台湾有事を避けるために
国際地政学研究所理事長(元内閣官房副長官補) 柳澤 協二
ウクライナを見る視点
まず、ウクライナ戦争に触れておきたい。プーチンの狙いについて、世界が間違えていました。まさか、ウクライナに攻め入ることはないと思っていた。ところが戦争を始めてしまった。
背景には、ソ連崩壊後のNATOの東方拡大を巡って、西欧・アメリカとロシアの間の信頼醸成がなされてこなかったことがあると思います。だからと言ってプーチンの行為を免責するわけにはいかない。これは国連憲章に違反する、第二次世界大戦後の世界秩序を覆す暴挙です。
プーチンの核の脅しも許せません。核は、核を使うような戦争をお互いしないために存在する「使わない兵器」だと考えられていた。それを「政策の道具」に使うことになると、暗黒の世界に逆戻りしてしまう。われわれは今こそ、唯一の被爆国として「核の先制不使用」に国際世論を引っ張っていく必要があると思います。
国連総会決議で141カ国がロシアを批判した。私は大成功だと思います。これで戦争が止まるわけではないけれど、政治的・経済的に侵略者を孤立させていく。戦争の代償がとてつもなく大きいことを示すことによって、誰であれ、次の戦争のたくらみを防ぐことができることを期待しています。
ただ、それは、独裁だから、民主主義でないからという政治的なイデオロギーではない。大国がこういう勝手な武力行使をしてはいけない、中小国にも大国から攻められず生きていく権利があるという普遍的道義に基づく批判でなければいけない。
中国は、「ロシアは余計なことをしてくれた」と見ているはずです。台湾は中国の内政問題だと言っても、戦争を許さない、住民の意思を踏みにじってはいけないという国際世論があるわけです。それを見て、中国は軍事力行使が容易ではないという教訓を得ていると思います。
もう一つ、信頼醸成がなかったと言いましたが、外交で戦争がなくなるわけではない。しかし、少なくとも外交がなければ戦争を防ぐことができないという認識が大事ではないかと思います。
かつての冷戦よりも物騒な米中対立
米中の対立を「新冷戦」と定義するのは不十分だと思います。米国は1979年の米中国交回復以来、中国に技術や資本を投下し、人材を育成して世界の工場にした。今それが自分の力を超えるようになっている。以前のアメリカは、経済的に発展すれば中国がやがて民主化されるという期待感をもっていた。今は、その期待感が完全になくなって、中国は異質な存在だと認識するようになっている。
冷戦の時代と何が違うか。当時は、西東の陣営に分かれて境界線がはっきりしていた。お互いに、そこに手を出したら戦争になると理解していた。今は、中国が勢力圏を広げようとし、米国はそれを阻止しようとして、勢力圏が確定していない。冷戦時代には資本主義経済と社会主義経済の間に相互依存関係はほとんどなかった。今は同じ資本主義の土俵の上で競争し、それが新たな争いの要因になっている。そして三つ目に、冷戦時代は、核の撃ち合いになればお互いが滅ぶという相互確証破壊の認識があり、抑止が働いていた。しかし今、米中の間にそういう相互理解は存在しない。そういう意味で、今は冷戦よりも物騒な状況が生まれていると思います。
トランプは利益でしか考えていなかったけれど、バイデン政権が誕生して「専制対民主主義」というイデオロギーのカバーをかぶせ、より妥協が難しい状況になっています。
台湾を巡る戦争回避の条件が欠如
対立の焦点が台湾です。台湾は米国にとって、蔣介石の時代には反共の砦だった。民選で李登輝総統になって以降は、民主主義の最前線になった。中国にとっては国共内戦は終わっていない。だから戦争になってもおかしくないほどの対立関係にあるわけです。
しかし、戦争にならなかった。その理由は3点あると思います。
一つは軍事バランス。少なくとも90年代まで、アメリカの方が圧倒的に優位だった。それが変わっている。一昨年の米国防省の報告では、海軍の艦艇数では米国をしのいで中国が世界最大になっている。中国の中距離弾道ミサイルを1250発と見積もる一方、米国は、旧ソ連との間の中距離核廃止条約によって中距離ミサイルを持っていない。また、昨年の米国防省の報告では、中国は核弾頭350発を30年までに1000発まで増やそうとしている。さらに昨年、地球周回軌道から極超高速のミサイルを発射するという実験まで行っている。この技術では、中国に先行されている。このように、軍事バランスでは、米国優位が失われるという変化があります。
二つ目に政治の側面です。米中国交の前提には、「一つの中国」という認識を米国が一応認めてきたことがあります。特にクリントン大統領の時代には「三つのNO」、台湾を国家承認しない、独立を支持しない、国際機関に入れない、この三つの政策を約束した。
ところが、最近の米国の動きは、台湾との政府間交流のレベルを高め、国際機関に加入させる動きもある。それが中国を苛立たせる要因になっている。
三つ目に経済面では、国民党馬英九政権の時代には三通(通商、通航、通郵)、三つの交流を通じて大陸との信頼醸成を図るという動きがあった。今や米国は、半導体など、サプライチェーンの分断で経済的にも分離する動きが出てきている。
軍事・政治・経済の三つの観点から台湾を巡る米中の戦争がなかった条件が失われてきている。これが最近の特徴だと思います。
台湾海峡緊張の構図と日本の政策目標
台湾海峡で緊張が高まっている背景には、台湾の静かな独立志向があるわけです。それに対する中国の焦りと自身の力に対する驕りがあって、たびたび武力行使に言及するようになっている。特に2019年の香港弾圧以来、台湾では、「一国二制度」ということを誰も信じなくなった。「独立志向」が一層強まっています。
二つ目には先ほど申し上げた米国の台湾に対する支援が強化されている。公式には「一つの中国」政策を守るというのが米国政府の立場です。しかし、国際機関加入とか政府間交流の形で、米国が政治的現状変更を目指している。中国はフラストレーションを高め、台湾周辺での軍事的な行動を活発化させている。
お互いに、我慢できる政治的な、あるいは軍事的な限界を試そうとするチキンゲームが繰り広げられていると思います。
では、日本はどういう政策目標を立てるのか。
一つは、米中の戦争だけは何としても回避することを政策の大きな目標にすえるのか、あるいは、ここで中国が大きな顔をすることだけはどうしても阻止する、中国の覇権阻止を日本の大きな政策目標にするか。
米中望まなくても戦争は起こる
米中は、戦争を望んでいないし、戦争にはならないという見方もあります。しかし、今の覇権を巡る対立関係の中で、お互いに何かあったときに引くわけにはいかないという力学が働くはずです。
米国の偵察機が中国の空軍機に体当たりされて機体と乗員二十数名が中国側に拘束された海南島事件(2001年)がありましたが、これは外交で解決しました。しかし、これから先、予期せぬ衝突があったときにも、外交で危機管理が働くのかということが心配になるのです。
軍事的には取るに足りない小さな衝突が、お互いに引けないという力学のなかで本格的な戦争に進んでしまう可能性がないとは言えない。例えば、1914年6月、サラエボでオーストリア・ハンガリーの皇太子夫妻がセルビア青年の拳銃2発で暗殺された。それをきっかけにヨーロッパは大戦に巻き込まれる。あるいは1962年、ソ連がキューバに核ミサイルを導入しようとした。これに対してケネディは戦争を辞さない覚悟でソ連を脅すわけですね。その緊張のうちにフルシチョフが折れて、その後、米国とソ連の間にホットラインが引かれ、あるいは核軍縮の機運が盛り上がっていく。今後台湾海峡で起こる危機がどちらのシナリオをたどるのか、心配すべきことです。
ウクライナでは、米国は武力介入を否定していた。だからロシアを抑止できなかったというのは事実です。でも、武力介入すれば第三次世界大戦になっていたかもしれない。台湾については、米国は武力介入を否定しません。それは、周りの国を巻き込む大きな戦争になる。ウクライナと台湾を比較するときに、そこを考える必要があると思っています。
言い換えれば、米国の意思が強固であればあるほど、日本が巻き込まれるリスクは大きくなる。これは「見捨てられるか」、「巻き込まれるか」という「同盟のジレンマ」に直面することになる。いずれにしても、米国に任せておけばいい時代ではなくなったのだと思います。
米国の新作戦構想
米国は、中国との戦争において、どういう戦い方をするのか。
2010年ごろには、Air-Sea Battle構想という、いったん中国の中距離ミサイルの射程外まで退避し、そこから報復する戦い方を考えた。
今、20年春ごろから「全領域作戦」という構想が出ている。これは、中国ミサイルの射程の中でミサイルを撃ち合い、相手の前方戦力を殲滅するという戦い方です。中国は、ミサイルで台湾の軍事能力を破壊する。しかし、台湾を占領するには、台湾海峡を渡って兵力を投入しなければならない。そこが中国軍の一番の弱点です。米国の巡航ミサイルで渡航する船を沈めれば台湾占領という目的を達成できない。そういう戦い方で中国を「抑止」できるのではないか、という発想になってきている。
しかし、お互いの射程の中でミサイルを撃ち合う戦争になれば、その真ん中にある日本は戦場になる。
「台湾有事」の悩ましさ
台湾有事が始まろうとするときに日本はどうするのでしょうか。米国軍は、沖縄をはじめ日本の基地から出撃するわけですね。日本からの出撃は、安保条約に基づく事前協議の対象になっているわけです。米国から、日本政府に事前協議が打診されます。そのときに日本はどうするか。ダメだと言えば、日米同盟は崩壊するでしょう。オーケーすれば米国の戦争に巻き込まれてしまうわけですね。そういう状況を、そのときになってからでは遅いので、今から本気で考えておく必要があると思います。
米国は巡航ミサイルをたくさん持っていますが、中距離弾道ミサイルはない。弾道ミサイルは一発で飛行場の滑走路を破壊する能力がある。それに対して巡航ミサイルは滑走路の上にある飛行機を破壊できても滑走路に穴をあける威力はない。
このギャップがあるので、米国も中距離弾道ミサイルを開発しています。これを日本に置くことになるかもしれない。それは当然、核搭載可能です。核シェアリングという話は、おそらく、そこをにらんでいる。核弾頭だけあっても飛ばす手段がなければ意味がないので、近い将来に政治問題となる「米国の中距離ミサイル配備」に向けた「地ならし」の意味があるのではないか、と私は見ています。
中距離ミサイルは東京と北京を天秤にかける一方、米本土に届きません。それは、日本が核・ミサイル軍拡競争の舞台となり、アジアにおける戦術的なバランスが太平洋を挟む戦略的アンバランスをもたらすという悩ましい問題を内包しています。
戦争を知らない政治家たちの時代
「台湾有事なら日本も防衛しなければ」と言う政治家がいます。台湾を守ることは中国と戦争することです。その覚悟があるのでしょうか。
中国と戦争すれば、ミサイルが飛んでくる。サイバー攻撃も来る。貿易も止まる。そのとき日本がどういう状況になるのか。そういう見通しなしに戦争を語るのは、私は非常に危うく思えてなりません。
戦争とは、被害に耐えることだという認識が不可欠です。それを科学的に予測し、想定される被害についてあらかじめ国民の理解を得ておくことがなければ、勢いだけで戦争をしても、うまくいくわけはないと思います。
昨年の自民党の選挙公約の中に「国の役割は国家の名誉を守ること」という何とも訳の分からない字句が入っていた。戦争の要因は、「富と栄誉と恐怖」と言われる。それこそ「トゥキディデスの罠」に陥る話ではないか。
こういう話が平気で出てくる背景を考えると、私がかつてお仕えした自民党の政治家の皆さんは、戦争を体験してこられて戦争は絶対ダメだという認識をもっておられたように思います。そういう世代の方々がいなくなって、戦争を知らない政治家たちの時代になった。戦後日本の、「戦争はダメだよね」という非戦の時代精神が失われてきているところに、大きな時代背景があると思っています。
「抑止」の限界と「安心供与」
戦争を防ぐのに、「抑止」という考え方がある。でも、それでは不十分だろうと思っています。
抑止という考え方は、「戦争したらひどい目に遭わせるぞ、それでもいいならやってみろ」という話なんです。問題は、相手が「それなら戦争をしない」と認識しないと意味がないわけです。ひどい目に遭うというのは、被害の許容限度を超えるということです。仮に相手が、多少の被害を覚悟してでもここだけは譲れない、と考えた場合には抑止は効かない。抑止は破綻するのです。中国にとって「台湾独立」は、そういう問題でしょう。そこに抑止の限界がある。
そこで私は、もう一つの道、「安心供与(reassurance)」が必要だと言いたいのです。これは何かというと、相手がどうしても譲れない利益をこちらが侵すことがないという安心感を与える。であれば相手も戦争しないという安心感をこちらに与える。そういう相互の共通認識があれば、そもそも戦争する動機がないわけですから、確実な戦争回避につながる。もちろん、そう簡単ではないと思いますが、少なくとも抑止だけで戦争を防げるとは思えないのです。
米中の仲介、日本にできる「はず」のこと
冒頭に述べましたが、外交がなければ戦争を防ぐことはできません。いろいろやれることはあると思う。日中首脳会談を継続する。中国も台湾もTPP加入を求めている。これは日本がリードした枠組みですから、こういう話し合いの場を使う。
そして、中国に対して言うべきことを言うだけでなく、米国にも、言うべきことを言っていかなければいけないだろう。戦争になって一番困る国として、米中を仲介する余地を残しておく。それを日本はやるべきであり、やれることだろうと思っています。
防衛では、日本は専守防衛に徹し、中国本土への拡大を避ける工夫が必要です。敵基地攻撃と言っても、1250発のミサイルに対抗する実効的な抑止力として意味があるのか。「口だけで宣言する」政策は、しない方がいいと思っています。
できるはずの外交を、日本がなぜやれないのか。太平洋戦争もそうでしたが、ここまできたらもう「やむを得ない」と皆が納得してしまう。「やむを得ない」型の共同無責任です。だけど、その選択が戦争だったら、それではダメでしょう。日本式の意思決定の欠陥とも向き合わなければいけない。そういう時代にきていると思います。