東アジア共同体研究所 理事長 鳩山 友紀夫
「自主・平和・民主のための広範な国民連合」の活動に賛同される皆さまとともに、新春のお祝いを申し上げます。
昨年12月10日、ノルウェー・オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式で、受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長は核保有9カ国に対して、「米国よ、恐怖よりも自由を/ロシアよ、破壊よりも軍備撤廃を/英国よ、抑圧よりも法の支配を/フランスよ、恐怖よりも人権を/中国よ、理不尽よりも理性を/インドよ、無分別よりも分別を/パキスタンよ、ハルマゲドンよりも論理を/イスラエルよ、抹殺よりも良識を/北朝鮮よ、荒廃よりも知恵を」と、また、「『核の傘』の下に守られていると信じている国々よ、あなたたちは、自らの名において他国を破壊する共犯者となるのか」と名指しで禁止条約への参加を迫り、訴えました。
これに対し、唯一の被爆国としてその役割を国際的にも期待されるはずのわが国は、アプローチ方法が違うと、条約の署名、批准を行わないだけでなく、米国の「核の傘」の下、軍事同盟強化をさらに進め、北朝鮮には対話ではなく圧力で対応することに突き進んでいます。今や国際社会からは日本へは期待どころか失望感が蔓延しています。
一方、ISによるテロの脅威が少しずつではありますが減殺されつつある中で、トランプ政権は、和平交渉が2014年以来中断しているにもかかわらず、エルサレムをイスラエルの首都として正式認定し、これを受けて緊急に開かれた国連安保理事会では、イスラエル以外の国は賛同せず各国から反対、非難が相次ぎ、また、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸やガザ地区では抗議活動やイスラエル軍との衝突が激化し、すでに死者も出ています。イスラエルに対してはトルコのエルドアン大統領が「テロ国家」と公言するなど、このトランプ大統領の判断はさらに事態を悪化させ、平和構築より自らの支持基盤の安定を優先させたと言われかねず、憎しみの連鎖はさらに助長され、大きな火種となりつつあります。
加えて地球全体の持続可能性を世界全体で議論し、気候変動対策の国際的枠組みである「パリ協定」から昨年6月、トランプ政権は離脱すると発表しました。世界全体の二酸化炭素の約15%を排出する米国の離脱により、パリ協定の目標達成は困難になるばかりでなく、気温上昇や海面上昇、異常気象などと闘う途上国の取り組みにも大きな影響が出ています。「アメリカ・ファースト」という美辞の裏で、自国の利益だけを優先させ、米国は世界の指導的立場を放棄したと言われても仕方がないことです。
私たちの国、日本はこのような米国と残念ながらいまだに従属関係にあり、とくに沖縄では過重な米軍基地の存在に、その従属国家たる現実が可視化されています。
しかしながら現在の安倍政権はその従属関係を解消するどころか、日米同盟強化を声高に叫び、「国家安全保障戦略」なるものを作成する中で、独立国家として当然考えるべき米軍基地の縮小や日米地位協定の改定という文言は全くなく、「国際社会における主要なプレーヤーとしてこれまで以上により積極的な役割を果たしていく」とか、「わが国の常任理事国入りを含む安保理改革を実現する」とか、政治大国思想を鮮明にしています。大日本主義にとらわれた偏った国家戦略と言わざるを得ません。いまや、「日米同盟を強化しつつ政治大国を目指す」「対米従属の下で常任理事国を目指す」という路線は、その矛盾が拡大し、すでに破綻が明らかになっているのです。
なぜ「国家安全保障戦略」の中で基地問題に言及しないのか。それは「国家安全保障戦略」が目指す日米同盟強化による大国化路線は、在日米軍の恒久化、なかんずく沖縄の過重な基地負担の固定化を前提として初めて可能になるものだからです。それ故に沖縄の米軍基地問題は親米保守路線の恥部と言っても過言ではありません。「国家安全保障戦略」は、米軍基地の永続固定化を善とし、その変更を求めることは日米同盟を危うくする悪であるというイデオロギーに基づいているとしか思えません。
歴史的に見てこれほど長期にわたって外国軍が常駐している例はありません。横田空域が象徴するように一国の首都に主権の及ばない広大な外国軍基地を許していることは独立国家として異常なことです。世界に米国と同盟関係にある国は数十カ国ありますが、万余に上る米軍駐留を認めているのは、敗戦国の日独伊と日本の植民地だった韓国だけです。独立国家としては、常時駐留なき同盟こそ自然な形なのです。しかも日独伊共に地位協定を改定し、日本に比して格段に自立性の高いものに変えています。
特に沖縄ではいまだに占領時代が継続しているかのようです。沖縄は戦勝国アメリカの最大の既得権益でした。沖縄米軍基地の7割が海兵隊のものです。あの沖縄戦を戦ったのは海兵隊であり、幾万の戦死者を出して占領した沖縄は海兵隊のものだという意識は戦後ずっと続いてきました。彼らの意向が国防省を支配し、それが国務省の方針を左右する、そういう構造が続いてきました。
沖縄の海兵隊は日本防衛のためではなく、第七艦隊の出動地域に遠征するために待機しているのであり、どうしても沖縄に置いておかなければいけない事実上の理由はありません。理由がないのに置いておくためには、中国に対する抑止力だと説明するしか方法がなかったのです。さらに抑止力の必要性を強調するために中国の脅威が誇張されるという悪循環に陥っています。
普天間飛行場の「最低でも県外移設」を実現しようとしていた問題が暗礁に乗り上げた際に、抑止力のために辺野古に移設することを認めざるを得ないとの発言をして物議をかもしましたが、安易に抑止力をという概念を用いるべきではなかったと反省しています。
佐藤栄作元首相は「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」と言いましたが、私は「沖縄の基地問題の解決なくして戦後は終わらない」との思いです。そのことを沖縄に行くたびに痛感し、日本を真の意味で独立させたい、そのためにはどんなに時間がかかっても、米軍基地のない日本、とくに沖縄にしなくてはならい。そこまでいく中間の段階として、平時には米軍は駐留せず、一朝有事のときのみ米軍の支援を求め、米軍に自衛隊基地などの使用を認める、いわゆる「常時駐留なき安保」を実現させたい。そしてその目的のために今何を成すべきかを考えた時に、世界一危険と言われる普天間飛行場の移設が喫緊の課題であり、沖縄に移設先を決めてはならない、「最低でも県外、できれば国外」移設が望ましいという結論に至ったのです。
翁長雄志沖縄県知事は沖縄問題をテーマとするシンポジウム(朝日新聞社主催)において、下記のように述べられました。「(一部略)安倍政権は、普天間移設問題の原点は世界一危険な飛行場を除去することだという。そうではない。太平洋戦争が終わり、普天間に住んでいた人たちが米軍の収容所に入れられている間に土地が強制収容され、飛行場が造られたというのが原点だ。住民から土地を奪っておいて沖縄から代替施設を差し出せというのは、日本の政治の堕落ではないか。沖縄は1952年発効のサンフランシスコ講和条約によって日本から切り離され、米軍施政権下に置かれた。日本国憲法も適用されなかった。戦争中、日本に操を立てて戦った沖縄を米軍施政権下に出しておいて、日本はアジアの盟主として復興を果たした。尖閣諸島で何か起きた時、沖縄ではどういう運命が待っているのか。私は日米同盟は重要だと認識しているが、それを最前線で現在も支えている沖縄に対して本土が『思い』を持たないと、将来、歴史は繰り返すのではないか。日本には品格のある民主主義国家になってもらいたい。自国民の沖縄にこういった形でしか対応できない国が、自由、平等、人権、民主主義という理念を世界の国々と共有できるのか。大変疑問だ。米軍基地は、沖縄経済の発展にとって最大の阻害要因になっているということも言っておきたい。『沖縄は基地で食べているのだろう』という言葉が、いかに沖縄の人を傷つけていることか。アジアはどんなに経済が発展しても、戦争が起きれば終わりだ。沖縄は平和の緩衝地帯になり、日本とアジアの架け橋になりたい。そう訴えていきたい」
12月13日午前10時過ぎ、米軍ヘリCH53Eの窓が普天間第二小学校の校庭に落下しました。当時は体育の授業中でわずか約13m先には児童約60人がグラウンドにいました。沖縄県をはじめ地元の猛抗議は当然ですが、首相官邸幹部は「だから早期の基地移設が必要だ」と強調したそうです。そのちょうど1年前の日にもオスプレイの墜落事故が名護市海上で起き、県の抗議に対し在沖縄米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官が、謝罪の意を表しながらも県民に被害を与えなかったことを感謝すべきと「植民地意識丸出し」発言を平気で行ったのは記憶に新しいことですが、この官邸幹部の発言は、翁長知事が期待する「沖縄への『思い』」の欠片も感じられない発言です。
私は、民主国家であり独立国家である日本がとるべき平和構築のスキームは、日米同盟をさらに強化し、対話ではなく北朝鮮への圧力を高めることではなく、日米の従属関係を見直す作業に早急に着手することと、普天間基地の無条件返還をはじめとする沖縄に対する差別や負担の解消と、沖縄を私が提唱する、あくまでの対話と協調を旨とする東アジア共同体の「平和の礎」にすることであると確信しています。
本年は日米政府が脅威の対象として煽る中国と日本の平和友好条約締結40周年の年であり、また、沖縄県では1月の南城市長選挙、2月の名護市長選挙、11月には最大の焦点である沖縄県知事が行われます。
「自主・平和・民主のための広範な国民連合」活動を支える皆さまには、国民全体が沖縄への思いを結実することそのものが、日本の平和構築と尊敬される日本の創造につながるということをご理解頂き、さらに国民的運動を広げて頂きますようお願いし、年頭にあたってのご挨拶とさせて頂きます。
皆さまの益々のご健勝とご活躍をお祈りいたします。
平成30年1月吉日