出するようになっています。この調査制度についても日本政府は批准を先延ばしにしているのが現状です。
どちらも選択議定書の批准により、締結国は国際的な監視下に置かれるという意味で、ジェンダー平等に関する国内政策の改善を促す効果が期待されています。
沖縄の女性差別の原点に立ち返って
今回のキックオフイベントとして、「OP-CEDAW~国籍法改正がもたらした影響~」と題し、山城莉乃さんを講師に迎えることができました。
山城さんは母が日本国籍、父がインド国籍のミックスルーツを持つ、うちなーんちゅです。女性差別撤廃条約を日本が批准するまでは父が日本国籍でなければ国籍取得ができませんでした。日本が批准することで日本国籍を取得したというライフヒストリーを通して、沖縄と日本本土での女性差別撤廃条約の論点の違いなどを学ぶことができ、実り多い講演会でした。
また、8月10日、沖縄では「オスプレイ飛行停止」「普天間飛行場閉鎖・返還」を求め、「米兵の少女暴行事件と政府の事件隠ぺい」に抗議する県民大集会が開かれました。登壇者には過去に米兵による暴行事件の被害者となったキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんも名前を連ねていました。
軍隊と性被害に絡む女性差別を学ぶ良い機会だということで急遽、ジェーンさんを講師に「性暴力根絶に向けた対話と行動」と題して講演会を開催しました。急な呼びかけにもかかわらず、県民大会からそのまま駆けつけて参加くださった方々もたくさんおられました。日米地位協定の存在によって、救済されなかったジェーンさんの事件も、選択議定書の個人通報制度があれば救済措置がとらされたのではないかと感じました。
そもそものアクション沖縄―Achieve Gender Equality―立ち上げのきっかけが、2023年暮れの米兵による少女暴行事件の発生と半年にわたる日本政府の隠蔽にありましたので、あらためて沖縄の女性差別の原点に立ち返ったという思いを強くしました。