[追悼] 玉城義和さん

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 広範な国民連合全国世話人、沖縄「島ぐるみ会議」事務局長、沖縄県議の玉城(たまき)義和さんが6月3日、食道癌(がん)のため名護市内の病院で亡くなられた。享年68歳。謹んでご冥福をお祈りするとともに、加藤毅事務局長の弔文と昨年の全国総会時の玉城義和さんのスピーチのエッセンスを掲載する。

加藤 毅 広範な国民連合・事務局長

Tamaki 「玉城義和さんが食道がんで亡くなりました」。その知らせに私は愕然としました。沖縄にとっても日本全体にとっても、掛け替えのないリーダーを、私たちは失いました。
 玉城さんとの最初の出合いは1986年にさかのぼります。玉城さんは総評国民運動局で、私は「核兵器廃絶運動連帯」の事務局で、反核平和運動にたずさわっていました。核兵器廃絶運動連帯は、83年に総評議長を退任した故槙枝元文さんが、核禁会議議長の故磯村英一さんなどの方々と力を合わせて分裂激しい「核兵器廃絶運動」の連携をめざして86年に発足させた組織です。その年、総評など諸団体と力を合わせて国際フォーラムを開催し、私は玉城さんと一緒に仕事をするようになりました。
 その後、玉城さんは総評解散で88年に沖縄に帰りました。89年の冷戦終結という世界の激変の中で日本の進むべき進路が問われました。私は、槙枝さんの呼びかけに応じて、93年に「自主・平和・民主のための広範な国民連合」の結成に参加いたしました。日米安保条約を清算して米軍基地を撤去し、対米従属から対米自主へ転換することをめざしました。
 95年9月の米兵による少女暴行事件は、日本のあり方を鋭く問う事件でした。広範な国民連合は10月2日、東京で抗議集会とデモを行い、沖縄に連帯する行動を全国に呼びかけました。沖縄では92年に県議になったばかりの玉城さんが、10・21沖縄県民総決起大会の事務局長という重責を担って、奮闘していました。玉城さんと私は、再び同じ戦線で闘うことになりました。8万5千人の県民大会に励まされて、広範な国民連合が呼びかけた沖縄に連帯する行動は全国に広がり、以降1年間に16都府県で大小53回の集会を実現しました。
 97年12月、比嘉名護市長(当時)が市民の総意を踏みにじり、新基地建設を受け入れ、辞任しました。玉城さんは新基地建設を阻止するため、県議を辞職して翌年1月の名護市長選に立候補しました。広範な国民連合は「玉城候補支持の共同署名」を全国に呼びかけ、共同署名人は1228名に達しました。玉城さんは僅差で惜敗しました。その後、3月の補選で県議に復活しました。
 玉城さんは、度々、広範な国民連合全国総会で、沖縄県民の闘いや日米安保について講演やスピーチを行い、09年の全国総会で全国世話人に就任しました。
 玉城さんは、広範な国民連合が03年から始めた超党派の全国地方議員交流会では第1回から発起人となり積極的に取り組みました。09年、当時県議会副議長であった玉城さんは実行委員長として、また、14年にも交流会の沖縄開催を成功に導きました。
 首都圏や全国各地で開かれた多くの沖縄に連帯する集会で講演し、参加した人々にこの闘いへの確信を与えてくれました。
 12年の9・9県民大会以降、玉城さんの提起は壮大で鋭くなりました。政党の枠を越えて緩やかだが強靱に闘う統一戦線的な組織の構想は、いまや「島ぐるみ会議」の結成や翁長雄志県政の登場として前進し、日米両政府を揺るがしています。
 私は玉城さんが切り開いてきた道を、沖縄の皆さん、全国の皆さんと力をあわせて進みます。それが亡き友への私の弔いです。

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