新春メッセージ
地震と豪雨災害の能登半島
困難な中に希望の光も
石川県志賀町議会議員 堂下 健一
昨年元日の能登半島地震被害では全国の多くの皆さんより救援物資や義援金をいただき、あるいは能登に駆けつけられボランティア活動と、大変ありがとうございました。
最近一番目立つのは家屋や納屋等が公費・私費で解体され、その空き地が目立ち寂しさを感じます。道路は解体した廃棄物を運ぶダンプカーの列がひっきりなしで、しかも全国各地のナンバーが行き交っています。
今年10月までに2万5000棟近い家屋の解体を終える予定となっています。だが、新築される家はごく少数で、高齢者の多い能登地区の被災者は仮設住宅から災害復興住宅へ住まいを移し余生を送ることとなるでしょう。
さらに地震被害に追い打ちをかけた9月下旬の集中豪雨は、立ち上がろうとする被災者の心を打ち砕くかのようなものでした。ふるさとでの生活を諦め集団で移住を決断せざるを得ない地域も出てきました。
厳しい避難所生活の実態
地震と豪雨災害からの復旧と復興の足取りは遅く、豪雨災害での仮設住宅の完成は今年2、3月ころと発表されています。被災者によっては1年以上の避難所暮らしとなります。
先ごろやっと政府も避難所環境を国際基準にと言い出す始末です。日本の避難所は100年前と変化がなく、体育館で床に雑魚寝が日常風景でした。
私が9カ月間避難していた避難所は、1人3・3㎡で70人収容と明記された原発専用の施設でしたが、地震直後は100人を超える人で廊下でも寝たということでした。その後私が避難した1月10日には40人余りでしたが、床に寝袋と毛布という状況でした。その後、パイプ・段ボールベッドやマットレスの支給があり、改善されていきました。
トイレは上水道の寸断と浄化槽の沈下により9月まで復旧しませんでした。仮設トイレも和式から洋式に、さらに進化してバイオ技術で無臭の水洗トイレとなりました。発災直後は仮設トイレも不足気味で、特に自主避難所ではトイレ不足は深刻で、行政に一刻も早く配備するように掛け合ったものです。
5年10年後が
一気に押し寄せた能登
今回の地震被害での課題を列挙すると――
①人口減に拍車
若い看護師・介護士の多い職場では、自らも被災し将来の子どもの教育環境を考慮し金沢近郊へ移住する人が多くなっている。子どもの減少による学校の統廃合が進む。
奥能登の2市2町の4公立病院で看護師さんらの離職が増えているとのこと、今後の病院維持が病院機能の復旧とともに課題となっている。
②限界を超える生業維持の困難
農林水産業はもちろんだが伝統産業・文化の継承も課題。地元商店街も売り上げ減による後継者の減少。
農地の復旧には時間がかかる。また、農地、農機具や倉庫の損壊での事故負担分も大きい。激甚災害指定で国が95%負担ではあるが、地元負担もあり。
漁港は隆起が激しい個所の復旧は厳しい。輪島港は浚渫しカニ漁再開。漁業の再開を断念するところもありか。
③文化財の修復等
文化財レスキューで文化財の救出はされたが、その分類や分析、修復などの後作業についての予算が確保されていない。
④やっと言い出された避難所環境、国際基準になるか
トイレやベッド、キッチンの整備等々、避難所での処遇は人権問題である。
⑤原発事故との複合災害では避難は「絵に描いた餅」が証明された
原子力規制委員会は改正の意思なし。全国の原発立地自治体で原発避難の課題が改めてクローズアップされる。
⑥財務省の財政審議会は「過疎地の復興は無駄」の立場
県知事も、この財政審議会の言動に、復興に水を差すと猛反発する。
過疎地には住むな!は今や日本全国過疎地の現状で、棄民思想そのものだ。
日本の縮図である能登半島の復旧・復興は今後の日本を占うことになるだろう。
困難な中にも希望の光が
26年に予定される能登地区での朱鷺の放鳥計画は明るい話題です。県は、朱鷺にあやかりブランド米を計画中で、県内全地区での有機米給食の実施となります。
いま、若い人たちがいろいろなプロジェクトを立ち上げています。地震後に捨てざるを得なかった着物のリサイクルや地震の記録作業、古木や家具のリサイクルなどを始めたグループなど、これまでになかった動きが随所に出てきています。
今後への明るい希望です。
新年、前を向いて進む決意です。