オリンピックを続けるために東京オリンピック中止を

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パンデミックの中で実施できない。それが憲章の精神だ。

広範な国民連合代表世話人・元日教組副委員長 西澤 清

 今、世界はコロナ・パンデミックのさなかにある。ウイルスは、自らは生殖能力を持たないが感染を繰り返す中で増殖し、変異し感染力を強め毒性を強化する。世界中から狭い日本に集まる感染の機会の増大は、ウイルスにとって絶好の機会だ。
 コロナ・パンデミックが猛威を振るっている中で行われる東京オリンピックは世界各地から大勢の人たちが日本に集まり世界各地へ散っていく。国内では医師、看護師、ボランティアの人々が日本各地から集まり、日本各地へ、家族の待つ家庭へと散っていく。5月13日、武藤敏郎組織委員会事務総長が、オリパラ両大会に向けて海外から入国する大会関係者が約9万人、選手数は約1万5千人と発表した。ボランティアは約8万人(すでに、うち1万人が辞退)。
 「コロナ感染症」の最高の餌食だ。餌食になるのは人間だ。
 山登りでは、「危険が予知されたら引き返す勇気が必要だ」といわれる。これが「スポーツ精神」である。しかし、「スポーツ精神」に反し、IOCと日本政府、東京都は強行の構えである。それだけではない。どこの誰が責任を取るのか明確ではない。だれが判断し、決定し、責任を取るのかはっきりしない。オリンピックをやめる(実施する)境界の基準すらはっきりしない。
 地獄の底に向け転がっていく雪だるまのように……戦争に突入してしまった日本のように……だれにも止められないみたいだ。このままでオリンピックを実施することは、「オリンピック憲章」に反し、オリンピックの未来を摘んでしまうものだと考える。
 クーベルタンが、金銭での売買や、「国の名誉」などで精神が腐ってしまった古代オリンピックを「アマチュアリズム」を強調して1886年に「近代オリンピック」として再建した。オリンピックは勝負や国の名誉などを競うのではなく「参加することに意義がある」とし、国ではなく「都市開催」となった。
 オリンピック憲章は、冒頭に、「1 オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする」を挙げ、次に「2 オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」と定めている。
 「カネ」を儲けるイベントでも、「アスリートのために」だけの「国際競技会」ではない歴史を持っている。だから尊重されているのだ。
 既に、1996年のバルセロナ・オリンピックから近代オリンピックの精神が大きくゆがめられている。今は、プロの参加も認められている「単なる競技会」に脱しており、美名に欺かれたボランティアなどの労働力に支えられた大きなカネが動くイベントでありIOCは莫大な利益を得る。
 コロナウイルス感染の拡大を見込み、アスリートや大会関係者と国民との間を切り離し、国際・国内世論を裏切ってまで強行するものは、もはやオリンピックではない。東京オリンピック強行はオリンピックにとどめを刺すものではないのか。今後のオリンピックに禍根を残すことになる。「中止」してきっちりけりをつけてパリ・オリンピックにつなげるべきである。

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