政府のTPP影響評価・試算の誤謬

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東京大学教授 鈴木 宣弘

TPP合意の政府説明・対応の異常

sn-img米国では、2015年11月5日の大統領の署名意思表示の90日後の2016年2月4日に署名、それから政府が105日かけてTPPの影響試算を出し、それに基づいて議会で5月中旬から議論する手続きと日程が明示されているのに、我が国では、TPP協定の詳細も国民に示さず、影響試算が出される前に、「国内対策」だけが先に示され、しかも、関連団体から要望を聞いたとしながら、対策も半年以上前に決まっていた。政府が考えている以上のセーフティネット政策の必要性を要請項目に挙げた団体には、政権党の幹部が激怒し、役所を通じて、政府が考えている以上のことを要請するなと事前に要請事項の削除を迫った。

しかも、2015年末にやっと出された政府の影響試算は、日本のGDP(国内総生産)は前回の全面的関税撤廃の下での3.2兆円の増加から、少し減るはずなのに、13.6兆円の増加に4倍強に跳ね上がり、農林水産業の損失は前回の3兆円から、かなりの被害が残るはずなのに、1,300~2,100億円と約20分の1に圧縮された。「TPPはバラ色で、農林水産業への影響は軽微だから、多少の国内対策で十分に国会決議は守られたと強弁するために数字を操作した」と自ら認めているようなものである。これほどわかりやすい数字操作をせざるを得なかった試算の当事者にはむしろ同情する。

「影響→対策」の順で検討すべきを「対策→影響なし」と本末転倒にし、価格が多少下がっても、国内対策を前提にすれば、生産性も向上し、農林水産業の生産量と所得への影響は全くないと言う。「国内対策をセットで出して再生産可能にしたから国会決議は守られたと主張する」稚拙なシナリオである。

2016年が明けて、協定の日本語版も一応出されたが、それを見ただけでは解釈は困難である。そこで、その条文の背景説明を求めると、「交渉過程は4年間秘密なので説明できない」との回答が返ってくるだろう。そして、結局、まともな説明はなされないまま、どさくさに紛れて批准してしまうという、こんな異常な手続きが「民主主義国家」で進められている。

しかも、コメについては備蓄での調整のみ(しかも備蓄期間を5→3年と短縮)、牛豚肉の差額補填の法制化と豚肉の政府拠出の牛肉並みへの増加(50%→75%)、生クリームを補給金対象にする、などの国内対策は、牛豚肉の赤字補填率を8割→9割に引き上げる点を除いて、TPP大筋合意のはるか半年以上前に決まっていた。

そもそも、重要品目は「除外」とした国会決議に「再生産が可能になるように」との文言を意図的に盛り込んだ。まず、「除外」の意味は全面的関税撤廃からの除外であって1%でも関税が残っていればいいとの屁理屈を用意していたが、それをさらに補強するため、どんな譲歩をしてしまっても、国内対策をセットで出して、再生産が可能になるようにしたから国会決議は守られたのだと説明すればよいというシナリオが当初から考えられていた。それに基づいて、TPPの農産物の日米合意と「再生産可能」と言い張るための国内対策は「大筋合意」のはるか以前に準備されていて、あとは「猿芝居」だったのである。

「踏みとどまった感」を演出した「演技」

牛肉関税の9%に象徴されるように、今回の主な合意内容は、すでに、昨年4月のオバマ大統領の訪日時に、一部メディアが「秘密合意」として報道し、一度は合意されたとみられる内容と、ほぼ同じだ。つまり、安倍総理とオバマ大統領は、昨年4月に、実は、寿司屋で「にぎっていた」のである。

そのわずか2週間前に日豪の合意で、冷凍牛肉関税を38.5%→19.5%と下げて、国会決議違反との批判に対して、19.5%をTPPの日米交渉のレッドラインとして踏ん張るからと国民に言い訳しておきながら、舌の根も乾かぬうちに9%にしてしまっていたのであるから、恐れ入る。

その後は、双方が熾烈な交渉を展開し、必死に頑張っている演技をして、いよいよ出すべきタイミングを計っていただけの「演技」だったのだ。フロマンさんと甘利さんの徹夜でフラフラになった演技は見事だ。「これだけ厳しい交渉を続けて、ここで踏みとどまったのだから許してくれ」と言い訳するための「猿芝居」を知らずに将来不安で悩み、廃業も増えた現場の農家の苦しみは、彼らにとってはどうでもいいこと、いかに米国や官邸の指令に従って、国民を騙し、事を成し遂げることで自身の地位を守るのがすべてなのかと疑いたくなる。

そもそも、3.11の大震災の2週間後に「これでTPPが水面下で進められる」と喜び、「原発の責任回避にTPP」と言い、「TPPと似ている韓米FTAを国民に知らせるな」と箝口令をしいた人達の責任は重大だ。このような背信行為に良心の呵責を感じるどころか、首尾よく国民を欺いて事を成し得た達成感に浸っているかに見える。

 「TPPはバラ色で影響は軽微」とするための露骨な数字操作

これほど意図が明瞭な試算の修正は過去に例がないだろう。自由化の程度は若干後退したのだからGDPの増加は縮小するはずだ。それが4倍に跳ね上がるは異常である。前回の3.2兆円も、すでに、価格が1割下がれば生産性は1割向上するとする「生産性向上効果」やGDPの増加率と同率で貯蓄・投資が増えるとする「資本蓄積効果」を組み込むことで、水増ししていたのだが、今回は、それらがさらに加速度的に増幅されると仮定したと考えられる。「価格が1割下がれば生産性は1割向上する」仮定も「価格が下落しても生産量は変化しない」とほぼ同値の都合のよすぎる仮定であるが、今回は、さらに加えて、輸出入拡大による生産性向上、生産性向上による実質賃金の上昇、貿易手続きの簡素化による取引コストの減少、なども加わっている。

どの程度生産性が向上するか、コストが下がるかなどは恣意的に仮定できるので、こういう要素を加えれば加えるほど、効果額を増額することが可能になる。いくらでも操作可能であると自ら認めているようなものであり、国民からの信頼を自らなくさせていることに気付くべきである。農林水産物での大幅な譲歩と、自動車ではほとんど恩恵がないという合意内容で、日本の経済的利益を内閣府と同じGTAPモデルで暫定的に試算してみると、控えめに推定しても、農林水産物で1兆円、食品加工で1.5兆円の生産額の減少が生じる一方、自動車でも、むしろ生産額の減少が生じ、全体で日本のGDPは、わずか0.07%、0.5兆円しか増加しない可能性がある(付表)。実は、政府自身も関税撤廃の直接的な効果のみでは、GDPの増加は0.34%、1.8兆円の増加にとどまるという数字を計算している。本来は、このような直接的効果のみの試算結果をまず示すべきで、恣意的に操作できる生産性向上効果などの間接的効果を駆使した結果を前面に押し出すべきではない。sn-z01

農林水産業については、コメ、乳製品、牛肉、豚肉など重要5分野に含まれる586の細目のうち174品目の関税を撤廃し、残りは関税削減や無税枠の設定をし、重要品目以外は、ほぼ全面的関税撤廃した(7年後の再交渉=さらなる譲歩も約束)にもかかわらず、生産減少額が20分の1に減るとは、意図的に数字を小さくしたとしか解釈のしようがなく、全国農家の反発の火に油を注ぐことになろう。

 国内対策の強化といっても前回の試算時点よりも牛・豚の政府補填率が1割増える程度であり、様々な品目の価格下落分が政府の補填で相殺されるわけはない。すると、価格下落分と同額のコスト下落が自動的に生じると仮定していることになり、どこにその根拠があるのか、示すべきである。

品目別の再試算の問題点

関税撤廃される品目

前回も今回も関税撤廃の条件で試算された品目について、例えば、鶏肉は前回の990億円から19~36億円、鶏卵1,100億円から26~53億円、落花生120億円からゼロ、合板・水産物で3,000億円から393~566億円という説明不能な減額になっている。

コメ

米価下落も一切ないとしている。TPPによる追加輸入分は市場から「隔離」するから大丈夫というが、隔離とは欧米がやっているように援助物資や補助金付輸出として海外に送るなど、国内市場から切り離すことであり、備蓄米を増やして棚上げ期間も5年→3年に縮めるのだから、在庫が増え、それが順次市場に出てくることを織り込んだ価格形成が行われる。飼料米に回すから大丈夫かのような説明もあるが、飼料米に回していた主食米が圧迫され、主食米の価格が下落する。

また、収入保険を経営安定対策かのように提示しているが、これは過去5年の平均米価が9,000円/60kgなら9,000円を補填基準収入の算定に使うので、所得の下支えとはまったく別物だ。基準年が固定されず、下がった価格を順次基準にしていくのだから「底なし沼」である。

牛肉

牛肉価格の下落は、体質強化策と経営安定対策によって吸収されるというが、政府補填率が8割から9割になるだけで、それが可能とは思えない。かつ、価格低下による補填単価の増加の一方で、補填の財源としていた牛肉関税収入は1,000億円近く消失するのに、財務省は新たな財源を準備しない方針である。限られた農水予算内で手当てすれば、農水省予算のどこかが削られることになる。しかも、経営の収益性分析で明らかなように、赤字の9割補填を行なっても、相当に大規模な経営のみが黒字に転換するだけで、全体の生産量の減少を抑止できる可能性は極めて低い。

豚肉

政府は、現在、コンビネーションで輸入価格を524円、関税を22.5円に抑制して輸入している業者が、50円の関税を払って、安い部位の単品輸入を増やすことはないから影響は4.3%の従価税分だけとの形式論を展開する。しかし、50円なら、低価格部位だけを大量に輸入する業者が増加するというのが業界の見方である。

酪農

政府試算では、チーズ向けの関税撤廃などの影響で、加工原料乳価が最大7円下がるとしているが、飲用向けにはまったく影響せず、また、北海道の生乳生産もまったく変化しないとしている。まず、加工向けが7円下がれば、北海道からの都府県への飲用移送が増えて、飲用乳価も7円下がらないと市場は均衡しない。また、生クリーム向けの補給金の復活と畜産クラスター事業による補助事業の強化で、7円の乳価下落はどうやって吸収できるのか。説得力のある説明は困難と思われる。

果樹

生果、果汁を含め、全面的関税撤廃になる果樹についても、政府は軽微な影響しかないとしているが、特に、過去の果汁の貿易自由化で、ジュース消費が増え、国産の生果消費が圧迫されて自給率が著しく低下してきた経緯、加工向けの価格下落で需給調整機能が低下し、生果の下落にもつながってきたことなどを無視した著しい過小評価となっている。

影響試算の考え方

生産額(P×Q)の減少率は、価格(P)の減少率、生産量(Q)の減少率、供給の価格弾力性 (価格1%の下落による生産の減少%) を用いて、次のように表せる。

  • A = [1-(1-B/100)×(1-C/100)]×100
  • C=B×D
  • A=生産額(P×Q)の減少率 %
  • B=価格(P)の減少率 %
  • C=生産量(Q)の減少率 %
  • D=供給の価格弾力性 (価格1%の下落によりD%生産量が減少する)

今回の政府試算では、価格が下落しても、国内対策の強化による差額補填と生産性向上によって、価格の下落分と同じだけコストも下がるので、生産量と所得はまったく変化しないと想定している。つまり、 C=0で、A= B にしかならない。生産額の減少率は価格の減少率のみとなる。

まず、対策がない場合に、かつ、生産性向上を前提としない(生産コストは現状のまま)の場合に、どれだけの影響が推定されるかを示し、だから、どれだけの対策が必要かの順で検討すべきであろう。前回は、政府の農林水産業関係の試算はそうしていた。

また、影響の推定には、ブランド品は価格低下が半分といったような適当な仮定でなく、過去のデータに基づいて、輸入価格と国内価格、在庫水準と価格、価格と供給量などの関連性の程度を計測し、その係数を適用することで、一定の合理性を確保して価格下落による生産量・生産額への影響を推定することができる。表1には、そのような丁寧な影響の代替的な推定手順に基づいた鈴木研究室グループによる生産減少額の推定結果が示されている。これは、H25の生産農業所得統計の全国の品目別生産額の上位100品目について、関税がゼロの花卉類などを除いて、生産減少額を推定したものを簡潔にまとめたものである。sn-z02

個別に項目立てした主要品目のみでも、農林水産業の生産減少額は1兆円を超える。全体では、農林水産業の生産減少額は、農業で12,614億円、林業・水産業も含めると15,594億円程度と推定される。

さらに、産業連関分析も行うと、農林水産業の生産減少(15,594億円)による全産業の生産減少額は、36,237億円と推定される。波及倍率は2.32である。就業者に与える影響として、対象品目の生産に係る農林水産業で63万4千人、全産業で、76万1千人の雇用の減少が見込まれる。国内総生産(GDP)は17,501億円の減少となり、GDPを0.36%押し下げる。生産減少、就業者数の減少を通じた家計消費の減少額は、7,089億円となり、GDPの0.36 %の低下のうち、0.15ポイントの寄与となる。

さらに、日本学術会議答申(平成13年)によると、主として水田の持つ洪水防止機能、河川流況安定機能、地下水涵養機能、土壌浸食防止機能、土砂崩壊防止機能、気候緩和機能の貨幣評価額の合計は58,345億円にのぼる。水田面積の3.7%程度が減少することに伴って、こうした多面的機能も3.7%が失われると仮定すれば、全国における喪失額は、2,159億円程度と見込まれる。

以上の代替試算によって、今回の政府試算が著しい過小評価に陥っていることが裏付けられる。

主要品目別の政府試算と代替試算との違いの詳細 

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コメ-価格(P)の減少率 0%、生産量(Q)の減少率0%、生産額(P×Q)の減少率0%

コメについては、価格下落も一切ないとしている。TPPによる追加輸入分は市場から「隔離」するから大丈夫というが、隔離とは欧米がやっているように援助物資や補助金付輸出として海外に送るなど、国内市場から切り離すことであり、備蓄米を増やして棚上げ期間も5年→3年に縮めるのだから、在庫が増え、それが順次市場に出てくることを織り込んだ価格形成が行われる。飼料米に回すから大丈夫かのような説明もあるが、飼料米に回していた主食米が圧迫され、主食米の価格が下落する。

また、政府は現在検討中の収入保険を経営安定対策かのように提示しているが、これは過去5年の平均米価が9,000円なら9,000円を補填基準収入の算定に使うので、所得の下支えとは別物である。基準年が固定されず、下がった価格を順次基準にしていくのだから「底なし沼」である。米国の仕組みを参考にしたと言うが、米国が、不足払い(PLC)または収入補償(ARC)の選択による生産コスト水準を補償した上で、各農家の選択で加入する収入保険が準備されているのに対して、我が国では、コストに見合う収入補償なしで収入保険のみが残されるのが決定的な違いであり、米国型の収入保険だけでよいとする議論は極めてミスリーディングなのである。

近年のコメ在庫と価格との関係を分析すると、コメ在庫が1万トン増加すると価格は41円/60kg下落する傾向がある(鈴木研究室2015)。つまり、7.84万精米トン=8.62玄米トンなら354円、3.2%の下落圧力になる。これに草苅・中川(2011)によるコメ供給の価格弾力性1.162(コメ価格1%の下落により1.162%生産が減少)をかけると、生産減少量は3.7%になるので、生産額の減少は、(1-0.032)×(1-0.037)から6.7%となる。

つまり、ひとつの代替試算は、価格(P)の減少率3.2%、生産量(Q)の減少率3.7%、生産額(P×Q)の減少率6.7%

[主要品目別の政府試算と代替試算との違いの詳細]

小麦-生産額(P×Q)の減少 62億円

現在の輸入小麦のマークアップ(実効17円/kg)を45%削減するので、輸入小麦の国内流通価格が下がり、国内麦価格の下落につながるとともに、約400億円の財政収入が減ってしまうので、価格下落に伴い、国内の小麦の固定支払い(ゲタ対策)などは拡充すべきところ、むしろ財源は減るという困難が生じることになる。政府試算は、適切に財源を手当てする前提だが、財務省は新たな財源を準備しない方針であり、その保証はない。また、限られた農水予算内で手当てすれば、農水省予算のどこかが削られることになる。

まず、財源が手当てできない場合を試算すべきであろう。実効マークアップ17円が45%削減で9.35円になるため、輸入価格37.6円(2014年)を基にした国内流通価格は、(37.6+9.35)/(37.6+17) で、14.0%下がる。さらに、生産者手取りは、ゲタ6320円/60kg, つまり105.3円/kgの財源が45%なくなるとすると、57.9円に下がるから、(37.6+9.35+57.9)/(37.6+17+105.3) で、34.4%下がる。これに小林・金田(2014)による小麦供給の価格弾力性0.6105(価格1%の下落により0.6105%生産が減少)をかけると、生産減少量は21.0%になるので、生産額の減少は、(1-0.14)×(1-0.21)から32.1%となる。

つまり、ひとつの代替試算は、価格(P)の減少率14.0%、生産量(Q)の減少率21.0%、生産額(P×Q)の減少率32.1%

生乳-生産額(P×Q)の減少 198~291億円

政府試算では、チーズ向けの関税撤廃などの影響で、加工原料乳価が最大7円下がるとしているが、飲用向けにはまったく影響せず、また、北海道の生乳生産もまったく変化しないとしている。まず、加工向けが7円下がれば、北海道からの都府県への飲用移送が増えて、飲用乳価も7円下がらないと市場は均衡しない。また、生クリーム向けの補給金の復活と畜産クラスター事業による補助事業の強化で、7円の乳価下落はどうやって吸収できるのか。説得力のある説明は困難と思われる。

近年のバター在庫と価格との関係を分析すると、バター在庫が1%増加すると価格は0.26%下落する傾向がある(鈴木宣弘2015)。近年の脱脂粉乳在庫と価格との関係を分析すると、脱脂粉乳在庫が1%増加すると価格は0.20%下落する傾向がある(鈴木宣弘2015)。

TPPで追加の7万トンはバターと脱脂粉乳を同量(製品ベース)ずつ輸入することが条件になっている。つまり、バター45,898トン(3,719トン)、脱脂粉乳24,102トン(3,719トン)となる。これは現状(2014年末)のバター在庫15,263トンから24.4%の増加になるから、バター価格の6.34%の下落圧力になる。また、これは現状(2014年末)の脱脂粉乳在庫34920トンから10.7%の増加になるから、脱脂粉乳価格の2.13%の下落圧力になる。

さらに、バターについては、調製食用脂(PEF)の18,977トンの枠の枠内税率25%が撤廃される。現在もこの枠がほぼ消化されているので、輸入量は増えないが、価格は20%(25/125)下落する。PEFの用途はパン、菓子、アイスクリームなどでバター需要のほぼ45%を占めるので、バター用途の45%が20%の下落圧力を受けると仮定すると、全体で9%の価格下落につながる。合わせて、バター価格は6.34+9=15.34%の下落となる。

この分だけバター・脱脂粉乳向け生乳の取引価格が低下すると0.344×15.34+0.656×2.13=6.67%、4.9円の低下になる(ホエイの関税撤廃が脱脂粉乳価格に与える影響は加味していない)。

さらに、多くのチーズの29.8%の関税撤廃によりチーズ向け乳価が23.0%(29.8÷129.8)、13.8円低下。チーズ向け13.8円とバター・脱脂粉乳向け用途4.9円の低下による加工原料乳価(バター・脱脂粉乳・チーズ向け)の下落は、(13.8×46+4.9×154)÷(46+154)= 6.95円。北海道は加工原料乳価(バター・脱脂粉乳・チーズ向け)に輸送費を足しても都府県に飲用乳用途で移送するかどうかを決めるので、加工原料乳価(バター・脱脂粉乳・チーズ向け)と飲用等向け用途の生乳価格は連動する。よって、飲用乳価も6.95円下がる。生クリーム等向けは飲用乳価に連動すると見込むと、結果的に、プール乳価も6.95円下がる。

これは率にして6.95/96.5=7.2%。これに小林・金田(2013)による生乳供給の価格弾力性1.0466(生乳価格1%の下落により1.0466%生産が減少)をかけると、生産減少量は7.5%になるので、生産額の減少は、(1-0.072)×(1-0.075)から14.2%となる。

つまり、ひとつの代替試算は、価格(P)の減少率7.2%、生産量(Q)の減少率7.5%、生産額(P×Q)の減少率14.2%

政府は加工原料向けが7円下がる可能性を指摘しているのは我々と同様であるが、加工原料向けのみが下がるとし、北海道からの飲用向けが増加し、飲用向け乳価も7円下がらないと収束しないという市場メカニズムを無視している。加工向けだけの下落を仮定したとしても、生クリームの補給金を復活するだけで、どうやって北海道の生産費が7円も下がるというのか。まったく説明になっていない。

脱脂粉乳と代替するホエイの関税撤廃の影響、さらには、ココア調製品12.5~29.8%、チョコレート10%など、乳製品を含む調整品・加工品の関税撤廃・削減の影響も勘案すれば、影響はさらに拡大する。

「バター不足」に象徴されるように、飼料高騰下での継続的な所得低下が乳牛飼養頭数の減少に直結していることは明白である。付表のとおり、現状においても、北海道、都府県ともに、約半数の経営(北海道45%、都府県47%)が赤字である。これに乳価と副産物収入のTPPによる減少を組み込むと、特に、北海道では全階層で赤字に転落する。それが都府県への飲用向け移送を増加させ、都府県の経営も赤字化が進むだろう。つまり、緊急的な赤字補填システムを、いま導入しておくことが不可欠である。

米国では、ミルク・マーケティング・オーダー(FMMO)制度の下、政府が、乳製品市況(政府の乳製品買い上げで下支えされている)から逆算した加工原料乳価をメーカーの最低支払い義務乳価として全国一律に設定し、それに全米2,600の郡(カウンティ)別に定めた「飲用プレミアム」を加算して地域別のメーカーの最低支払い義務の飲用乳価を毎月公定している。それでも、飼料高騰などで取引乳価がコストをカバーできない事態に備えて、最低限の「乳代-餌代」を下回ったら政府が補填する仕組みも2014年農業法で確立した。

つまり、日本の加工原料乳補給金に匹敵、いやそれ以上の役割を果たす政府の乳製品買い上げ+用途別乳価の最低価格支払い命令に加えて、最低限の所得(乳価-飼料コスト)を補填する仕組みを米国では組み合わせているのだから、我が国で、「補給金と所得補償は両立しない」という議論は成り立たない。

また、酪農の所得補償については、必ずモラルハザード(意図的な安売り)を招くから無理との指摘がなされてきたが、これはナンセンスである。安くなれば酪農家向けの財政負担が増えても消費者の利益は拡大する。消費者利益の増大のほうが財政負担の増加より大きいので、日本社会全体では経済的利益はトータルで増加するというのが経済学の教えるところであり、我々の試算でもそうなる。「消費者負担型から財政負担型政策へ」と言ってきたのは政府である。

 また、「畜産クラスター」の拡充も対策と言われるが、現場での評価は「従来型の箱物投資を個人でし易くしただけで、クリアすべき条件設定も多いため施設・機械の総費用が大きくなり、1/2補助を受けても、補助金なしで個人で投資したほうが自己負担は小さい場合もある。増頭計画が前提でもあり、過剰投資と過剰負債を誘発しかねない」と否定的な声も多い。生クリームへの補給金が認められ、畜産クラスターも拡充されるからこれでよいなどと思っていたら、酪農の未来を失いかねない。

牛肉-生産額(P×Q)の減少 311~625億円

価格の下落は、体質強化策と経営安定対策によって吸収されるというが、政府補填率が8割から9割になるだけで、それが可能とは思えない。かつ、価格低下による補填単価の増加の一方で、補填の財源としていた牛肉関税収入は1,000億円近く消失する(平成26年度の牛肉関税相当額は1,104億円で、関税が9%になれば、輸入量、単価を26年度と同じと仮定すれば、258億円に減少する)ため、補填財源が確保できるのかが大きな問題になっている。財務省は新たな財源を準備しない方針であり、その保証はない。また、限られた農水予算内で手当てすれば、農水省予算のどこかが削られることになる。

しかも、付表の収益性分析でも明らかなように、赤字の9割補填を行なっても、相当に大規模な経営のみが黒字に転換するだけで、全体の生産量の減少を抑止できる可能性は極めて低いことが窺える。

38.5%の牛肉関税が9%になることによる輸入価格の低下は21.3%(109÷138.5)。現在の部分肉での輸入牛肉価格504円/kgが38.5%の関税が上乗せされると698円だが、関税が9%になると549円まで、149円、21.3%下がる。

和牛肉には、ある程度の価格差があるが、影響を受けないのではなく、その価格差は残るものの、価格水準は低下する。過去のデータに基づく輸入牛肉(オーストラリア産)と和牛肉(A5)の価格分析からは、輸入肉の1円の低下が0.87円(価格差があるから輸入肉1%の低下に対しては0.243%)の和牛肉価格の低下につながる結果が示されており、ほぼ並行的(パラレル)な価格低下が生じる。A5以外については、輸入肉の1円の低下が0.73円(1%に対して0.91%)と試算された(江川雄太2015)。そこで、堀田和彦(1999)による牛肉供給の価格弾力性の推定値1.185に基づいて、A5を中心とする高級和牛肉については、価格低下は0.243×21.3=5.17%、数量減少は5.17×1.185=6.13%、その他の牛肉については、価格低下は0.908×21.3=19.33%、数量減少は19.33×1.185=22.91%、と試算される。高級和牛肉とその他の牛肉の生産額の比率を概ね1:3と仮定すると、全体で、

0.25×0.9483×0.9387+0.75×0.8067×0.7709=0.689 で、31.1%の生産額減少が見込まれる。

つまり、ひとつの代替試算は、生産額(P×Q)の減少率31.1%

なお、全国肉牛事業協同組合は、政策がない場合には生産減少額は3,262億円、率にして62.8%と試算している。

豚肉-生産額(P×Q)の減少 169~332億円

政府は、現在、コンビネーションで輸入価格を524円、関税を22.5円に抑制して輸入している業者が、50円の関税を払って、安い部位の単品輸入を増やすことはないから影響は4.3%の従価税分だけとの形式論を展開する。

しかし、50円なら、低価格部位だけを大量に輸入する業者が増加するというのが業界の見方である。現在は、279円/kgの輸入豚肉は入ってこず、524+22.5=546.5円になっているが、今後は、279+50=329円で入ってくることになり、218円、40%下がる。

国産豚肉が、低価格帯の豚肉だけでなく全体が引っ張られて並行的に下落すると見込み、過去5年間の国産価格703.2円が218円下がると仮定すると、下落率は31.0%、これに鈴木(2005)による豚肉供給の価格弾力性0.83を適用して31.0%の価格低下による生産量減少率を31.0×0.83=25.73と求め、生産額の減少は、(1-0.31)×(1-0.2573)から48.8%となる。

つまり、ひとつの代替試算は、価格(P)の減少率31%、生産量(Q)の減少率 25.7%、生産額(P×Q)の減少率48.8%

なお、国産も40%下がると仮定した場合、これに伴う生産減少額は4,141億円、率にして76.7%の下落になると日本養豚協会は試算する。

収入が31%減ると、付表のように、今でも1,000頭以上の大規模層のみが黒字の養豚経営において、TPP後は、大規模層も含めて全面的な赤字に陥ることが見込まれる。平均赤字の9割補填を行っても2000頭以上層が黒字に改善するのみである。

ブロイラー、鶏卵、落花生 -生産額(P×Q)減少 ブロイラー19~36億円、鶏卵26~53億円、落花生0億円

これらの品目は、全面的関税撤廃で、前提が同じなので、前回の農水省試算における生産減少額、ブロイラー990億円、鶏卵1100億円、落花生120億円 を適用すべきであろう。

果樹

生果、果汁を含め、全面的関税撤廃になる果樹についても、政府は軽微な影響しかないとしているが、特に、過去の果汁の貿易自由化で、ジュース消費が増え、国産の生果消費が圧迫されて自給率が著しく低下してきた経緯、加工向けの価格下落で需給調整機能が低下し、生果の下落にもつながってきたことなどを無視した著しい過小評価となっている。我々が過去のデータから生果価格、輸入果汁価格、国内生産量との関係を推計して試算した結果では、りんごで生産額の3~4割、ぶどうで3割、みかんで3~6割もが失われる可能性もあると見込まれる。

生果価格、果汁価格の変化がどの程度供給量に影響を及ぼしたか過去のデータから把握することで、代替的試算ができる。生果価格、果汁価格が1%下落したときの供給量の変化率を品目ごとに求め、生果の17%程度の関税分、果汁の30%前後の関税分の価格下落による生産額の減少額を計算する。これは、鈴木宣弘 (2012)及び、それを拡充した矢野遼太 (2013)に基づいている。

試算の順序を、ぶどうを例にして示す。品質格差があっても、関税撤廃は、ある程度連動した国産価格下落につながる。まず、ぶどうの生産はぶどう価格が1%下落すると0.19%減少すると推計された。生果の関税は17%なので、これが撤廃されると、17÷117で、14.5%の価格下落になる。これによる生産減少率は0.19×14.5%と見込まれる。

 一方、ぶどう果汁の輸入価格の1%の下落によって、国内のぶどう供給は、0.51%減少すると推計された。ぶどう果汁の関税は29.8%なので、これが撤廃されると、29.8÷129.8で、23%の価格下落になる。よって、この価格下落により国産のぶどう供給は0.51×23%減少する。

 併せて、国内のぶどう生産量の減少率は0.19×14.5% +0.51×23%=14.5%となる。よって、生産量の減少と価格の下落の双方による国内のぶどう生産額の減少は、(1-0.145) ×(1-0.145) から 26.9% となる(矢野2013)。鈴木(2012)の試算では、(1-0.145) ×(1-0.166) から 28.7%減、需給モテルで解いた場合には、32.4%減の値もある。

 同様にして、りんごについては、生果の関税は17%、果汁関税が34%、りんごの生産はりんご価格が1%下落すると0.43%減少、りんご果汁の輸入価格の1%の下落によって、国内のりんご供給は0.33%減少すると推計されたので、生産量の減少率は0.43×14.5% +0.33×25.4%=14.6% で、生産額の減少は、(1-0.145) ×(1-0.146) から 27.0% となる。鈴木の試算では、(1-0.145) ×(1-0.212) から 32.6%減、需給モテルで解いた場合には、42.5%減の値もある。

 同様にして、みかんについては、オレンジの生果関税が32%、オレンジ果汁関税が29.8%、みかんの生産はオレンジ価格が1%下落すると064%減少、オレンジ果汁の輸入価格の1%の下落によって、国内のみかん供給は1.32%減少すると推計されたので、生産量の減少率は0.64×24.2% +1.32×23.0%=45.8% で、生産額の減少は、(1-0.242) ×(1-0.458) から 58.9% となる(矢野2013)。鈴木(2012)の試算では、(1-0.242) ×(1-0.206) から 39.8%減、需給モテルで解いた場合には、28.3%減の値もある。

 ぶどう、みかん、りんごについては、データの新しい矢野(2013)の推計値を使用した。

 日本なしの場合は、果汁の部分を見込まないので、関税4.8%の撤廃と供給の価格弾力性の推定値1.05から、

[1-(1.05×4.58)/100]×(1-4.58/100) % となる。

独自の弾力性の推計値がない品目については、小林・金田(2013)の果樹供給の長期の価格弾力性0.892を適用した。

野菜

野菜については、政府はほとんど試算の対象外としているが、野菜についても、関税撤廃による価格減少率と価格が1%下落したときの供給減少率を品目ごとに求め、生産減少額を試算できる。

野菜の多くは3%の関税だが、この場合、価格低下は3/103=2.9%である。トマトの場合、これに上路(1973 )による供給の価格弾力性1.7522(価格1%の下落により1.7522%生産が減少)をかけると、生産減少量は5.10%になるので、生産額の減少は、(1-0.0291)×(1-0.051)から7.87%となる。

メロンの場合、価格低下は6/106=5.66%、これに独自推計による供給の価格弾力性0.42(価格1%の下落により0.42%生産が減少)をかけると、生産減少量は2.38%になるので、生産額の減少は、(1-0.0566)×(1-0.0238)から7.90%となる。独自推計値がない場合、上路による品目別の推定値がない(または極端に小さいか大きい)場合には、小林・金田(2013)による野菜供給の価格弾力性0.2252を適用した。いも類については、小林・金田(2013)による長期の供給の価格弾力性0.894を適用した。

林・水産物

 ほぼ全面的関税撤廃で、農林水産省の前回試算と前提は同じであるため、前回の農水試算値、約3000億円を適用するのが妥当と思われる。

[付録] 米国大学でもTPPによる日本のGDPと雇用は減少するとの試算

 我々は、TPPに関する政府試算には、効果を過大にする主要な問題点として、

  1. 価格が1割下がれば生産性は1割向上する(生産コストが1割低下する)とする「生産性向上効果」
  2. GDPの増加率と同率で貯蓄と投資が増えるとする「資本蓄積効果」
  3. 農家が自由に自動車産業の仕事に就けるというような生産要素の「完全流動性」「完全雇用」の仮定

を指摘し、日本のGDPがほとんど増加しない、あるいはマイナスになる可能性を指摘してきた。

米国のタフツ大学でも、これらの「恣意的」な仮定を排除した新たな試算が発表された。それによると、TPPによって、日本のGDPは、TPPがなかった場合よりも、今後10年間で、0.12%低下し、雇用は7万4千人減少すると推定されている。これは、鈴木研究室の成果を支持するものである。

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TPPをめぐる政府説明の数々の誤謬

TPPがビジネス・チャンス」?

日本が、ここまでして合意を装いたかったのはなぜか。アベノミクスの成果が各地の一般国民の生活には実感されないのを覆い隠すため、TPP合意発表で明るい未来があるかのように見せかけようとした側面もある。しかし、ビジネス拡大のバラ色の世界が広がるかのように喧伝されているが、TPPがチャンスだというのはグローバル企業の経営陣にとっての話で、TPPで国民の仕事を増やし賃金を引き上げることは困難である。冷静に考えれば、ベトナムの賃金が日本の1/36という下での投資や人の移動の自由化は、日本人の雇用を減らし、賃金を引き下げる。端的に言うと、グローバル企業の利益拡大にはプラスで、中小企業、人々の雇用、健康、環境にはマイナスなのがTPPだ。

「健康と環境は訴えられない」?

特許の保護期間の長期化を米国製薬会社が執拗に求めて難航したことに、「人の命よりも巨大企業の経営陣の利益を増やすためのルールを押し付ける」TPPの本質が露呈している。グローバル企業による健康・環境被害を規制しようとしても損害賠償させられるというISDS条項で「濫訴防止」が担保されたというのも疑問だ。タバコ規制は対象外に(カーブアウト)できるが、その他は異議申し立てしても、国際法廷が棄却すればそれまでである。健康や環境よりも企業利益が優先されるのがTPPだ。

「消費者は利益」?

消費者の価格低下のメリットが強調されているが、輸入価格低下の多くが流通部門で吸収されて小売価格はあまり下がらない。さらには、日本の税収約60兆円のうち2%程度を占める関税収入の多くを失うことは、その分だけ消費税を上げるなどして税負担を増やす必要があることになり、相殺されてしまうのである。

さらには、米国などの牛肉・豚肉・乳製品には、日本では認可されていない成長ホルモンなどが使用されており、それが心配だと言っても、国内で生産農家がいなくなってしまったら、選ぶことさえできなくなる。

「食の安全基準は守られる」?

食品の安全性については、国際的な安全基準(SPS)の順守を規定しているだけだから、日本の安全基準が影響を受けないという政府見解も間違いである。米国は日本が科学的根拠に基づかない国際基準以上の厳しい措置を採用しているのを国際基準(SPS)に合わさせると言っている。

例えば、BSE(牛海綿状脳症)に伴う牛肉の輸入基準は米国にTPP交渉参加を承認してもらう「入場料」として、すでに20か月齢から30か月齢まで緩めたが、国際基準ではBSE清浄国に対しては月齢制限そのものが必要ないことになっているので、まもなく月齢制限の撤廃が求められることになるだろう。

また、「遺伝子組み換え(GM)でない」という表示が消費者を「誤認」させるとして、「GMが安全でない」という科学的根拠が示せないならやめろと求められ、最終的には、ISDS条項で損害賠償させるぞと脅されて、その前に「自主的に」撤廃に追い込まれることも想定しなくてはならない。

米国の要求に応え続ける

農産物関税のみならず、政権公約や国会決議で、TPP交渉において守るべき国益とされた食の安全、医療、自動車などの非関税措置についても、軽自動車の税金1.5倍、自由診療の拡大、薬価の公定制の見直し、かんぽ生命のがん保険非参入、全国2万戸の郵便局窓口でA社の保険販売、BSE(牛海綿状脳症)、ポストハーベスト農薬(防かび剤)など食品の安全基準の緩和、ISDSへの賛成など、日本のTPP参加を認めてもらうための米国に対する「入場料」交渉や参加後の日米平行協議の場で「自主的に」対応し、米国の要求が満たされ、国民に守ると約束した国益の決議は早くから全面的に破綻していた。

しかも、「TPPとも米国とも関係なく自主的にやったこと」と説明しておきながら、結局、TPP合意の付属文書に、例えば、「両国政府は、①日本郵政の販売網へのアクセス、②かんぽ生命に対する規制上の監督及び取扱い、③かんぽ生命の透明性等に関してとる措置等につき認識の一致をみた。」などの形で前言が誤謬だったこと、実は国会決議違反だったことを平然と認めている。

さらには、米国投資家の追加要求に日本の規制改革会議を通じて対処することも約束されており、TPPの条文でなく、際限なく続く日米2国間協議で、日米巨大企業の経営陣の利益のために国民生活が犠牲になる「アリ地獄」にはまったかの懸念を抱く。

米国から見れば、日本から取るべきものは、ほぼすべて取り、日本が期待する米国の自動車関税の撤廃は「骨抜き」にして、農産物などの実利は確保した「日米FTA」を作り上げている。したがって、12か国のTPPが頓挫しても、農産物関税も含めて日米合意が実質的に履行されるような方策が探られる可能性が懸念されたが、案の定、米国を利するだけなのに、わざわざ日本が、参加国の85%のGDPを占める6か国で、つまり実質的に日米2国でTPPを発効させ、残りの国は後で審査して順次追加していく提案を行った。この発効条件は大筋合意にも盛り込まれた。

説明責任を果さずしての批准はあり得ない

米国では批准が容易でない状況にある。米国議会がTPA(オバマ大統領への交渉権限付与)の承認にあたり、TPPで米国が獲得すべき条件が明記されたが、通商政策を統括する上院財政委員会のハッチ委員長(共和党)がTPP合意は「残念ながら嘆かわしいほど不十分だ」と表明し、このままでは議会承認が難しいことを示唆し、再交渉も匂わせている。ハッチ氏は巨大製薬会社などから巨額の献金を受け、特に、薬の特許の保護期間、ISDSからタバコ規制が除外できることなどを問題視している。次期米国大統領の最有力候補のヒラリー・クリントンさんはじめ、労働者、市民、環境を守る立場から与党民主党はそもそも反対である。「巨大企業の経営陣の利益VS市民生活」の構造だが、双方から不満が出ている。大統領候補8人のうち6人がTPPに反対を表明している。

心配は、日本政府は再交渉には応じないとしつつ、米国議会批准のために水面下で日本がさらに何かを差し出すことだが、もうしている。駐米公使の「条文は変えずに改善できる」との発言や、豚肉政策の改善要求が発覚するなど、米国側からの追加要求に日本がすでに対応努力をしており、際限なき国益の差出しは留まるところを知らない。「TPPはバラ色」と見せかけ、自身の政治的地位を少しでも長く維持するために、国民を犠牲にしてでも米国政府(その背後のグローバル企業)の意向に沿おうとする行為が、かりにも行われているとしたら、これ以上容認できない。

政府は「規模拡大してコストダウンで輸出産業に」との空論をメディアも総動員して展開しているが、その意味は「既存の農林漁家はつぶれても、全国のごく一部の優良農地だけでいいから、大手企業が自由に参入して儲けられる農業をやればよい」ということのように見える。しかし、それでは、国民の食料は守れない。

食料を守ることは国民一人ひとりの命と環境と国境を守る国家安全保障の要である。米国では農家の「収入-コスト」に最低限必要な水準を設定し、それを下回ったときには政府による補填が発動される。農林漁家が所得の最低限の目安が持てるような予見可能なシステムを導入し、農家の投資と増産を促し輸出を振興している。我が国も、農家保護という認識でなく、安全保障費用として国民が応分の負担をする食料戦略を確立すべきである。関係者が目先の条件闘争に安易に陥ると、日本の食と農林水産業の未来を失いかねない。まず、食料のみならず、守るべき国益を規定した政権公約と国会決議と整合するとの根拠を国民に示せない限り、批准手続きを進めるには無理がある。

多くの国民は、政府と多くのメディアの情報操作によって、このような危機的事態が進行していることを知らないままにおかれている。TPPに反対してきた人や組織の中にも、目先の自身の保身や組織防衛に傾き、現状を受け入れて、条件闘争に陥る人もいるだろう。しかし、それでは現場で頑張っている地域の人々はどうなってしまうのだろうか。全国の地域の人々ともに、食と農と暮らしの未来を崩壊させないために主張し続ける人々がいなくてはならない。

[付録] 自民党が決議した「TPP交渉で守るべき国益」は、関税の「聖域」のほかに5項目あった。

農林水産品における関税 米、麦、牛肉、乳製品、砂糖等の農林水産物の重要品目が、除外又は再協議の対象となること。

自動車等の安全基準、環境基準、数値目標等 自動車における排ガス規制、安全基準認証、税制、軽自動車優遇等の我が国固有の安全基準、環境基準等を損なわないこと及び自由貿易の理念に反する工業製品の数値目標は受け入れないこと。

国民皆保険、公的薬価制度 公的な医療給付範囲を維持すること。医療機関経営への営利企業参入、混合診療の全面解禁を許さないこと。公的薬価算定の仕組みを改悪しないこと。

食の安全安心の基準 残留農薬・食品添加物の基準、遺伝子組換え食品の表示義務、輸入原材料の原産地表示、BSE基準等において、食の安全安心が損なわれないこと。

ISD条項 国の主権を損なうようなISD条項は合意しないこと。

政府調達・金融サービス等 政府調達及び、かんぽ、郵貯、共済等の金融サービス等のあり方については我が国の特性を踏まえること。

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“政府のTPP影響評価・試算の誤謬” への 1 件のフィードバック

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