戦争の危険迫る情勢
自公政権といかに対峙するか
『日本の進路』編集長 山本 正治
核戦争の危険も迫る世界である。ウクライナ戦争は泥沼化の様相で、東アジアの緊張も高まる。戦争に反対する闘いは全世界的課題である。戦争は、貧困と貧富格差、気候危機にも拍車をかける。
アメリカは、中国の不可分の一部である「台湾の独立」をそそのかし、中国の核心的利益を脅かし、ウクライナの次の戦争を挑発する。わが国政府・自民党やマスコミも、盛んに脅威を騒ぎ立て、大軍拡政策を正当化する。
軍事衝突はいつでもあり得る情勢で、国民の危機感も高まっている。アベノミクスによる貧困化と格差の拡大、とりわけコロナ禍と最近の物価高騰で国民各層の生活は困難を極めている。その上軍事費増の負担が待ち受ける。
7月の参院選の「自民大勝」で、「黄金の3年間」などと岸田自公政権は、憲法改悪も含めてやりたい放題の状況を手に入れたみたいな評価が広まっていた。だが真夏の夜の夢だった。内閣支持率はついに30%を切り、政権はいつまでもつのかの状況となっている。
しかし野党第1党の立憲民主党など野党は、先の参院選でもまったく振るわず、その後も、支持率にも見るべき変化はない。窮地の自公政権だが、野党も攻勢に立てていない。野党は残念ながら国民の期待に応えられない。
自公政権と対峙し打ち倒す方向を再検討しなくてはならない。そして国民的力の結集が急がれる。11月20日開催の広範な国民連合全国総会もその機会にならなくてはならない。
今こそ生かすべき
槇枝元文さんの提起
31年前の1991年、広範な国民連合を提唱・結成し、代表世話人を務めた故槇枝元文さん(元総評議長)は次のように提起した。
「おびただしい流血と破壊のすえに、湾岸戦争は終結した。この戦争でいっそう明らかになった日本の政治の方向に、私たちは不安を感じる。ポスト冷戦の国際社会で日本が進むべき道は、時代遅れになった日米基軸、軍事大国の道ではなく、自主的で平和な新しい日本の進路である」
「私たち国民が願っているのは、国連に名を借りた武力による大国の支配ではなく、国の大小を問わず平等な国際社会の民主主義である。時代遅れの対米追従外交ではなく、日米安保条約を清算し、米国を含むすべての国々と、平和、友好、協力の関係を発展させる自主外交(が求められる)」
「いま必要なことは、労働者・農民・中小商工業者の運動が、平和・環境などさまざまな市民運動が、女性や青年など各界・各層の国民が、日米基軸に代わる新しい日本の進路を求め、政治的な立場や団体の違いを超えて、広く連合すること」
「私は労働戦線統一が思うようにいかなかったことの反省から、政治的な立場を超えた広範な国民の自由意思による参加こそ、これからの新しい運動のあり方だと思った。国政や地方政治への市民の意思反映のためには、私たちの政策提言に共鳴する候補者を推薦し、投票することによって達成できると考えた」
「また、政治の基本的な方向や要求で一致する政党や団体と連携していく必要があると思った。いわば私たちの手で政党間をつなげていくことで政治を動かしていこうと考えた」
――今の政治、野党や労働組合の状況を見ていると、この提起は今更ながら重要だ。
槇枝氏は、「これは、新しい政治を実現するためには広範な各界・各層の国民が政治的立場や団体の違いを超えて手を結ぶ必要があるとの趣旨で、私の長い運動の総括を踏まえて編み出した組織論・運動論である」とも述べていた(以上は、『槇枝元文回想録』要旨)。
槇枝元文さんの提起が真価を発揮する時である。文字通り広範な人びとと共同を進めたい。
広範な国民各層の連合に反対する人はいない。
だが根本問題は、自公政権への「対抗軸」を何にするのか、何を広範な国民の結集軸にするか、である。
戦争の危険が迫り、国民の多くがその危機を感じている。こうした時に、どのように平和と国民を守るのか、外交や安全保障政策で明確な対抗軸がなくて支持できるだろうか。野党各党に欠けるのはこの点である。真剣な検討が必要だ。
30年間の政治闘争の
総括を迫った参院選
参院選は、議席をめぐる「勝敗」では、与党勝利と言えなくもないが、明確なのは野党の敗北だった。
与党でも、公明は議席を減らした。自民も比例では一つ減らしたが、選挙区選挙で10議席増やした。そのうちの6は1人区の選挙である。ここが「勝敗」を決した。野党が候補者を絞り切れれば「勝敗」も分からなかった。これは戦術的には一つの側面だ。
その自民党だが、支持は有権者全体の中ではわずか17・39%(絶対得票率)に過ぎない。1990年代以後30年間、参院選でも衆院総選挙でも全有権者の20%前後の支持しかない。90年代に約1000万の支持者が自民党を離れて元には戻らないのである。投票率も50%そこそこだ。
すでに30年前に有権者の支持を失った自民党だったが、それでも政権を維持した。選挙制度にも助けられたし、政党間での巧みな欺瞞、政治詐術で生き延びたのだ。
最初は事もあろうに、村山富市社会党委員長を首相に担いだ「自社さ」連立だった。その後は、最初は小沢一郎氏の自由党との連立の「自自」連立、その後公明党を引き入れ「自自公」連立、そして、民主党政権下で自民党が野党の時も含めて「自公」であった。自民党は、過半数の議席数確保だけでなく、大半の衆参の国会議員が公明党の基礎票に支えられて当選するようになっていた。
創価学会に支えられてきたさすがの公明党自身ももはや限界だ。今回参院選での得票数は618万票、前回19年比35万減。連立入り(1999年)以来最低となった。2013年も16年でも、756~757万票あった。毎日新聞は、「党幹部は『組織の高齢化では片付けられない問題だ』と肩を落とした」と報じた。「平和の党」はどうなるか。
自公両党は「連立」体制も含めて限界点を迎えたようだ。「旧統一教会」問題の噴出はその象徴だ。
だが他方、野党の敗北も明白だ。
「民主党」も安倍氏の
死出の道連れ?
世論調査担当の毎日新聞論説委員が7月20日、「安倍晋三元首相が銃撃されて亡くなった7月8日、安倍氏が敵視し続けた『民主党』も死出の道連れとなったのではないか。私にはそのように思えてならない」と書いた。この「民主党」とは旧民主党とその流れをくむ勢力だそうだ。
さらに次のように言う。「(7月16、17日の)全国世論調査の結果は、立憲民主党の退潮を強く印象づけた。『立憲民主党と日本維新の会のどちらに期待しますか』との質問に『立憲民主党』との回答は20%にとどまり、『日本維新の会』の46%の半分にも及ばなかった。『どちらにも期待しない』の28%をも下回ったことは、もはや野党第1党の任にあらずとの宣告を突きつけられたに等しい」と。
「民主党」的なものが安倍元首相の道連れになったかどうかは別にして、総括と再出発が迫られていることは立憲民主党自身が認めていることである。問題はその中身である。どのような「野党」が必要なのかだ。
なお、軍事費GDP2%や「核共有」を公然と主張する「日本維新の会」が、野党として国民の期待に応えることはない。しょせん「自民党的なもの」の一部、「安倍的な」政党であり、自民党の補完物というと言い過ぎか。東大名誉教授の御厨貴氏は参院選後の発言で、この党を「烏合の衆」と切って捨てていた。
学ばぬ政治家たち
ある評論家が、「参議院選挙は、いくつかのシステムの終わりを意味する重要なものだった」として、「第1は、1989年の参院選で始まった政治改革と政党再編の試みが失敗に終わったことである」と言っていた。80年代末から、「政治改革」が叫ばれ「2大政党制をめざす」として社会党や総評などが解体され「政党再編」が強行された。
この過程で戦後日本政治の基本的対立軸であった、日米安保体制、日米同盟は争点ではなくなった。大衆運動、国民運動も大きく後退させられた。こうしたこの30年間のしっかりした総括が必要であろう。とりわけ最近は、日米同盟問題は冷戦時のイデオロギー対立ではなく、日本が戦争に巻き込まれる危険となっているからだ。
ところが、「野党内野党」の実力者だというある政治家が、「政権交代をすれば、この国のうみを出し切ることができる。まずはそれだけで十分」だと。そして、「政権を取るためには選挙協力が一番重要。ただ一点、つまり自民党政権ではダメだ、という合意さえできれば、それでいい」と言う。似たようなことは何度も聞かされた。しかも「私は政権を2度代えた。『三度目の正直』を絶対にやる」とも。いい加減にしてくれと言いたい。
参院選結果を見ても明らかだが、そもそも現状程度の野党各党を国民は支持せず、議席も得票数も激減させた党が多いではないか。問題の根本は「選挙協力」ではない。戦争の問題、安全保障・防衛政策で、自民党と変わらないとすれば、何故、そんな野党を支持する必要があるのかという根本問題ではないだろうか。国民をバカにしてはいけない。自分たちを苦しめる政治の下で国民は、この30年間から学んでいる。「学ばせられている」と言うべきか。
「日米同盟深化」か
「平和・アジア共生」か
立憲民主党の参院選挙総括は、「今後の第一の課題は、対立軸を明確にすることである」と指摘している。まったく正しいが、しかし問題はその内容だ。肝心な点が明確でなく、少なくとも日米関係には触れない。要するに、戦争か平和かの問題に触れていないということだ。
第1次民主党(1996年)などにも深く関わった高野孟氏は次のように言う(THE JOURNAL Vol.555)。
自民の大勝というよりも野党の惨敗に終わった参議院選挙の結果である。岸田文雄首相率いる自民党は、何を争点にして勝ちを摑んだと言えるものはなく、ウクライナ戦争への人々の同情をそのまま「台湾有事」「尖閣危機」への恐怖感にスライドさせて漠然たる不安感を煽り、そういう時こそ「安定第一」の自民党政権が何よりという気分を醸し出した。それを投票日2日前の安倍晋三元首相の銃撃死のショックがダメ押しした。
野党第1党の立憲民主党は、この真綿で首を絞めるような情念的な心理操作作戦にほとんどなす術もなく受け身で右往左往しつつジリジリと後退を強いられ、ホワイトハウス発・永田町増幅による「ロシア・中国脅威論」の虚構性を暴いて別の世界解釈と外交方策を示すことができなかった。そこを突き詰めると、結局この党は、何一つ戦略らしきものを持っておらず、……。
その最大の原因は、本来はそれこそを自民党政権との中心争点にしなければならないはずの外交・安保について「(枝野前代表が)私は、短期的な外交・安全保障政策について、政権を競い合う主要政党間における中心的な対立軸にすべきでないと考える」と断言してしまっていることにある。……「健全な日米同盟を基軸とする」という大前提(である)。また「尖閣防衛」についても、それが米日の好戦勢力によって今にも起こるかに宣伝されているイデオロギー攻勢であることを暴露せず、彼らと同じ地平に立って軍事力による対処を主張し、米軍が頼りにならなければ「日本独自の対応力を強める」と、まるっきり自民党右翼と同曲を奏でていて驚かされる。
これでは永遠に自民党政権に対する対抗軸を形成することはできず、したがってまた他の野党との連携や協力の可能性を追求することも難しい。……
賛成だ。野党はいま、一、二を除いて、「敵基地攻撃」に賛成だ。これで自民党に対抗できるはずがない。
沖縄の勝利から
何を学ぶか
日本世論調査会が7月30日発表した平和に関する全国世論調査の結果で、日本が今後、戦争をする可能性があるとした人は計48%に上った。一昨年が32%、昨年が41%だったから、2年前から16ポイント上昇した。日本が戦争をする可能性が最も高いと思うケースは「他国同士の戦争に巻き込まれる」が50%だった。確かに、中国も朝鮮もどの国も、軍事力を強化し自国を守ろうと必死である。
そうした中でも国民が最も重要と思う手段は、「平和に向け日本が外交に力を注ぐ」の32%が最多で、「戦争放棄を掲げた日本国憲法の順守」の24%と続く。「軍備の大幅増強」はわずか15%にとどまる。
軍事力強化ではなく、自主的な外交努力による平和構築を求める国民の意識が顕著に表れていた。国民意識は極めて健全である。野党第1党の立憲民主党などは、高野氏が言う「虚構性を暴いて別の世界解釈と外交方策を示すことができなかった」だけなのだ。
この点で、沖縄の前進は学ぶに値する。この参院選での最大の焦点だった沖縄県選挙区の伊波洋一参議院議員の勝利、続く知事選での玉城デニー知事の大差での再選勝利は、全国的な大きな政治的勝利だった。相手候補はいずれも、中国の脅威を唱え、初めて辺野古新基地「容認」を打ち出した中での県民の選択だった。この勝利の経験は全国が、自公政権と闘おうとするすべての勢力が真剣に学ぶべきである。
NHKは今年2月から3月にかけて沖縄復帰50年に関する世論調査を行った。そこでは「中国に脅威を感じる」割合は「大いに」と「ある程度」を合わせて、全国が89%強に対して沖縄は87%弱でほぼ変わらなかった。「大いに感じる」は沖縄の方が6ポイントほど高い。
にもかかわらず、伊波洋一氏、玉城デニー氏ともに、真正面から、新基地建設に反対し、中国をはじめとする近隣諸国との友好交流、信頼醸成で平和を実現する方向を強く主張して県民の支持を得たのである。県民は、「再び戦場とさせない」決意を示した。「日米同盟で軍事力を強めて」の自公勢力は支持されなかった。
実に賢明な県民の選択であった。そしてそれは今、日本国民みなが望んでいることだ。
野党は、しっかりと目を見開き、アメリカ発の世論操作に振り回されるのではなく世界の趨勢を見抜き、国民の平和への願いを片時も忘れず、外交や安全保障で対抗軸を明確にしなくてはならない。
この点での戦略的方向なしに自公政権とは闘えない。国民は戦争の危機、米国が引き起こす戦争に巻き込まれる危険を直感的に見抜いている。そうした中で野党第1党が、日米同盟を自民党政権との「対立軸にしない」では闘えない。
米国一辺倒では、日本こそが戦争に巻き込まれる
自民党の中にも、「本質的な対立軸は『自主自立か、米国一辺倒か』」だと見抜いている見識高い政治家もいる。
周辺の国々がいかに軍事力を強めようが、わが国を敵視する意思がなければ脅威にはならない。
核戦争もあり得る情勢であり、今こそ真剣な議論が必要である。中国を敵視しない、「台湾独立」を煽らない、「自主の外交」こそ、明確にすべき対抗軸である。そうして広範な各界・各層の連携を進めることができる。
私たちも世論形成、連携促進にいっそう奮闘しなくてはならないと決意している。だが、政党人にも検討をお願いしたく、失礼を顧みず、野党各党にも触れて、率直に問題提起させてもらった。広範な国民連合全国総会でも侃侃諤諤の議論を期待する。