広範な国民の連合をめざす全国討論集会
問 題 提 起
< 目 次 >
一.国際社会における新しい日本の進路、
国内における新しい政治のあり方について
(1)戦後最大の転換期を迎えた国際社会
(2)自民党政府と財界の選択
(3)国際社会において日本がとるべき進路
第一に自主的な道
第二に平和の道
第三に民主的な道
(4)国内における新しい政治のあり方
第一に経済における民主主義
第二に政治における民主主義
第三に社会生活における民主主義
第四に環境・資源の保護
二.どうすれば広範な国民の連合が可能になるか
第一に明確な目的
第二に大衆運動の重視
第三に相互支援と共同行動
第四に政党の役割
第五に自主と民主
三.広範な国民の連合をめざして、何をなすべきか
おびただしい流血と破壊をもたらした湾岸戦争で、政府は莫大な戦費を米国にみつぎ、ついに自衛隊を海外に派遣しました。「国際貢献」「国連中心主義」などを旗印にして、自民党政府や財界が進めようとしている道は、日本を誤らせるものです。
危険な事態の進行にもかかわらず、マスコミは「豊かな社会」を書きたてて満足感をあおり、問題をそらせ、人々の目は曇らされてきました。人々は分断されて、沈黙をあるいは個々バラバラに立ち向かうことを強いられてきました。
しかし、不安を感じているだけでは、あるいはバラバラに立ち向かうだけでは、日本の政治を変えることはできません。政府や財界が進めようとしている道に対抗して、日本が進むべきもう一つの道を明らかにし、その実現のために大多数の人々が広く手をつなぐ必要があります。
そこで私たちは、「新しい日本の進路を共に模索し、広く連合する道をさぐる討論の場」を呼びかけ、本日の討論集会が開かれることになりました。この討論集会の目的は次の三つです。
第一は、国際社会における新しい日本の進路、国内における新しい政治のあり方について、意見の発表や討論を行ない、共通の認識をさらに深め発展させることです。
第二は、どうすれば、各界・各層の人々が政治的立場の多少の違いや団体の違いをこえて連合することができるのか、意見の発表や討論を行ない、それぞれの立場、それぞれの地域で、方向を見いだすことです。
第三は、討論を通じて生まれる共通の認識を基礎に、広範な国民の連合に向けて当面の展開すべき活動を討論し、ゆるやかな合意をめざすことです。
この三つの目的にそい、討論の素材として問題提起を行ないます。みなさんの熱心な討論をお願いします。
一.国際社会における新しい日本の進路、
国内における新しい政治のあり方について
(1)戦後最大の転換期を迎えた国際社会
今日の国際社会は非常に複雑ですが、あえて単純化して概括すれば、次のような特徴があります。
第一に、核軍拡競争で米ソ両国が経済的に疲弊し、ソ連・東欧の社会主義が崩壊した結果、米ソ超大国の対立を軸にした戦後の冷戦構造が崩壊し、米ソの核軍縮が進みました。ソ連は超大国から脱落し、国際政治に対する影響力を失いました。ソ連の脱落によって、米国は唯一の超大国となりましたが、その米国も経済が停滞し債務が巨額となり、国際政治に対する影響力をその経済で裏打ちできなくなりました。
第二に、第二次世界大戦の敗戦国であった日本と西ドイツが経済大国として登場し、軍隊の海外派兵、憲法改定の動きに見られるように、その経済力にみあった政治的、軍事的な影響力を強めようとしています。これに対して米国は、一方で、軍事的優位を維持する範囲内の軍縮で負担を減らし、経済競争力を回復しようとしています。他方で、湾岸戦争で見られたように、強大な軍事力、戦後形成された日米関係、ソ連の没落で対抗するものがいなくなった国連、これらを最大限に利用して第三世界の抵抗をおさえ、ひきつづき国際政治の主導権を維持しようとしています。
第三に、ソ連・東欧諸国では、その社会主義の崩壊によって経済は破綻し、人々の生活が破壊され、その不満は民族間の対立となって、ユ-ゴスラビアやソ連の一部では内戦にまで発展しました。ソ連・東欧の混乱による民族対立、難民の急増、経済の破綻は、国際政治を不安定で不透明なものにしています。
第四に、長く植民地支配のもとで収奪されてきた第三世界の国々は、政治的独立後も、安価な原材料供給地、低賃金労働力の提供地、商品の販売市場として、ひきつづき日米欧の経済的支配のもとにおかれています。国連の報告によれば、80年代は第三世界の多くの国々にとって「失われた10年」でした。第三世界と日米欧との経済格差はいっそう拡大し、第三世界の累積債務は雪だるま式にふえ、経済危機はいっそう深まりました。第三世界の特権階層は、日米欧の政府や大企業の庇護の下に民衆を収奪し、国内の貧富の格差も拡大しました。生存水準以下の絶対的貧困、貧富の格差は、政治的、民族的、宗教的対立を激化させ、飢餓や難民問題を引き起こしています。
このように、強大な軍事力は大国の繁栄を保障はせず、逆にその国の経済を圧迫して衰退させ、軍事力が相対的に小さかった日本やドイツが経済大国として登場してきました。大国主導の力の政治のもとで、第三世界の多くの国々は自立的な発展をおさえられ、少数の富める国の少数の富める人々が世界の富を独占し、世界の大多数の人々は貧しく、餓死や疾病の中で人間らしく生きる権利さえ奪われてきました。
そして世界は今、第二次世界大戦後最大の転換期を迎え、冷戦構造に代わる新たな世界秩序の模索が始まっています。ひきつづき軍事力を背景にした、大国主導の世界秩序とするのか、それとも国の大小をとわぬ平等な国際関係のもとで、全世界の人々がひとしく平和で人間らしく暮らせる国際社会の実現を追求するのか、人類は選択を迫られています。
転換期を迎えた国際社会の中で、日本はどのような進路をとるべきでしょうか。
(2)自民党政府と財界の選択
冷戦時代の日本外交の指導理念となってきたのは、いわゆる吉田ドクトリンで、吉田茂以来の保守本流の外交理念に代表されます。その特徴は、米ソの冷戦構造を前提に、日米安保体制のもとで外交・軍事を米国に依存する対米追随を基軸としながら、大企業の利益を優先して経済発展を最大限に追求するという道でした。
国際政治の舞台では、日米基軸の名で、たえず米国の顔色をうかがい、米国に歩調をあわせる、対米追随の外交を行なってきました。軍事面では、ソ連脅威論をたてにして、米国のための不沈空母として米軍に沖縄はじめ多くの基地を提供し、米軍の戦略配置の一翼をになう軍事力として憲法に違反する自衛隊を強化してきました。
国内では、その経済力からすれば相対的に小さな軍事負担を利点とし、教育、福祉、環境など国民生活関連の予算は最小限におさえて、国家資金を大企業の経済発展のために投入してきました。大企業は政府の庇護のもと、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需をバネに、米欧の最先端技術、第三世界の安い原材料、国内の低賃金と長時間労働を利用して、急速な成長をとげました。こうして、日本は世界に例をみない金融大国となり、日本の大企業は海外に膨張し、世界的大企業に発展しました。
日本の大企業はその急速な成長につれて、米国の大企業のシェア-を奪いはじめました。米国政府は米国企業の利益を守るために、これまでの日米関係を利用して、次々と日本政府に要求をつきつけ、譲歩をせまりました。はじめは繊維で、そして鉄鋼、自動車、電子機器へと、日米の経済まさつは日を追って激しくなりました。双子の赤字を再生産する米国の不健全なしくみをそのままにして、バブル経済でふくれあがった日本の円がドルをささえる構図は、事態を解決しませんでした。冷戦が終わり、対日政策でソ連を考慮にいれる必要がなくなった今日、米国の対日要求は報復、脅かしをふくむあからさまなものとなりました。
政府は米国の要求に譲歩し、「前川レポ-ト」で産業構造調整を約束しました。その結果、炭鉱の閉山があいつぎ、農畜産物の輸入自由化が進みました。輸出型の中小企業、地場産業は次々と破産に追い込まれました。米国はさらにコメの輸入自由化をせまり、政府は日米構造協議で、430兆円という巨額の公共投資、中小商店を廃業・倒産の危機に追い込む大店法改悪を約束しました。政府は、国際競争力の弱い産業や中小企業、そこに働く人々や農民を犠牲にすることで、大企業の経済的利益を守ってきました。
その結果、農民をはじめ、犠牲にさらされた国民各層の米国に対する怒り、対米追随の政府に対する不満が高まりました。特に、米国政府の強圧的な戦費負担要求、ブッシュホンとまで言われた政府の卑屈な米国追随ぶりに、大多数の国民は怒りを高めました。自民党や財界の中からも、このままでは大企業の利益も守れない、自民党の政治基盤が危うくなるとの危機感で、対米不満が噴出してきました。
冷戦時代がおわり、日本が最大の金融大国となった今日、対米追随・経済優先の吉田ドクトリンは再検討を迫られました。
政府は湾岸戦争を契機に、米国の圧力を利用し、「国際貢献」「国連中心主義」をかかげて、掃海艇の派遣にふみきりました。さらに、PKOや国際災害救援による海外派兵の制度化に乗り出しました。また、経済力をてこに独自の大国外交を強め、国連憲章の旧敵国条項の削除や安保常任理事国のいす獲得に動き出しました。政治・軍事大国として認めてもらい、発言力を強めて、対米関係での選択の幅を広げようというのです。日米欧の協調で第三世界の抵抗に対処し、海外に広がる大企業の利益を守ろうとしています。
こうして政府や財界は、内部に意見の対立をふくみつつも、これまでとは異なる道に踏み込みました。それは、日米安保体制を清算して対米追随から転換する道ではなく、大国意識で国民の対米不満をそらし、日本の政治・軍事大国化をはかろうという道です。自民党の実力者たちは、世界最新鋭の兵器を装備し、世界第三位の軍事費を誇る現在の日本を「軍事小国の特殊国家」と言い、日本を「経済とともに防衛・安保を充実させた正常な国家」にしなければならない、と主張しています。
このような進路は日本をどこに導くのでしょうか。宮沢喜一氏は首相に選ばれる以前に、その発言の意図はともかく、『中央公論』91年9月号で次のように述べました。「経済とともに防衛・安保を充実させた正常な国家」を基本方針とするならば、第一に憲法改定、第二に核武装、第三に徴兵制へゆきつかざるを得ない、と。すでに、憲法改正が声高に論じられています。アジアの民衆は日本に侵略された悪夢を思い起こし、懸念を表明しています。
(3)国際社会において日本がとるべき進路
第二次世界大戦後最大の転換期を迎えた国際社会の中で日本がとるべき進路は、自民党政府や財界がとろうとしている道ではなく、大多数の国民、全世界の大多数の人々の利益に立脚した道でなければなりません。日本がとるべき道、新しい日本の進路とは、次のようなものだと思います。
第一に、自主的な道です。対米追随外交から自主外交への転換は時代の要請です。日本はいかなる国にも従属せず、自主的な道を進むべきです。日本が自主的な道を進むということは、各国が自主的な道を進むのを認めることでもあり、石原慎太郎氏のように「自主憲法」「自主防衛」などと言って、日本を政治・軍事大国化し、他国を従属させることではありません。多様な民族が存在し、それぞれが固有の文化と歴史をもつ国際社会において、特定の国が自らの価値観を他国に押しつけるべきではありません。仮に問題があったにしても、それぞれの国が、あるいはそこに暮らす人々自身が、自主的・内発的に解決する以外に道はありません。むしろ、軍事力や経済力を武器にした大国の覇権外交を否定し、従属を強いられてきた中進国や第三世界諸国の自主性を擁護すべきでしょう。
冷戦が終わった今日、日米安保体制は時代遅れとなり、清算を求める声が強まっています。フィリピンの米軍基地は撤去されます。保守の東京都知事でさえ横田基地撤去を要求しています。日米安保条約を廃棄して、日本からすべての米軍基地を撤去させることは、日本が自主的な道を進む上でどうしても必要なことです。また、コメの輸入自由化を拒否し、農産物を他国に依存せず可能な限り自給することは、自主的な道にとって欠かせないことです。
第二に、平和の道です。国際社会は、強大な軍事力を誇った超大国が、その軍事力ゆえに経済が疲弊し没落するのを、目のあたりにしてきました。日本はそのような愚行をくりかえすべきではなく、軍備拡大や海外派兵など軍事大国化の努力をやめ、過去の植民地支配や侵略戦争の被害者に対する戦争責任を誠実にはたすべきでしょう。そして、「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を「国際紛争を解決する手段」とすることに反対し、核兵器の廃絶、全面軍縮を求めて、積極的な平和外交を展開することこそ必要であります。
平和の道を進むということは、軍備の縮小にとどまらず、貧困や欠乏、圧迫や差別など平和を阻害する要因を除去するための、果敢な挑戦を意味します。日本をふくむ先進諸国は、過去の植民地支配そして今日もその経済的支配によって、第三世界諸国の貧困に大きな責任を負っています。日本の豊かさは、第三世界諸国を代償にしたものであることを知らなければなりません。大国の国益のための戦略援助や、大企業に還流したり環境を破壊する援助ではなく、第三世界諸国の経済的自立、そこに暮らす人々の発展に役立つものへ、ODAを根本的に見直す必要があります。
日本がなすべき「国際貢献」は、自衛隊の派遣ではなく、第三世界の飢餓、悪疫、貧困などに対する人道的援助、第三世界の経済の自立的発展を助けるための技術援助や債権の放棄です。日本自身が世界の資源を浪費して環境を破壊するのをやめ、環境を守るために必要な援助を行なうことです。日本は「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」、自らの痛みを覚悟して、「全世界の人々がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」(憲法前文)の実現のために努力することこそ、平和の道です。
第三に、民主的な道です。武力や札束をちらつかせた大国外交に反対し、いかなる国の特権も認めず、国の大小にかかわりなく、すべての国の対等・平等な関係を追求することが、国際社会の民主主義です。こうして、米国をふくむすべての国と等しく、平和、友好、協力の関係を発展させる必要があります。さらに、国家間の民主主義にとどまらず、国家のわくにはまらないNGOや自治体などに協力し、世界の民衆間の民主主義を発展させることも大切でしょう。
今日の国連は、米・英・仏・ソ・中の五カ国だけに拒否権と安保常任理事国という特権を認め、しかも、安保理事会の決定を全加盟国参加の国連総会に優先させています。この特権により、大国は国連の名において小国の権利を踏みにじり、大国の横暴に対する小国の抗議はいつも退けられてきました。国連は米国が自国の国益を世界に押しつける手段という様相を強めています。このような現状のもとでは、「国連中心主義」は国際社会における民主主義を保障するものではありません。国連が国際社会の民主主義にふさわしい方向へ進むように、日本は積極的な努力を行なうべきでしょう。
自主的で平和で民主的な新しい進路は、大国が力を背景にして自国の利益を押し通してきた国際社会にあって、けっして容易な道ではなく、困難と苦痛をともなうでしょう。しかし、日本が平和憲法を守り、その精神にそって自主・平和・民主の道を進むならば、「平和を愛する諸国民の公正と信義」に守られて、日本の安全と生存も確保できるにちがいありません。
(4)国内における新しい政治のあり方
国際社会における、自主的で平和で民主的な新しい日本の進路に対応して、国内における政治のあり方も変わらなければなりません。それは大多数の国民の利益に立脚した、次のような道だと思います。
第一に、経済における民主主義です。富の大小にかかわらず、すべての企業や個人が対等・平等に経済活動に参加し、すべての国民がひとしく経済の発展に応じた健康で文化的な生活をできるようにするのが、経済における民主主義です。
しかし、これまでの日本の政治は、少数の大企業や金持ちを優遇し、大多数の中小企業や低所得者を冷遇してきました。産業構造調整によって農畜産物の輸入自由化が進み、競争力の弱い産業や中小企業はつぶされ、そこに働く労働者や農民は犠牲にされました。パ-ト・派遣・臨時など不安定で劣悪な労働条件におかれた労働者が増加し、労働者は無権利状態のまま放置されてきました。
高齢化社会だというのに、政府は老人医療などの福祉を削減しました。「自助の精神」「受益者負担」などのスロ-ガンは、高額所得者を優遇して低所得者を冷遇する制度から人々の目をそらせ、ハンディキャップを負った人々を切り捨てるために利用されています。消費税導入、大企業優遇税制、最近の証券・金融スキャンダルなどは不正な大企業優遇です。政府の意図的な低金利政策による土地や株価の暴騰によるバブルで、大企業や資産家は莫大な富を獲得しました。こうして資産や所得の格差は広がり、都市の労働者はまともな住宅に住むことさえできません。
バブルがはじけ、日本経済にもかげりが見え始めました。今後は、金融状態のひっぱくによって、弱小企業の倒産、労働者の解雇、賃下げ、労働強化も予想されます。あるいは政府が低金利政策で切り抜けようとすればインフレです。いずれにしても貧富の差はいっそう拡大します。
このような政策をやめ、豊かな大企業や高額所得者ほど国家財政に大きく貢献できるようにし、弱い立場にある労働者の権利を守り、農民の営農や中小企業の営業を保障し、貧富の格差をできるだけ縮小することが、政治の役割です。
第二に、政治における民主主義です。いかなる者の特権も認めず、すべての国民が平等に主権者として、政治的な権利を行使できるように保障することです。
しかし、これまでの日本の政治は、大企業が金の力で政治に巨大な影響力をおよぼすことを許してきました。大企業からは政治献金、パ-ティ-券購入、あるいはリクル-トのような違法な形で、大量の資金が政党や政治家に流れ、政・官・財が姻戚、人事をふくむ無数の共通利害の糸で結びつき、政治は主権者である国民よりも大企業の利益を重視してきました。小選挙区制は、比較第一党以外の政党を支持する人々の政治的権利を奪うものです。
また、地域住民を主人公とする住民自治も、中央政治への権限集中によって形がい化されてきました。東京への一極集中は、過疎と過密をもたらし、生まれ育った地域で暮しが成り立たぬ深刻な事態を引き起こしています。
このような「主権在金」を一掃し、中央集権をあらためて地域の活性化をうながし、民主主義を形式だけでなく実質のあるものにしなければなりません。
第三に、社会生活における民主主義です。いっさいの差別と抑圧を解消し、憲法が規定している基本的人権をはじめとする民主的な権利と自由を完全に守る政治を実行することです。
しかし、これまでの日本の政治は、女性、部落、少数民族、在日外国人、障害者、その他さまざまなハンディを負わされている人々に対する差別を存続してきました。また、職場に民主主義がなく、労働者が団結権を行使したり思想の自由を表明すれば企業から差別や抑圧を受けている現状を放置してきました。その結果、労働者は実に4人に3人の割合で労働組合のない状態におかれています。国鉄の民営化に際しては、政府自ら国労所属ということで労働者を差別しました。信教の自由に反して、靖国神社公式参拝を行ない、天皇家の宗教儀式に多額の国費を浪費しました。学問・思想の自由に反して、侵略戦争、植民地支配、沖縄戦争を美化するなど、教科書に特定の偏った見解をおしつけ、教育現場に日の丸や君が代を強制しました。
このような政策をやめ、すべての人々の基本的人権を守るため、特に、弱い立場におかれている人々、過去の植民地支配・侵略戦争によって在日をよぎなくされた人々の民主的権利と自由を完全に擁護するため、教育や財政措置をふくむ積極果敢な行動を行なうべきです。教育・科学・文化・芸術に対して、政府は口を出さずにもっと金を出し、その自主的な発展を保障する必要がありましょう。
第四に、環境・資源の保護です。住民の生活と健康を守り、次の世代に豊かな環境と資源をのこすことは、政治の重要な役割です。
しかし、これまでの日本の政治は、企業が目先の利潤追求で大量消費をあおって資源を浪費し、環境を破壊するのを放置してきました。浪費された資源は巨大なゴミとなって自治体を圧迫しています。チェルノブィリ事故で原発の危険性が明白になったにもかかわらず、電力企業の利益のために国家政策として原発を推進してきました。リゾ-ト法によって、企業による投機めあてのゴルフ場や別荘地の乱開発が進み、自然環境や生活環境の破壊は深刻です。大量消費、資源の浪費は国内の環境破壊だけでなく、地球温暖化、酸性雨、熱帯雨林の減少など、地球規模の環境破壊を引き起こしています。
このような政策をやめ、自然を守る農林水産業を大切にし、企業には製品の消費後の回収や資源節約を義務づけ、日本自身の責任をふまえて地球環境を守る必要があります。また、大量消費・使い捨ての宣伝におどらされてきた私たち消費者の側にも責任があることを自覚し、消費者が自ら生活の質を問いなおして、環境破壊と資源浪費に立ち向かうよう努力しなければなりません。
大多数の国民の利益に立脚したこのような道は、同時に、国民ひとりひとりが受身の姿勢ではなく、生活と権利を守るために声をあげ、自ら民主主義をかちとるために行動することを求めるものです。新しい政治のあり方は、主権在民にふさわしい国民の行動によらなければ、実現できませんし、維持することもできません。私たちは困難に屈せず、一歩また一歩とねばり強く努力しなければならないと思います。
二.どうすれば広範な国民の連合が可能になるか
国際社会における新しい日本の進路、国内における新しい政治を実現するためには、それを願う広範な各界・各層の国民が、政治的立場の多少の違いや団体の違いをこえて連合しなければなりません。どうすればそれが可能になるのでしょうか。
第一に、どのような政治を実現するために連合するのか、その目的が明確でなければなりません。また、めざす政治の方向が内外の情勢にふさわしく、国民大多数の利益に立脚したものでなければなりません。
すでに述べた国際社会における新しい日本の進路、国内における新しい政治のあり方は、そのような目的として提案しました。この提案がもっと多くの人々の討議によって正され、何よりも実践によって検証されなければならないと思います。
第二に、それぞれが労働運動などの大衆運動に基礎を求め、これを自主、民主、平等の原則にたって発展させることが必要です。これまでの経験は、大衆運動が人々の内発的な力を結び、それが世論を動かし、連合を促進し、政治を変える力となることを教えています。逆に、大衆運動が後退すれば、あるいは大衆運動から離れたところで議論ばかりしていれば、大同が見失われ小異が大異に見え、分裂が起こることを教えています。
特に労働運動はこれまで、生活と権利、平和と民主主義のための闘いにおいて、中心的な役割をはたしてきました。しかし、近年になって、労働組合に官僚化や大衆運動軽視の傾向が見られ、必ずしも期待に応えるものとなっていません。都市の市民運動、農村の農民運動とのつながりも十分ではありません。職場に民主主義を回復し労働者の自主性を発揮させる、生き生きとした労働組合の再生が求められています。経済にかげりが見られ、解雇、賃下げ、労働強化あるいはインフレも予想される状況を考えるなら、労働運動の発展はますます重要です。
第三に、それぞれの大衆運動を発展させるだけでなく、各界・各層の人々の要求や運動を、お互いに支持・支援・激励しあい、共同行動を発展させることが必要です。
政府や財界が国民各層を意図的に対立させ、分断してきた結果、国民各層の間に、相互不信あるいは無関心の無数の壁がつくられてきました。労働者が生活と権利を守るためにストライキに立ち上がれば、スト迷惑論で未組織労働者、市民や農民の反対をあおりました。農民の闘いに対して、農業は過保護だ、コメは高いと言って、都市の労働者や消費者の反対をあおりました。中小の小売商が大店法改悪に反対すれば、商人のエゴだ、大型店舗がくれば安くなると消費者をあおりました。その結果、それぞれの要求や闘いは孤立させられ、相互不信をうえつけられてきました。
たとえば、今年の7月に全国から5万人の農民が東京に集まり、コメの輸入自由化反対の集会を開きましたが、労働者や市民がこれを支持して大規模な集会やデモ行進を行なったら、どうなったでしょうか。春闘に農業団体が支持を表明したり、都市の市民とともに農民が自衛隊の海外派兵反対の集会を行えば、どうなるでしょうか。
政府や財界の巧妙な分断策に惑わされず、各界・各層の間につくられた壁をのりこえて、相互に支持・支援・激励し、共同行動を発展させることが、相互信頼をうちたて、連合を可能にするかぎだと思います。
第四に、政治的立場の多少の違いや団体の違いをこえて連合する場合には、特定の政党がこれを支配したり、異なる目的でこれを利用しようとするのを許さないことです。
これまで、さまざまな大衆運動を分裂させてきたのは、政党に大きな責任があります。限られた議席を争っている各政党は、組織ができるとすぐそれを集票組織に利用しようとし、政党間の争いが組織の分裂につながってきました。例えば、原水禁運動は広範な国民運動として出発しながら、原水協、原水禁、核禁会議と政党系列に分裂し、その影響力を弱めてきました。分裂ではなく統一のために奔走したのは、無党派の組織や個人でした。結局は、政党も人々の支持を失い、損失をこうむりました。
広範な国民の連合において、人々が政党に期待していることは、共通の目的のために献身的に活動し、対立が起こればあえて譲歩してでも相互信頼と団結のために努力することではないでしょうか。大局にたって、分裂ではなく連合を促進することこそ、政党の役割です。
第五に、広範な国民の連合を願う人々や団体の相互関係においては、自主、民主を尊重することです。
それぞれの個人や団体は、多少は異なる政治的見解や固有の運動目的をもっています。そうした違いがあることを認めあい、自主性、自立性を守りあうことが必要です。それぞれの個人や運動、それぞれの地域は、たがいに協力しあいながらも、自主的で自立した運動を形成すべきでしょう。それぞれが自主的に運動を展開せず、特定の個人や団体に依存するならば、持続的な力ある運動とはなり得ません。したがって、たて型の組織ではなく、それぞれが自主性をもった横ならびの組織として、連合が可能になります。
民主を保障しあい、少数意見を尊重しなければなりません。民主があってこそ、それぞれの自主性も発揮されます。もちろんそれは機械的な平等ではなく、動員力のあるものは動員を、金あるものは金を、知恵あるものは知恵を、というふうにそれぞれの条件に応じて力を出しあうことが必要です。
三.広範な国民の連合をめざして、何をなすべきか
ここに提案した、国際社会における新しい日本の進路、国内における新しい政治のあり方は、今日の情勢にふさわしく国民大多数の利益にかなった道だと、私たちは確信します。
全国には私たちと同じような思いをいだき、この国の政治を変えるために、団結や連合を促進するために、数かぎりない人々や団体が奮闘しています。私たちはそうした人々や団体とつながりをつくり、いっしょに協力して、広範な国民の連合を実現したいと願っています。私たちは、政治の変革を願う政党、会派が国民大多数の利益を守る立場に立ち、ここに提案した政治の方向にそって連合することを切望しています。
そのために、明日と言わず今日から、呼びかけ人、賛同人、この討論集会の参加者が、お互いに協力しあって、次のことを行動に移そうではありませんか。
(1)この討論集会の「呼びかけ文」、「問題提起」を、全国のもっともっと多くの人々に届け、広く連合することの必要さを訴えて、呼びかけ人・賛同人を拡大しましょう。
(2)呼びかけ人・賛同人は、自主的に連絡をとりあい、それぞれの地域、県あるいはブロックで広く呼びかけて、大小さまざまの集会、懇談会を開きましょう。「呼びかけ文」やこの「問題提起」を素材にして、日本の進路や国内政治のあり方、広範な国民の連合の必要さや方法を話し合い、交流しましょう。
(3)呼びかけ人・賛同人は、この討論集会や各地の集会・懇談会で生まれた共通認識、人と人のつながりを生かして、各種の課題で現に闘っている人々を、それぞれのわくを越えて支持しあい、共同行動を促進しましょう。
(4)呼びかけ人は連絡をとりあい、情勢に応じて必要な場合には、見解や声明を発表しましょう。
(5)それぞれの運動の情報、各地での動き、意見を簡潔な文にして、呼びかけ人会議の事務局に送り、事務局は「ニュ-ス」にして全国に返し、情報交換、連携の強化、運動の交流を促進しましょう。
(6)以上のように、各県、各地域で、討論、交流、相互支援、共同行動を積みあげて、適当な時期に、広範な国民の連合をめざして次のステップをふみだしましょう。
私たちは今日ここに第一歩をふみ出したばかりであり、まだ力もありません。しかし、道が正しければ助けは多く、連帯の輪は必ず広がると確信します。共に力をあわせて、がんばろうではありませんか。
1991年11月24日
広範な国民の連合呼びかけ人会議