日本の中国侵略そして敗戦
新中国成立と日中国交正常化へ
NPO法人大阪府日中友好協会副会長 戸毛 敏美
1931年9月18日に始まるいわゆる「満州事変」などを口実に、日本軍は華北(中国東北部)への侵攻を強め、翌年、「満州国」をデッチ上げます。日本陸軍の獣医として父と母はハルビンへ派遣され、私は36年に中国東北部の黒竜江省ハルビンで生まれ、戦中・戦後の22年間を中国で生きることになりました。 続きを読む
NPO法人大阪府日中友好協会副会長 戸毛 敏美
1931年9月18日に始まるいわゆる「満州事変」などを口実に、日本軍は華北(中国東北部)への侵攻を強め、翌年、「満州国」をデッチ上げます。日本陸軍の獣医として父と母はハルビンへ派遣され、私は36年に中国東北部の黒竜江省ハルビンで生まれ、戦中・戦後の22年間を中国で生きることになりました。 続きを読む
鹿児島県議会議員 上山 貞茂
中国国務院外交部で
「日中不再戦、平和友好を進める九州自治体議員の会」の訪中団の副団長として、中国国際友好連絡会の計らいで4月23日から28日の日程で北京・南京を訪問しました。
参議院議員(会派『沖縄の風』代表) 伊波 洋一
今年は、日本と中国の国交正常化から50年であり、沖縄の施政権が米国から日本に返還された50年目の年でもある。しかし、年明け早々の1月7日に開かれた日米の外務・防衛担当閣僚による「日米安全保障協議委員会(日米2+2)」で、日米両政府は、南西諸島で台湾有事を想定した対中国戦争の準備作業に入ることを確認したと言える。