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第24回全国総会沖縄からの問題提起

「沖縄県民は目覚めました。もう元には戻りません。変わりません。日本国もどうか変わっていただきたい」(故翁長雄志さん)

照屋 義実(「オール沖縄会議」共同代表、照正組会長)

 ただ今ご紹介をいただきました照屋義実でございます。広範な国民連合・第24回全国総会の場にお招きをいただき、このような機会を与えていただきましたことに心よりお礼を申し上げます。

首里城再建は沖縄県主導下で

 まずはじめに首里城焼失についてです。去る10月31日未明に沖縄県民の心のよりどころとしてきた首里城が火災によって焼失いたしました。
 前日から韓国に公務出張しておられた玉城デニー知事は、当日の日程を全てキャンセルして直ちに帰国し、その日のうちに「首里城は必ず再建します」と力強く県知事としてのメッセージを発信したことは、ご承知のとおりであります。
 すでに全国各地から温かい励ましとともに多くの募金が寄せられており、その額が、昨日現在で10億5100万円となっています。
 この機会を借りましてデニー知事に成り代わり心よりお礼申し上げるものであります。誠にありがとうございました。
 なお、11月18日には知事直轄の復興プロジェクトチームを発足させ、一日も早い復興を目指して歩きだしたところであります。
 願わくは、条件や思惑のないかたちで、わが県の主導権の下で再建に立ち向かっていきたいと、決意を新たにしております。再建まで長い歳月を要すると思いますが、どうか誇りある琉球文化の復興に向けて温かいご芳情・ご支援を賜りますように改めて心からお願い申し上げます。

戦後74年、こみ上げる怒りを禁じ得ない

 さて、戦後74年がたちました。沖縄返還が実現して47年の歳月が流れ、あと2年半で半世紀・50年の節目を刻む時が迫っております。
 この指折り数えるほどの長い歳月の中で、わが沖縄県の現状――とりわけ平和・憲法・民主主義の現状を省みるとき、込み上げる噴りを、怒りを禁じ得ません。時間が止まったまま、あるいはむしろ後退していると思わせるような状況があると断じざるを得ません。
 今年2月に沖縄県民投票で示された「新基地ノー」の72%もの民意を安倍政権は一顧だにせず辺野古新基地建設を強引に推し進めています。
 辺野古に新たなV字滑走路をもつ飛行場を建設する計画が立てられてから13年半が経過しますが、政府が望む完成までには、これからさらに10年以上も見込まれています。大浦湾の海底に大規模な軟弱地盤の存在が指摘され、建設工事の続行と完成は不可能とまで言われてきています。
 さらに申し上げれば1996年に普天間飛行場の移設問題が噴き出してから23年が経過しました。沖縄が米国統治下にあった期間が27年ですから、この期間に並ぶまであと4年を残すだけとなっているのです。

民主主義の根幹が問われている

 沖縄県民の怨嗟の声が、沖縄からわが国の民主主義を問う声がここにあります。
 先ほど、県民投票の結果について触れましたが、県内の主要な選挙結果からも新基地建設反対の民意は揺るぎません。まず昨年9月、翁長知事が急逝された後の県知事選で玉城デニー氏が、今年4月の衆院3区の補欠選挙で屋良朝博氏、続いて7月の参院選で高良鉄美氏が、相次いで勝利しています。またこの間を縫って行われた豊見城市長選挙、那覇市長選挙、東村の村長選挙といずれも新基地建設反対を掲げた候補者が立て続けに当選を重ねてまいりました。
 にもかかわらず基地建設は続いております。正当な手続きを経た民意が行き場を失い、民主主義の根幹が崩れる事態が起きているのです。
 去る20日に安倍晋三首相の在職日数が憲政史上第1位になったという報道がありましたが、沖縄が本土復帰して後、歴代政権で沖縄に対し最も強硬で冷淡な姿勢をとってきたのが、安倍内閣であります。
 「沖縄の皆さんの心に寄り添う」という言葉を連発しながら、一方で新基地建設を強行する安倍政権には一日でも早く退場していただきたい。これが県民の真情であります。
 さて皆さん、昨年8月に急逝された翁長雄志県知事について触れておきたいと思います。
 2013年の1月27日に(……あれから6年と10カ月がたとうとしていますが)、米軍普天間飛行場からの垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ配備撤回と同基地を閉鎖・撤去し、県内移設の断念を求める集会が東京の日比谷野外音楽堂で開催されました。全国各地から4千人以上が参加したこの集会には、沖縄県内の全自治体の市町村長や議会議長、県議会議員ら約140人がこぞって上京し要請団として参加する、本土復帰後で最大規模の集会になりました。
 この東京集会に共同代表の一人として登壇した当時那覇市長の翁長雄志・県市長会会長のスピーチには心揺さぶられるものがありました。沖縄を取り巻く情勢とわが国の現状を鋭く照射して沖縄県民の真情を見事に映しとっているスピーチとして高い評価を得ました。
 どのようなスピーチだったか、皆さまにご紹介したいと思います。

「沖縄県民の意識は大きく変わりました。子や孫に沖縄県民としての誇りと自信を持ってもらう」

 ここ首都東京、日比谷公園に沖縄県民の総意が結集をいたしました。沖縄県民は目覚めました。もう元には戻りません。変わりません。日本国もどうか変わっていただきたい。戦前、戦中、沖縄は国に操を尽くしてまいりました。戦後はサンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに、約27年間米軍の施政権下に差し出されたわけであります。
 米軍との過酷な自治権獲得闘争は、想像を絶するものがございました。当然のごとく日本国憲法の適応はありません。児童福祉法の適応もなし。国会議員も沖縄から一人も送ることができませんでした。
 その間、日本国は自分の力で日本の平和を維持したかのごとく、高度成長を謳歌してきたわけであります。沖縄は日本に復帰しても、ほとんど変わらず、0・6%の面積に74%の米軍専用施設を押し付けられ、基本的人権は踏みにじられ、今回の欠陥機オスプレイの強行配備、その怒りは頂点に達しております。
 沖縄県民の意識は大きく変わりました。基地を挟んで保守・革新がいがみ合うのではなく、オール沖縄で基地の整理・縮小を強く訴えていこう。沖縄の未来を担う子や孫に沖縄県民としての誇りと自信を持ってもらう。日本国民としての希望と勇気を持てるように、われわれ責任世代は立ち上がったのであります。
 沖縄県民は基地で飯を食っているわけではありません。ほとんどの国民の大きな誤解であります。確かに27年間の米軍施政権下では、基地からのGDPは15%ございました。しかし、現在は5%でございます。二十数年前に返還されました那覇市の215ヘクタールの米軍基地がどのように変わったかというと、経済規模で52億円から600億円に10倍以上、税収で6億円から97億円、15倍。雇用が180人から2万人に変わったのであります。このことは、米軍基地が経済発展の最大の阻害要因であることを示しております。
 安倍総理は、日本を取り戻すとおっしゃっておりますが、その中に沖縄は入っているのでしょうか。沖縄に今までどおり、日米同盟、日本の安全保障のほとんどを押し付けていては、日本を取り戻すことはできません。しかも現状で、大きな事件、事故が発生したならば、日米同盟、日米安保体制は吹っ飛んでしまいます。沖縄はただ、偶然という砂上の楼閣に、日々過ごしていると言っても過言ではありません。
 日米安保体制は、日本国民全体で考えるべきであって、皆で考えていただきたいと思います。それだけに日本が民主主義国家として、品格のある国民として世界やアジアに冠たる国としてがんばっていただきたい。このように思うわけでございます。
 都道府県で、国に甘えているとか甘えていないとかと言われるような場所があるでしょうか。残念ながら私は改めて問うていきたいと思います。沖縄は日本に甘えているのでしょうか、日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの、沖縄問題の解決、あるいは日本を取り戻すことはできない。私はこう断言いたします。

玉城デニー知事と共に翁長雄志のバトンを引き継いで闘う

 このスピーチには、沖縄の米軍基地を巡る問題について本土に住む人たちがもつ先入観に関する幾つもの指摘が含まれています。その先入観の多くは沖縄に対する無関心が生み出すものであり、時として沖縄に対する誤解や蔑視につながってまいります。残念ながら、いまだにこれらの先入観にとらわれている国民が多く存在します。
 そして、そのことが、また森友・加計学園や最近の「桜を見る会」の問題など民主主義を蹂躙し続ける今日の政権を支える政治的土壌にもなっていると認識するものです。
 翁長雄志さんが、沖縄県民に遺したものは幾つもありますが、まず第一は、「イデオロギーよりアイデンティティー」を優先し、「オール沖縄」で立ち向かわなければ基地問題をはじめ沖縄が抱える諸問題は解決しない、と保守と革新双方に呼びかけ〝県民の心を一つに〟したことであります。
 各政党それぞれ言い分があっても腹八分腹六分におさめてまとまる――これがこの1年間の相次ぐ選挙や県民投票で7勝0敗という大きな成果を上げることができた最大の要因であります。
 〝オール沖縄〟を持続させていくうえで課題は幾つかありますが、オール沖縄として県民が心を一つに結集したことは、沖縄のDNAとしてこれからも必ず引き継がれ残っていくと確信しております。
 もう一つは、人間としての生き方であります。翁長さんは県知事就任直後に出版した『闘う民意』という著書の中で、こう述べております。
 「どんな環境にあっても、大きな壁に当たっても、それでも負けずに力を尽くすというところに人が生きていく価値があります。難しいからといって一歩でも下がろうものなら、子や孫に責任を持った政治は実現しません」(まずはそういう生き方を志すことです)
 「私たちが屈することなく立ち向かっていく姿を子供たちに見せれば……それこそが長い目で見れば私たちの未来を切り開く力になるのだ、と思います」
 「私たち責任世代は、自分の姿を伝えて、子や孫の世代に勇気と誇りと自信を持ってもらいたいと思います。自分の生まれた故郷で未来の世代が自信を持って、生きていけるような素地をつくることが、私たちの使命です」
 「私は、どんなに難しい中でも、どんなに可能性が小さくても私はやり遂げる覚悟です」
 沖縄県知事として県民の心を一つにまとめ、在職中に67年の生涯を閉じた翁長雄志という政治家が沖縄県民に遺した最大の贈り物は、彼自身の政治家としての、人間としての崇高な生涯だったと、今実感しています。
 バトンを引き継いだ玉城デニー知事と一緒に権力と闘う魂をも引き継いでいくことをお誓いして、「沖縄からの問題提起」とさせていただきます。