日本最西端の島、与那国町で生まれ。63年、27歳で沖縄県祖国復帰協議会・事務局長。69年、琉球政府職員で組織する沖縄官公庁労働組合書記長。72年、沖縄県職員労働組合副委員長、74年同執行委員長に就任。78年に沖縄県企画調整部・企画調整室へ職場復帰し、県立芸術大学、沖縄コンベンションセンター、人材育成財団等の企画スタッフとして活躍。83年沖縄県庁を退職後、沖縄県労働組合協議会・事務局長に就任し、米軍用地20年強制使用反対東京行動・訪米直訴行動、嘉手納基地包囲行動などを企画。93年、大田昌秀知事のもと、沖縄県副知事に就任。国際都市形成構想・基地返還アクションプログラムの策定・経済特別区 の導入、また雇用開発推進機構の設立等の政策が高く評価される。村山政権で「沖縄米軍基地問題協議会」を閣議決定で設置させ、さらに橋本政権では全閣僚と県知事で構成する「沖縄政策協議会」を設置させる。98年、沖縄県地方自治研究センター理事長、現在、同顧問。2001年5月、沖縄21戦略フォーラム代表就任。
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