参院山形選挙区で自公与党に圧勝した経験

参院選山形選挙区で舟山やすえ候補(無所属)は、自民党の月野候補に34万票対22万票で大差で圧勝した。その選挙戦の経験について地元で選対本部長として奮闘した菅野芳秀さんに聞いた

舟山さんは、「山形には力があるんだ」と、誇りと自信を蘇らせてくれた

菅野 芳秀さん(農民、置賜自給圏推進機構常務理事)に聞くKannoPhoto

 舟山やすえ候補の選挙を闘って、一言で感想を申し上げれば「とにかく楽しかった。面白かった」の一言に尽きます。「運動をやっている」という実感がありました。
 私は、候補者の地元といえる長井市の選対本部長を務めました。長井市は、総戸数9千数百世帯ですが、終盤に全戸に電話しました。そうすると、普通よくある「はい!分かりました」ガチャンではありません。受けた方が「舟山さん、頑張っていますね」と励ましてくれ、「ウチには何票ありますから、大丈夫です」などと、返事が返ってくるわけです。これは違う、と実感できましたね。

背景は農民の苦しみと怒り

 地域のなかでも、とりわけ農民の票が大きく、その苦しみ、怒りが背景でしょう。
 秋田県は残念でしたが、新潟を含めて東北地方は自公候補を打ち破りました。アベノミクスの恩恵など何にもないわけです。それにそれどころかその農業政策についてもどうにもならない不安感を持っています。
 それに対して相手陣営は、反対してばかりいても仕方がない、それを受け入れろと。その上で政権とつながることで予算を取ってきて、地域を発展させると言いました。それに、農業を輸出産業に変えると。予算を取ってくと言っても、そんな金はどこまで続くか分かりません。
 何よりも農民は、そんな一時的なお金でやれる農業では不安です。だから相手の話は、農民には全然説得力を持ちませんでした。輸出産業化の話にしても、1町歩、2町歩、3町歩やっている農家でしたらそんな話には乗れない。厳しい状況の足しにならない。しかも、それは新たに激しい競争の中に入っていく話だと分かるわけです。
 もっと質素なものでよいから、村でも町でも当たり前に生きていける、安心できる暮らしを続けていきたいという気持ちがあり、相手の政策には同調できない。
 舟山さんは、アベノミクスに対してキチンとした批判をやっていました。その上で、地域に力を取り戻そう、山形の外にある資源に依存する割合をできるだけ小さくし、地域資源を活用することで、新たな雇用をつくり出し、循環する経済をつくり出していこうと呼びかけました。その潜在力が地域には、山形にはあると。
 またアベノミクスのようにすべてに経済を優先させるのではなっく、お金に替えられない価値をしっかりと判断し、人が生きていける社会を守っていかなければならないと訴えました。舟山さんは、いわば山形の素晴らしさ、誇り、自信をよみがえらせてくれたと思います。

生活基盤崩壊への危機感

 舟山さんはこう話しました。「現に私が、こうして毎日選挙運動で全県を飛び回っていても、子どものこともばあちゃんのこともまったく心配していません。むらの人たちが、しょっちゅうおかずを持ってきてくれて、ウチのことを心配してくれているからです。こういうおカネに換算できないこの良さをずっと維持して行きたいと望んでいます。人びとが互いに協力しながらむらの暮らしを守り、祭りを守り、むらの行事を守っていく。経済性だけでは推し量ることのできないこのような暮らしにTPPがくさびを打ち込もうとしています。『TPPを受け入れて、予算を貰ってきて…』ではありません」  相手陣営の話よりは、舟山さんの話の方がスッーと農家に入っていく。それが農家の心をつかんだ。さらにそれがマスコミも含めて人びとの口を通じて山形市とか都市部に広がっていきました。
 実際は、アベノミクスなどといっても経済は落ち込むばっかり。農業だけではない。一時期、この地域に来ていた会社などが、工場をたたんで関東方面に引き上げていく。購買力がさらに落ち、シャッターの下りた商店が増えていく。アベノミクスの恩恵など地域には何にもない。
 東北全体が、それに北海道も同じようなことだったと思います。

農民の誇りと生きがい

 わがむらを見ていてもそうですが、むら社会の機能が低下し弱ってきているが実感できます。若い人がいない。子どもが極端に少ない。年寄りが多い。むらの行事とか、生産組合の役員とか、集落の役員とか、回り番で交代でやってきているわけですが、回らなくなってきている。むらの中心は農民です。それも1~4ヘクタールくらいまでの家族でやっている農民です。アベノミクスの農業政策で、農地が大きなところに集中され、小さな農業が淘汰されています。小さな農業を担う者の誇りが傷つき、後継者が育ちません。
 経済的にも成り立たない。コメを見ても、販売価格が生産原価を割っている状況が続いています。代々農業をやってきて、スッとはなかなかやめられないから、年金をつぎ込んでといった声も聞かれ、産業としてはまったく成立しない状態です。後で、失敗だったと気がついても後戻りできないでしょう。そんな行程が続いています。
 経済的に成り立たない、むらも機能不全に陥りつつある。そうした状況にある村人の感情、だけど何とかしたい、何とかしなければ…。こんな思いが舟山さんに希望をつなごうとしたむらの現実です。むらの役員を説得しようとしても、「はい、そうですか」とはならない現実があります。て相手陣営にスッと行くわけがないですね。

大きかった舟山さんのキャラクター

 舟山さん自身のキャラクターもよかった。魅力があった。会った人は、若い女性などもみな「素敵な人ねー」と言う。やはりその人の個性や人柄は、その人の生き方が育むものなのですね。
 彼女は、9年前に当選して、3年前に落ちた。それからの3年間ずっと農業をやっていました。コメを1町歩、畑を7反ほどやっていて、とくに玉ネギ生産に励み、地元の農作物を学校給食に運ぶ一員として頑張っていました。お連れ合いはガス屋さんですが、本人は生産農民であり、販売農家でした。農業をしながら地域資源の活用を呼びかける「置賜(おきたま)自給圏」の運動をやり(舟山さんは「置賜自給圏推進機構」常務理事の1人)、TPPについて学習会などでは、乞われれば都合のつく限り講師を務める。こういう姿勢で3年間やってきました。ま、言ってみたら少し活発な普通の人です。そこのところを皆さん知っていました。

野党統一の効果と限界と

 全県的にも県民は、「自民党は幸せをもたらさない」ということにウスウス気づき出した。だからといって民進党こそが私たちに幸せをもたらすとは思っていません。もし、舟山さんが民進党公認だったらあんなに支持は集まらなかったのではないか、今回は無所属だったからの結果ではないかと思っています。
 自民党に入れた人も22万人くらいはいるわけですが、積極的に自民党という人はどのくらいいたか。他にないから自民党に入れた、という人が随分といたのではないでしょうか。舟山さんは、無所属だったということもあって、消極的自民党支持者をこちら側にずいぶんと引っ張ってこれた。そうした求心力があったということです。民進党だったらここまで支持を集められなかったと思います。
 3年前の選挙で舟山さんは落ちたのですが、本当は勝てた。TPP、市場原理主義に反対し、反原発を主張していました。自民党候補に2万票差で負けたわけですが、その時共産党がほぼ同じ主張をして3万票稼いでいた。ですから、舟山さんと共産党を足せば政策的には多数派だった。そのことを皆知っているわけで、今度こそという機運が強かった。
 しかし、今回は野党統一での難しさもあった。原発では、連合の中に反原発は余り言うなという雰囲気があったといいます。TPPについてすらそれがあった。あまり言うなと言われたらしい。彼女はTPPに反対して、民主党を出たわけですからTPP反対を言わないで済むわけがない、それでもそういう雰囲気があった。民主党を離党したことについても出だしのころには一部に反発があったかに聞きます。
 このようにさまざまな不協和音がありながらも、今回は無所属の野党統一候補になって1つの基礎ができた。おそらく国政において、「野党統一候補」ができたことは山形県では初めてではないかと思います。

安保法制反対で生まれた市民運動が大きな役割

 もう一つは、市民運動の力が大きかったことをあげなければなりません。
 昨年から取り組まれた「戦争やんだ」の市民運動は、ここ置賜でも大きな運動に成長していた。3百人、6百人と田舎町でもかなり大きな集会を2度ほど成功させてきました。置賜地域全体でも、山形県全体でも「戦争やんだ」の市民運動が広がっていく。この人びとが中心になって、野党統一候補を実現しろと世論をつくり、政党に働きかけていきました。政党だけの「野党連合」の運動ではなくて、市民運動が政党と連携して選挙運動をつくっていったという点で、おそらくこれも山形の選挙運動で初めてではなかったかと思っています。
 この効果は大きかったと思います。一口に市民運動とはいっても、農民もいるし、勤め人もいるし、自由業の人もいました。女性が多かったですね。「若い母ちゃんたちの会」も生まれました。実に多様な人たちがいました。政党人もいたのでしょうが、政党色をゼロにして運動をした。それぞれが自分のやれることをやらなくてはと自主的に主体的に舟山支持の運動を拡大していった。
 その運動に取り組みながら、もたもたしている野党にはすみやかに連携せよとのメッセージを絶えず出してきた。選挙戦全体をみれば市民運動がもたらした相乗効果は大きかったと思います。

農協役員も心は舟山さん支持だった

 農民の多くが、農協の役員までも、実際は「舟山支持」が多かったように思います。しかし今回、自民党は全農県副本部長を担ぎ出して農協を締め上げ、農民票の切り崩しを狙った。前回、反TPPを前面に掲げた運動の時には、農協ぐるみの支持、支援の運動があったが今回は違った。しかしそれでも、自公候補への「支持」は打ち出さず「自主投票」でがんばりました。
 とはいえ、土地改良区に関わる農民も、農業委員会の農民も、農協の役員担っている農民も表には出てこなかった。この3つは、農村、農業界の農民リーダーの人たちです。この人びとが舟山さんの選挙運動の表舞台から身を引いた。「一緒にやろうぜ」といっても、「立場があって」と。
 かれらは、表に出てこなかったというよりも出てこれなかった。しかし、私がここで言いたいことは、それでもその人びとの半分以上は舟山さんに投票したのではないかということです。私のところに、その人びとから、「安倍晋三が何日何時にどこそこに来るから。早めに知らせた方がよいと思って。菅野さん、対策を考えておいて下さい」といったような連絡が入る。表向きは相手側だったが、実は舟山支持だったんですね。何回も自公候補の運動に動員されている。小さなむらで100人も集められるような集まりに繰り返し呼ばれている。それでも、運動は何もしなかったと言っていいと思います。

舟山さんを中心に新しい運動が始まった

 3年前に、舟山さんが民主党を離党し、選挙に立つというときに長井市で後援会をつくろうと呼びかけがあった。行ってみましたが、私以外には5人くらいしかいなかった。びっくりしました。聞けば、後援会とはいっても市民の中にはほとんど実態はなかったということでした。企業や組合の幹部が民主党ということで集まっていた。
 「ここから?」と思いましたが、5人で始めました。私は、市民運動、大衆運動の王道を行く方針を提案しました。周囲に呼びかける人集めで、5人がひとり5人を集める、またその人が呼び掛けてと、「100人委員会運動」と名付けました。まず、5人を、100人にすると。それをさらに500人にする、さらに2500人にすると。カネもない、組織もないわれわれが多数派を形成しようとしたらそれしかない。
 運動が広がりだしました。集まるたびに、人が増えていく。進展具合を絶えずチェックして、状況を把握するとともに、背中を押すわけです。目に見えて前進するので、参加してくれた人は自信を持つし、街の雰囲気が変わっていった。この3年前は全県では負けましたが、長井市では、1500人ほど相手を引き離し勝ちました(長井市では県下の市の中で舟山さんの得票率はトップでした)。
 今回も最初から「100人委員会運動」を提起してやってきた。
 このように市民が「蟻のように地べたをはい回りながら」支持を広げ、長井市でも圧勝しました。

政治に発言していく基地になるような後援会をめざす

 いま、「正式な後援会」を立ち上げようとしています。選挙のための役員だけのような組織ではなく、役員任期も、規約も、新聞もあっての組織です。そこには青年やお母ちゃんたち、年金をもらっている爺ちゃんやばあちゃんたち、それぞれの組織もあり、勉強にもなって楽しくもあるような、そんな後援会です。
 TPPや原発や、沖縄や安保法制などの問題にちゃんとした認識をもちながら、舟山さんを支え支援する、そんな後援会にしたい。舟山さんを中心に、若いお母さんたちが、安保法制の問題を学びながら、日本と子どもたちの将来を考える。農民が、TPPと日本の農業の現状をどう変えていけばよいのか、むらが守られていくのか考える。年金をもらっている人たちは、どんどん年金が減らされているわけでその問題、医療の問題も。
 どうすれば、現状を変えられるのか、自分たちのむらを守れるのか。どこにどういう要求を、どう運動を進めていくのか。こういった後援会にしないと後進が育たないし、舟山さんを支えられない。こうすることで社会運動が根付いていくと思います。舟山後援会は長井市内の最も大きな「政治勢力」になっていくでしょう。その意味で責任が大きいと思っています。

かんの・よしひで 1949年生まれ。長井市で養鶏と水田の有機農業を営む。「TPPに反対する人々の運動」共同代表。置賜百姓交流会世話人。置賜自給圏推進機構常務理事。文責編集部

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