沖縄から 屋良 朝博

それでも戦争できますか?

新外交イニシアチブ評議員、前衆議院議員 屋良 朝博

十字砲火

 沖縄の米空軍に大きな変化が起きている。同時に嘉手納飛行場の爆音が激化している。
 嘉手納に常駐配備だった主力戦闘機F15C/Dが退役、撤退する。モデルの新旧入れ替えであり、既定のこととはいえ、注目はその穴埋めとして最新鋭のステルス戦闘機F22を「ローテーション」で暫定配備する措置である。
 米空軍が抱く危機感が「ローテーション配備」を導入する理由だとする米報道もある。常駐とローテーション配備の大きな違いは家族が一緒に沖縄に住むかどうかだ。常駐は家族帯同であり、ローテーションなら兵士のみの沖縄赴任になる。有事を想定すると家族は足手まといになりかねない。


 F15撤退について、米軍準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス(星条旗)」(11月14日付)は「中国脅威がF15撤退の背景」の見出しで、元国務省高官のコメントとして、米中戦争になると嘉手納基地はもちろん、日本国内にあるすべての米軍基地は生き残れない、と指摘した。
 こうした危機感を裏付ける記事が4月にあった。米軍の家族が沖縄赴任を嫌っている、と沖縄タイムスが報じた記事は、「沖縄はリゾート勤務地として人気だったが…」「家族の安全を懸念、単身赴任の選択も」といった見出しが躍った。
 「いま沖縄では攻撃された場合を想定した避難訓練が増えている」「望ましい子育て環境ではないため、家族での移住を見送った」。米兵士やその妻らの声が報じられた。また、海兵隊中佐のマイケル・フーケイ氏は「沖縄が十字砲火を浴びる可能性は決して低くはないだろう」と警告した。
 十字砲火は多方面から攻撃を浴び、蜂の巣にされることだ。そんな物騒な見立てが単に中国脅威の雰囲気の中から出ているものか、しっかりと見極めなければならない。
 米本国をも射程に置く弾道ミサイルを保有する中国にとって、嘉手納を一撃で仕留めるのは容易かもしれない。
 米研究者が数年前に中国内陸の砂漠に地上絵を見つけた。空母が停泊する横須賀港や嘉手納基地の形状にそっくりの地上絵。その疑似滑走路の真ん中にはクレーターがあり、ミサイルでピンポイント爆撃した形跡が見て取れた。
 沖縄ばかりか日本中が攻撃の的になる。私たちは戦争を回避する手立てを懸命に考えて、考えて、考え抜かなければならないはずだ。正答を導き出さなければ取り返しのつかない結末が待ち受けているかもしれない。

リアリズム幻想

 自公政権が推し進める敵基地攻撃能力は正答なのだろうか。その政策を国民の多数が支持しているが、住んでいる地域が十字砲火を浴び、戦場と化す場面をリアルに想像できるだろうか。生命と財産を奪う戦争を避けることが安全保障の要諦のはずだ。
 南西諸島防衛の名の下に陸上自衛隊は宮古島、石垣島、沖縄本島うるま市に対空・対艦ミサイル部隊を配備している。射程が短いのでとりあえず専守防衛の範囲内だと説明するが、敵の長射程ミサイルの格好の餌食になりそうだ。例えが不適切かもしれないが、まるで祭り屋台の〝射的〟のように標的を並べている。
 そんなミサイル防衛がおぼつかないため、敵領土内の攻撃拠点を長射程ミサイルで攻撃できるようにするという。この論理の行き付くところは中国の核兵器に対抗し、日本も核武装すべきだ、という軍拡のエスカレーションでしかない。
 11月中旬に南西諸島で行われた日米共同訓練「キーン・ソード23」では、台湾から100キロメートルほどの距離にある国内最西端の与那国島に戦闘車が運び込まれた。
 福岡県の航空自衛隊築城基地から輸送機で戦闘車を与那国空港へ空輸したのである。民間空港を使い、公道を移動しながら島内の陸自駐屯地に移動した。赤瓦民家のすぐ横を砲身を突き出した戦車が走っていく。このような訓練は与那国では初めてだった。
 これまで米軍基地負担が過重な沖縄への配慮から、自衛隊は民間空港、公道を使う訓練を控えてきた。戦車を輸送機に載せて運ぶ訓練なら、福岡から与那国までの距離と同等な地域へ飛ばせばいいだけのことだ。あえて与那国を使ったことに言いようのない危うさを感じる。
 与那国の島民には、「万が一のため訓練は必要だ」との受け止めもある。しかし戦史では島の攻防は攻撃側が有利にあり、防衛は困難だとされている。地上戦闘のための戦闘車搬入は制空権、制海権を失う事態を想定している。敵の攻撃にさらされているはずの小さな陸地に戦車を運ぶ訓練がいったいどのような事態を想定したものか首をかしげる。
 おそらく抑止力を高めるため、と言うだろうが、あえて迷彩色が前面に出る威嚇の安全保障は必ず打ち破られる。歴史が証明している。
 「キーン・ソード23」の直後に与那国町は住民の避難訓練を実施した。小学校で児童たちが机の下に身を隠す。これが大人が思いつく精いっぱいの現実対応なのだろうか。有事において自衛隊は住民を守る義務を負わず、余裕もない。
 自公政権は「日本を取り巻く安保環境が悪化している」と繰り返すが、悪化させた政治の責任は不問に付す。日中関係を悪化させた尖閣問題に火をつけたのは日本の政治ではなかったか。過去を検証できない政治がこの国の進路を歪めてしまう。

国境の管理・マネジメント

 11月、APEC首脳会談に出席した岸田文雄首相は習近平主席と会談した。海洋や領土紛争についても触れ、双方はこれまでの原則合意を守り、適切に管理していく必要がある、との見解で一致した。
 尖閣問題をめぐる日中両国の管理はうまくなされてきた。日本が実効支配を続け、中国側は定期的に日本が主張する領海内に公船を侵入させる。双方が領有権を主張するルーティンを続けながら、日中両国は尖閣の領土問題をこじらせない外交努力を続けている。こうした実相は日本メディアの表層的な報道だけでは見えてこない。多くの場合、中国公船の活動を刺激的に報じている。
 2012年に民主党の野田政権による「尖閣国有化」が引き金となって中国公船の領海侵入が頻発した。安倍政権になって両国が歩み寄り、14年から侵入回数は大幅に減る。筆者は国会の質問主意書で確認したところ、12年9月(国有化)から13年にかけて月平均4・5日~5日の侵入だったが、14年には月平均2・7日に減った。そして、中国研究者によると現在は月1日、滞在2時間で落ち着いている。
 この実態を読者は意外に感じるかもしれない。もっと頻繁に〝領海侵犯〟が起きているとの印象が持たれているのは、それは公海である「接続水域及びEEZ(排他的経済水域)」(以下、接続水域)を中国公船が航行したときも日本メディアが報じるためだろう。接続水域は「公海」だから、航行しても国際ルール上は何ら問題ない。例えば他人の家の敷地に入ったら不法侵入になるが、家を囲む公道を歩いていても問題がないのと同じだ。
 中国公船の領海侵犯が増える月もある。石垣島の市議(漁業者)や政治団体が尖閣近海で操業するときだ。市議らは中国公船が漁船を追走する様子をビデオ撮影し、ネット配信を通じて発信する。また、国会でそのビデオの上映会が開かれ自民党議員らが視聴する。
 そんな扇動的なナショナリズムは中国にもあるだろう。日中両政府は敏感な尖閣問題を管理するツールの一つとして1997年に「日中漁業協定」に署名した(発効2000年)。領海周辺の接続水域での自由操業を確認した上で、日中それぞれで自国漁船を管理する建て付けにしている。当時の小渕恵三外務大臣と徐敦信駐日中国大使が書簡を交換し、他国漁民らに対し、自国の漁業関連法令を適用しないことを約束した。
 日本が尖閣を実効支配し、中国は公船が月1回、2時間の侵入で領有権をアピールする。漁業協定を含めて、日中双方の取り組みを維持する方針を岸田・習両首脳が確認した。これでいいのではないか。
 しかし日本の政府与党や一部野党は矛を収めようとしない。安全保障の危機を煽って軍拡を進めていると、日本がアジア安保の不安定要因になりかねない。

「安心供与」

 昨年11月、民間シンクタンク「新外交イニシアチブ(ND)」は政策提言「戦争を回避せよ」を発表した。ND評議員の筆者も提言をまとめる議論に参加し、共同執筆者に加えていただいた。
 ポイントのみを抜粋して紹介する。
 安全保障政策の目標は、戦禍から国民を守ること、すなわち、戦争回避でなければならない。戦争を確実に防ぐためには、戦争の動機をなくす「安心供与(reassurance)」が不可欠である。台湾有事を回避するために日本ができる外交がある。
 米国に対しては、過度の対立姿勢をいさめるべく、日本にある米軍基地の使用は必ずしも「YES」ではないことを伝えることができる。
 台湾に対しては過度な分離独立の姿勢をとらないよう説得することができる。
 中国に対しては、①台湾の方的な独立は支持しないことを明確に伝える、②台湾への武力行使が国際的な反発を招き、中国を窮地に追い込むことを諭す、③軍事面では米国を支援せざるを得ない立場にあることを伝える。
 韓国や東南アジア諸国連合(ASEAN)を含む東アジア諸国と連携し、戦争を避ける国際世論を広げる。
 台湾有事は、避けられない定められた運命ではない。日本有事に発展するかどうかも、日本の選択にかかっている。回避する道のりがいかに困難であっても、耐えがたい戦争を受け入れる困難さは外交による問題解決の困難を上回る。政治は、最後まで外交を諦めてはならない。
 「抑止」としても「対処」としても、必要な条件を満たさず、戦争拡大の契機ともなる敵基地攻撃を、政策として宣言するのは愚策である。
 政治は、戦争を望まなくとも、戦争の被害を予測し、それを国民と共有するべきである。それは、防衛のための戦争であっても、戦争を決断する政治の最低限の説明責任であり、それなしに国民に政治の選択を支持させるのは、国民に対する欺罔行為である。
 今日のウクライナは明日の台湾だ、と喧伝する政治家や専門家、メディアがある。ロシアの武力攻撃は最大の怒りをもって抗議すべきだが、ロシアに対する「安心供与」は果たして十分だったのか。
 現状の悲劇は政治の敗北にほかならない。日本の政治はいま専守防衛をかなぐり捨てて外国を攻撃できる国になる。そんな愚行に戦争の破滅が寄り添ってくる。
 脱稿後、年末に林外務大臣の訪中に向け調整中との報道があった。拙稿がお手元に届くころ、日中関係の修復に一歩近づいているかもしれない。日米中とも首脳会談で「一つの中国」を確認したことを踏まえ、安寧を乱す行為は双方とも厳に慎むべきだ。
 それが政治の役割だと信じる。

政策提言「戦争を回避せよ」
URL https://www.nd-initiative.org/research/11342/