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「沖縄返還」50年を前に 川平朝清さんに聞く

歴史を踏まえて、平和なアジアに生きる日本を

 沖縄はコロナ感染で大変なんですけれども、私もワクチンは2回受けたものですから、7月1日の「沖縄タイムス賞」受賞の日から4日間、久しぶりに沖縄に行ってまいりました。そのときに経験したこと、これは施政権返還と関係があることです。

かびら・ちょうせい
1927年、植民地台湾に生まれ、沖縄で戦後初のアナウンサー、初代沖縄放送協会会長となる。その後NHKを経て、昭和女子大副学長などを務める。東京沖縄県人会名誉会長。本年度「沖縄タイムス賞」受賞。


 そのときに私は初めて佐喜眞美術館に行きました。ここは丸木位里さん、俊さんご夫妻の描かれた絵画、『沖縄戦の図』を常設展示しているところですね。今回は特にご夫妻がお描きになった14部作を一堂に展示するというまたとない機会でした。
 私がそこで館長の佐喜眞道夫さんにお会いし、お聞きした話です。この美術館を造るにあたって、自分が持っている土地が米軍が使っている普天間飛行場の一角にあった。それを返してもらうために直接、普天間の基地司令官と交渉したというんですね。そしたら美術館を造るんだったらということで、1800平米の自分の土地、ちょうど佐喜眞家のお墓もあるところを返してもらった。
 そうしましたら防衛庁の沖縄防衛施設局が、なんでそんな勝手なことをするんだと、こういう言い方をしたそうです。本来だったら、佐喜眞さん、あなたは軍司令官と直接折衝してこれだけ土地を返してもらったのは非常に良かったですねと喜んでくれるべきところですが、こんな勝手なことをしてもらったら困ると。こういうことは防衛庁を通じてやってくれと。「防衛施設局」が誰のために仕事をしているか、「施政権」を自分たちが握るということですね。
 私はそこで図らずも「施政権返還」とは何だったのかということについて改めて確認させられたわけです。
 1972年の「沖縄返還」。私は個人的には「本土復帰」とか、ましてや「母国復帰」という言葉は絶対使わないようにしているんですよ。というのは、本土は私にとっては沖縄が本土です。母国復帰、とんでもない。「母なる国」がこんな仕打ちを沖縄にするのか、という気がしますので。
 ですから私はこれを施政権返還という言葉でしか表さないようにしております。なぜかというと実は日本政府が欲しかったのは施政権といういわば面目。とにかく施政権を返してもらいたいという「名」のほうだけ。そしてアメリカは「実」を取った。基地の自由使用、ましてや「核抜き」と言うけれども、いまだに日本政府は嘉手納弾薬庫に行って査察をするということなど思ってもみないだろうと思うんです。そんなような状態ですから、施政権を返還して50年と私は呼んでおります。

「実」を取ったアメリカ、変わらぬ現実

 その後のこと、私は日本の納税者にはほんとに感謝したいと思います。沖縄にどれだけお金をつぎ込んだかというと、私が調べたところでは12兆7000億円といわれているんですね。これは施政権返還のちょっと前から日本政府の「援助」というのもありましたから、そういうものも含めて施政権返還後2018年くらいまでの統計による数字です。
 もっともその半分は交付金ですから、他の県と同じように沖縄県にも来るものなのですが。しかも、その半分は公共事業だとかいろいろなものを造るために使われている。たしかに沖縄県のインフラストラクチャーは非常に良くなりました。宮古島に行って伊良部島を結ぶ「伊良部大橋」などを見ますと相当なお金を入れたなと。もちろん沖縄、宮古島の人たちにとっては利便性が高まったわけですけれども、そのほとんどは日本の大きな建設会社が造ったもので、かなり東京の本社に還流していると思うんです。
 特に教育に関することは「本土並み」と言いますが、他の都道府県並みに。大学にしても戦前は沖縄の最高学府というのは師範学校でしかなかった。今や琉球大学があるし、医学部もあるような、教育面での資金投入ということでは非常に感謝しております。
 それでも「沖縄返還」で、私たちが忘れてならないことはアメリカ軍が実を取り、日本政府は名を取ったということです。その結果、どうなったかです。
 私は政治家の人、特に野党の人に会うと言うんですけれども、なぜあなたたちは国会で日米安保条約、特に地位協定の改定を提案しないのかと。そうしましたら野党の方々が、どの党とかは申し上げませんけれども、「川平さん、国会で安保、特に地位協定のことなんか持ち出すと身の危険が迫るんです」こういうことを言われた。情けないと思うんですよね。
 私は、東京で話をするときには、沖縄は日本全体のわずか0・6%の土地、そこに70%の基地があると。「実際には、これはどういう感覚で考えていらっしゃいますか?」と質問するんです。だいたい沖縄の面積はどのくらいと思いますかと聞くと「さぁ?」と言われる方が多い。実は、沖縄本島にアメリカ軍の基地は集中している。沖縄本島というのは東京都の島嶼部を除いた面積の約6割です。
 そこにもし沖縄にある米軍基地を持ってくるとすればどうなるか。三多摩を除いた23区のうち11区が沖縄の米軍基地に相当するんです。「中央、千代田、港、江東、品川、目黒、渋谷、新宿、文京、台東、墨田、この11区です。皆さん、ここにアメリカ軍の基地が戦後70年間ずっとあるということを考えられますか? 皆さんはこれを受け入れられますか?」と、こういうふうに問うているんですよ。

「沖縄だけ」ではない全国の状況

 そういうふうに言わない限り、沖縄のアメリカ軍基地が占めている実態をご理解いただくことはなかなか難しいわけです。
 ところが私は一方、沖縄に帰りますと沖縄の方言で「うちなーびけん」、うちなーは沖縄ですね。びけんというのは沖縄だけ、沖縄ばかり。「沖縄だけがこんなか」というと実はそうじゃないんですよと申し上げています。
 福島の地震、大津波、そして原子力発電所の破壊。ということで、実は福島の汚染地域というのはアメリカ軍の基地の面積の6倍あるんですよ。こういうことも忘れてはいけないと思うんです。政府の施策はどうかというと、海岸一帯にすごい防波堤を造る。そういうことでインフラストラクチャー建設に相当なお金を入れている。しかし、何万という人が自分の家、自分の村に戻れないという状況がある。
 さらに全国各地の豪雨災害、最近は九州でも、熱海でも起こったんですけれども、こういうことに対して政府は何をしているか。それに、コロナですよね。
 そんななかで防衛費というものを膨大に増やし、来年度からはさらに増やすという。そんなところに多額の税金を使うより防災、減災、さらにコロナを抑え込んで人の命を守るために政府はもっとお金を投入すべきだと言いたい。

歴史を踏まえたアジア認識が必要

 私は、当時日本の植民地だった台湾で生まれ育って大勢の友人がおります。特に私が行きました旧制台北高等学校というのは7年制のところだったんですが、台湾人の同級生の立場を考えたときに、「あっ、これが支配者と被支配者の間の……」と実感したことがありました。彼らがしみじみ言ったことは、校内ではいいんだが僕らはいったん外に出ると台湾人ということで非常につらい思いをしているんだと。戦後、アメリカ軍支配下の沖縄に帰りましたら私自身が台湾の人たちと同じような立場になった。つまり被支配者の立場になった。アメリカ人のなかにも非常に友情に厚い人たちもいましたので、両面を見る体験をしましたが。
 台湾に育ったがゆえに、「支配されている側の人たち」のことがわかったし、自分たちもまた支配した立場にいると実感させられた。
 こういう経験があるから、今起こっている「嫌中」、「嫌韓」は納得できない。根本的に日本人の考え方、そういう考えを持っている人は間違っていると思うんですね。自分たちがどういうことをしたかという歴史的な認識がない。民主主義だとか人権だとか批判すべき点はあるにしてもですね。
 その点では私は「広範な国民連合」が言う、友好ということを通してのみお互いの相互理解を進めることができるという主張は正しいと思います。民主主義を言うなら民主主義のいい点も悪い点も、この際大いに分かち合えるような関係にあっていいんじゃないかと思います。
 ですから尖閣列島の問題にしても、噴飯ものだと思うのは「離島奪回作戦」というのがよくマスメディアに出る。これがなんと、ゴムボートに乗って島めがけて上陸しようとするんです。今の時代にゴムボートに乗って上陸しようとすれば1発や2発で沈没させられますね。デモンストレーションにすぎない。どの「離島」を奪還するつもりなんですか、それが尖閣列島を意味するなら上陸するまで手をこまねいて待っているんですかと聞かなくてはならない。
 彼ら中国がなぜそんなに尖閣列島に関心を持つかというと、あそこには海底資源があるからか。彼らの固有の領土であると言うが、確かにそうした時代もあったことを認めなければいけないと私は思うんです。明治以降、明治政府がそこを領有して日本の領土としたわけですから。そういうところで権利を争うよりも、共同開発でもっと建設的なことをやってはどうか。日本政府がそこに堂々と港湾施設を造り、どこの国の船でもその港湾施設を自由に利用できるようにするとか、あるいは備蓄的な石油タンクを置いて平和・共同利用できるくらいの度量があっていいんじゃないかと思います。
 別の面から見ると、宮古島にしても石垣島にしても外資がどんどん入ってきている。世界有数のリゾートホテルが来る。なぜ彼らが来るかというと、これは自然が美しい平和な島であるという期待があるわけです。中国からの観光客は沖縄の経済に非常に役に立つんですね。人気があるんですね。台湾からも来るし、香港からも来る。これは平和でなくては成り立ちません。

軍事が前面に立ったら国は亡ぶ

 実は、私の父はいわゆる太平洋戦争が始まって、日本中、「勝った、勝った」のシンガポール陥落のときに、山下軍司令官とイギリス軍のパーシバル将軍の降伏調印のニュース映画を見てきて、「おいこの戦争は勝つとは限らんぞ」と言うわけですよ。なぜかというと「軍人が傲慢になっている」、こう言ったんですね。私の父は若い時、乃木将軍と身近に接してたことがあった。その乃木将軍は、日露戦争で旅順港を落としてステッセル将軍を迎えるときに武装解除せずサーベルを帯剣させて軍人の誇りをちゃんと保った将として握手をして、「昨日の敵は今日の友」と遇した。そうした乃木将軍と接していた経験からこの戦争はわからんぞと言った。考えてみると日露戦争から太平洋戦争が始まったのは30年か40年しかたってない。日中戦争、太平洋戦争が終わってから76年たっているにしても、若い人に、ときには年寄りの言うことも聞いてくださいと申し上げたい。
 とくに主権の回復を忘れないでほしい。地位協定の抜本改定です。せめてドイツやイタリア並みにする。これは「返還」50年を前にどうしても急がなくてはならないと思います。
(聞き手、文責とも編集部)