農業の大規模化、企業化から、家族農業を重視する政策へ
関根 佳恵 愛知学院大学准教授 に聞く
2018年12月の国連総会は、米英が反対し、日本が棄権する中で、「小農と農村で働く人びとに関する権利 国連宣言」を圧倒的多数の賛成で採択した。
13年に国連の世界食料保障委員会(CFS)がまとめた報告書「食料保障のための小規模農業への投資」の作成に参加し、国連食糧農業機関(FAO)の客員研究員を務めた愛知学院大学准教授の関根佳恵さんに、こうした大転換の背景と現状を聞いた。
小規模な家族農業の見直し
1980年代以降、いわゆるグローバリゼーション、新自由主義的な経済政策がとられ、国営企業の民営化、規制緩和、貿易の自由化がどんどん行われました。世界貿易機関(WTO)、2国間FTA、近年のTPPなど、貿易の自由化をもっと進めるのだと、日本もその先頭に立ってきました。そうすれば、貧しい人たちも豊かになり、貧困や飢餓を撲滅できると信じさせられてきました。しかし、一連の政策がもたらしたのは、貧富の格差拡大、小規模・家族農業の経営難、高齢化、離農でした。
2007~08年に世界的な食料危機が起こり、食料、穀物の価格が高騰しました。原油の高騰もあり、日本の農家も生産費の上昇で打撃を受けました。それまで、中国の経済発展で世界的に少し減っていた飢餓人口、貧困人口が増加に転じました。世界的に推奨されてきた経済発展モデルは貧困、飢餓を解決せず、むしろ悪化させたのではないか。そういう批判が広がり、これまでの政策からの方向転換を図る機運が国連機関や国連加盟国でも高まりました。
食料危機に続く世界的金融危機で、食料・農業のあり方だけでなく、社会経済システムのあり方を根本的に問い直す動きも広がりました。
スペインのバスク地方に拠点をおく世界農村フォーラム(WRF)という国際NGOがあり、その加盟団体は世界各国の農民団体です。そこがイニシアチブをとって、08年に国連に対して国際家族農業年の設置を提言しました。
これまで、規模拡大、農薬や化学肥料、遺伝子組み換え、農業機械に投資し、貿易の自由化で輸出すれば、みんな豊かになれると言われてきました。しかし、世界の食料生産の8割を担っているのは小規模な家族農業です。しかも、世界の貧困人口、栄養不足人口の7割が農村に住んで農業をやっている人たちです。小規模農業、家族農業をもっと大事にする政策への転換は、持続可能な社会をめざす上でも欠かせません。WRFの主張が国連を動かしました。
当時はミレニアム開発目標でしたが、その後は持続可能な開発目標(SDGs)に引き継がれました。世界で貧困、飢餓をなくすという国際的な優先課題の中で、その人たちに直接、政策的な支援をもっとすることで、持続的な食料生産あるいは農村経済、社会のあり方を実現していこうということで、そのためのキャンペーンとして、14年の国際家族農業年を決定しました。その年に多くの国でいろんな運動をして成果を得たので、「家族農業の10年」として、継続的に10年間、取り組みをしようということになりました。
反グローバリゼーション、環境問題、市民社会の運動
なぜ、農民団体を束ねている国際NGOから国連の方向性を大きく変えるようなことが出てきたのでしょうか。2008年の食料危機が一つのきっかけになっていますが、もう少し運動の歴史をさかのぼると、1990年代くらいに次のことが見えてきます。
一つは、ガット・ウルグアイ・ラウンドの交渉妥結で95年にWTOができて、その多国間交渉が行われました。それに対する反グローバリゼーションの運動が世界的に興隆したのが90年代の後半です。事実上、WTO閣僚会合を膠着状態に追い込むような、大きなエネルギーを持ってきました。そこに世界の多くの農民組織、消費者団体、市民団体が関わっていきました。
もう一つは環境問題です。92年にリオのサミット(環境と開発に関する国連会議)があり、世界的にダイオキシン問題、食品汚染、農薬・化学肥料の汚染問題が噴出しました。大規模化した農業は大量の地下水を消費し、農薬・化学肥料をたくさん使うため、土の中の微生物はいなくなり、雨が降るたびに土壌流亡が起こり、土壌が薄くなります。ワインを造っているフランスのボルドーの土壌は1年で1センチ、30年で30センチ減り、下の岩盤が見えてきて、ブドウが根を張れない状況になっています。農業は温暖化、土壌の問題、水の問題、食の安全に責任を負っている産業です。農業のあり方を大きく変えなければいけないという声が環境サイドから強まってきたのも90年代です。
あと一つは、90年代にNGOやNPOなどの市民社会の運動が発展しました。しかもインターネットの発達で、地域ごと国ごとに行われていた運動が政府などを介さなくても、メールやSNSで自由につながり、リアルタイムで情報を共有して、連帯できるようになりました。
90年代に、反グローバリゼーションと環境運動と市民社会の運動の三つが台頭しました。
国連機関の改革
こうした変化とつながって、国連の議論のあり方も変わりました。
私は去年4月から今年2月まで約1年間、大学から在外研究の休みをいただいて、ローマにある国連食糧農業機関(FAO)で、客員研究員をしました。そのFAOを事務局として、1970年代に世界食料保障委員会(CFS)がつくられました。CFSは今、FAOの食料農業政策にいろんな提言を毎年しています。その提言は専門家ハイレベル・パネルのレポートで、FAOや国連機関に対する提言であると同時に、国連加盟国に対する提言、勧告です。2013年の「食料保障のための小規模農業への投資」というレポートは、国際家族農業年のための政策勧告ですが、私も専門家ハイレベル・パネルに参加して執筆しました。
ただし、CFSがつくられた時からこのように機能したわけではありません。農産物輸出国と輸入国の利害対立で、有効な政策提言をしたり解決策を提示したりすることが、40年近くできませんでした。だから、08年の食料危機が起きてしまったのです。そこで09年にCFS組織を改革し、CFSから独立した諮問組織、専門機関として専門家ハイレベル・パネルを設置しました。専門家ハイレベル・パネルは世界中から集めた研究者で構成して、レポートを作成します。その草稿ができた段階で2回、インターネット上で、世界中から農家の人でも政府の役人でも、誰でも直接民主主義でそこに意見を言えるようにしました。そうすることで、各国からの圧力でレポートの内容がゆがめられたり、中和されたり、骨抜きにされたりするのを避けながら、かなりラジカルな提言、勧告を国連機関や国連加盟国にできるシステムになりました。
CFSのメンバーは国連加盟国ですが、オブザーバーとはいえ、農業現場をよく知る世界農村フォーラム(WRF)や世界最大の農民組織ビア・カンペシーナなどが、政策議論を主導するようになりました。
ビア・カンペシーナは08年、世界中の小農リーダーをインドネシアに集めた「小農の権利会議」で「小農の権利宣言」を発表しました。それを基にして、ジュネーブの国連人権理事会は10年かけて議論し、昨年12月の国連総会で「小農と農村で働く人びとに関する権利 国連宣言」を採択しましたが、日本政府は残念ながら棄権しました。この権利宣言の第十九条には「種子への権利」も明記されています。
第6回世界家族農業会議
3月末に、世界農村フォーラムが拠点をおいているスペインのビルバオ市で、第6回世界家族農業会議が行われました。私が2017年に有志と立ち上げた任意団体「小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン」が招待を受けて、私と茨城県阿見町の農家の方が家族4人で参加してきました。その報告を「小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン」のホームページで発信しました。
この家族農業会議に、各国の農民団体、農業団体の関係者、そして研究機関、政府、市民団体など、56カ国から260名が参加し、「家族農業10年」の行動計画を議論しました。議論の土台は世界の600くらいの農業団体にアンケート調査をしてつくったものです。参加した農業団体がワーキング・グループをつくって、これに意見を言っていく形をとっていました。
私たちもそのワーキング・グループに参加して、日本の状況とか、日本の新規就農者の立場からとか、そういう形で発言して、「家族農業10年」の行動計画の完成に向けて、自分の意見を直接インプットしてきました。参加した方々はみんな、積極的に意見を述べていました。
国連食糧農業機関と国際農業開発基金は「家族農業の10年」の共同事務局をしています。そこの職員の方は、「農民団体の人が、こんなにエネルギッシュに、積極的に参加して、ものすごくリアルで力強いメッセージを発信している」と驚いていました。
今まで、政策の当事者でありながら、政策決定には直接参加できなかった、させてもらえなかった人たち。おそらく、彼らにはそのような政策をつくる能力なんてないと、多くの国の政府は思っていた、と私は思います。ところがふたを開けてみたら、ものすごく活発に意見を言う。今の国際的な政策形成の流れとしては、いかに直接民主主義に近い形で、直接当事者の意見をどうやって組み込んでいくのか――それを直接吸い上げるようなワークショップをするとか、プラットフォームをつくるとか、そういうメカニズムをいかにつくって、政府とか研究者がサポートすることが、大きな課題になっていると思います。ビルバオではそれを見事にやったのです。
これを基にして5月末に「家族農業の10年」のキックオフのイベントがローマでありますが、その時に家族農業会議で完成された行動計画が発表されます。これは一気に10年分つくるのですが、2年ごとに見直していきます。このグローバルな行動計画を基にして、国連加盟国が各国の行動計画をつくっていきます。各国それぞれに、個別の課題がありますし、農業構造とか農業の状況が違いますので、それぞれの課題を組み込んだ行動計画が必要です。また、アジアだったらアジア・レベルとか、東南アジアとか東アジアとか、そのレベルの行動計画もつくっていけたらいいのじゃないかと思います。
さらに、日本全国で話し合いましょうと言っても、日本は広いので、都道府県レベルとか市町村レベルとか、あるいは集落レベルとか、そういうところでも話し合いができるような、そういう仕組みがつくれたらいいのではないかと思って、いろいろ準備をしているところです。
家族農業の力
家族農業が持っている力は潜在的には大きいと思うのですが、まだ政策を十分変えるところまではいっていません。しかし、国連を動かした、それも農民組織が動かしたというのは、大きな意味があると思います。国連に加盟している日本ということで、国連の「家族農業の10年」をテコにして、国に対応を求めていくことができる10年間だと思います。一つの大きなチャンスですので、この機会を生かせたらいいなと思います。
農業界にはいろんな組織があります。例えば有機農業ひとつとっても、全体から見たら有機農業という一部分なのですが、その有機農業だけでもいろんな団体があります。農業全体を見てもいろいろな団体があって、お互いに距離をとりあっているようなところがあります。そういう形で違いを出して、有機農業は有機農業の推進を求めるとか、そういう運動も大事ですが、この「家族農業の10年」においては、そういう立場の違いを超えて、日本の大半を占めている家族農業を持続可能にするような運動を、横に手をつないで進めていくことが重要です。
しかも、「家族農業」の「農業」は林業や漁業、養殖、牧畜を含む農林水産業全体を指しています。農林水産業全体が、消費者とか市民団体とか、労働組合とか、いろんな団体と手をつないで国民的な動きの運動にしていかないと、現状を変えるのはなかなか厳しいと思います。「家族農業の10年」は農業とか農村だけのためではなく、国全体ひいては世界全体、地球全体の持続可能性につながるのだという意識を、みんなが持つことが重要です。最終的には政治をどういうふうに動かしていけるかどうか、ということです。
種子法に代表されるように、中央で、行政とか農業団体で活躍されている方にも大きな役割があるんですが、種子法廃止に反対して、道府県単位での種子条例をつくる動きを見ていると、地方から現場を変えていくという動きになっています。地方の方ほど危機感が強い。集落が消滅していくとか、高齢化で担い手がいなくなるとか、現場の方がより現実感を持っています。そういうところから草の根で運動をつくっていくことが、とても重要じゃないかと思います。それと同時に中央政府に対する働きかけも重要ですので、その地方での草の根の動きと、それをまとめて政府と政策対話をしていくという、その両方をやっていかないといけないと思います。
(注)「小規模農業」「家族農業」「小農」といろんな書き方をしてあるが、これらはみな同じ。国連の定義ではいずれも「家族が経営する農業、林業、漁業・養殖、牧畜であり、男女の家族労働力を主として用いて実施されるもの」。
【参考文献】
『国連「家族農業の10年」と「小農の権利宣言」』
小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン 編
農文協ブックレット
定価 1100円+税