戦後80年の今年、長生炭鉱問題解決に取り組み強める
参議院議員・社会民主党副党首 大椿 裕子
新しい年が始まりました。自主・平和・民主の実現のため、「広範な国民連合」に集う皆様の日々の活動に深く敬意を表しますとともに、今年も皆様のご活躍を期待しております。
さて、今年は戦後80年です。私は現在、参議院厚生労働委員として「長生炭鉱」の問題に取り組んでいます。
83年前の1942年2月3日、山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」で水没事故が起き、朝鮮半島出身の労働者136人、日本人労働者47人の計183人がお亡くなりになりました。救出されることもなく、事故後すぐに坑口がふさがれたため、遺骨は今も海底の中に眠っています。この痛ましい歴史をなかったことにしてはならないと、1991年に「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、「刻む会」)が地元市民らによって結成され、遺骨収容の問題に取り組んで来ました。
「刻む会」は、日本政府が現地調査と遺骨収容・返還を実施するよう求めてきましたが、2005年の日韓協議で決められた「現実主義(寺社等に安置されている『見える遺骨』しか返還の対象としない)」にこだわり、「埋没位置や深度などが明らかではなく、現時点で調査は困難」と無慈悲な回答に終始してきました。ちなみに長生炭鉱に関する窓口は、旧朝鮮半島出身労働者等の遺骨に関することを担当する厚生労働省職業安定局総務課人道調査室であり、年間約1千万円の予算が付いていますが、毎年数万円しか執行されていません。
23年12月8日、「刻む会」は韓国から遺族を招き、厚労省と外務省と交渉を行いましたが、遺族を前にしても回答はこれまでと同じ。遺族も高齢になり、これ以上待たせるわけにもいきません。「国が動かないなら私たちが坑口を開け、国を突き動かそう」とクラウドファンディングが始まりました。集まった寄付は1200万円。過去の記録や証言をもとに工事を着工し、ついに24年9月25日坑口発見に至りました。82年間ふさがれていた坑道にようやく光が入ったのです。
工事着工の直前社民党は、今後の調査、遺骨発掘・収容、鑑定・返還等に政府が協力することを求め、厚労大臣に申入れを行いました。当時の厚労大臣だった武見敬三氏は、「坑口が開いたということであれば、大椿議員のところに話を聞きに行くように」と省内に指示を出した直後に退任。
この一言によって、11月には「刻む会」の井上洋子共同代表、12月には潜水調査にあたっている水中探検家・伊左治佳孝さんと人道調査室、ならびに外務省との面談が実現しました。私は、厚生労働委員会の中でもこの問題を取り上げ、ご遺骨が見つかっても、調査の過程で事故が起きても政府の責任が問われるのだから、市民に任せるのではなく政府が対応すべきだと迫っていますが、政府の姿勢は今なお頑なです。
海の底で眠る183人は、石炭需要が高まる戦時下、危険な労働環境で強制労働をさせられた戦争の犠牲者です。1月31日から再び潜水調査も始まります。戦後80年の今年、解決に向け取り組んで参ります。
今年の7月には参議院選挙が行われます。私は再選を目指して、この選挙に挑戦をする予定です。クビを切られた非正規労働者として、一貫して雇用の問題を訴えてきました。非正規雇用の拡大に歯止めをかけない限り、少子化問題の解決も賃上げの実現も絵空事です。非正規雇用の入口規制を実現するため、次の6年につなぎたいと思います。
共に頑張りましょう。