歴史的転換期の進路を考える

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日本はどう生きるか

衆議院議員 古川 禎久

拠って立つところ

 世界を見わたすと、超大国アメリカが内向きになりプレゼンスを縮小させる一方で、覇権主義の中国がめざましい勢いで台頭している。国力を失いつつある日本にとって、見通しのきかない実にやっかいな時代となった。
 日本はどう生きるべきか。その答えを出すには、まず、日本がどんな国なのかを見つめ直すことが大事だ。

 近代化以降、帝国主義に手を染め軍事力をもって海外に展開し、世界に孤立して破滅するまでの戦前の歴史。それから、「平和国家」を標榜し、軍事力ではなく法律や規則、外交交渉や国際協調を旨として、自由貿易の恩恵を受けて経済発展を成し遂げ、国際貢献にも尽力してきた戦後の歴史。わずか150年ほどの間に、正反対の二つの生き方を経験した日本が、ここから学んだこととは何か。
 それは、平和と安定なくして国家の繁栄はない、ということではなかったか。この一事を学び取るために、先人のおびただしい血と汗が流されてきた。わたしたちは、この厳然たる歴史を静かに振り返り、その教訓に拠って立ちながら、日本の針路を考えるべきだと思う。

 二つの超大国に挟まれた日本。どんな生存戦略を描くべきか。ザックリ言って選択肢は三つあると思う。第一に対米追従。第二に対中連携。第三に自立路線。いずれが日本の進むべき道か。

対米追従か

 米国と一体化して中国の脅威に対抗する。この選択肢は、まさに今の政府・自民党のとるところだ。しかし古今東西を見わたして、主権国家が他国に追従することで生き残った、などという話を聞いたことがない。あるとすれば、それは保護国であり属国と呼ばれるべきものであって、主権国家、独立国家ではあるまい。
 わたしたち日本人の意識の中には、米国に守ってもらっている……という考えが相当程度に浸透しているようだが、これは、一方的な思い込みにすぎない。厳しいリアリズムの支配する国際社会において、自国の利益を減じてまで他国のために犠牲を払う国など存在しない。それは米国が、尖閣列島の「領有」について中立を決め込んでいることからも、「核の傘」がほとんど破れ傘であることからも、明らかだ。
 外国頼みに狎れると、〝アメリカさんの要求は断れない……〟などという卑屈なメンタリティーに陥る。ハッキリ言って今がそうだ。
 〝米国の要求は断れない……〟〝仕方がない……〟などと言っているうちに、「平和国家」「非軍事外交」という戦後日本の国是を捨て去って、果てしない対米追従の道を行く日本。わが国は今、そんな危ういところにいる。
 しかし、こんなことを国民が望んでいるか。いったい誰が、いかなる責任において、国民を巻き込もうというのか。対米追従路線は、この先行き止まりの袋小路である。日本の進むべき道ではない。
 わたしは何も、米国と喧嘩しようと言うのではない。日米関係が重要なればこそ、本当の信頼関係をと言いたいのだ。
 トランプ大統領の暴露本で明らかになったように、日米安保条約はすでに歴史的な役割を終えている。それにもかかわらず、体形に合わなくなった洋服に無理に体を合わせようとして、日本はどんどん卑屈になっていく。いったい何のための条約なのか、もう自分でも分からなくなっているようにみえる。
 新しい時代に相応しい日米関係を構築するときがきている。

対中連携か

 それでは中国と連携するか。言うまでもなく、この選択肢もとり得ない。
 統一と分裂割拠を繰り返すのが中国の歴史だが、その長い歴史のなかで幾たびか、日本は中国との向き合い方に苦悩してきた。今こそ日本は、この歴史的知見を生かすべきだ。中国の脅威に怯えるあまり、日米同盟で中国を封じ込めよ……などと声高に叫ぶような、了見の狭いことでは国を誤る。
 香港にみるように、中国は今、強権的・独裁的な傾向を強めている。一見それは中国の強大化そのもののように見えるが、実はもろさの顕れのようにも思える。なぜなら、自由と民主主義をあまりに軽んじているからだ。
 ある国家が、たとえば危機に瀕したとする。そのとき、ありったけの叡智を集められるかどうかが一国の命運を左右するだろう。そして、叡智を集められるかどうかは、その国において自由と民主主義が保障されているかどうかにかかっている。強権的・独裁的な国は、一見強そうに見えても実はもろい。
 それ以上に大事なのは、ひとは誰からも管理されず、自らの意思で生きる天賦の権利を有するということだ。自由を希求するのは、ひととして当然のことであり、中国政府がいくら力ずくで抑えようとも、香港人の自由への渇望を消し去ることはできない。これはウイグルや、チベットについても同様だ。
 日本は今、香港の自由と民主主義を奪った中国政府を、声を大にして非難しなければならない。誰かの自由が奪われるのを見て見ぬふりするならば、いずれ己の自由をも失うことになる。
 いわゆる大アジア主義演説(1924年)のなかで孫文は、『今後日本が世界の文化に対して、西洋覇道の犬となるか、あるいは東洋王道の干城となるかは、日本国民の慎重に考慮すべきことだ』と説いた。しかし日本は聴く耳を持たず、結局のところ、世界で孤立し破滅した。
 今あらためて考えてみると、孫文の大アジア主義演説は、日本帝国主義への痛烈な非難であったと同時に、今日の覇権主義中国への鋭い警告のようでもある。
 つまり日本は、「覇権主義による繁栄は永続きしない」という教訓を、真正面から中国に語るべきである。孫文がそうしたように。きっと中国は言うだろう、日本にそんなことを言う資格があるのか、と。それでも日本は、歴史における自らの非をきちんと認め、悔いるべきを悔い、そのうえで言うべきを言えばよい。
 日本が、自らを見つめ直し、自立する国であるならば、つまり本当の自信があるならば、中国と正面から向き合えるはずだ。

自立路線

 日本はどう生きるか。結局、最後の選択肢が残った。つまり日本は、米国と中国の二大スーパーパワーに挟まれながら、しかしそれぞれとの「間合い」をとりつつ、ありとあらゆる外交努力を重ね、国の独立を守る。これ以外にないということだ。
 自主防衛なんてホントウにできるのか……という心配の声もあるだろう。けれども自国だけで国防が可能なのは米国くらいのものだ。どの国であれ、軍事力だけでなく外交力、経済力、文化力、国際世論、何よりも自主独立の気概、これら総力をあげて国の独立を守っているではないか。なぜ、はじめから、日本にはできないと考えるのか。
 日本に欠けているのは能力ではなく気概である。敗戦後の日本は、主権の一部を放棄し、安全保障を米国に委ねてやってきた。いつの間にか、思考停止に陥り、世界はこうあるべきだ、日本はこうしたいという理念も信念も無くしてしまった。自主独立の気概を失った日本が、これからの激動の世界を生きぬけるとは思えない。
 今必要なのは、いったん立ち止まって、自分自身を見つめ直すことだ。平和と安定の尊さを、日本は身をもって学んだ。ならば、その理念を確固たるものにして、国際社会のなかで、スジの通った主張をし、かつ行動すべきだ。「核兵器は廃絶すべし」と堂々と言えばいいし、「中東に自衛隊は出さない」と言って断ればいい。「敵基地攻撃能力」などは愚の骨頂。自らの信念を自らの言葉で語るならば、日本外交はかならずや説得力をもつ。国際社会はしっかりと見ている。
 辛かろうが、苦しかろうが、のたうちまわりながらでも、自主独立を守り抜く。いつの時代も変わらぬ原理原則である。わたしたちは、戦争と敗戦のショック状態から脱し、国家として立ち直る時期にきていると思う。
 ところで、仲間はいないよりいた方がいい。米中の二大ショッピングセンターに挟まれた日本を「鮨屋」にたとえるならば、世界には「焼き肉屋」もあれば「ラーメン屋」もある。「カレー屋」も、「パスタ屋」も、「ワインバー」、「ビアホール」だってある。みんなで連携して「商店会」をつくり、「鮨屋」はその一会員として(できれば副会長くらいになって)一生懸命、汗をかくことだ。
 日本は、真の独立国と言えないまま、今日まできてしまった。だが、これからの世界情勢は、半独立国家の生存を許さないだろう。
 一国の独立は、民族的熱狂なくしては成し遂げられない。国民の魂が、揺さぶり揺さぶられ共鳴し合うようなエネルギーがなければ、国家主権は回復できるものではない。まずは、ひとりでも多くの日本人が事実を知ることだ。知ることで魂に火がつき、いったんついた火は消えない。そして必ず燃えひろがる。わたしたちの眼の黒いうちに、必ずやり遂げたい。

政治はどうあるべきか

 新型コロナ・パンデミックの展開次第によっては、バブルに支えられた世界経済はどうなるか分からない。財政ファイナンスの日本が無傷でいられるはずもなく、通貨下落と超高インフレ、大失業に見舞われる可能性もなくはない。巨大地震だってそう遠くないのだ。わたしたちは、これからが国難のオンパレードだと覚悟すべきだ。
 みんなで国難をのりこえるには、政治への信頼が欠かせない。これがいちばん大事だと言ってもいい。しかし今、まさにその信頼が失われている。生活苦による不満のマグマが膨らんでいって、ここに政治不信が引火したらどうなるか。歴史は、破滅的なポピュリズムの生まれ得ることを警告している。
 政党政治に、信頼を取り戻さなければならない。自民党は、寛容で、度量のある、本来の保守政治に回帰すべきだ。国民の不安を抱きとめながら、野党にも協力をよびかけ、知事や首長などとも連携すればいい。国をあげて、みんなで国難に当たるという姿を示すことが大事だ。
 いま政治がめざすべきは、戦後政治の総点検、そして大転換だ。外交も、安全保障も、経済政策、食料、エネルギー、通貨、教育、環境、国土政策、住宅都市、社会保障、防災……それぞれの分野において、これまでの諸政策を総点検し、新しい時代にふさわしい目標におきなおす。
 日本人はガイアツがないと変われない……と言われるが、たしかに、一度決まったことを変えるのは大の苦手だ。だがこれは、わたしたちの重大な弱点である。
 文明史的スケールで転換期を迎えている今、わたしたち日本人は、自らすすんで、おのれの弱点を克服しなければならない。自主自立の気概さえあれば、日本人にはできると信じる。

 (本稿は、20年7月22日、古川よしひさオフィシャルウェブサイト「政策コラム」に発表されたものを承諾を得て転載。編集部)

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