(一社)置賜自給圏推進機構の活動

特集 今、地域で何が進んでいるか

山形県高畠町での百姓生活50年の主張

置賜自給圏推進機構 共同代表 渡部 務

嫌々ながらの跡継ぎ百姓

 1964年、東京オリンピックの年に地元の農業高校にやむを得ず進学した。高校選択の自由は農家の長男である私には与えられていなかったのである。当時、わが家の経営は、水田2・2ヘクタール(ha)、自給用畑、そしてかつての名残の桑園を持つ比較的規模の大きな農家であった。
 一部では耕運機が導入され始めていたものの、牛耕、馬耕がまだ残る時代であり、まさに昨年のNHK朝ドラ『ひよっこ』の映像そのままである。冬期間はコメ出荷の「俵」を編み、縄をなう。小規模農家は、出稼ぎに出た時代であり、当時の仲間も首都圏へ出て、建設現場や自動車工場等で4~5カ月間は働いた。二、三男の同級生は中学校の卒業式も終わらないまま、「集団就職列車」で東京に向かった時代であった。
 農政は「コメの増産運動」の時代であり、桑園、原野、畑が次々と開田、区画整理されていった。私の集落も、国の補助事業で開田が実施され、わが家も1・0haが増え、当時の3・0haあれば生活ができると言われる農家になったのである。

社会運動への目覚め

 毎日の「四つん這い」農業からのストレス解消は、地域青年団活動への参加であった。高畠町内で350人ほどの団員の多くは長男・長女で、農業を生業としていた20歳代であり、話題は、恋愛問題から始まり、農業技術革新への情報交換であった。
 一方、農政が激変した時代であった。1970年からの「減反政策」はその象徴である。コメ生産に生活安定の基盤をかけてきた者にとって増産から減反への転換は、政治と社会の仕組みをさまざまな角度から見なければいけないと悟った時である。ましてや真面目にコメ作りに取り組んできた者を、食管制度の赤字を理由に「国賊あつかい」する論評には本当に腹が立った。
 さらに追い打ちをかけたのが、73年からの第1次オイルショックである。62年に制定された農業基本法は、選択的規模拡大を掲げ、複合経営を否定する政策をとってきた。私も、70年に肉牛経営を始め、ようやく軌道に乗り始めていた時の「畜産価格の大暴落」である。枝肉は暴落、エサは高騰、1年間で100万円を超える借金を抱えることになった。
 この二つの出来事の背景は、「四つん這い」重労働からの解放は、資本家の組み立てに乗った近代化農業のツケであり、外国産飼料に頼り切ったツケであり、そして何よりもそれを見抜けないで純朴に農政に乗ってきたツケであった。

有機農業との出会い

 悶々としながらコメ作りと組織活動を続けてきた中で出会ったのが、71年に結成された日本有機農業研究会であった。近代農法による矛盾、すなわち農薬による健康被害と残留問題、化学肥料による土壌疲弊等の問題は、生産者と消費者との連携により解決すべきとする運動である。これを提唱されたのが農林中金常務を務められた一楽照雄氏であり、賛同されたのが佐久総合病院(長野県)の若月俊一氏や『複合汚染』の作家・有吉佐和子氏である。
 私たちはこの運動に共鳴し73年、「高畠町有機農業研究会」を40人ほどで結成した。しかし、近代農法が地域に定着していた時代であり、「変人」扱い、「夜中に農薬、除草剤を撒いている」等々の非難を地域内だけでなく、家族からすらも受けた時もあった。
 そんな中で支援体制をつくってくれたのが消費者グループであった。当時、4大公害が社会の大問題であり、生活全般に安全性が問われていた時代で、その解決に有機栽培農産物を求める運動が広がっていた。そのリーダーたちが私たちを訪ねて来られ、提携運動がスタートしたのである。

循環農法の優位性

 農村社会での新しい運動が定着するには、実績と継続性が厳しく求められる。私たちがこの地で43年間有機農業を実践し、さらに同じようにめざす各種グループが結成されたのは二つの出来事が大きい。
 一つは、前述の消費者グループとの「顔の見える関係」を実践し、生活できる価格を農家自らが提案し、それを受け入れてもらい、流通を自ら担って信頼をつくり上げ、小規模複合経営での生活を維持することができたことである。
 二つ目は、93年の大冷害での出来事である。中山間地は半作以下、平坦部も3割以上の被害を受けた。店頭では、7割の国産米に3割の外国産米を抱き合わせ販売するほどのパニックとなった。
 その時、私たちの有機栽培はほぼ平年並みの収穫量を確保したのである。その要因は、堆肥をはじめとする有機物のみを施用した水田と化学肥料のみを施用した水田とでは土壌の温度が違ったのである。私たちの水田の土壌の方が2℃以上高かったのである。この結果が、私たちの自信につながったし、周囲の見方も変わってきた。

農村の変貌と大資本の収奪

 とはいえ、農村集落も大きく変わった。当町は、デラウェアブドウの日本一の産地であり、西洋梨、酪農でも長い歴史をもつ。食品工業も盛んで、かつては缶詰工場が5社もあったほど、農業と一体となって町の産業をつくってきた。
 現在の町の振興計画(10年間計画)には、「有機農業を核として農業振興を図る」となっている。しかし、人口も、農家戸数も減少し、果樹畑の廃園、耕作放棄地は大きな課題であり、とりわけ中山間地は獣害も含めて深刻な状況にある。
 さらに少子高齢化で集落機能が弱体化し、生活基盤が崩れつつあると危機感を持っている。
 10年ほど前、こんな問題が起きた。大手スーパーが、子会社が運営する小規模店舗を閉店、郊外型の大型店舗に移った。それにより高齢者は買い物弱者となり不自由を強いられた。そもそもは地元の商店が生活基盤を支えてきたところに、大資本が入り込み、さらに効率よく利益を上げようと大型店舗に移り、結果として商店街はシャッター通りとなり地域経済は中央に吸い上げられていった。
 挙げ句の果てには、危機感を持った住民有志が小規模店舗跡を利用し店舗再開を計画したところ、土地の賃借権を盾に拒否。ようやく町も中に入って改装しようとしたら排水設備がめちゃめちゃに壊されていたとのことであった。大資本の本性が見えた出来事であり、そのことにわれわれが振り回されていることに気づかなければならない。

置賜自給圏推進機構の発足

 地方が疲弊していく流れを少しずつでも食い止める手段は、地域経済が都市に搾取される構図を変えていくことから始まる。
 ここ置賜地方は江戸時代は上杉藩の領地であった。上越地方(新潟県)から大幅に石高を減らされての藩替えで財政危機に陥った時、藩はさまざまな対策を打った。養蚕を奨励し、絹織物を作り、紅花(口紅の原料)とともに最上川の水運と北前船で京に運び「外貨」を稼ぐ。領民には、生糸を取った後のサナギを餌にしたコイ養殖を奨励してタンパク質を確保する。そして、水利事業で開拓を進め、藩財政を立て直した。
 この歴史に学びながら、地域資源を最大限活用した循環型の仕組みに地域経済を変えていく必要がある。
再生可能エネルギーの自給
 便利さから燃油、電力を大企業に委ねてしまった仕組みから脱却することがこの運動の基本である。地域の稼ぎが、大電力会社や中央に吸い取られる。
 放射能汚染で有機農業ができないと自死した農家がいても、「放射能で死んだ人間はいない」と発言した前総務大臣・高市早苗がいるような政党にエネルギー政策を全て委ねることはできない。
 メガソーラー発電や小型水力発電はすでに稼働している。さらに、堆肥などを利用したバイオマス発電や温泉地熱発電等の地域資源を活用した取り組みを市民と地元企業が一緒になって進めていきたい。また、全国各地で取り組まれている売電事業も重要な課題である。
 そのほかには、すでに実践されている薪や木質ペレットの普及推進、そして有り余るもみ殻等の地域資源の有効活用を産官学と協調して進めていきたい。
循環農法と地域食料自給
 21万人が暮らす置賜地域(3市5町)は、主力のコメのほか、かんきつ類以外は収穫できる果樹、そして米沢牛を基盤にした農村地帯である。
 この複合化の利点を生かし耕畜連携による堆肥の活用と土壌活力増強で「濃く」のある日持ちの良い農産物を作ってきた。コメの品質も米・食味鑑定士協会の大会で最優秀をたびたび受賞、米沢牛の優秀さは周知のとおりである。
 先輩たちが積み上げてきたものに地域自立の物語を重ねて、さらなる販路拡大を図る必要がある。また、内にあっては生ごみ堆肥化とそれを使った農産物生産の市民ネットワークの先駆的事例もあり、学校給食はもとより、病院食、福祉施設等での地元産をさらに活用する取り組みも期待できる。
 また、農産物直売所の売り上げも年々伸びており、着実に地元産の評価は高まっている。生産現場では自らが循環農法の技術向上と流通改革に取り組み、農業で生活できる仕組みづくりにしていかなければならない。
地元産木材活用による山村振興
 当地区は、山林面積も広く、伐採適期のスギなどが放置されている。他方、住宅新築物件の8割は大手ハウスメーカーだと聞く。そこには地元産の木材使用は極めて少なく、さらには100年は持つ住宅を造れる大工技術等は必要ないとされる。
 当然、製材業は衰退していき、林業では暮らしてゆけない構図になっている。行政でもようやく地元産木材使用に補助金を出す等の施策が進められてはいるが、まだまだ市民の意識も薄い。
 その結果として、請負金額の35%はPR費用や本店維持費用になっており、ほぼ全額が中央に流れていることを認識しなければならない。環境保全、景観維持に加えて、山村が維持できてこそ都市が成り立つことを自覚しなければならないと思う。
運動の核は協同組合活動
 そのほか、福祉関係等、市民自らが創り上げていかなければならないことは数多くある。そしてそれを成し遂げる運動の主体は協同組合活動である。「自主自立に基づく相互扶助」の理念で市民が組織し、地域社会を先導してきたこの組織こそ、この運動の中核を担ってほしいと願う。
 今、農協等の協同組合は経営が極めて厳しい状況にあると聞く。安倍政権による、理念や生活感がまったく感じられない経済優先が地方経済を疲弊させていることは先述のとおりである。ましてや、中央の果実が地方に波及するという主張は上意下達そのもの。自らの生活を守るために組織された協同組合こそ、この構図に物申す先頭に立つべきである。