安保3文書閣議決定の撤回を求める 柳澤 協二

「安保3文書」の危うい論理

国際地政学研究所理事長(元内閣官房副長官補) 柳澤 協二

 「戦後安保戦略の大転換」の要である「反撃能力」に関する論理の危うさを、すでに何度も指摘してきた。昨年末に「国家安全保障戦略」など3つの文書(以下、「3文書」という)が閣議決定された。私の年齢になると、読んで賢くなる期待を持てない文書を読むのは時間の無駄だという思いはあるが、なぜこんな発想が出てくるのか、その背景を知りたくて、3文書を読んでみた。以下は、その粗々の感想である。


戦略とは、
目標と手段の整合

 戦略とは、目標を設定し、それを達成する手段を選択する作業である。目標は、自分がどうありたいのかという意欲であり、手段は、自分に何ができるのかという制約の認識である。これがマッチングしないと、戦略は絵空事となり機能しない。戦略が成功するために重要なことは、可能な手段の範囲で目標を設定して余分な願望を切り捨てることである。
 例えば、世界で尊敬される人になりたいと考える中学生が、そのためには一流大学に入らなければならないと思い、高校を飛び越えて大学受験の勉強をしようとするなら、われわれは、まず、中学生としての勉強をしなさい、そして、日ごろの生活のなかで、何をもって尊敬されたいのか、一歩一歩考えなさい、と言うだろう。

守るべきものは何か

 私の直感では、3文書がうたう異次元の防衛力強化は、日本の能力を超えた選択である。日本の世論も、「防衛力増強も結構だが増税しない範囲でやれ」というところに集約している。そこでまず、不可能な手段の選択を迫るような「目標」とは何かを見てみる。
 3文書が守るべき目標とするものは、「自由で開かれた安定的な国際秩序」である。それが、日本の平和と繁栄を支えてきた。今、中国の台頭によって「挑戦」を受けている。そこで、この挑戦を退け国際秩序を守る必要がある、ということだ。
 これは、「追われる現状維持国」の発想であり、いくつかの分野では中国が既に優位に立っていることを心配している。また、地域の「途上国」のなかには、こうした米中の競争から距離を置く者もいるので、開かれた秩序に向けて結集すべきであり、そのため、先進国が有志国として団結する必要性がうたわれている。その背景には、「自由で開かれた世界」という「普遍的な価値観」の実現こそ正義であるとの思いがある。
 その発想は理解できるとしても、それを現実の政策目標に掲げるほど立派な国であるのかどうかが問われなければならない、と私は思う。日本は、3文書が言うほどの経済大国・技術大国ではなく、安定した民主主義の国でもない。世界第3位の経済といっても、GDPの比率は5%を下回る。一人当たりの富や先進技術は、トップ10にも入っていない。正確に言えば、「大国から滑り落ちた国」である。治安がいいと言っても、銃を規制し、外国人の永住を拒否している結果であり、労働力不足のなかで外国人拒否が続けられる見通しはない。
 「外交が第一」と言うが、「有志国を増やす」外交は、敵をつくる外交でもある。「中国は悪いやつだ」と世界に触れ回る外交にほかならないので、世界から尊敬される国の発信となることはない。

「中国と戦えない」
という切迫感

 3文書は、このままでは宇宙・サイバー空間にまたがる今日の新しい戦い方に対応できず、中国と戦うことができないという切迫感に彩られている。ウクライナ戦争の教訓として、ロシアに対抗する力を持っていなかったことを挙げ、中国も同じことをする可能性があるとして、日本も、自ら守るに足りる力が必要であると言う。それが、日米同盟とあいまって中国を抑止するということだ。その焦点となるのが、ミサイルの撃ち合いにつながる「反撃能力」である。
 そして、国の総力を結集するために、民間との技術・施設利用面での全面的協力という発想が盛り込まれ、また、相手のサーバーへの侵入・破壊を前提とする「積極的サイバー防衛」や、SNSを監視する体制づくりなど、これまで経験したことがない手段が模索されている。
 同時に、これで抑止が万全になるかといえば、そうではなく、「我が国に脅威が及んだ場合」といった表現で、抑止が破綻してミサイルが飛んでくる事態も想定されている。
 特に、「最前線となる」南西諸島における部隊展開と住民避難に民間船舶を使うことも提起している。これでは、先の大戦中、沖縄への兵員輸送の帰途に学童を疎開させる対馬丸が米潜水艦に撃沈された「対馬丸事件」の再来の危険がある。
 従来、日本の政治家の認識が「ミサイルを持てば抑止力となって攻撃されない」というレベルだったことを考えれば、「戦争になっても戦い抜いて勝利する(あるいは、敵の目的を阻止する)、そのための備えと覚悟が抑止のための必要条件になる」という「常識」に一歩近づいたことになる。問題は、それができるかどうかということなのだが……。
 1月9日に公表された米CSIS(国際戦略問題研究所)のシミュレーションでは、日米は、中国の台湾侵攻の戦争に勝利するが、空母2隻と数十隻の艦艇、数百機の航空機、数千人の戦闘員の命を失うことが示されている。核使用を前提としない戦争でも、これだけの犠牲が出る。日本は、そういう戦争に備えようとしている。それでは、3文書が掲げる「国民の生命・財産を守る」という「防衛の目標」を達成することにはならないのではないか。
 あるいは、自衛官や巻き添えになる少数の民間人の犠牲は仕方がないということかもしれない。だが、その代償による「成果」が台湾防衛であるなら、何のための犠牲かが問われなければならないだろう。ちなみに、CSISの担当者も、「国民世論のレベルでも現実的な議論をすべきだ」と警鐘を鳴らしている。
 3文書は、ウクライナ戦争を防げなかったのは「ウクライナの力不足」であるとして抑止の重要性を主張している。だが、ロシアを抑止できなかった最大の要因は、米国が軍事介入を否定したことであり、米国がロシアと戦えば世界戦争になることを危惧したことである。つまり、大国間戦争への拡大が戦争を防ぐという抑止の理論そのものの信憑性が揺らいでいる。
 中国も同じことをするという予測にも違和感がある。ウクライナ戦争が中国を激励する要素は全くない。むしろ、武力による支配の困難さを見せつけているからだ。

5年で抑止力はできない

 3文書は、5年以内に対中抑止の要となる「反撃能力」を構築するため、トマホークの購入や自衛隊ミサイルの長射程化と部隊の改編を進めることとし、そのために防衛費の大幅増額が必要であるとしている。だが、こうした防衛態勢への変革が5年のうちに完成するはずはない。装備の契約はできても、納入は5年目以降になるうえ、新装備を運用する部隊の訓練や戦闘教義の転換、すなわちプロの育成にはもっと多くの時間が必要だ。
 中国軍の変革は、1991年の湾岸戦争に触発され、96年の台湾海峡危機に促進された四半世紀の歴史がある。これに5年で追いつこうとすること自体に無理がある。また、3文書には、従来の「防衛計画の大綱」にある防衛力の最終的な規模を示す「別表」がなく、歯止めなき軍拡が待ち受けている。持続的な防衛のために必要であると3文書がうたう「財政の余力」はない。
 こうして、今回の3文書は、実現可能な手段を欠いた「願望の羅列」に終わっている。これでは、国の安全は保障されない。戦争に備えるという過大な願望をやめ、戦争を回避する現実的な対話と外交が必要とされるゆえんである。

中国が攻めてきたら
どうするのか?

 ところで、この3文書の論理に賛同したとしても、なぜ5年間なのか、わからない。よく出る質問に、「中国が攻めてきたらどうするのか?」というのがある。今度は、私が政府に聞きたい。こちらが防衛力を抜本的に強化する5年までの間に「中国が攻めてきたらどうするのか?」と。中国が、日本が力をつけるまで待つ理由はないのだから。
 別の言い方をすれば、なぜ2027年までは「台湾有事」がないと言えるのか、ということだ。その理由がわかれば、5年と言わず、10年でも20年でも「台湾有事はない」と言えるのではないか。ならば、その答えを皆で考えようではないか。
 「今、戦争すれば手痛い損害を被ることがわかっているからだ」というのであれば、今、すでに抑止が効いていることになる。だから、5年の間に防衛費を倍増させる根拠にならない。「今は抑止が効いているが、このまま力をつければ5年後には効かなくなる」という論証が必要なはずだが、そういう説明はない。
 また、仮に日本が防衛費を倍増し、ミサイルを増やしたとしても、中国の軍事費もミサイルも増え続けるので、依然として大きな格差があるだろう。5年後の相互の力関係に、本質的な変化はないはずだ。だから、「中国が攻めてこない」背景には、抑止力では語り切れない理由がある。逆に、「中国はなぜ攻めてくるのか?」を考え、その動機をなくす発想が必要ではないのだろうか。

日本に欠けている
「安心供与」戦略

 焦点は、台湾である。中国は、台湾の分離独立には武力行使を辞さない、つまり、台湾が独立すれば武力を行使すると言っている。米国は、中国が武力行使すれば台湾を守ると言っている。台湾の世論は、戦争につながる独立を直ちに望んでいない。
 台湾有事といわれる戦争の動機が「台湾の独立」であるという点では、3者の認識は一致している。昨年11月の新外交イニシアティブの提言では、「台湾独立」という現状変更を否定することが戦争の動機を抑え込む「安心供与」になることを説いた。
 昨年11月の米中首脳会談では、相互のレッドラインをすり合わせる対話継続の必要性で合意している。米国は、抑止だけではなく、対立を戦争に発展させないための「安心供与」の手法を使っている。岸田政権は、防衛強化路線への米国の支持を取り付けて満足しているようだが、本当にそれでいいのか。そういう国会論戦が一番必要なのだ。

軍事ジャーナリスト・小西誠さんのTwitterから