「憲法9条とわれらが日本」―未来世代に手渡したい

2016-shinroRogo

<シリーズ・日本の進路を考える>
世界の政治も経済も危機は深まり、わが国を亡国に導く対米従属の安倍政権による軍事大国化の道に代わる、危機打開の進路が切実に求められている。
本誌では、各方面の識者の方々に「日本の進路」について語ってもらい、随時掲載する。(編集部)

大澤 真幸(社会学博士)

日米安保条約によって9条の精神は骨抜きにされている

Oosawa 皆さんは、参院選ではたくさんの政党があって、その中で自公が勝ったと思っているかもしれないが、そうではない。これから話すことは、一瞬「えっ!」と思われるかもしれないが、よく考えればすぐに分かっていただける。表向きは自公の勝利で野党の敗北という図式に見えるかもしれませんが、そう言ってしまうと、事柄の本質は見えなくなる。
 国民からすれば、実は、たくさんの政党があるとは感じられていない。ある意味で、1つしか政党がない状況なのです。これまでは、「左寄り」と「右寄り」の政党があると思ってやってきた。冷戦後は、そうではなくなった、と言われますが、すぐにこのような政党の分布が消えたわけではありません。これから話すことは、とりあえず、日本だけでなく、欧米「先進国」で共通のことです。イギリスの欧州連合(EU)離脱もありましたが、イギリスは労働党と保守党の2大政党だった。
 冷戦終了からかなりの時間を経て、こんにち事実上、政党は有権者には1つしか見当たらなくなったと見えていることを、われわれは自覚しなくてはいけない。
 冷戦終焉以前は、基本的には、資本主義を応援、進める政党、つまり体制側の政党と、資本主義を乗り越える、あるいは少なくとも重要な修正を加えるという反体制という分布になっていた。後者が、批判的な政党ですね。
 冷戦終焉後、もはや右と左という対立が成り立たないと言われてきましたが、しかしそれでも「右っぽい」「左っぽい」ということで2つに分けてきたのです。しかし、いまはほとんどの政党は、いや誰ひとりとして政党は、資本主義を否定していない。どの政党もグローバル資本主義を肯定、前提にすれば、政党と称する人たちの間の違いは多少の差でしかなくなる。事実上、政党は1つしかない状況になっているのです。
 ということは、どういうことかと言えば、かつては政党の違いとは、いわば国民がどの船を選ぶかということに関係していた。資本主義という船がよいのか、別の船がよいのか。しかし、今は違う。
 例えれば日本という大きな船を誰が操縦する舵(カジ)を取るのかを争っているだけです。俺の方に任せてくれと。誰が上手かと。以前は、あの船か、この船かという選択だった。
 ですから、政党がいくつあっても、政党というにふさわしい、本質的な違いはない。理念とかイデオロギーとか、キチンとした違いがある状況ではなくなった。この、政党は事実上1つしかない状況となっていることを理解しておく必要がある。

満足せず別の船を求める国民

 1つしか政党がないということは、一見、国民が全員、その船に満足しているという状況に思われますが、そうではない。逆です。ほとんどの人が、満足していない。いまあるのは立派な船ではなく、いわば沈没寸前です。
 ところが船は、その船1つしかない。どの党も、別の船の問題を提起しない。そして、誰がカジ取りが上手かなどと喧々諤々の議論している状況。つまり、もう沈みそうな船について、誰がカジを取るか争っているわけです。
 今度の選挙の選挙結果は与党が勝ったことになっている。政権側はそう宣伝している。
 しかし、有権者の実態は違う。議席での結果と有権者の実態の間にはかなりの乖離(かいり)がある。
「朝日新聞」の世論調査では、安倍政権の政策が支持されたと思うのは15%しかない。それでも選挙に勝っている。政策が支持されていないのに勝つなんて、不思議なことです。しかも危機的状況なのにである。野党が、もっと支持されなかったのは、もっと危機的ですが。
 同じ船の運営を争っているだけだ。誰がカジ取りが上手かという程度のことですから。消費税一つにしても、それは前提で、いつ増税するかの違いだけだ。
 日本もイギリスも問題は、国民が不安を抱いていること。とてつもなく危機的状況なので船を代えたいと思っている。ところが、どの政党も、誰一人、別の船や別の進路を示さない。結局、誰にカジ取りを任せるかとなる。
 有権者の本音から言えば、船ごと拒否したい気分なのです。どの選択肢にも惹かれない。だから、半分くらいの人は選挙そのものを拒否して棄権した。選挙に行った人は、嫌いな選択肢と、もっと嫌いな選択肢とがあるだけなので、しぶしぶ前者を選んだ。
 民進党に任せればと、国民が思えば勝つんですが、民進党はかつて国民を裏切っている(と少なくとも国民は思っている)。民進党は、かつて民主党だった時代、自分たちは別の船だという顔をしたのです。しかし、結局、同じ船だと分かり、有権者は不安になった。自民党の方は、開き直って「この道で(この船で)行きます」と。つまり、民進党が新しい船かと思ったら、前(民主党)と同じポンコツの船だった。裏切られたと思った。それで、これまで通り自公に任せるとなった。
 ただの船頭選びだとすると、これまで運転した人に有利になるんですね。元々、船そのものに不安ですから。この傾いている船、穴が開いて浸水している船がどこまで持つか? そういう状況で、交代して明日沈んだら困るので、少しでも長持ちしそうな人に運転してもらうしかない。すると、今まで運転していた人に任せよう、となる。今までの人が有利になる。

はっきりと船頭交代を求めた地域

 逆に言うと強い危機感があった、耐え難くなったところは、さすがに船頭の交代を要求するのです。それは、沖縄ですね。沖縄は、浸水が半端じゃない。水がドッーと入ってきた。沖縄、原発関連の地域。あるいは環太平洋経済連携協定(TPP)の影響がモロ出そうなところ。不安が大きすぎて、これまでの船頭に任せられなくなった。
 不安だから、今の奴に任せるしかない、あるいは別の奴に変えるしかない。しかし、はっきり自覚すべきは、任せられた人は、別に「あなたなら安心だ」と言われたわけではない、ということです。人びとは、新しい船を求めているが、政党が本質的な選択肢を提示しないのでそのイメージがない。だから野党が苦戦を強いられている。

 今回、野党共闘で、自民党と対決するために、野党が候補者を絞る。不安の中で、代えてみようといくらかは勝った。それはそれで、共闘しないよりはよいんですが、たいしたことではない。
 2014年の総選挙で、共産党が伸びた。共産党は、「この船はもうダメだ」という有権者の受け皿になった。「共産党」という名前が効いたのです。共産主義をめざしているわけではないのに、この古い名前を棄てない。そのことが、現状に対する強い拒否感を表現する媒体になった。共産主義や共産党を強く支持しているわけではないが、「この船ごと嫌だ」という気持ちの受け皿になったのですね。
 現状拒否の一番分かりやすいのは、棄権。選挙そのものを否定するのだから。どうしても選挙に行くのなら、破れかぶれででも共産党。
 有権者には選択肢が1つしか与えられていない。しかも有権者は不安感を持っている。満足しているわけではない。事実上1つしかメニューがない。そのメニューが好きならよいが、根本的に不安だから嫌いだ。これが基本の図式です。

対抗軸は難しい。だが、対米従属の日本には逆に可能性が

 では、どうするか。これは、すごく難しい問題です。
 グローバル資本主義の中で生きていくのは、日本だけではなく、世界中の人びとの前提になってしまっていますから。だが、日本については少しやりようがある。憲法問題と絡んでいます。
 例えば「待機児童」問題は重要ですが。子どもを抱えている人、そうでない人、違いますよね。重要な問題ですが、私的な利害の対立でしかない。政党がこれで国政を争う問題ではない。
 それに対して、憲法問題は、日本だけでなく、地球全体に影響を与えるようなことが根本問題です。それが争点にならなかった。マスコミがちゃんと取り上げなかったとか言われますが、それは問題の一部でしかない。なぜ憲法問題は非常に重要なのに、それが国民にアピールしなかったかを考える必要があります。
 憲法問題で視聴率が稼げれば、マスコミだって報道するのです。たとえば、舛添さん問題を使えば視聴率が上がったので、使ったのでしょう。実は、昨年の安保法制のときは、それで人びとの関心を得られたでしょう。ですから、憲法問題も、その本質を分かるように示せば、人びとの関心を集められるのです。しかし、それが与党だけではなく、野党にもできないことには理由がある。
 TPPや原発、基地の問題など、一見、憲法問題と関係ないように見えますが、憲法と連動しています。TPPだけを解決しようとしても、なかなか難しい。だけど背後にある日本の進路の問題として、憲法の問題として片づけていけば、本当に重要なことができる。
 それなのに、憲法問題で争うことができないのは、改憲派にも護憲派にも弱点があるからです。改憲派が本音を言ってしまうと、ひどい時代錯誤的なことになるのは明らかなので、ここではあまり詳しく言いません。

護憲派にも決定的な弱点が

 それよりも、護憲派にも、大きな弱点があって、憲法問題で勝負ができなくなっているということをここでは言っておきます。簡単に言えば、改憲派は、安全をめぐる国民の基本的な不安に答えられていないということです。結果として、護憲派は現状の単純な肯定になるのですが、それでは弱い。
 改憲派には、ゴマカシがある。それは日米関係に関連すること、憲法9条と日米の軍事同盟の関係。日本人の感覚からすれば車の両輪です。
 米国は日本を守ろうとは思っていない。しかし日本人は、そう思っていない。アメリカが守ってくれる、それがなければ日本は安全ではないと思っている。だから、米国に軍事基地を提供している。
 多くの日本人が米国がいなければ日本が危ないという感覚をもっている状況を、どう打開するか、乗り越えないといけない。
 護憲派さえ、米軍基地の方が日本が核武装するよりましと思っている。それを不問に付して、護憲を言っている。それは主張としては、弱い。日本の進路としても、余りにも魅力のない選択だ。平和主義を大きな声で訴えるが、影では、世界でいちばん強い外国軍の基地を置いている。
 われわれの進路としては護憲だが、どうやって日米同盟を解消するのか。日米の軍事同盟の解消は、非現実的なことではない。
 米国は、戦後71年間も日本に米軍を置いている。じゃあ次の70年も置くのか。21世紀が終わっちゃいますよ。21世紀の終わりに現状のままだと思いますか。
 そう考えれば、米軍が半永続的に日本にあるなどということが、むしろ非現実的なことだと分かる。どこかの段階で、大きく変わるはずです。

独立を達成すれば自らの力で安全は確保できる

 だから、米軍がいなくてもよい、米軍はいずれ日本からいなくなる、と仮定する。それでも護憲で、日本は安全であろうか。僕は最近『憲法9条とわれらが日本』(筑摩書房)という本を出しましたから、詳しくはそれを読んで欲しい。ぼくは9条を文字通り実現しても日本は安全であるとして、その根拠を示しています。文字通りの実現というのは、もちろん日米の軍事同盟の破棄を含んでいます。それでも、日本は安全です。ただ、それと一緒に、自衛隊を発展的に改組すること、そして国連に対して日本が何を提案すべきかということ、こういうことが必要で、その本に書きました。
 でも、憲法と日米関係については、ここで話しておきます。日米の軍事同盟を破棄しなくてはならないのは、別に米国が嫌いだからではない。問題は、日本が、国の安全の中核の部分で米国に依存していることです。それだと、日本の肝心なことは米国が決めることになるからです。米国の意思に反することはできない。
 だから、まず、米国から、日米軍事同盟から独立することが可能だということをハッキリ示さないといけない。憲法に外国の基地を置く条件を書き込めば、できると思いますよ。フィリピンも撤去した経験がある。

 問題は、米国からの精神的な独立です。なぜ、重要かといえば、米国の意向で日本の政治のすべてが決まっちゃうからです。消費税や年金の問題もありますが、もっと大きな問題。米軍基地、沖縄の問題などありますね。原発にしてもそうですが、米国の意向があって決まっている。米国が決めたら、日本人がいくら騒いでもどうにもならない。
 原発なんかは、国民投票すれば明らかに縮小しかないんですが、なぜそうならないか。たぶん、米国の意向です。日本に原発があってもよい、あったほうがよいと思っていますよ。基地の問題はもっとそうです。TPPもそうです。
 自分たちが自主的に決められない。米国から独立し、肝心なことを決められる国にならなければ。米国に国の安全面で依存していれば、他の政治的なことも日本自身で決められない。
 よく選挙で投票率が低いといいますが、当たり前ですね。大事なことは、米国との関係で決まる。投票結果と関係ない。僕らが投票すれば、原発やTPPがどうなるかという状況なら投票するでしょう。しかし、関係なく決まるのです。

 まず、米国からの独立。そこを確保できれば変わる。本質的なことを言えば、このことは、日本のことだけでなく、世界全体に関係する。日本は国際的な問題でも米国にくっついていくしかないので、他国から見ると、肝心な選択で、日本などはどっちでもよいと、なってしまう。
 いま問題になっているのは、世界を米国が主導しているが限界になったということ。世界には中国やEU、ロシアがいたり、原理主義者がいる中で立ち回らなくてはならない。日本は米国についていくしかないとなっているが、それでよいのか。絶望した人たちはテロに走って、欧州の中心部でもテロを起こせるようになっている。こういう時にどうテロと戦い、世界状況と闘うか。米国主導のグローバル資本主義のベースに何か問題があるのです。すごく大きな課題ですが、意味のある課題です。
 ところが、日本は米国についていくだけだから「お前、考えてもしょうがないよ」と見なされている。世界の本当の問題に立ち向かうためにも、米国主導の世界ということをいったんはカッコに入れ、相対化しなくてはならない。それなのに、日本には、米国追随以外に何の策もない。ということは、日本は、世界の本質的な問題の解決にはまったく貢献できない国だ、と言っているに等しい。
 日本の経済成長率はよくない。これは広く見れば世界的な現象です。しかし、欧米に比べてもよくない。しかし、人口が減った分だけGDPが減るというのは、もう「やる気のない」ということが実態だということです。
 これまで経済成長だけを追求し、バカにもされましたが、それでも日本人は経済成長にそれ以上の夢を託してきた。戦争に負けて、貧乏になって、その屈辱感をバネに経済成長にまい進した。
 ここに来て、そういう気分すらない。日本人の理想がない、個人の生きる目標にはなっていない。
 日本の内需が拡大しないのは、人びとが投資も消費もしないということですね。投資は、リスクを負ってでもやりたいという気持ちが必要です。リスクを負ってでも賭ける何かが、夢です。持ち切れていません。

独立国として日本の夢を共有する

 この状況の克服するための最初の一歩として、日本の場合は、米国との関係を乗り越えなきゃいけないと思うんです。そうすると、日本の選択肢は増えるんです。
 世界を見れば、中国が非常に大きくなった。中国がこんなに大きくなると、25年前には思ってもいなかった。今では中国がもっとも存在感のある国になっている。どの国も、中国とどういう関係を持つか、模索している状態じゃないですか。米国もロシアも中国との関係で動いている。
 しかも、日本ほど中国とのつながりが有利な国はない。もし日本が積極的プレイヤーであれば、世界のキーパーソンになれるはずです。世界は中国とどうやって付き合うか。10数億人の規模で、経済成長もするとてつもない国を相手にする上でカギになるのは日本だ、ということになるはずです。
 ところが、米国の言いなりしか選択肢がないというのは、日本人にも中国にも地球にもよくない。日本が米国との関係というタガを外せば、中国との関係も自由にできる。
 3年前に、ある調査が、親米度と親中度を、世界37カ国で比較した。国によって違いますが、全体としては、まだ米国好きな国の方が多い。それはともかく、中国に対して米国が好きの度合いが、圧倒的にダントツ1位なのが、日本なのです。特に嫌中の程度が、日本だけ極端に高い。
 いちばん中国に近く、歴史的にも現在も経済的に関係が深いのに。どうしてそうなるかというと、日本人は、米国の視点を介して、日中関係を見ているからです。米国が、日本と中国のどっちを重視しているか、と。米国が中国に気を遣っているので、日本人は嫉妬しているのか。
 現在、EUさえうまくいかない。多くの人が、EUみたいな連合が地球規模になれば、永遠平和が訪れるのにという夢をもっていましたが、それすらうまくいかない。
 こんなとき、日本が積極的ビジョンが出せればよいが、日本は米国の付属品だから言うことを聞く必要がないと見なされている。せめて「あいつの言うことも聞いてみよう」となれば。「ノーと言える日本」どころか、「こうしようと言える日本」になれます。
 繰り返しますが、米国からの完全な独立は非現実的ではない。これから70年も変わらないと考える方が非現実的です。

おおさわ・まさち 1958年生まれ。社会学者。元京都大学教授。現在、個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』刊行中。文責編集部

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