変質する「日米同盟」と「専守防衛」

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失われた専守防衛の時代精神と同盟の抑止力

NPO国際地政学研究所理事長 柳澤 協二

以下は、柳澤協二氏が理事長を務める国際地政学研究所主催で7月17日に行われたシンポジウム「失われた専守防衛の時代精神」での氏による基調講演の一部である。
柳澤氏は冒頭、国際情勢についておおむね次のような認識を話して論を展開された。
「今の時代は米中の『新冷戦』と言われています。しかし、私は『冷戦』というよりは、自分の勢力圏をまあ、昔のようになかなか地理的に画然と分けられないにしても、自分の勢力圏を囲い込もうとしている意味の争いです。『冷戦』というよりは、第二次世界大戦前夜のような状況に似てきているような感じを受けています。ただ、第二次大戦前と違って、このまま戦争になだれ込むようなことにはなっていないと思いますが。世界秩序をどうするかということよりも、自分の国の利益をどうやって最大化するかということを大国が考える時代なってしまったということだと思っています」 文責・編集部

「有志連合」時代の「日米同盟」

 冷戦が終わってその後今日まで「日米同盟と専守防衛」という日本の安全保障政策は大きく変化します。
 冷戦が終わった意味は、一言で言えば、ソ連という共通の怖い敵がいなくなったということです。同盟は敵があってこその同盟だったわけですが、その敵がなくなった。ごく大ざっぱに言うと、ソ連が崩壊して冷戦が終わって以降のアメリカの政策は、同盟そのものが自己目的ではなくて、ある目的を達成するために同盟国や友好国と連携していく「有志連合」の発想に変わってきた。
 それが典型的に「対テロ戦争」で表されていた。「9・11」の後、ブッシュ・ジュニア大統領が言っていたように、「テロの味方か俺の味方かハッキリしろ」「ショウ・ザ・フラッグ」です。つまりアメリカがやりたい、やらなきゃいけないと思っていることに「賛同」して一緒にやるかどうかということが基準になった。任務が同盟を決めるのであって、同盟が任務を決めるのではないということ。日本もその同盟を維持していくためにイラクに自衛隊を出す決断をしたということであります。
 アメリカがイラクで足を引っ張られているうちに、気がつくと、中国が軍事大国として台頭してきてアメリカにチャレンジしてきた。アメリカは、今度は中国への対応を迫られている。
 しかも、経済力は弱まっている。イラク戦費の圧迫で、オバマ大統領は軍事費を毎年5兆円規模で減らしていく方針も取らざるを得なかった。第二次大戦後の「強いドル」と濃密な軍事力によって実現したパックス・アメリカーナでしたが、今や「弱いドル」と薄めた軍事力によって、パックス・アメリカーナを同盟国や周りの国と協力しながら引き続き維持しようとしている、そういう姿に移ったわけです。
 当然、日本に対する要求も増えてくる。ですから、「同盟だから、何でもしてやる」というようなことはなくなって「有志連合」なんですね。アメリカの「志」と合うのか合わないのかというところが判断基準になっている。
 トランプの「日米安保廃棄発言」が話題になっていますが、これは理屈ではない。今までのような同盟が、居心地が悪いという感覚なのだと思います。「俺のために何ができるかを考えろ」ということ。それは、トランプが強欲だからではなく、同盟ありきの構図がとれないような構造的変化が生まれていることの表れではないか、というのが私の最大の問題意識です。
 では、日米という「有志連合」は、どこで目標が一致しているか。ひところは北朝鮮への制裁で一致していた。しかし、今は北朝鮮の「非核化」優先か、とりあえずミサイルを撃たない状況が続けばいいのか、その具体的な目標にズレが生じてきている。
 対中国についても、日本は中国とも関係を正常化して、経済的な連携を強めていこうとしている。一方で、アメリカは中国に経済戦争を仕掛けている。「対中優位」でありたいという目標では一致しているとしても、具体的なところでは、かなりズレがある。
 ここからは見捨てられる心配が日本にはずっと付きまとってくるわけです。それは、「オバマだからどうだ」「トランプだったからどうか」ではない。居心地が良かった、そういう時代はもう完全に終わってしまったということだと思います。
同盟としての「抑止力」強化への転換
 2015年に日米ガイドラインを改定して安保法制ができ、新しい防衛大綱が去年つくられた。
 「大綱」では、「策源地攻撃」とか、陸上イージス、「いずも」の空母化にしても、「同盟」の「抑止力」のためにどうするかという論理で構成されている。米艦防護ということで、アメリカ軍と一緒に行動することが常態化するように変わってきているわけですね。日米の軍事的一体化です。ここでは、抑止力であるアメリカと一緒に抑止力になるという発想がきわめて明確に出されている。
 「共同運用」による「共同抑止」という「同盟モデル」が今、日本政府がよりどころにしている「同盟モデル」なんだと思います。しかし、アメリカが抑止力であるのは、相手に報復の脅威を与えるから抑止なのであって、それと一体化すれば日本も相手に脅威を与える一翼を担うことになる。その意味で、「日米の一体化による抑止」というのは、自衛隊が攻撃力を持つこと以上に専守防衛からかけ離れてくる。
 共同抑止とは、何か相手がやろうとしたときにそこにこちらも兵力を出して防衛の意志を示す、という発想ですが、相手から見れば、それは挑発と映るわけです。自衛隊が米艦護衛で随伴する場合、場合によっては相手を攻撃しなければならないのですが、それは確実に戦争の始まりになります。つまり、アメリカの戦争に巻き込まれることになる。
 そこをまったく考えずに「米艦を守ることで、日米同盟はかつてなく強固になった」と安倍首相が言っている。これはちょっとまずいのではないか。いくら「見捨てられる」心配があるからといって、「巻き込まれる」ことによって「同盟を強固にする」というのはバランスを失している。
 「抑止」と「専守防衛」との関係を考えるときに、日本自身が抑止力になれば、「専守防衛」ではあり得ない。抑止とはまさに「相手に脅威を与えることによって、侵略を思いとどまらせる」ことだからです。「専守防衛」と「抑止」は両立しないという割り切りができたのが今の時点での私の認識です。
 「抑止」と「専守防衛」というものは相反するものです。しかし政府は、「専守防衛」ということをずっと言い続けて、「自分は先に手を出さないこと」だと矮小化している。しかし、本来の専守防衛は、「相手に脅威を与えない」ところに真の意味があったのです。
「専守防衛」論の変質、崩壊
 「専守防衛」はなぜ崩れたのかといえば、まさにずっと申し上げてきているように、「抑止」の戦略に変わったからだと思います。
 定義をハッキリさせますと、戦争というのは、武力に訴えて、何かを達成する行為です。「戦争は政治の手段」です。一方、仮に相手が戦争を仕掛けてきたら、「こちらのほうが強いから、おまえの目的は達成できない」ということを知らしめることが「抑止」ですね。だから抑止も、戦争と同様に、力による意志の強制です。強制力を持つという意味で、これは「専守防衛」とは違うし、軍事大国の発想になるということですね。
 アメリカと中国のパワーシフトのなかで、「自国第一主義」のアメリカと相対するのに、巻き込まれていく覚悟をもった日米一体化ということで、応えようとしている。しかし、中国の台頭は抑止できないことですから、無限の軍拡と日米一体化の循環にはまっていく。これでは展望もないし、夢も希望もないのではないかというのが私の問題意識です。
 やはり、日本流の守り方を考えなければいけない。
 アメリカから見捨てられる、アメリカが守ってくれないかもしれないという、そういう国際情勢、国際構造になってきている。その状況にどう対応していくかというときに、自前の核を持つのか、そうではなくて、自前の知恵、戦略で乗り切っていくのか。こうした選択が求められているのではないか。
では「専守防衛」は成り立たないか、その条件
 現代で「専守防衛」というのは、果たして成り立つのだろうか。
 「専守防衛」とは何か改めて定義すると、強者に対する弱者の戦略だということだと思います。つまり、勝利を求めないわけです。相手の政府を打倒するとか、相手の軍隊を全滅させるとかね、そういう目標はもたないわけですね。つまり、相手は軍事大国なので、自分にとって不可能な、できない目標を立てないということだと思います。それが一つの側面。
 もう一つの側面は、実際それで攻めてこられた場合、どうするかというと、抵抗はします、そして持久し相手がくたびれるのを待つ、時間を味方にする戦略です。これがクラウゼビッツ以来の防御の真髄で、時間をこちらの味方にしなければいけない。しかし、ミサイルの時代の今は、相手は短期決戦を求めてくるだろうと思います。そこにどう適応していくか、戦術的な論点は残ると思います。
 戦略的に「専守防衛」が機能する条件は何か。
 一つは、相手を打倒するのではなくて、抵抗、持久ということをやるわけですから、抵抗の手段がなければならない。それは防衛力だけでなくて、外交とか経済とか、あるいは国際世論とか、国民の団結とか、あらゆる多様な手段を組み合わさなければいけないだろう。とくに、本当に長い戦いに耐えなければいけないわけで、そこで出てくる損害を国民が受け止められるか、国民の団結、意思が揺るがないかということが何より重要です。国際的支援も、心理的には重要となる。そういう条件がそろわなければ、抵抗持久の防衛はできないということになる。
 もう一つは、相手側の問題。それは相手が戦争を拡大してこないという前提なんですね。例えば、島を取ったり取られたりということに相手の戦争目的が限定されている場合でなければ、「専守防衛」というのは成り立たないということです。つまり、相手が疲弊して妥協する程度の戦争目的であることです。この島を取りにいくために、そんな損害が出るくらいなら諦めようかという妥協可能な目的であることが、専守防衛が成功する条件になるということであります。
 しかし、戦争というのは感情の産物でもありますから、自己拡大という性質ももっているわけです。だから、難しい戦い方であると思うんですが、抵抗はするけど、完全に殲滅してしまうことで引けなくなるような勝ち方をするのではなく、どこか相手の退路を残すような戦い方を考えなければいけないだろうと思います。
 同時に、大国同士の戦いに巻き込まれてしまうと、それは自分が「専守防衛」のなかでコントロールできなくなるという意味で、大国同士の戦争に巻き込まれないようにする必要があると思います。
 専守防衛は、難しい守り方ではありますが、より大きな全面戦争になるよりはましだと思います。そこに、国の戦略姿勢をめぐる最大の選択がある。
「抑止」と「防衛」のジレンマ
 専守防衛が可能かどうかということとは別に、「抑止」戦略でいったら、本当に安全が守られるのだろうかということも考えなければいけない。「抑止」の論理、「同盟の抑止」の論理は、一言で言えば「日本を攻撃すれば、アメリカが報復する」ということだと思います。
 攻撃されたら報復する。抑止戦略とは、戦争になれば勝つことに本質があるわけで、日本にミサイルが落ちないようにすることではないので、被害は避けられないことを前提にしている。そこで初めて「抑止」の論理が成り立つということです。
 しかし、そこに駐留米軍がいる限り当然「巻き込まれる」というジレンマがある。つまり、「抑止」のために米軍を置いておくことが、「防衛」を必要なものにする。「抑止」と「防衛」というジレンマがあるわけですね。
 では、この矛盾をどうするか。これは、防衛省の現役の諸君には鼻で笑われてしまう発想なんですがね、今のところは。日米安保条約に事前協議条項があります。これを使ってアメリカ軍の日本からの直接出撃を制約することで、在日米軍基地が相手にとって致命的な脅威にならないようにすることが、一つのアイデアとしてあるんじゃないか。
 もちろん、それは自分勝手で、日本だけがミサイルから安全であればいいという発想ですがね。でもそれが「専守防衛」ですから。そういう発想でいけば、アメリカ軍の出撃をコントロールできればいいわけです。しかしそれはアメリカ軍がたぶんOKしないだろうと思います。作戦上の柔軟性が失われるということでしょう。
 しかし、そもそもミサイルの時代に戦争をしようとする軍が相手のミサイルが飛んでくるようなところにいるかということも問題です。戦争を決意したならば敵のミサイル射程圏内の固定基地にはいられない。
 実際には、アメリカが日本の基地から出撃するのは、先制攻撃しかあり得ない。だから相手も先にミサイルを撃ってこようとする。ということであれば、事前協議で「日本の基地からの出撃」を拒否しても、直ちに日米安保体制が崩壊することもない、ということは論理としてはあり得ると思います。
日米共同対処と専守防衛
ケース1 「島しょ防衛」の自衛戦争でも米軍参戦の時点から覇権戦争へ
 実際の事例で考えてみます。例えば「島しょ防衛」では自衛隊が主体になる。
 防衛大綱では、島が敵に占拠された場合、速やかに奪回するとされています。しかし、速やかに一回奪回したら終わるのか、講和に持ち込むことができるのか、という疑問があります。
 わざわざ島を取りにくる戦争目的をもった相手が一回取り返されて、そこで「はい、分かりました」と講和に応じるか。応じなければ、今度はアメリカの海兵隊に出てきてもらってそこを再奪回するとなれば、講和はますます難しくなる。むしろ米中の本格的な戦争になっていく可能性がある。
 本格戦争になれば、当然ながらアメリカは中国本土をミサイル攻撃する、中国はグアムとか西日本の米軍基地やハワイをミサイル攻撃する、そういう戦争になっていく。
 そこで日本の役割は、西太平洋の制海権を守るために沖縄周辺で中国海軍に対する通峡阻止・米艦隊防衛ということになる。しかし、中国軍相手の宮古水道封鎖はいつやるか、ジレンマに満ちた作戦です。後のケース2で触れます。
 もう一つ、「島しょ防衛」で考えなければいけないのは、「グレーゾーン」。グレーゾーンの場合、軍隊による「抑止」がなかなか困難なんです。自衛隊が出るときに「これは警察行動だ」と言ったって、「日本が事態を拡大した」と言うに決まっているわけで、自衛隊が出ることそのものが戦争の自己拡大の引き金を引きかねない。
 「相手がやってきたことに対する必要最小限度の反応」と言っても、そういう「純粋な自衛戦争」であっても、自衛隊が出たところで拡大するし、あるいは米軍が入ってくれば、それはもう米中の覇権戦争にならざるを得ない。日本の意思ではコントロール不能となる。「抑止」と「拡大」のジレンマです。
 では、どうするかと言うと、それは、そういう戦争を政治が止めなければいけない。軍事が解決できないことは、政治の課題そのものです。
ケース2 台湾海峡と南シナ海、とくに中国の核心的利益がかかる台湾での「共同対処」の危機
 今度は台湾海峡とか、南シナ海のケースです。現に、「航行の自由作戦」をアメリカ軍が恒常化していますし、台湾海峡にも月1回、軍艦を通しているわけです。
 台湾については中国軍の台湾への軍事的な威嚇に対して、米艦隊が派遣される。両軍の衝突で「重要影響事態」となり自衛隊派遣というところまでは、南シナ海と同じです。
 台湾と南シナ海とが違うのは、台湾海峡では米艦隊派遣、そして衝突があれば、収束が難しい。いきなり「重要影響事態」に拡大する公算が大きい。台湾というのは中国にとって「核心的利益」中の「核心」、妥協が不可能だから、なかなか中途で危機管理で収めるということが難しいと思います。
 そこでも、自衛隊がやるべき最大の支援は、中国艦隊の西太平洋への宮古水道通峡を阻止することだろうと思います。
 それを「いつやるんですか」ということになってくる。これが難しい。「重要影響事態」では日本の自衛行動は取れず武力行使はできない。しかし、米中はすでに事実上の戦争を小規模ながらやっている。とすると、中国海軍がどんどん西太平洋に出ていった後で海峡封鎖しても意味がない。そこで、アメリカ軍から頼まれて早いうちに封鎖するといっても、そこは依然として「日本有事」ではないという制約がある。そこで日本が中国海軍を攻撃すれば、「日本有事」になってしまう。そもそも法律上もできないことになっている。
 結局、米中の戦争はいかなる発端、動機があるにしても、日本にとって、最悪のシナリオと言わざるを得ない。だから、米中戦争のなかで戦いに勝つことを求めるのではなくて、それを回避することが、日本にとって最優先の課題でなければいけないと思っています。
まとめ 有志連合時代の同盟管理と専守防衛
 今はもうアメリカが同盟国であれば自動的に無条件で守ってくれるという時代ではない。むしろ、「有志連合」の時代になった。では、その状況で、「専守防衛」と同盟関係をどう組み合わせていくかということが課題になります。
 その中で一つ大事なポイント、戦略は何か。中国が気に入らないからといって、やりたいことを並べ立てるのが戦略ではなくて、やれることを、己の限界を知った上で、可能なことをもって目標を組み上げるというのが戦略の基本であると考えなければいけない。それが戦略の出発点です。
共同抑止の不透明化
 そうすると日本が考えている「共同抑止」、「一体化政策」ですが、非常に不透明化している。
 「共同抑止」、これは「抑止力」なんだから戦争にならないと言うけれども違うだろうと思います。やはり米中の軍艦が対峙していれば、どこかで衝突することを常識的には考えなければいけない。で、そのときにどうするか、日本が「見捨てられないために巻き込まれていく」というのが今の客観的な論理の帰結です。それは、政治的に安倍政権を好きか嫌いかではなくて、安保法制とガイドラインを読めば、巻き込まれるようになっているわけですから、それに本当に耐えられるのかということだと思います。
 それはもっと嚙み砕いて言えば、艦船にミサイルが当たれば当然犠牲者が出るわけですが、それに日本人は南シナ海でそういうことになっても「ああ、しょうがないね」「これは世界秩序のためだ」と言って許容できるか。あるいは、際限ない武器購入でどんどん防衛力も増やしていけば、財政負担も増えていくわけですね。「抑止だから、戦争がない」と思っているんだけど、抑止が破綻して本当に何かが起きたときに世論がどうなるかというのは、私自身、もう政府の一員ではないんですけど、とてもサポートできないと思います。
自前の核は破滅の道
 さりとて、自前の核を持つというのは論外だと私は思います。
 日本のような狭い国土で核を持って対峙しようとすればどうなるか。日本は5発の核で全滅します。それでも生き残った能力(SSBN〈戦略ミサイル原子力潜水艦〉での対都市第2撃能力)で相手にかなりの損害を与えると言ったって、こっちは絶滅していて、向こうは都市を5つ破壊された、それで、果たしてパリティ(等価)になるんですか、リアリティがあるんですかと考えると、これはもう日本としてとり得ない戦略だろうと思います。
戦争回避の「専守防衛」以外にない
 結局、そういう形で「抑止」とか、自前の核というのではなかなか防衛の展望が描けない。だから、何としても戦争回避の「専守防衛」の道でいくしかないと思います。
 しかしそれでも、一般的な「抑止」というものを否定しきれないし、する必要はないと思っています。現実にアメリカと中国やロシアが戦争に直面したときに、双方ともお互いに核攻撃されたら大変だと考えて自制せざるを得ない現実があって、それを「抑止」と言うなら、それはそれでいいことだと思います。つまり大国同士が「抑止」されていると感じていて抑止が働いているとしたら、それでいい。問題は、日本がその抑止に全面的に依存して、抑止の一翼を担っているつもりになる、そういう文脈で他国に脅威を感じさせて有頂天になったら、それは危ないということです。
 であるとすれば、日米同盟というのはそのまま置いておけばいいことだと思う。つまり日本に手を出せば、アメリカが仕返しにくるというシナリオがどんなに怪しくても、相手がもしかしたらそうかもしれないくらいの感じは持っていて、相手の心理に影響を及ぼしているのなら、それを何もやめることはないだろうということです。
 同盟は維持しながら、その代わり、「巻き込まれる」ことは絶対に避けなければならない。日本としては、とにかく戦争を回避するということを最優先課題にする、専守防衛に徹することが重要です。しかし、「日米の一体化」は、「巻き込まれ」以外の選択を困難にする。ここが難しいわけです。
 私は、米中はやっぱり本格的な戦争はできないだろうと思っています。しかし、米中が争っていて小競り合いは避けられない。そういう状況は、米中がお互いの住み分けをつくり上げるまで、たぶん今世紀半ばくらいまでは続くと思わなければいけない。
 そして、中国が相当強くなって、アメリカもまだそこそこ強いという状況で、両者が折り合いをつけた姿が今世紀半ばくらいには出てくるんだろう。そこで、米中関係は安定する。そんな状況がもし出てこなければ、もうそれは世界の破滅になると思うんです。
 それまでの今から30年間くらいを、何とか日本自身が暴発せずに我慢していくことが日本の安全に最も重要だろうと思う。そのためには、中国についてあんまり脅威の過大評価もいけないし、アメリカ「抑止力」への過度ののめり込みもやっぱり違うのではないか。米中間でいろいろな起伏があるでしょうが、何とかそのつどうまく泳ぎながらやっていくところに日本の国家の生き方の軸を据えなければいけないのではないか。それが、今日の結論であります。

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