「辺野古」県民投票を振り返って 元山 仁士郎さんインタビュー

沖縄の未来は自分たちで決める

 沖縄県民は「辺野古」県民投票でしっかりとした意志を示し、全国を激励する素晴らしい闘いとなった。奮闘されたすべての皆さまに敬意を表します。しかし、追い詰められた安倍政権はこの県民の声を無視し工事を強行し続け、3月25日には新たな区域の埋め立ても始めた。この暴挙に強く抗議する。
 政府は、もし「日本は民主主義国」と言うのであれば沖縄県民の声を聞くべきだ。報道によると、政府が地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の秋田県配備について原田憲治防衛副大臣は秋田県知事に「地元の理解が得られないまま進めることは考えていない」と述べたという。何という二面的な態度だろうか。沖縄県民の理解は得る必要がないのか、沖縄が「構造差別だ」と怒るのは当然だ。全国でこうした暴挙を許さぬ闘いが問われている。
 休学して「辺野古」県民投票の会代表として奮闘され、この4月からは大学院生に戻る元山仁士郎さんに、政府への怒りと全国への呼びかけ、運動のなかでの経験などをつぶさにお伺いした。(3月22日収録、文責編集部)

 辺野古の県民投票ということで、昨年4月から2月までなので正確には11カ月くらいなんですけれども、もう1年もたったのかという思いと同時にまだ1年しかたっていないのかというくらいに濃密な時間を過ごさせてもらったと思っています。
 県民投票の結果は、投票率が52・5%、反対が72・2%で反対の意志が明確に示された。辺野古県民投票の会としては県民投票するということが目的であったので、県民投票が終わった今、3月26日に解散します。しかし、個人的には県民投票で意志を示して、それをもって米軍基地のための辺野古埋め立てを断念させるということを見据えていたので、それがまだかなっていない現状にものすごく憤りを覚えます。なぜこういうふうになってしまうのか、現状に悲しい気持ちがありますね。

全国の皆さんに考えていただきたい

 まず、なぜ沖縄は2回も県民投票をやらないといけないのかということを、全国の皆さんに考えていただきたいと思います(第1回目は1996年)。皆さんのところで住民投票あるいは県民投票をやって、それに示された意志があるにもかかわらず逆のことをされるということがあったらどう思いますか。もはや、「基地問題」ではなくて、日本の民主主義の問題、地方自治の問題、人権とかそういった問題だということが浮き彫りになっていると思っています。
 だから、沖縄が日本の中でどういうふうに扱われているのかということも、ものすごく疑問に思わざるを得ない状況だと思っています。
 もちろん、県民投票自体はやってすごくよかったと思います。しかし、結果が出た後の政府の対応を見ていると、賛成、反対、どちらでもない、あるいは投票に行かなかった人たちも含めて県民の思いを、今後どういうふうに拾っていくのか、結集していくのか、あるいは変えていくのかといったことも問われていると思います。
 県民投票をやったということで決して終わりではなく、むしろ、ここから沖縄の中でも始めていかなければならないし、日本に住んでいる方々にも始めてほしいと思います。

それでも工事が止まらない屈辱感

 沖縄では2回も県民投票をやらざるを得ない現実があるが、歴史的に見ても他の都道府県とは違うという自負も自分の中にはあります。ですけれども、県民の投票結果が生かされない、ねじ曲げられる、思いが果たされない。この悔しさだとか、おかしい問題だということは分かってもらえると思うんです。ただその点で共感していただければとは思います。沖縄が望んでいるのは、本当にいじめをやめてくれという訴えだけですから、そこには賛同できると思うんですよね。
 なのに、なぜ工事が止まらないのか。週明け25日の月曜日から新しい区域で護岸が建設される。ここは屈辱だという思いがあります。
 県民投票で反対という方が圧倒的に多数だった、その意志を政治に反映できない。沖縄にずっと取り組まれてきた方もおられると思うんですけれども、きつい言い方になりますが、「今まで何をしてきたのですか」と思ってしまいます。こんなにストレートに意志を表明したにもかかわらず、それを聞いてくれないような国をつくってしまったのか、本当に沖縄のことを周りの人たちに伝えられてきたのかということは、もう一度見直してほしいと思いますね。

「私」と、主語を一人称にして呼びかける

 運動の中で考えたことをお話ししたい。
 語り方として今後の運動に関わると思うことがあります。「自分がなぜ沖縄に関心があるのか」とか、あるいは「私が基地問題についてなぜ話しているのか」というところを強調していかないといけないと思っています。「私」と、主語を一人称にして話すというやり方です。

明日からの県民投票運動期間に備えて県庁前で呼びかける(普久原朝日撮影)

 今は、SNSなどがあって匿名で何でもモノが言える時代になっています。そうした中で自分をさらけ出してモノを言うことがものすごく説得力をもつ時代になってきていると思っています。自分が何者なのか、なんで関心があるのかというところは、皆さん誰でも語れると思うんです。沖縄に行って現状を見て、これはおかしいなと思うとか、あるいは友達が住んでいたとかいろいろな背景があると思うんですけれども、そういうところを語りながら、自分はこの問題を「こう思う」という話し方だと、共感してくださる方がたくさんいると思うんです。
 沖縄の問題が、憲法違反だとか、人権侵害だとか、ある種ちょっと大きな語り方というのもあるとは思いますし、それも大事だとは思うんですけれども、今、学習会の場だとかあるいは街頭で伝わる話し方というのは、自分個人を「私」と一人称を主語にした話し方にしたほうがより伝わると思うし、そこから憲法だとか人権だとか自然だとかに引きつけて語ることができますから、今までの語り方、伝え方をもう一度、見直さないといけないというところも考えていただければと思います。

なぜ今、「県民投票」だったのか

 なぜ今県民投票なのかということには、二つ理由があるなと思っています。
 一つは沖縄戦の体験者が高齢化していて、10年後ぐらいには語れる人がほとんどいなくなってしまうかもしれないという状況がきている。沖縄戦の体験を語れる方々が沖縄の中で唯一、基地のない沖縄を知っていて、戦争があったということを知っていて、その後、米軍の統治下と、そういう変遷を見ている人たちなわけですね。こういう人たちがこの基地建設をどう見ているのかというのが、ものすごく重要だと思いますし、この人たちが生きているうちに辺野古の基地だけに絞った県民投票が必要じゃないかというのが一つの理由ですね。
 辺野古に絞ったというのは二つ理由があって、一つは1996年にも県民投票はやられたのですが、その時は地位協定の改定と米軍基地の整理・縮小がテーマでした。当時から抽象的な要求じゃないかという批判があって、県民投票の結果が出た後、橋本首相も整理・縮小を進めていきますという名の下に今の普天間の移設、辺野古の基地建設というようになってしまった。もう少し、争点を絞った形で投票をやるべきではないかということです。
 もう一つは2016年9月に出された福岡高裁那覇支部の判決文で、沖縄の民意というのは選挙からは明らかではないと。それではどういう民意があるのかというと、普天間基地およびその他の基地の整理・縮小を求める民意と辺野古の新基地に反対する民意と二つがあって、整理・縮小を求めるのであれば辺野古の基地は造ってもいいとなるというのです。それは選挙からは分からないという屁理屈めいた理屈を立てられて、判決が出された。じゃあ「辺野古の基地についてはどう考えているか」とストレートに問う県民投票が必要になってきたんです。
 ですから、なぜこの時期に県民投票かというのは、一つ目は戦争を体験した方々が高齢化していることと、二つ目が裁判の判決を踏まえて辺野古に絞る必要があったというのが理由です。これが、今回の県民投票に向けて動いた動機です。
 やはり、沖縄戦と米軍基地とかは密接に結びついていますし、そのことを身をもって体験した方々がどう考えるのか。もちろんいろいろの立場の人がいらっしゃると思います。戦争はあったけれども基地は必要だと言う人もいるでしょうが、基地はダメだと言う人が圧倒的に多いと思います。そういういろいろな人たちの体験を踏まえた話というのを自分自身も聞きたいと思いましたし、多くの方々にももう一度、家族だとか親戚の中で話を聞いてほしいなと思っていたので良い機会になったと思っています。
 県民の、とくに戦争を知らない世代に沖縄の未来を考えるきっかけとなったのではないでしょうか。

ゲート前で止める闘いと県民投票と

 県民投票への疑問や批判の内容としては、主に3つほどあったように思います。
 一つ目は賛成多数になったらどうするのだと。政府の介入がひどい場合、1997年の名護の市民投票では防衛省が職員を駆り出して賛成を促す運動を繰り広げた。それを今回の県民投票でやられた場合、賛成多数になってしまうのではないかという懸念も出ていましたね。政権は何をしてくるか分からないと。それはその通りでしたが、実際にはそのような動きはありませんでした。
 二つ目の理由としては、撤回という基地建設を止める知事の権限、方針を制約するのじゃないかということもあった。最後的には6月12日に翁長雄志知事が、県民投票が撤回判断を縛ることはないと明言されたので、その懸念は解消されました。
 3点目が現場の阻止闘争から人を削ぐのじゃないかと言われました。工事を止めるためには現場で止めるというのが最も重要なのにと。自分たちも県民投票を担わないといけないじゃないか、大変だという心配もありました。この点は、事実の中から「反論」というのか、そうじゃなかったということがあって、おおかた結論が出た。また、「奇跡の一週間」をつくろうという、4月の最終週から5月の頭にかけて500人集まって1週間工事を止めようという取り組みがなされたんです。私も、その初日だけ参加しましたが、残念ながら700人集まっても工事が止まらなかったんですよ。機動隊員たちがひどいやり方をして、抗議をさせないやり方で、ひどかったのですけれども、現場にいた方々も人数が集まれば止められるわけではないということに気付いたという方もけっこういらっしゃった。
 県民投票の会も私のように東京で学んでいて現場に来ない人たちがやったわけでなくて、辺野古のゲート前にも週2~3回足を運ぶけれども、県民投票もやったほうがいいという方々もいらっしゃったわけです。彼女、彼らたちは500人行動を体験して、あ、これでも止められないのかと。そしたら、もちろん彼女、彼らは現場に行くけれども県民投票でも頑張ろうということで賛同してくださった。
 もう一つ、これは蓋を開けてみなければ分からなかったことですけれども、現場に行きたいけど行けないという方が大勢いて動かれた。私も、県民投票の会の事務所で署名簿を送る作業をしていて電話対応をしていたんですけれども、そういう電話に何度か出ました。どういう人がいたかというと、2年前まではゲート前に通っていたが、足が悪くなってしまって、もうそんなに動けなくて行けなくなった、でも署名なら自分も書けるし、家族や周りの人たちにも呼びかけるから署名簿を送ってほしいという方もいらっしゃいました。他にも、その理由はさまざまで子育てが忙しいとか、孫の面倒を見なければいけないので辺野古には行けないとか、あるいは仕事が忙しいとかいろいろな理由でゲート前には行けない人々です。
 辺野古埋め立てを阻止したい思いはあるが辺野古までは行けないという。その思いを形にする署名であればやりたいということで、本当に何千、何万という方から問い合わせがあって、それで結果的に10万筆を超える署名が集まったんですよね。

ウチナーンチュを信じて行動をし続けてきた1年だった

 もちろん、私としては一昨年の11月から動いていて、いろいろ否定的な話を聞いていたのですが、全てやってみないと分からないことでした。現場に足を運べない人たちが実際に動いてくれるだろうか、実際どうなるか蓋を開けてみないと分からない。私としては現場で阻止行動をしている方々に署名集めもやりなさいということではなくて、辺野古に行けない、あるいは東京で勉強していた自分も動くし、思いがある方々が少しでも動けば署名はできるし、集まるだろうということを信じていました。
 県議会与党の方々やオール沖縄会議だとか現場の方々から県民投票運動を始める前から話も聞きながら進めてきていたので、その危惧するところ、懸念は別に分からなかったわけではないのです。その心配を乗り越えないといけないなというのはすごく重く自分に課せられた責務だったと思います。あくまで結果が重要で、もし悪ければものすごく重大な責任が覆いかぶさったと思います。結果が出てそれが良かったのか悪かったのか、まだ何とも言えませんが、圧倒的な反対の意志という結果が出たので自分も今堂々と話せると思うのです。
 このような結果になったというのは、やってみないと分からなかったことなので、だから、沖縄県民、ウチナーンチュを信じて行動をし続けてきた1年だったなというふうに思います。

若者たちが動いたが…

 若い人が動いたといっても表立って動ける人というのは、そうは多くなかったと思いますが、今回の県民投票を通じて基地問題を考え始めたとか、投票に初めて行ったという人もいましたので、そういう点で何かしら考えるきっかけを与えることができたのではないかと思っていす。

2018年7月19日那覇市役所前で県民投票署名(普久原朝日撮影)

 しかし、5市長や政治家の方々は若い人にもっと関心を持ってほしいとか、政治について考えてほしいということをおっしゃっていますよ。しかし、実際に考えて動いたら、投票させないということをやってしまっていいのか。言っていることとやっていることが違うとすごく思ったんですよね。
 運動に取り組まれた方々にも少しは当てはまるところがあると思うんですが、若い人に出てきてほしいと言いながら、いざ出てきたら、もっとこうしたほうがいいだとか、これはダメだなどと。それはどうだろうかと思ってしまいます。もちろん、全て認められるわけじゃないですけれども、もう少し見守ってというところがあってもいいのじゃないか。私が20~30年後にどうなっているか考えながら話しているのですが(笑)。
 失敗するのも一つの経験だと思うので、なぜダメだったのか考えればいいですし、また次につなげていけばいいだけですから。
 いずれにせよ、若い人たちの立ち上がったことに自分も驚いているところもあります。今後につなげていくために継続的な取り組みが必要だろうなと思います。
 デニーさんが当選した知事選もそうだったですけれども、若い人が政治に関心を持ったり動いたりするというのは、全国的にも沖縄は特殊だと思うんですよ。本来、例えばベルギー、フランス、アメリカなんかでも気候変動や銃の規制だとか若者の行動が伝えられます。しかし、日本は残念ながら民主主義が遅れているというか、それだけ主権者の意識というか、やはり政治を変えていこうかとか今の状況を良くしていこうというのが、なかなか目に見えない状況にあるわけです。
 だから沖縄はすごく民主主義のレベルが高いと思うし、権利を勝ち取ってきたという歴史があって、特別に教わっているわけではない。なぜそれが根付いているのか分からないですけれども。それが今後どうなるかは自分たちにかかっていると思っています。それが歴史というものだと思いますね。

局面を打開したハンガーストライキ

 自分のハンガーストライキも今までやられてきた歴史があるので、やはり、自分とつながりのある先人がやっているんだということからものすごく勇気をもらいました。投票権が奪われようとしている中で、自分がハンガーストライキをやるというのは、沖縄の歴史を考えると当然やるべきことだと思ったので、決行したというところがあります。その積み重ねというのが沖縄にはあると思います。
 しかし、やる時期はけっこう考えてやったんですよ。5市が不参加を表明して、参加を表明しなければならない期限が迫っていたんですよ。ものすごくギリギリの時期が1月の3週目あたりだったんです。私は12日から始めました。何かしらの動きを起こさないと5市不参加のままというふうになってしまっていたので、何かするのであればこの週だなと思っていました。その前に市議会議員にお会いしたり、議長とお会いしたり、市長とお会いしたりして、どういう思いでやってきたのかとか、皆さんを支持した有権者の方も県民投票に参加したいと思っているということを伝えてきたのですが、なかなか態度が変わらなかった。そういう経過でやらざるを得なかった。
 沖縄の闘いの歴史には重要な局面でハンガーストライキの経験がいくつもありました。基地拡張工事に対してハンガーストライキをやっただとか、あるいは金武湾の石油備蓄基地建設阻止闘争だとか石垣空港建設阻止だとか。
 誰がこのハンガーストライキをやるかというのもまた、自分なのかもしれないということはずっと思っていましたね。もちろん、今まで県民投票に向けて動きを担ってきた自分がやることにより意味があるかもしれないというふうに考えてハンガーストライキをやりましたね。
 5市が抜けるのとそうでないのとでは政治的に全然違います。5市が抜けた場合に菅官房長官が何と言うだろうかということも考えた。記者から質問があって、「これは全県ではないですよ」で終わりだったと思うんですよ。それを言われるのはものすごく悔しいと思いましたし、それを言わせないという思いもありました。
 実際にハンガーストライキに入ると、応えてくれる県民・市民が大勢いらっしゃった。沖縄県公明党の金城勉さんという代表ですけれども彼がどうにか打開したいということで、汗を流してくれた。県当局、副知事だとか県議会議長と話して与党会派がまとまった。自民党も照屋守之さんという当時の会長が、その後辞任しましたけれども、3択で自民党もやろうということで、すごく重い決断を下してくださった。
 ハンストに応えてくれた市民・県民、それから政治家の方がいるというのはものすごくありがたいことだと思いますし、沖縄の今までの歴史だとか政治のすごさというのが実感できた。

沖縄の未来を考えてどうあるべきか話す

 繰り返しになりますけれども、自分が何者なのかというところを考えながら、それを含めて第一人称で正直に話をするというところが大事だと思います。立場の違う、考えの違う人と、尊重しながら今回は一緒に沖縄を良くしようよと。沖縄の未来を考えてどうあるべきか話すというのは成功したと思いますので、この取り組みを続けていければなと思いますね。
 全体としては同じゴールを見ていかなければいけないと思うんですけれども、それぞれの故郷を良くしたいだとか、地域を良くしたいと、住んでいる方々は誰もが思っているんですよ。交通だとか福祉、医療、教育だとかいろいろな争点があるとは思うんですが。しかし、間接民主主義である選挙と直接民主主義である住民投票の結果は往々にして異なります。今回の県民投票でも〝容認派〟の市長と言われていた名護市や宜野湾市、沖縄市、うるま市などの市でも辺野古基地建設のための埋め立てには反対が圧倒的でした。
 住民投票をやるというのは総じて、住んでいる、生活をしている人たちが当事者意識を持てることだと思います。問題に向き合う機会になると思うんですよ。各地域でもし抱えている問題があるんだったら、それだけに絞って住民投票をやって、地域の住民皆で考えるということはものすごく有効なことだと思います。日本でも1700件以上住民投票がやられているんですよ。都道府県レベルでは沖縄しかないですけれども。
 直接民主主義である住民投票をうまく使って、より多くの人と一緒に地域をつくること、政治のことを考えていくことは大いに取り組むべきと思います。

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