夕張市の「財政破綻」とは?

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歴史を振り返り要因を読み取る

厚谷司(夕張市議会議員)

 この原稿執筆を始めた6月20日という日は、夕張市にとって大きな転換の日の一つである。2006年6月20日、当時の夕張市長後藤健二氏は市議会において「法の下での財政再建を進める」こと、すなわち自主再建を断念し、財政再建団体の指定申請を行うことを表明した。
 それから11年の歳月が流れ、夕張市は15年10月から行われた第三者機関による「夕張市の再生方策に関する検討委員会」の検証結果に基づき、「財政再生計画の収支再計算」について国(総務省)・北海道と協議ののち、17年3月7日に総務大臣の同意を受けた財政再生変更計画のもと「財政再生と地域再生の両立」を図るべく、スタートしたところである。
 さて、財政破綻から11年が経過するまでの間、「全国最高の負担、最低のサービス」との指摘もされた夕張市の行財政運営に対しては、全国の皆さまから多くの方々のご支援もいただいてきた。しかし一方ではいまだ「破綻の言説」として、首長の独断、観光事業への過剰投資、議会の監視機能不足をもって「自業自得のまち」との記憶もまた残り続けているのではないだろうか。
 ここで、なぜ夕張市は巨額の債務を抱え、破綻に至ってしまったのか、なぜ「観光」だったのか、あらためて夕張市の誕生(開基)から振り返る必要があると考える。

夕張市は炭鉱という単一産業が基幹産業「だった」

 夕張市は1888年に大炭層の露頭が発見され、翌89年に夕張採炭所、および北海道炭鉱鉄道会社(北炭の前進)が創立され、産炭地としての歴史がスタートするのである。この間夕張には大小24の炭鉱が開設され、1990年には夕張からすべての炭鉱がなくなった。
 夕張市は北海道のほぼ中央、空知地方の南部の平均海抜約200メートルの位置にあり、東西24・9キロメートル、南北34・7キロメートル、面積763・07平方キロメートルの町で、沢伝いに街が形成されており、「うなぎの寝床」とも言われた。また幹線に沿った隣接自治体との境界は山に囲まれ「石炭が見つからなかったら夕張に人は住まなかったかもしれない」との指摘もある。近隣自治体とは物理的に離れた環境にあり、炭鉱特有の文化が醸成された。
 夕張市史によれば1892年に夕張炭鉱が採炭を開始したその前年の人口は307人との記録があり、その後1960年に人口は11万6278人と、ピークを迎える。その後、炭鉱の閉山とともに人口減少が進み、2017年5月末では8612人、人口のピーク時から約14分の1にまで減少している。
 これは産炭地特有の人口動態とも言える。先に述べたように大小24の炭鉱の従業員は延べ1万人以上に上り、炭鉱が閉山するということは同時に従業員が職を失い、新たな職を求めて市外へと転出していくのである。今日、地域の主要産業の衰退を原因として、このように大きな人口流出が起きるケースはあるだろうか。
 戦後エネルギー政策は「国内炭切り捨て」、「石炭から石油」となり、炭鉱労働者のみならず市民全体が「いつか来るであろう閉山の日」「夕張にはいつまで住めるのか、いつまで商売はできるのか」という不安を抱え、同時に市民によっては「その時」の準備をしながら生活してきた。そのような社会的背景を、読者の皆さんにはまず押さえておいていただきたい。いかに将来を見通し難い中で行財政運営を行っていかなければならない特殊性があったかに理解を深めていただきたい。

労働者の命を奪い、自治体財政にしわ寄せされた炭鉱事故

 行財政運営を大きく揺るがす原因としては炭鉱の「事故」も挙げられる。予期せぬ事故は突然やってくるもので、事故の規模によっては尊い労働者多数の命が奪われ、同時に炭鉱会社の経営も悪化する。記録に残された炭鉱での殉職者は2078人とされ、一度の事故で423人の命を奪った事故もある(1914年11月28日、若鍋鉱・ガス爆発)。
 夕張市の財政を極限近くまで悪化させることとなったのは81年の北炭夕張新炭鉱のガス突出事故(死者93人)ではなかったか。端的に申し上げれば、「市を存続させるために」民間企業の不良資産を市が買い取る必要に迫られたのである。同時に単一産業からの脱却・雇用確保・社会基盤整備に向け夕張市の行財政運営は行われてきたのである。

企業負債が自治体財政に付け替えられた

 開鉱と同時に、炭鉱会社は道路・水道等のインフラ整備を自主的に行ってきた。しかし閉山後においては、残された資産は市が管理・整備する、あるいは人口増加期に建設された老朽資産の更新などに約533億の資金が投入された。そのうち国・道補助金を除く、市の一般財源を充当したのは300億円である。
 また、単一産業からの脱却を目指した「炭鉱から観光」への政策転換は、観光事業への過大投資という指摘を免れることはできないが、その背景には事故・閉山といった「負のイメージ」が定着した炭鉱の暗いイメージを払拭すること、これをもって企業誘致を展開することが目指され、同時に職を失った炭鉱労働者の雇用を確保する目的も存在していたのである。観光への政策転換は、雇用・生活を守ることをもって、人口の流失を食い止めるものでもあった。
 そして、この観光開発部門においても、夕張市にとっては計算外の事態に直面することになる。88年に夕張市に進出した松下興産㈱はスキー場・ホテルを保有するリゾート施設を運営、さらに当時第3セクターが運営していたホテルを買収(92年)するなど、夕張市の行財政運営に光明が差し込んだかに見えた。だが、買収したホテルも稼働率の低さを理由にわずか4年で閉鎖を決めたことから、市は約20億円で買い戻し、さらにはバブルの終焉とともに、松下興産㈱は2002年に夕張から完全撤退した。その際にホテルとスキー場を約26億円で買い取ることになったのである。
 なお、02年の買い取りに際して起債は認められなかったことから、松下興産㈱に融資していた(債権者であった)みずほ銀行が夕張市土地開発公社に全額を融資し、融資額に対して市が債務負担行為を設定し返済をしていくヤミ起債のような方法がとられた。このこともまた、夕張市を「炭鉱の閉山」に匹敵する苦境に立たせることになるのである。
 このような歴史を踏まえ、夕張市も財政構造の転換、つまり産炭地特有の財政構造からの転換を図ろうと「行財政『正常化』対策」を実施したものの、小泉構造改革による地方切り捨ての影響をもろに受け、財政状況は一気に悪化した。
 さて、夕張市のこのような状況に現在も向き合っている地域はほかにないだろうか。過去のエネルギー政策転換の反省や総括がないまま、結果責任は自治体が負わされるという政策は、ほかでも進められているのではないだろうか。『原発再稼働と自治体の選択』(公人の友社刊・高寄昇三著)には以下のとおりの記述がある。
 「将来、原子炉の廃炉が決定されたとき、立地自治体は厳しい状況におかれる。かつて産炭地が閉山でピンチに立たされ、政府は産炭地域振興交付金で支援の手を差し伸べた。しかし実態は経済・財政力が疲弊した立地市町村の丸投げであり、過重な負担と性急な振興策から、産炭地域の多くは地域崩壊の悲劇を見ている」、「産炭地域として福岡県飯塚市・宮田市・福島県いわき市などは成功したが、北海道夕張市・福岡県旧赤池町は失敗している。成功した地域は比較的立地条件に恵まれたところであり、多くの産炭地域は、内発的発展すら厳しい環境にさらされ、過疎の波に晒されている」と。

財政危機で「赤字隠し」に追い込まれる自治体会計

 結びに、新聞記事を紹介したい。それは2016年8月22日に朝日新聞が報道した「85自治体会計操作2300億」である。

 14年11月から総務省は「地方財政の健全化及び地方債制度の見直しに関する研究会」を立ち上げ、地方公共団体の財政の健全化に関する法律(2007年法律第94号)の全面施行から5年が経過している中、現状分析と課題について検討、さらには公共施設等の老朽化対策の必要性が生じるなど、新たな課題が生じていることから、継続的に財政健全化の取り組みを進められるよう、財政分析手法についても検討する必要があると研究会の設置目的を公表している。
 この研究会の中では全国の地方自治体のアンケート調査が行われ、不適正な会計処理である、いわゆる単コロオーバーナイトと呼ばれる手法が行われている事実確認と、早期是正指導強化が報告書に盛られている。夕張市が過去「赤字隠し」のために行った手法である。

単コロ=一般会計からの次年度の短期貸付金を財源とする第三セクター等からの返還金を、出納整理期間中に、一般会計の当該年度の歳入とすることを繰り返す手法

オーバーナイト=一般会計から第三セクター等に貸し付けた短期貸付金について、年度末に一旦全額返済させ、翌年度初日に再度貸し付けるもの。その間、三セク等は金融機関から1泊2日で資金を借入

 06年当時、夕張市が財政再建団体へ移行したことを受け、北海道は「夕張市の財政運営に関する調査」を行い、06年9月11日付でとりまとめ、公表している。当時の調査で夕張市は「不適正な財務処理」との指摘を受け、早期是正を求められたが、朝日の報道ではその指導にあたっていた北海道においても夕張市以前から同様の手法が続いていたとの内容だった。
 当時は不適正な会計処理で赤字を隠してきた、市議会はチェック機能を果たさなかった、その議員を選んだ市民にも大きな責任があると断罪され、厳しい計画策定へのいばらの道を歩まされた。夕張市は「財政再建団体へ移行」せざるを得なかった当時の状況とはいえ、不適正な会計処理で巨額の赤字を隠した。それは不寛容な社会の中において、「自己責任」であるとされた。

「夕張問題」の本質から自治体財政危機をあらためて捉え直す時

 夕張市が観光事業に巨額の財政投資を行ってきたこと、不適正な会計処理により赤字隠しを行ってきたことは、そしりを免れるものではない。しかし、本稿で触れたように、夕張市の歴史過程を見ると、「自己責任」の一言で押しつけられるべきものであっただろうか。
 夕張問題の本質的な部分をあらためて振り返ることに、今日的な国内の地方財政危機の課題を回避する糸口があるのではないかと感じる。

【あつや つかさ 1965年、夕張市生まれ。84年夕張市役所勤務、2005年から自治労夕張市職労委員長。11年、市議会議員当選、現在2期目】

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