農業政策は国民の命を守る真の安全保障政策

「飢餓の危機は日本人には関係ない」は誤っている

東京大学 鈴木 宣弘

2050年ごろに起きるかもしれない渋谷駅頭の暴動(21年2月7日、NHKテレビ画像)

 先日、NHKスペシャルが2050年ごろに日本人が飢餓に直面する危険性に警鐘を鳴らした。画期的である。だが、その危険性はもっと早くに迫っているかもしれない。下の表はその可能性を示唆している。

種と飼料の海外依存の怖さ

 このような状態で、コロナ禍や2008年のような旱ばつなどが同時に起こって、輸出規制や物流の寸断が生じて、生産された食料だけでなく、その基になる種、畜産の飼料も海外から運べなくなったら、日本人は食べるものがなくなってしまう。つまり、2035年時点で、日本は飢餓に直面する薄氷の上にいることになる。

 国は規模拡大支援を追求し、畜産でもメガ・ギガといった超大規模経営はそれなりに増えた。だが、それ以外の廃業が増え、全体の平均規模は拡大しても、やめた農家の減産をカバーしきれず、総生産の減少と地域の限界集落化が止まらない段階に入っている。

 飼料の海外依存度を考慮すると、自給率は現状でも、信じがたい水準に陥る。酪農は、自給率が8割近い粗飼料の給餌割合が相対的に高いので、自給率は現状で25%、35年に12%と、他の畜産に比べればマシな水準だが、それでもこの低さである。さらに付け加えると、鶏のヒナはほぼ100%海外依存なので、実は鶏卵の自給率はすでに0%に近いという深刻な事態なのである。

 現状は80%の国産率の野菜も、90%という種の海外依存度を考慮すると、自給率は現状でも8%、2035年には3%と、信じがたい低水準に陥る可能性がある。コメも含めて、「種は命の源」のはずが、「種は企業の儲けの源」として種の海外依存度の上昇につながる一連の制度変更(種子法廃止→農業競争力強化支援法→種苗法改定→農産物検査法改定)が行われているので、野菜で生じた種の海外依存度の高まりがコメや果樹でも起こる可能性がある。

 コメは大幅な供給減少にもかかわらず、それを上回る需要減でまだ余るかと思われるが、最悪の場合、野菜と同様に、仮に種採りの90%が海外圃場で行われるようになったら、物流が止まってしまえば、コメの自給率も11%にしかならない。つまり、日本の地域の崩壊と国民の飢餓の危機は、2050年よりも、もっと前に顕在化する可能性がある。

 コメについては、表の推定よりも、もっと危機が早まりつつある。需要減がコロナ禍で増幅され、コメ在庫が膨れ上がり、米価を直撃しつつある。

 主食用の大幅な減産要請の中で、次に少しでも価格的に有利な備蓄用米の枠を確保するため、全農が安値でも入札せざるを得なくなり、来年の概算金は1俵1万円を切る水準が見えてきている。このままでは専業的な大規模稲作経営もつぶれ、事態はさらに深刻の度合いを増すと思われる。

なぜ人道支援のコメ買い入れさえしないのか

 米国などでは、政府が農産物を買い入れて、コロナ禍で生活が苦しくなった人々や子供たちに配給して人道支援している。トランプ大統領(当時)は2020年4月17日、コロナ禍で打撃を受ける国内農家を支援するため、「コロナウイルス支援・救済・経済安全保障法」(CARES法)などに基づき、190億ドル規模の緊急支援策を発表した。このうち160億ドルを農家への直接給付に、30億ドルを食肉・乳製品・野菜などの買い上げに充てた。補助額は原則1農家当たり最大25万ドルとした。

 農務省は毎月、生鮮食品、乳製品、肉製品をそれぞれ約1億ドルずつ購入し、これらの調達、包装、配給では食品流通大手シスコなどと提携し、買い上げた大量の農畜産物をフードバンクや教会、支援団体に提供した。

 そもそも、米国の農業予算の柱の一つは消費者支援策なのである。米国の農業予算は年間1000億ドル近いが、驚くことに予算の8割近くは「栄養(Nutrition)」、その8割はSupplemental Nutrition Assistance Program(SNAP)と呼ばれる低所得者層への補助的栄養支援プログラムに使われている。消費者の食料購入支援の政策が、農業政策の中に分類され、しかも64%も占める位置づけになっている。この政策の重要なポイントはそこにある。つまり、これは、米国における最大の農業支援政策でもあるのだ。消費者の食料品の購買力を高めることによって、農産物需要が拡大され、農家の販売価格も維持できるのである。米国は農家への所得補塡の仕組みも驚異的な充実ぶりだが、消費者サイドからの支援策も充実しているのである。まさに、両面からの「至れり尽くせり」である。

 これが食料を守るということだ。農業政策を意図的に農家保護政策に矮小化して批判するのは間違っている。農業政策は国民の命を守る真の安全保障政策である。米国の言いなりに何兆円も武器を買い増すのが安全保障ではない。いざというときに食料がなくてオスプレイをかじるのか。こうした本質的議論なくして食と農と地域の持続的発展はない。

 なぜ、日本政府は、フードバンクや子ども食堂などを通じた人道支援のための政府買い入れさえしないのか。

 いや、備蓄米のフードバンクなどへの供給はしているという。しかし、その量は一つのフードバンクにつき年間60キロ、規模の大きいフードバンクでは1団体が提供する米の1日分にも満たないという。およそ140団体が受け取っており、全体で100万トン規模の備蓄米のうち、提供量は最大でも10トンに満たないとみられる(ロイター通信、2月9日)。農水省は、年間60キロの上限を21年度から引き上げると言っているがどの程度になるか。いずれにしてもこれでは焼け石に水である。

安全・安心な資源循環経済の地域での確立が命を守る

 国の政治・行政の姿勢を厳しくただすと同時に、各地域で、地域の政治・行政と、協同組合、市民組織などが核となって、各地の生産者、労働者、医療関係者、教育関係者、関連産業、消費者などを一体的に結集して、自分たちの力で、自分たちの安全・安心な食と暮らしを守る運動を強化する必要がある。

 種や飼料などの生産に必要な資材も、身近で安全なものを生産者と消費者が一緒に確認しつつ確保して、生産された安全・安心な生産物を地域の消費者が適正な価格でしっかり引き受ける地域循環経済への転換が待ったなしになってきている。

 身近な地域の農林水産業と地域経済が各地で資源循環的に営まれることこそが国民の命を守り、環境を守り、地球全体の持続性を確保できる方向性であろう。

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