年金改革関連法の問題点と年金制度の課題
鹿児島大学法文学部教授 伊藤 周平
1 年金改革関連法案の提出と修正成立
公的年金制度(以下「年金制度」という)は、老齢・障害などによる収入の中断・喪失や被保険者の死亡による遺族の生活困難に対処する生活保障の仕組みである。日本の年金制度は社会保険方式を採用しているが、現在、少子高齢化が進み、将来、年金がもらえないのではないか、大幅に減額されるのではないかという不安が拡大している。
5年に一度の財政検証(2024年)の結果を踏まえた年金改革関連法案は、一部で負担の増加や給付の低下を伴うことから、世論の批判、とりわけ7月の参議院選挙への影響を懸念して、政府・与党内で調整が難航、懸案であった基礎年金の底上げ部分を削除した形で、5月16日に閣議決定の上、国会に提出された。その後、5月末に、自民・公明与党と立憲民主党とが修正協議を行い、基礎年金の底上げ策を法案の附則に入れる修正案に合意、この修正案が成案となり、5月30日に衆議院を通過、6月13日、参議院本会議で成立した。
本稿では、年金改革関連法(以下「25年改正法」という)の内容と問題点を考察し、現在の年金制度の現状を踏まえ、最低保障年金の構想を提示する。
2 年金改革関連法の
内容と問題点
・遺族年金の見直し
25年改正法では、遺族厚生年金において、子のない(子がいる場合も、子が18歳の年度末を迎えた後の)60歳未満の配偶者については、給付を男女とも5年の有期給付にする。同様の趣旨で、65歳未満の妻だけに支給されている遺族厚生年金の中高齢寡婦加算と国民年金の寡婦年金も段階的に廃止される。
現に存在する男女の就労環境の違いなどを配慮する観点から、女性(妻)については20年程度の時間をかけて段階的に施行し、男性(夫)の場合は28年4月から施行される。生計維持要件のうち収入要件の廃止、有期給付加算の創設(死亡者の老齢厚生年金の4分の3で計算する現在の額よりも増額)などの措置もとられる。
しかし、高齢になってからの就労は、男女とも低賃金・不安定雇用が大半である。こうした状況を放置したまま、遺族年金を有期給付とすることは、遺族の所得保障という遺族年金の趣旨に反する。配偶者が夫である場合の年齢要件を廃止し、男女とも、30歳未満で5年の有期給付、30歳以上で期限のない給付にすべきと考える。
・短時間労働者への厚生年金適用の拡大
次いで、短時間労働者の厚生年金・健康保険の適用拡大がなされた。すでに24年10月から、短時間労働者のうち、従業員51人以上の企業で(企業規模条件)、週20時間以上働く、月額賃金が8万8000円(年収約106万円)以上(賃金条件)の人が厚生年金の加入対象となっている(学生は除く)。25年の法改正で、週20時間労働と学生除外の要件は残したまま、賃金要件を廃止、企業規模要件についても27年10月に36人以上、29年10月に21人以上、32年10月に11人以上の企業を対象とし、最終的に35年10月に撤廃される。また、厚生年金の加入対象外だった従業員5人以上の個人事業所も対象となる。ただし、新しく開業する事業所については29年10月から対象とする一方、すでにある事業所については、当面期限を定めず対象外となる。
厚生年金加入となる短時間労働者には保険料負担が生じ、健康保険料と合わせると、給与からの保険料の天引きで、手取りが平均で15%程度減少する。将来の年金給付の上乗せはあるが、現在の生活は苦しくなる。健康保険の場合は、医療本体の給付は被扶養の時と同じで、傷病手当金が支給される程度のメリットにとどまる。
企業の側も保険料の半分が事業主負担となり、中小企業では経営に響く。企業規模要件が撤廃されれば、週20時間以上働く短時間労働者すべてが厚生年金に加入することになるが、そうなると、保険料の負担増を懸念して週20時間未満に労働時間を調整する、もしくは複数の事業所で細切れに働く労働者が出てくるだろう(現在でもそうした労働者は散見される)。改正後も、複数の事業所で働き、それぞれについては保険適用にならないが合算すれば保険適用の基準を満たしたとしても、適用にならないからだ。そもそも、厚生年金保険料が高すぎるという問題があり、中小企業に対する財政的な支援により、社会保険料の事業主負担分を減免するなどの施策が必要である。
・在職老齢年金制度の見直しと標準報酬月額上限の引き上げ
在職老齢年金制度は、65歳以上で月収(基礎年金を含む)と厚生年金(報酬比例部分)の合計が50万円を超えると、超えた分の厚生年金が半分に減らされる仕組みだ。たとえば、月収34万円、厚生年金20万円の場合、合計で54万円となるが、50万円を超える4万円分の厚生年金が半額の2万円になる。現在、年金受給権を持ちながら働いた賃金を得ている65歳以上の人は308万人で、このうち16%にあたる50万人が年金給付を削減されている。
こうした年金の減額が、高齢者の就労意欲を阻害しているとして、廃止を含めて皆阻止が検討されたが、25年改正法では、支給停止が始まる基準額を月額50万円から62万円に引き上げるにとどまった。在職老齢年金制度による高齢者の就労抑制効果は確認されておらず、基準の引き上げは、将来世代の年金水準の引き下げにつながる。また、繰り下げ受給は、減額分には適用されないなどの課題もある。
また、厚生年金保険料の標準報酬の上限(現行は65万円)を、27年9月に68万円、28年9月に71万円、29年9月に75万円と段階的に引き上げる。上限75万円は、賞与を含めて年収1200万円程度の人が想定されている。高所得者の厚生年金保険料の引き上げが実施されるわけだが、逆進的な保険料負担であることには変わりがない。
・基礎年金の底上げ
24年の財政検証では、基礎年金部分のマクロ経済スライドの調整が長引き、基礎年金の所得代替率の低下(目減り)が著しいことが明らかになった。最も現実味のある「過去30年投影パターン」で見ると、マクロ経済スライドによる給付調整は、厚生年金(報酬比例部分)では26年度で終了できる見通しだが、基礎年金では57年度まで実施する必要がある(31年間も長い!)。これにより、基礎年金の所得代替率は、24年度の36・2%から57年度の25・5%へ、年金額は13・4万円から10・7万円(いずれも夫婦合計)となり、2~3割の削減となる。これは、マクロ経済スライドの調整終了年度の計算にあたって、第1段階で基礎年金の調整終了年度を決定し、第2段階で厚生年金の調整終了年度を決定するという方法が採用されているためで、この方式だと、所得代替率の低下のほとんどすべてを基礎年金が吸収する形になる。
基礎年金の厚生年金加入者でも、現役時代の給与が低いほど、標準報酬月額が低く、報酬比例部分の給付額が少なくなるため、給付額に占める基礎年金部分の割合が高くなり、年金給付水準の低下が大きくなる。不安定・低賃金雇用だった人(女性に多い)ほど給付水準の低下が大きい。
もともと不十分な基礎年金の給付水準が、2~3割も削減されてしまうとなれば、基礎年金は、もはや最低生活保障の機能をまったく果たし得なくなる。現在、年金を受給している世代だけでなく、将来、年金を受給する世代、特に非正規雇用の人が多い就職氷河期の世代が老後を迎えるころには、基礎年金のみという人が多数になり、年金だけではとても食べていけない水準の人が多数出てくる可能性が高く、基礎年金の老後の最低生活保障の機能は完全に崩壊する。少なくとも、基礎年金にはマクロ経済スライドを適用しないという政策的配慮が必要だと考える(詳しくは、伊藤周平『日本の社会保障』ちくま新書、第3章参照)。
25年改正法では、附則で29年の財政検証を踏まえたうえで必要となれば厚生年金の積立金から基礎年金に充てる割合を増やして年金額を底上げすることとされた。しかし、これでは、マクロ経済スライドによる年金削減は今後数十年続くことになり、老後の最低生活保障を果たすだけの基礎年金の底上げには程遠い。
3 年金受給者の現状―特に女性の低年金と就労に駆り立てられる高齢者
厚生労働省の「厚生年金・国民年金事業の概況」によれば、国民年金の老齢年金受給権者の平均年金月額は、5万8000円にとどまる(24年度)。実質的な生活保護基準(高齢者単身世帯で年収160万円)を下回る月額10万以下の老齢年金受給者は約2288万人で、そのうち女性は約1771万人を占め、実に女性の老齢年金受給者の85・18%に及ぶ(23年度)。特に女性高齢者の低年金が顕著であり、単身高齢女性の貧困率は40%を超え、OECD(経済協力開発機構)諸国では最悪水準である。女性の低賃金が低年金につながっており、構造的なジェンダー問題が横たわっている。また、皆年金と言いつつ、現時点ですら、無年金者は合計で100万人にも及ぶとの推計もある。
マクロ経済スライドを適用し、給付を削減していく現在の年金政策の結果、13年からの12年間で、物価変動率11・3%の上昇に対し、年金額の引き上げは3・5%にとどまり、実質7・8%の削減が行われた。25年度も、3年連続で、マクロ経済スライドが発動され、公的年金額は24年度の物価上昇率2・7%を0・8ポイント下回る1・9%の引き上げに抑制された。25年改正法では、こうした問題の根本的な解決には程遠い。年金を削減し、無年金・低年金受給者の問題を放置してきた政策の転換が必要だ。
年金減額や低年金の高齢者の放置は、高齢者の就労圧力を高める。単身で5万円程度の年金水準では、よほどの資産や貯金がないかぎり、生活保護を受給するか、就労しないと暮らしていけない。実際、生活保護受給世帯のうち高齢者世帯は55%を占めるし、65歳以上の高齢者の就業者数も900万人を超えて過去最多に上っている(23年度)。しかし、就業している高齢者は7割以上が非正規雇用であり、低収入で、就労しても貧困から脱却しきれていない。まずは年金給付水準の引き上げが早急に必要と考える。
4 年金制度の課題
・社会保険方式の限界と最低保障年金の構想
高齢期の所得保障には、①貧困防止のための基礎所得の保障、②現役期の所得(生活水準)の一定程度の保障という側面がある。日本の年金制度は、①については、国民(基礎)年金として、逆進的な保険料負担を強いつつ、負担と給付をリンクさせる社会保険方式を採用しているが、前述のように、基礎年金の給付水準は、貧困防止のための基礎所得すら保障できておらず、高齢期の所得保障制度としては機能不全の状態に陥っている。現在の膨大な保険料滞納者・免除者は、将来的に無年金・低年金者となる可能性が高く、社会保険方式の限界は明らかだ。
①の保障については、税方式による最低保障年金の確立が求められる。
実際、13年5月には、国連の社会権規約委員会(経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会)が「日本政府に対する第3回総括所見」において、日本の高齢者、特に無年金高齢者および低年金者の間で貧困が生じていること、スティグマ(差別や偏見を意味する烙印を押されることを恐れる)のために高齢者が生活保護の申請を抑制されていることなどに懸念を表明し、最低保障年金の確立などを日本政府に勧告している。
年金生活者の団体である全日本年金者組合も、最低保障年金の創設を繰り返し提言しており、直近では21年4月に「最低保障年金制度第3次提言」をまとめている。それによれば、すべての日本国居住者(日本に10年以上居住)を対象に、65歳以上から、ひとり月額8万円の「最低保障年金」を支給するなどとなっており、その財源は国庫負担・事業主負担で賄うとしている(吉田務「『100年安心の年金』で高齢者はどうなったか―今こそ最低保障年金制度創設を」、雑誌『経済』25年4月号52~54頁参照)。
最低保障年金の確立で、生活保護受給の高齢者は確実に激減する(年金だけで生活していけるのであれば、生活保護を受給する必要はない!)。そして、それに必要な財源は、逆進性の強い消費税ではなく、所得税や法人税の累進性を強化して確保すべきであり、歯止めなく膨張している防衛費(軍事費)を削減して回すべきである。
これに対して、②の保障については、所得比例負担と所得比例給付により社会保険方式で給付を行う仕組みが適切と考えるが、その場合も、被用者だけでなく、自営業者も含めたすべての人をカバーする方式が望ましい。自営業者の所得をいかに捕捉するかという課題はあるものの、多くの国では、自営業者を含めた所得比例年金は存在しており、非現実的なものではない。
・税方式の移行期までの改善案、そして年金積立金の活用
税方式への移行期間においても、老後の所得保障制度としての年金制度の趣旨から、保険料免除期間の年金額も満額支給とするなどの制度改革が早急に求められる。
また、年金積立金を計画的に取り崩し、現在の老齢基礎年金のみの受給者の年金額を生活保護基準レベルまで引き上げていくべきである。日本の基礎年金と同様、賦課方式をとっているヨーロッパ諸国の年金積立金残高は、給付費の1カ月分から3カ月分、多くて5カ月分の場合がほとんどである(唐鎌直義「『100年安心』の虚構」、雑誌『経済』23年4月号55頁)。日本のように、24年末現在で290兆円もの巨額の積立金(年金給付総額の5・3年分)を保有している国など存在しない。しかも、年金積立金は株式などで運用されており、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、日本の上場企業の半数を超える200社で、保有比率上位10位以内の大株主となっている(ガザ地区への攻撃を繰り返しているイスラエルの国債やパレスチナ人の虐殺への加担を国連が認定した企業の株式まで保有している!)。
年金積立金の投機的な市場運用・投資をやめ、運用の透明性を確保し安定運用を行うべきである。そのうえで、給付費1年分(約55兆円)を残し、積立金を年間10兆円ずつ10年かけて取り崩し支給額に上乗せすれば、低年金受給者の暮らしの改善に役立つはずだ。
経済的側面から見ても、年金給付は、高齢化が進む地方では経済において大きなウエートを占めており、地域経済を支える役割がある。厚生労働省の試算では、島根県(高齢化率33・6%)の県民所得に公的年金給付が占める割合は18・2%にも及ぶ。年金の減額は、消費の低迷を招き、地方経済を衰退させる。地方経済を支えるためにも、物価上昇の中でも、年金・手当の実質的価値を減らし続けているマクロ経済スライドは早急に廃止し、「減らない年金」の仕組みを確立すべきである。安心できる年金制度の確立は、高齢者のみならず現役世代の老後の安心を拡大し、消費拡大と地方を含めた経済全体の活性化という好循環を生み出すはずだ。