広範な国民連合第24回全国総会 [ パネルディスカッション2] パネリスト 柳澤協二・元安全保障担当内閣官房副長官補"> 広範な国民連合第24回全国総会 [ パネルディスカッション2] パネリスト 柳澤協二・元安全保障担当内閣官房副長官補"> <span class="em06">広範な国民連合第24回全国総会 [ パネルディスカッション2] パネリスト</span> 柳澤協二<span class="em06">・元安全保障担当内閣官房副長官補</span>

広範な国民連合第24回全国総会 [ パネルディスカッション2] パネリスト 柳澤協二・元安全保障担当内閣官房副長官補

アジアの共生 自立日本の総合安全保障を考える

「抑止」の論理からの脱却を

 今日、久しぶりに鳩山友紀夫さんの顔を見ました。身近な人の中には「鳩山さんはいいことを言っているけど、何か地球ではない、『鳩山星』のできごと」と言う人がいます。実はそこがいちばん大きなテーマだと思うのです。
 政治というのは、目の前で起きていることを処理すると同時に、いちばん大事なことは、どうやって世の中全体の考え方、マインドセットを変えていくかということが大事な役割であり、そこが変わらないと結局、何も変わらないと思っています。


 私は先日、鳩山さんから著書である『共和党宣言』を送っていただき、読んでみました。いいことを言っているし、私とも結論的に考え方が近い部分もあるけれども、さて、それをどうやって、「地球の言葉」に置き換えていくのかが依然として課題ではないかと感じました。
 私自身も、「戦争というのは一体何だろう」ということを、戦争と平和を哲学の観点から、自分なりに考えています。そして、自分たちが生きている間に日本が変わると思えないけれども、そういうことをしっかり次の世代に残していきたいという思いです。

「3択」でなく、「もう一つの道」を

 現在、米中対立が象徴するように、世界的には「パワー・シフトの時代」と言われています。これまで日本は大きく分けて三つの選択肢があると言われてきたように思います。
 その一つはアメリカについていく。二つ目は中国にくっついていく。そのどちらもイヤなら、核武装して「自立」するという選択肢です。この三つの選択肢だったら、アメリカについていくしかないという結論しか出ないと思います。
 中国が力をつけてきているが、これに対抗しようとすると、日本一国ではかなわないからアメリカにくっついて、何とか力で対抗しなければならない、ということですね。
 しかし、そういう結論ではなく、アメリカともうまく折り合いながら、中国ともうまく付き合っていけるような考えができないのだろうかということが課題ですね。
 「戦争というのは一体何だ」。戦争の本質のなかに、まさに戦争ではない解決の仕方が潜んでいると思っています。戦争というのは、一般的には国家の意思を実現するために使われる暴力というふうに定義されていると思います。
 しかし、これは暴力を使うことが目的ではなく、それによって国家意思を実現するということですね。相手の国が言うことを聞かなければ、その国を滅ぼしてしまうというのも一つの「解決」の仕方であり、それが戦争なんです。しかし、相手の国を滅ぼしたとしても、その後、滅ぼした国に安定した秩序をもたらすことができるかどうか。アメリカは、ベトナムやイラク、アフガニスタンで泥沼にはまりました。
 例えば、現在の朝鮮半島情勢についても、アメリカは北朝鮮をつぶすことはできるけど、なかなかつぶせません。それは、たとえつぶしたとしてもその後、安定した秩序をつくれる展望がないからです。
 結局、戦争というのはただ暴力を使って、やっつければいいということではなく、その結果、相手の国が意思を変える、こちらの意思が実現するという結果が出せるかどうかが大事なんですね。
 もう一つの解決方法は「妥協」というのがあります。相手の国が、喜んでか不承不承かは別として、こちらの意思を受け入れられるようにする。言い換えれば、相手が受け入れ可能なぐらいに要求を下げる。これが「妥協」ですね。
 こうした駆け引きが国際関係では絶えず問われているということだと思います。

「抑止力」が効かない時代に

 台頭する中国を前に日本は今、「抑止力の強化」という路線をとっています。その「抑止」とは何か。他国が戦争という暴力でその意思を実現しようとしたら、こちら側もより強い暴力で、相手の国を叩くという意思を示し、戦争を起こそうという気持ちを抑圧するものです。
 しかしながら、いくらこちら側が力をつけて「抑止」しても、相手の国も「抑止」されたくないからもっと力をつけるという形で、結局力の競争が続いていくというジレンマも生まれます。
 「抑止」というのは相手の国に戦争を行う意思を我慢させるわけです。しかし、相手が我慢できないようなことを強制しようとしたら、「抑止」は破綻するということです。これは論理の当然の帰結なのですが、今そこがよく分からなくなっています。どこまで力で相手に意思を強制したらいいのか、相手も何をやってはいけないのかがよく分からない状態です。
 冷戦時代にはアメリカとソ連がお互いに勢力争いをしていました。ひとたび戦争になれば絶対負けたくないわけですから、最後は核を使うことも想定されました。しかし、核を使えば、相手も使うことになり、結果米ソ共に滅びてしまうという「抑止」が冷戦時代には成り立っていたんですね。
 ところが現在、一体どこまでやったら戦争になるのか、戦争したらどこまで拡大するのか、あるいはどこまでやったら相手は本当に許さないのか、というのが分からない状況です。相互のコミュニケーションがないと、「抑止」は効きません。その基準ができていないと非常に大きな不安がある。今はそういう時代だと思っています。

「抑止」が戦争挑発に

 私は戦争というのは時代を反映していると思っています。古代ギリシャのツキジデスによれば、戦争の要因というのは「富と名誉と恐怖」です。今の時代に「富のための戦争」というのがあり得るでしょうか。まったくないとは言えないが、カネを払えば何でも買える時代、世界がマーケットとしてつながっている時代に、戦争というものすごくカネのかかる、コストも大きい手段を選ぶかといえば、なかなか難しいでしょうね。
 一方、なぜ対立があるかといえば、グローバル化で世界が均一化されているからこそ自分のアイデンティティー、あるいは承認願望というものがかえって高まって、それが対立して戦争に至るという要因があると思っているんですね。しかし、戦争すればそのコストが大きいことはお互いに分かっています。
 そしてもっと大事なことは、戦争で相手を破壊したら問題が解決するかといえば、解決しないですよね。つまり、戦争がこんにちの時代の問題解決の手段になっていないということです。昔は相手の国に戦争を仕掛けて、領土を取って、人民を支配すれば、それで一応「決着」していました。本当の意味での解決ではありませんが。しかし、現在ではそういう単純な「決着」が見いだせない時代になってきています。その一方で、「名誉の対立」はある。そんなややこしい状況ですね。
 アメリカが航行の自由作戦と称して南シナ海と台湾海峡に軍艦を出しています。アメリカは中国への「抑止」と言っている。しかし、それは中国からすれば、挑発以外の何ものでもない。「抑止」と思ってやっていることが挑発になっています。
 米中が互いに意思疎通ができていないまま、政治的シグナルのために軍隊を使っているような状況です。私は軍隊というのは確固たる決意の下で出さなければいけないと思っていますが、現在はそういう時代ではないようです。しかし、軍隊が対峙すれば、摩擦的な衝突が起きないとも限りません。周りの国々が心配するのは当然です。

日米同盟のジレンマ、「居心地の悪い」関係に

 さて、そうした状況のなかで日本は2015年の安保法制でアメリカとの軍事的一体化という選択をしました。私が現職の頃は、アメリカと軍事一体化はしないというのが防衛政策の大きな前提でした。
 今は、「アメリカと軍事的にも一体化していかないと見捨てられる」という心配があるようです。そして、「見捨てられないために巻き込まれる覚悟をする」という答えを出したと思うんですが、まさに日米同盟のジレンマが目に見える時代になったと思っています。しかし、そこまで日本が一生懸命アメリカにサービスしているけども、トランプ大統領は今年6月のインタビューで「日米安保は片務的なので、見直す必要がある」と言ったわけです。
 戦後日本は、アメリカとの間で、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を結んだわけです。アメリカの意思としては共産主義勢力の封じ込めと同時に、日本の軍国主義復活を封じ込めるという二重の封じ込めという目的がありました。だから、当然、武装解除した日本をアメリカが守る、片務的なものとして日米安保体制がデザインされたわけです。その後、日本の経済力がついてくると、駐留米軍経費を日本も負担する「思いやり予算」を出すような調整をするとか、あるいは、日本の周辺で軍事衝突が起きる「周辺事態」では自衛隊が米軍を後方支援するという調整、さらにアメリカがイラク戦争を始めると、その後のイラクの復興のために日本は自衛隊を派遣するような調整もなされました。そのとき私は官邸にいたのですが、イラク派遣は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(同じ土地に軍靴を並べる)」と言われ、日米同盟はかつてなく良好と言われていました。
 そういった形で、お互いに居心地のいい同盟のためにいろんな調整をしてきて、もはや一体化までしようとしているのに、トランプ大統領は「片務的だ」と不満を言っている。
 これはトランプの「勘違い」というより、もうそういう時代になってしまったのだと思います。同盟に居心地の悪さを感じている。アメリカは、「もう誰もオレの言うことを聞かない。それなら、自国第一主義でいく」となっているわけですね。そのアメリカと一体化する日本にとっても、巻き込まれる心配と見捨てられる心配があって、居心地の悪い同盟になっている。だから、本当にこのまま「日米同盟基軸」でいいのだろうか。ここのところをもっと議論しなくてはいけないと思います。

米中のパワーゲームに加担しない生き方を

 鳩山さんのおっしゃった「共和主義」という考え方は、いいと思うんです。でも、どうこれを具体化していくか、それに向けてどう国民の意識を変えていくかという点が大事な問題です。これまでは「抑止力」でなんとかうまくできた成功体験があるために、その発想から抜け出せない。抑止力以外のことはみんな非現実的に聞こえるということだと思うんです。
 もし、鳩山さんのような考え方をもつような人たちが政権を取った場合に、何をしないといけないかと言えば、まず大国のパワーゲームに加担しないということを貫かなければいけない。なぜかと言えば、それは日本がミドル・パワーの国だからです。大国ではないですから。
 そして、その日本に何ができるかと言えば、それは中級国であるがゆえに大国間のパワーゲームの仲介をする、あるいは戦争によらない問題解決の枠組みづくりの旗を振るようなことはできるんですね。一方で、アメリカや中国のような大国にごり押しされたときに、時には我慢しなければならない場面も出てくるでしょう。何を主張し、何を我慢するかをキッチリ整理しながら、政治の場で議論し、国民世論を引っ張っていけるかどうかが大きな課題になるのではないかと思っています。