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[石橋学]訪朝記

[1]

 かの国を訪れる。それは自分たちを知ることにほかならなかった。私が朝鮮民主主義人民共和国を訪れたのは2018年9月のことだ。初めて目耳にする街並み、人々の姿、肉声。それぞれに問いを突きつけられるようであった。


 私たちは何をして、何をしてこなかったのか。そして、どこへ向かおうとしているのか――。
 目の前の景観は社会主義の途上国のイメージに重なった。パステルカラーを配した中低層の共同住宅が整然と広がる。所々にそびえる高層住宅街が光を放つ。首都平壌のたたずまいは確かに新たな時代を告げているようだった。
 無論、ただの社会主義国家ではない。3代世襲の指導体制は他に例をみない。私が立つ地上170メートル、金日成主席生誕70年を記念して建造された主体思想塔も独裁国家ならではのモニュメントだ。ガイドの女性の説明はしかし、この国を「特異」たらしめる根本の要因を端的に示してみせた。
 「平壌は朝鮮戦争で廃虚と化しました。爆弾の雨を降らせた米国は、平壌は100年たっても立ち直れないと言いました。でも、ご覧になったように人民は短期間で近代的な都市を造ってみせました」
 その戦争は終わっていない。休戦状態のまま、日本の3分の1の国土にすぎない小国は世界一の軍事大国、米国の脅威にさらされ続けてきた。自衛の手段として選択された核ミサイル開発の道。国財が民需より軍需に優先される戦時体制下を2500万人民は生きてきた。金正恩朝鮮労働党委員長によって示された非核化の意思は恐怖と欠乏の時代からの決別を意味していた。
 眼下を人々が行き交う。職場へ急ぐ男女、子どもの手を引く父母。車は縦横に走り、トロリーバスは満員の乗客で揺れる。自転車の3台に1台は電動機付きだ。「遅れてやせ衰えた国」「制裁で締め上げれば音を上げる」という言説がいかに蔑みに満ち、無自覚になされてきたかを思い知る。この地を焦土にした爆撃機は日本を飛び立ち、米軍基地の存在と軍事演習による威嚇がこの国を消耗させ、国力をそいできた。
 現実のものとして亡国の恐怖を刻み付けたのは日本でもある。国土、資源、人間までも奪い尽くした植民地支配。そして今、朝鮮の人々を飢えさせることをためらわないというかつてと変わらぬまなざしを、私たちは目の前のこの人たちに向けてきたのだと思い至り、そのおぞましさにおののかずにいられなかった。

■歴史

 建国70年の国家行事に招かれた全国地方議員訪問団に加わっての取材行だった。団長は北原守・元福岡県議会副議長。福岡県日朝友好協会の会長として訪朝を重ね、交流を続けてきた。団の事務局長を元横須賀市議の原田章弘・広範な国民連合共同代表が務め、団員に中村元気・福岡県日朝友好協会副会長、迫田富雄・広範な国民連合事務局員が名を連ねた。
 朝鮮労働党傘下、朝日友好親善協会の案内員が、決められた案内先に通訳を兼ねて付き添う。最初に訪れた金日成主席の生家を抱く万景台では、この国の成り立ちが日本の侵略に由来するのだとあらためて教えられた。
 「朝鮮の革命の歴史はここから始まりました。偉大な金日成主席は14歳で抗日革命闘争に身をささげ……」
 それが神格化されたものであったとして、どうして嗤えよう。
 「国が滅びたのは正しい指導者がいなかったからです」「武装した相手は武装で打ち倒す。先軍思想は日本の蛮行を前に打ち出されました」
 最高指導者の偉業をたたえる朝鮮革命博物館は、帝国主義列強の覇権争いの舞台とされた19世紀にさかのぼって民族の悲劇を伝える。大日本帝国の武力侵攻、弾圧、虐殺を伝えるパネルの数々。解説する金善景さんが尋ねてきた。
 「日本で西郷隆盛はどう評価されていますか。上野に銅像が建っていると聞いていますが」
 朝鮮侵略を唱えた征韓論者の一人は、日本政府が「明治維新150年」キャンペーンを張った18年、NHK大河ドラマの主人公となった。侵略された側への想像力の欠如は歴史の美化へと退廃を深め、隔絶は広がるばかりだ。完璧な日本語を操る金さんの母校、平壌外国語大は近年日本語学部の学生が減り、学科に格下げになったという。日本人訪朝者が少なくなり、仕事につながらないからだ。


 金さんに聞いてみる。
 ――なぜ日本語を。
 「教師だった母の影響で漢字に興味を持ちました。率直に言って、日本という国への感情は良くありませんでしたが、関係はいずれ良くなるだろうと」
 ――そうはならなかった。
 「はい。最近も日本から訪れた方に『あなたは日本が嫌いなんですか』と言われ、驚きました。東京の鉄道労働者の訪問団と聞きました」
 ――どう感じましたか。
 「不幸な時代があったのは確かですが、肝心なのはそうした歴史を繰り返さないことではないでしょうか。慰安婦の問題もそう。目を閉じて歴史が消えるわけではない。過去を忘れる者は過ちを繰り返すという格言もあるでしょう」
 植民地支配は悪という普遍の価値観を共有できない落胆がにじむ。一体どう聞けば「反日」になるのか。

■孤立

 失礼を承知で「記事に必要なので」と年齢を尋ねると、金さんははにかみながら「まだ結婚はしていません」と精いっぱいの答えを返してくれた。実直さを感じさせるその語りに何かを言わされている響きはない。夢を聞くと即答した。
 「今は近くて遠い国ですが、距離を縮める努力をしていきたい。日本の言葉を習い、歴史を学んだ人間として日本にも行ってみたいです」
 日本からの来館者にこの国で何が起きたかを伝える。それは再び侵略されないためでもあろう。「過去を忘れる者は過ちを繰り返す」のだ。金さんは建国の父の遺訓を引き、案内を締めくくった。
 「『亡国は一瞬、復国は千年』。これが歴史の教訓です」
 では、私たちはどんな教訓を胸に刻んでいるだろう。
 金正恩氏を間近に見たのは9月9日、閲兵式と市民パレードの会場、金日成広場でのことだった。30メートル先、見上げるバルコニーに姿を現し、観覧席のこちらに手を振っている。一瞬戸惑う。周囲の各国来賓は当たり前に手を振り返してい る。国交のある国は160カ国以上ある。侵略した側でありながら70年以上も過去の清算を放置し、国交を結ばぬ日本はやはり「特異」な国だ。
 年が明けて2019年、加害の歴史否定は国を挙げての様相を呈す。韓国の徴用工判決は植民地支配が不当で、奪われた尊厳はいまだ回復をみないと示す。日本政府は国家間の協定をもって「解決済み」と強弁、マスコミやインターネットには「断交」「制裁」といった敵意があふれ、新たな「嫌韓本」が書店に並ぶ。旧植民地の南側にも同じく向けられる憎悪が、この国に染みついた民族差別と歴史修正主義を浮かび上がらせる。
 その朝鮮半島では分断と反目、抑圧の歴史に終止符を打つ冷戦解体の歩みが始まる。南北首脳会談は昨年3度開かれ、2月には2度目の米朝首脳会談が行われた。
 孤立しているのは私たちなのではないか――。
 そう痛感させられたのは朝鮮労働党幹部との面会でのことだった。

■不信

 朝鮮労働党国際部副部長、柳明善氏の弁には、自信に裏打ちされた辛辣さがあった。建国70年記念日前夜の2018年9月8日、全国地方議員訪朝団を迎え入れた朝日友好親善協会長でもある柳氏は、団の訪問に笑顔で感謝を述べると、切り出した。


 「皆さんは意義深い時期に訪問されました。朝鮮半島はいま劇的な変化が起き、よい機運が形成されています」
 核と大陸間弾道ミサイルの完成をもって対等な立場でテーブルに着くに至った米国との初の首脳会談。体制の安全が保証されれば核を持つ必要はない。軍事に国力がそがれる時代と決別し、経済建設に邁進する。戦略的路線転換の表明に、朝鮮半島の平和構築と非核化が合意をみた。信頼醸成がうたわれ、一方的に核を取り上げるといった力の論理はもはや成り立たない。対話が始まり得た新たな地平がここにある。
 私は尋ねた。
 「平和の機運をさらに推し進めるため、日本には何ができますか」
 探るような問いに、返ってきたのは不信だった。
 「日本政府は歴史の流れをしっかり捉え、対米従属から大胆に離れなければいけないと思います」
 ここで言う米国とはトランプ政権内外の対朝鮮強硬派を指す。軍事的緊張が続く中、武器を売りさばいてきた軍産複合体とそれに支えられる保守派の巻き返しが交渉の膠着を生じさせている。朝鮮戦争の終戦宣言が取り沙汰されるや河野太郎外相が「時期尚早」と制裁継続論に同調したように、強硬派に追随する発言を重ねる日本は北朝鮮にとって邪魔者でしかない。
 柳氏は「核を保有したのは、わが民族の生存権、主権を守るためです。わが国への脅威が解消されなくては朝鮮半島の核問題は解決しないのです」と念押しし、続けた。
 「日本も東北アジアの一員です。米国が威嚇をしないよう声を高めていくべきです。朝鮮半島情勢が悪ければ、日本の情勢も悪くなります。これが論理的な考え方だと思います」

■欺瞞

 平壌からの視線を持ち出すまでもなく、日本政府の「非論理的」な振る舞いは枚挙にいとまがない。北朝鮮の先制攻撃は圧倒的な軍事力と国力の差を考えれば非現実的で、報復を招く米国の軍事行動にこそ危機の本質はあった。にもかかわらず政府が行ったのは警報を打ち鳴らす避難訓練だった。「韓国政府はすべてをかけて戦争を阻止する。大韓国民の同意なしに軍事行動を決めることはできない」と米国をいさめた文在寅大統領とはあまりに対照的だ。
 南北、米朝首脳会談の意義にひたすら疑義を差し挟み、核実験とミサイル発射がやんだ平穏を歓迎する声は聞こえてこない。沖縄では米軍基地の建設が強行され、巨費を投じ地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の米国からの購入も決まった。冷戦下の発想にとどまり続けるさまは、危機の継続を望んでいるようにも感じさせる。
 矛盾はしかし、今に始まったことではない。平和憲法を持ちながら再軍備、軍備増強を進め、被爆国でありながら原爆を落とされた国の核の傘に収まる。主権の放棄と呼ぶべき不平等な日米安保条約の下、米国のアジア戦略に組み敷かれた戦後日本の「平和」の欺瞞にすべては行き着く。
 諭すような柳氏の警句には続きがあった。
 「日本はゆがんだ認識と思考法をただすべきです。拉致問題に執拗に食い下がりながら関係が改善するのは難しいと思います。根本的には敵視政策と圧力を踏襲しています。変化した流れを直視し、平壌宣言の精神にのっとって朝日関係を整理しなければならないと思います」
 拉致問題は「解決済み」という朝鮮に対し、日本政府は被害者の生存を前提に「全員の生還」を求める。こちらが望む結果以外は受け付けないという不信を前面にしたまま、どうして対話が始まるだろうかという、やはり論理的な問い掛けだった。

■傲慢

 17年の国連演説で「対話による解決の試みは無に帰した」とぶった安倍晋三首相も、金正恩氏が転じた対話姿勢に「平壌宣言に基づき、国交正常化を目指す考えに変わりはない」と軌道修正を図ったかに映る。だが、自ら振りまいた歴史修正主義と敵視政策で硬直した世論は、過去の清算はもちろん制裁緩和を許す空気でさえない。
 拉致問題担当相兼務となった菅義偉官房長官が「相互不信の殻を破り、新たなスタートを切る」と語る口で、万景峰号の往来を禁じる制裁法を成立させた過去を開陳したのは18年10月、川崎市内の集会でのことだ。敵対行為である独自制裁を誇ってみせる変わらぬ傲慢を横田早紀江さんは本心でどう聞いただろう。
 娘のめぐみさんを奪われたその人が09年のインタビューで語った言葉がある。
 「自分が優位に立っていると考えるところから間違いは始まるのでしょう。日本も特攻隊のようなことがまかり通り、命を何とも思わないことをしてきた。拉致も過去の清算も個別に解決され、北朝鮮ともとっくに仲良くなっていなければいけないのにと思います」
 語りの大半は、個人では抗えぬ国家暴力への悲嘆で満たされたが、自国にも通底する、命をももてあそぶ国家の冷酷さへの抗議は静かに表明されていた。
 拉致問題の進展がないまま流れた10年。政権に返り咲いた安倍首相はよりどころである朝鮮への強硬姿勢を強めることで「成果」を手にし続けた。国難を喧伝した総選挙で圧勝、麻生太郎副総理が「北朝鮮のおかげ」と危機の存在を感謝してみせたのは記憶に新しい。半島有事を根拠に押した集団的自衛権の行使容認で憲法の平和主義を完全に骨抜きにし、残る憲法改正を見据える。
 加害という過ちを後景に消し去り、朝鮮を憎悪の対象としてのみ描いてきたメディアの責任を思わずにいられない。横田さんの言葉には続きがあった。
 「優位にあるという間違いが広がり、命を何とも思わないことが平気になっていく。それだけは気を付けなければいけないし、だから早く解決してもらいたいのですが」
 人を人とも思わぬヘイトスピーチにあふれかえるこの国の異様は、「毅然と対峙する母」などという一面でのみ被害者家族を報じ続けた当然の帰結であり、寄り添っているかのようでいて、メディアは被害者家族の願いを踏みにじり続けている。

[2]

 女性たちはアイスキャンディーを頰張っていた。
 平壌に澄んだ空が広がった2018年9月9日、建国記念日の閲兵式とパレードに動員された10万を下らない市民が徒歩で家路に就く。2時間にわたって花飾りをかざし、「70周年祝賀」の人文字を描き続けていたのだ。務めを果たした自分へのご褒美のように黙々と口へ運ぶ姿に「お疲れさま」と伝えたくなった。
 「コマスミダ(ありがとうございます)」とおじぎをすると、はにかんだ笑みが返ってきて、ほっとする。そしてそんな自分に私は心底恥じ入るのだ。
 〈あの国には普通の人たちが暮らしていた〉
 記事にそう書かねばならぬほどゆがんだ私たちのまなざしは無知蒙昧で、暴力的だ。

■蔑視

 だまされるな。核を手放すはずがない――。
 南北、米朝の対話が始まってなお向け続ける猜疑がいかに差別に染め抜かれ、根を張っているか。あらためて思い知ったのは、滞在先の高麗ホテルで居合わせた民放キー局の男性キャスターによってだった。
 沖縄の米軍基地問題をはじめリベラルな報道姿勢で知られる氏にとって訪朝は18年ぶりだという。「街や人々の様子は随分変わったでしょう」と水を向けると返ってきた答えは意外なものだった。
 「平壌は相変わらず生活感がない。私にはあの高層ビルが張りぼてに見える」
 根拠不明のインターネット上の言説そのままに、街丸ごとの偽装を疑う発想に驚いた。同時に、突き放すような響きは、この国の人々に向けられたものでもあるのだろうと思えた。
 虚飾の街を造らされ、なお独裁者に従う愚かな人たち――。
 帰国後、キャスター氏が新聞社のウェブサイトで連載する日記風コラムは大仰な描写で満たされていた。
 〈それは、「見事」という人もいるだろうし、それと正反対の感情を抱く人もいるだろう。何しろ、人間わざとは思えないほどの足を高く上げた軍兵士たちの超大規模な隊列行進と、隊列のミラクル変容が正確無比に行われるのである〉
 〈午後8時すぎ、マスゲームが始まった。集団行動が苦手な僕から見ると、これは極限的、対極的世界の信じられないようなイベントだ。これは「集団美」なのだろうか?〉
 一糸乱れず披露されてこその閲兵式、マスゲームであるはずだが、嘲笑まで聞こえてきそうな筆致は冷酷に結ばれる。
 〈個人的には、建国記念日の軍事パレードやマスゲームといった行事以上に、たいまつパレードに衝撃を受けた。全員若い人たちが演じていたからだ。彼らはこれから一体どんな人格形成を遂げていくのだろうか〉
 だから朝鮮人は信用ならない、対等な存在とは認められないという見下しの表明にほかならなかった。報じる立場、それもリベラルなキャスター氏にしてこのためらいのなさ、無自覚ぶりなのだ。
 やはり書かねばならない。私が目にしたのはどこにでもいる若者たちだった。記念行事前日、動物園の駐車場でリハーサルに励む大学生の一団に目を凝らすと、退屈そうに小石を投げてちょっかいを出したり、腕だけ勢いよく振って足踏みをサボっていたりする。マスゲームのボードを手にした中学生たちも何かに操られた集団などではなかった。「ありがとう」と伝えると、女の子たちは控えめながら「わーっ」と沸き立ち、男の子たちは「うおーっ」と拳を振り上げ、こちらに応えた。
 手を抜きたくなる不平だって覚える。何かの役に立てたと思えれば誇らしくもなる。折り合いや小さな喜びを見いだしながら、この国の人々もよりよい明日を求める思いと営みを続けている。

■意志

 マスゲームの妙技を習得するため、子どもたちはどれだけ練習を積まねばならなかったかに思いが巡らないではない。では、何がそうさせるのか。案内員兼通訳の朝日友好親善協会職員、李在元さんは言うのだった。
 「一心団結です。われわれ人民は一丸となって立ち向かうことができると示しているのです」
 なぜ核武装に至ったのかに通じる示威。根底に流れる二度と国を滅ぼされまいという意志。パレードで示された「経済強国建設」「科学で飛躍」といったスローガンで際だって映ったのは「自主、自立、自衛」「祖国統一はわが民族同士で」だった。マスゲームでは、金正恩朝鮮労働党委員長と文在寅韓国大統領が手を取り軍事境界線をまたぐ映像に、15万人収容のメーデースタジアムが満場の喝采に包まれた。用意されたスローガン、プログラムであろうと、民族分断の悲劇、敵対の脅威を想起すれば、和平を希求する人々の思いは確かなものと思える。


 戦争、経済危機は一方で独裁を招く。平和が担保されてこそ人権も保障され得る。平和でなければ経済成長も望めない。ならば、非核化の実現と戦争状態の解消は人権状況の改善に欠かせぬ一歩ではないのか。首都に限られている発展が地方へ広がる契機になりはしないか。何より私たちは傍観していて、よいのか。

■原点

 自由な取材は認められず、人権侵害の実態や地方の実情をこの目で確かめることはできない。戦時状況は情報統制の口実にもされるだろう。では、言論の自由が保障されている日本の報道は何を伝えてきたか。
 自ら属する東アジアの冷戦解体の胎動に政治家、学識者、文化人がこぞって冷淡であるとき、南北分断、朝鮮戦争につながる植民地支配を行った日本は、朝鮮半島の平和回復に尽くす歴史的責任があると提起したか。「張りぼての街」を見下すとき、私たちの戦後の繁栄は朝鮮戦争の犠牲で得た特需に始まったと、どれだけ思い起こせるだろう。
 北朝鮮は約束を破ってきたと懐疑視するとき、「悪の枢軸」と名指しし、先制攻撃の対象とみなしたブッシュ政権の体制転覆の企てが米朝共同コミュニケを破綻させたと、米国の責任を一例でも指摘したか。核開発を非難するなら大国の保持を認め、米国の傘に収まる自らの矛盾を顧みたか。
 朝鮮が掲げる「自主、自立」というスローガンに基地を差し出し続けるだけでなく新たな基地まで造ろうとしている対米従属ぶりを少しでも恥じることがあるか。
 朝鮮の人々の人権状況を憂えてみせるとき、目の前の在日コリアンへの人権侵害を問題にしたか。拉致問題を前面に、憎悪と脅威をあおる安倍晋三政権の対北朝鮮政策の危険性に警鐘を鳴らしてきたか。朝鮮学校の無償化排除に代表される道理に外れた制裁が「敵」には何をしても構わないというお墨付きを与え、インターネット上にはヘイトスピーチがあふれ、ヘイトクライム(憎悪犯罪)までが頻発する。「反日」の悪罵は沖縄の人々や平和を唱える者にも向けられるほど社会を破壊している。
 南北が和解へと向かうやいなや、「38度線が対馬まで南下してくる」といった「南北統一脅威論」を持ち出し、冷戦思考にとどまり続けるさまは、平和国家とはほど遠いこの国の戦後をあぶり出している。日本軍性奴隷や徴用工、レーダー照射をめぐって韓国との対立をあおり立てる安倍政権は戦後日本の平和の欺瞞の象徴である。
 「危険な指導者が率いる何をするか分からない国」などと嫌悪と蔑みをたぎらせるとき、70年余り前のわが身をどれだけ思い浮かべることができるか。天皇をいただく「神の国」と信じ、その優越思想が人間を人間と思わぬ植民地支配とアジア侵略の暴虐を可能にし、果ては無謀な戦争に突入、破局をみた。最高責任者の天皇はしかし、米国の占領政策の都合で免責された。私たちは明治以降、この国を誤らせてきた民族差別の愚を自ら正すことができぬまま、差別と侵略を正当化してきた天皇制を問い直す声さえ上げられぬまま、平成までが終わろうとしている。

いしばし がく 神奈川新聞川崎総局編集委員。『時代の正体』VOL1・2、『ヘイトデモをとめた街』の執筆とデスクを務めた。